行田の伯母さん(PART 1 OF 3)
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今日は、どういうわけでデンマンさんのお母さんの事を話題にするのですか?
あのねぇ~、話題は他にもたくさんあるのだけれど、僕はたいてい記事を書く前に、アクセス解析をするのがクセになっているのですよ。
要するに、アクセス解析の中にデンマンさんのお母さんが出てきたのですかァ~?
実は、そうなのです。。。 ちょっと次のリストを見てください。
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上のリストはDenman Blog の7月4日の「人気記事リスト」なのですよ。
相変わらず『床上手な女の7つの見分け方』を読むネット市民がダントツで多いのですわねぇ~。
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■『床上手な女の7つの見分け方』
そうなのですよ。。。 上の記事は毎日100人近くの人に読まれるのです。。。 だけど、7月4日はいつもより少ないのですよ。
赤枠で囲んである『行田の黒い霧をはらう』の中に デンマンさんのお母さんが登場するのですか?
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■『行田の黒い霧をはらう』
僕も、そう思ったのです。 でもねぇ~、上の記事の中には僕の母親は出てきません。。。 ちょっと次のリストも見て欲しい。
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■『拡大する』
これは7月4日の「人気検索キーワード」のリストですよ。。。 当然のことながら“床上手”関連のキーワードが多い。。。 でもねぇ~、赤枠で囲んであるキーワードに注目してください。
あらっ。。。 “埼玉県行田市熟女下着”と入れて検索して Denman Blogにやって来たネット市民が居たのですわねぇ~。。。 つまり、デンマンさんのお母さんの下着を目当てにやって来たのですか? うふふふふふふ。。。
まさかァ~。。。!? そのような物好きは、まずいませんよ。。。 でもねぇ~、せっかくだから、僕も“埼玉県行田市熟女下着”と入れてGOOGLEで検索してみました。。。 その結果を見てください。
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■『現時点での検索結果』
赤枠で囲んだ箇所に注目してください。
あらっ。。。 190,000件ヒットするうちの トップから6番目にデンマンさんが書いた『熟女下着』が表示されるのですわねぇ~。。。
そうなのです。。。 クリックすると次のページが出てきます。
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■『実際の記事』
つまり、この上の記事の中にデンマンさんのお母さんも出てくのですか?
いや。。。 残念ながら出てきません。。。 この記事を見た人は、ジューンさんの下着姿を目当てにやって来たのですよ。
でも、ジューンさんの下着姿がお目当てなら、どうして“埼玉県行田市”を付け足すのですか?
僕のふるさとが埼玉県行田市だからですよ。。。 つまり、僕がジューンさんの下着姿を しばしば記事の中に貼り出すので“埼玉県行田市熟女下着”と入れて検索すれば、僕が貼りだしたジューンさんの下着姿が見られるだろうと思ったわけです。
だったら、どの記事にデンマンさんのお母さんが登場するのですか?
上のリストのトップに“クリック数”と書いてあります。
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見れば分かるように、7月4日にDenman Blog にやって来て 記事の中の上の赤いアンダーラインのリンクをクリックした人が一人居たのですよ。
あらっ。。。 7月4日には 127人のネット市民の皆様がデンマンさんの記事を読んだというのに、記事の中のリンクをクリックして他の記事を読んだのは たった一人だけなのですかァ~?
そういうことです。。。 よほど興味を持って読まない限り、記事をじっくりと読む人はまずいないのですよ。。。 その記事の中のリンクをクリックする人は更に少ない。。。 真由美ちゃんだって、たいてい記事をざっと読むだけで、記事の中のリンクをクリックすることってめったにないでしょう?!
言われてみれば、確かに、普段ネットサーフィンしている時には、ざっとページを眺めるだけで、面白そうでなかったら すぐ他のページに飛んでしまいますわァ。
。。。でしょう!? それが普通ですよ。。。 とにかく、ネットには 下らない記事がたくさん掲載されてますからねぇ~。。。
たとえば。。。?
例えば、僕がしばしば取り上げている太田将宏老人が書いた記事ですよ。
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太田将宏が書きなぐった
ウザッた~♪~い作文!!
1.1 Sine Nomine
Cantus Gregorianusのfinalisやrepercussa(rezitationston)は、やはり、言葉の抑揚を強調する音の体系に関連していると思われる。そうした単旋律の音楽は、中世に於いても、民衆にとっては、退屈な代物であったのであろう。それ故、それをcantus firmus、定旋律とするorganumが発生したのではないか。その理論は、アラビアに発生したとしても、多声音楽の萌芽は、民衆の世俗音楽にあった、と私は推測する。実際に唱われた歌詞には、非常に卑猥なものもあった、と聞く。
Cantusを定旋律にするということには、それを中世の民衆の共通の基盤とするという意味、或いは、そうしなければならないというような事情があったのかも知れないが、それが、音楽的には、どれだけの意味、可能性が有ったのか、あるのか、私には分からない。ただ、この伝統により、それがArs Novaを経て、Renaissanceの時代のmissa parodiaに姿を変えて結実したのではないかと思われ、むしろ、その結果を見るべきであろう、と私は考えている。
ところで、cantus firmusの一つ一つの音は、何故、あれほどまでに長く、知覚不能なまでに延々と引き伸ばされねばならなかったのであろうか。現代の五線楽譜に転写したとすると数十小節になる例があるとのことである。それは、cantusを基礎に置くという理念それ自体に意味を置いていた、と説明されているが、果たして、それだけであったのであろうか。私には、それは、建前の理念であり、説明である、と思われるのである。
私の見るところ、古代とは、建前も本音もへったくれもなかった時代であり、中世は、建前と本音の乖離の甚だしかった時代で、近世は、それらを無理に一致させよう、と足掻いた幾世紀であった。(草子地:現代はといえば、それら全てがフェルマータで引き伸ばされて共存している様相であり、その混沌さかげんは古代に比較するのが一番に無難、適当だ、と言ったなら古代人に失礼か)。
出典: 5 ページ
『後奏曲集』 ―後書きばかり- 作品 3
この太田将宏という老人は、とにかく強烈なエゴの持ち主で、自分の考えが最高だと思い込んでいるのです。。。 それで、愚かにも、日本語の文章に、ラテン語だとか、英語だとか、ドイツ語の単語をちりばめて 上のように書くのです。
どうして、わざわざ日本語の文章に、ラテン語だとか、英語だとか、ドイツ語の単語をちりばめるのですか?
彼は、本質的に馬鹿なのですよ。。。 そうすればネット市民の皆様が感心するだろう。。。 尊敬してくれるのではないか!?。。。 そう思っているわけです。。。 真由美ちゃんが、もし上のページを見たら 最初の1行を読んで すぐ他のサイトへ飛んでしまうでしょう?
そうですわねぇ~。。。 見慣れない外国語の単語がたくさんあって、何がなんだか さっぱり分からないからスルーですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。
でもねぇ~。。。 この愚か者は、こういう文章が書ける事を自慢しているのですよ。
まさかァ~。。。?
太田将宏老人が A.I. に成りすまして書いた次のコメントを読んでみてください。
(すぐ下のページへ続く)