獲得された絶望感(盲人ウエカジ @ウエカジハローセンター 公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と全盲ヘルパー事業所と・・・~

×○○×××××□。

2005-12-10 01:56:29 | 司法試験と私
 ×○○×××××□。
 さて問題です。□には×or○どちらが入るでしょうか?

 司法試験の丙案(受験回数3回目までの受験生は論文試験で優遇制度)はいずこへ。私にも6年前に丙案のチャンスがあった。それも2回も・・・。択一に受かり論文受験。なのに・・・私は・・・論文の勉強をほとんどせず。択一では毎日7時間程度勉強していたのに・・・。択一合格後、網膜色素変性症によって「押しつけられた絶望感」が私を覆う。絶望感が私に語りかける。

 「おい、おい。そんなに勉強して合格しても、いつか目が見えなくなるんだぞ。せっかくの苦労が水の泡だぞ。他の人はつらい努力に対して、おつりがくるほどのリターンがあるんだよ、司法試験にうかれば。でもな、お前はどうだい、同じだけの努力をして、得られるものって何だい?その得られるものと比べて、今の時間を犠牲にしたつらい努力は割りにあうのかい?」

 合理的な私。悩む。そして気が滅入る。この絶望感の論理を覆す論理を私は見いだせなかった。そして今も見いだせない。(時がたち、今だからなおのこと見いだせない)

 おそらくその答えとなる論理は「今を生きる。」なのだろう。でもこの解釈もまた難解。「今を生きる。」のなら見えているいまのうちにいろんな快楽を求めるべき。それとも「今を生きる。」とはその日をその日をある目標をもって生きることであり、司法試験の勉強に没頭する毎日が「今を生きる。」か。

 選択する前提として、「果たしていつまで見えるのか」がポイント。来年文字が見えなくなるのに、司法試験はナンセンス(だと思う)。5年?10年?20年?30年?30年先も見えるのが分かっていれば絶望感にも打ち勝てる(かもしれない)

 15年前の私へ。そして網膜色素変性症な若者へ。
  あと20年は目は見えるぞ。その20年間をおまえなりに生きてみろ。若くして弁護士になれば3年で1000万円は貯金ができるぞ。さぁこの20年どう使う?20枚の金貨を土にうめておくのもよし、銀行にあずけるのもよし、うまいものを食べて飲んでそして買って、すべての欲望をみたすのもよし、なにか商売をして20枚を40枚にするもよし。さぁどうする。

コメント (2)
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