私は身体障害者手帳4級保持者。
私が身体障害者手帳を取得しようと思った最大の理由は、身障者採用枠による就職のため。手帳を取得するにあたり、ちょっと悩む。あぁこれで私も障害者かぁ・・・。なんかイヤだな・・・。
でも、障害者手帳を取得しようがしまいが、私の視野が狭いという客観的事実は変わらない。手帳を取得しないと健常者のままでいられるということではない。そういう論理で納得して手帳を取得。
デスペア的 障害者手帳取得のメリット。
1,客観的事実(網膜色素変性症・視野が狭い)を受け入れることができた。
障害者と認定されることで、自分が障害者なんだと実感。そんな自分をまず受け入れて、じゃなにができるのかを考えるようになった。視野が狭いのに、健常者と同じような生き方をしようとは思わなくなった。これを人は「あきらめ」というかもしれないが、デスペア的に言うと「獲得された絶望感」。
※もちろん手帳をもらいうために、はじめて市役所の障害福祉課の窓口にいくのは、抵抗があった。はじめて、手帳を提示して乗車券を購入したときも抵抗があった。がそれもじきに慣れた。
2、障害者採用枠で就職できた。(予定)
この年になって、就職は難しい。特に私は網膜色素変性症であり、車は運転できない(バイクも、自転車もあぶない)。工場などの危険を伴う仕事も難しい。そんな私が就職できたのも手帳のおかげである。もしこの制度がなければ、田舎に帰って年金暮らしの両親と窮屈なくらしだろう。
(司法試験にも障害者採用枠っていうのがあったらなぁ[笑])
3,割引制度。
交通機関の割引制度はいい。深夜高速バスは半額だし、新幹線も基本運賃は半額(特急料金に割引無し・・・残念、障害者は鈍行にしないさいということ?)。このおかげで、月10万の私でも東京までなっちやまこっちゃんのイベントにいけた。目が悪いから、見ず知らずの場所へ行くにはすくなからず抵抗がある私。その抵抗感を金銭面から逓減してくれたこの制度に感謝。
デスペア的 障害者手帳取得のデメリット。
1、家族親族への影響。
私はさほど障害者手帳を取得に抵抗はなくなったが、やはり家族は抵抗があるだろう。特に私の実家は田舎なので、世間の虚々実々のうわさ話の中での生活。障害者が家族の中にいるというのは、大きな抵抗があるだろう。特に網膜色素変性症は遺伝的要素もある(らしい)ので、これがまたよりいっそう抵抗感を与える。
もし私が田舎にいたなら、手帳は申請していないだろうとおもう。兄弟や親戚の結婚などで不利益をうけないとはいいきれないので。
※ちなみに、私は実家には手帳取得を教えていない。(家族はただ心配するだけで、家族はそれを打ち消す方法を習得できていないので)
手帳を取得してみて、もっと優遇されるのかとおもいきや(年金がもらえて、手当がもらえるのかと思いきや)、モー娘やなっちのコンサートやツアーに行くためには、私のような「働ける」障害者は働かないとならない。障害者であるということで、適した働ける場を国が採用枠という形で提供してくれるだけ。それ以上にお金をくれたりはしない。これが現実。
私の両親はまだ「働ける」老人だけど、働かないでも生きてるだけで、1人年金月20数万円。なんだろうこの違和感。
※障害者手帳を取得 の考えられるデメリット (不確か情報)
1、履歴書の身体状況欄にその障害をかかなくてはならないのかもしれない(?障害というのは高度な個人情報なので、書かなくてもいいように思うけど・・・どうなのだろう?)
2、保険に入る時も、健康状態欄にその障害を書かなくてはならない
3,網膜色素変性症が進行して障害年金をもらうときに、「初診日」がポイントになる。「初診日」に無職だったら国民年金の障害年金しかもらえないが、「初診日」にサラリーマンだったら、厚生年金の障害年金がもらえる。もらえる額に大きな隔たりがある。
網膜色素変性症は診断されても、障害年金をもらえるほど症状が悪化するまで数十年かかる。数十年かかるので、「初診日」を証明する病院のカルテが廃棄されている場合ある。その場合にそのカルテの代わりに初診日証明するものとして、障害手帳申請時の診断書が代用される(らしい?)。ということは、大学生の時(国民年金加入時)に手帳を取得するよりも、就職した後で手帳を取得したほうがいいように思うのだが・・・。(★不確か情報なので、鵜呑みにするのは危険です★)
もし私が弁護士になってたなら、障害者弁護士として、こういう制度のおかしなところをバンバン訴えていきたかったんだけどな・・・。(っておいデスペア!もうあきらめたのかよ)
私が身体障害者手帳を取得しようと思った最大の理由は、身障者採用枠による就職のため。手帳を取得するにあたり、ちょっと悩む。あぁこれで私も障害者かぁ・・・。なんかイヤだな・・・。
でも、障害者手帳を取得しようがしまいが、私の視野が狭いという客観的事実は変わらない。手帳を取得しないと健常者のままでいられるということではない。そういう論理で納得して手帳を取得。
デスペア的 障害者手帳取得のメリット。
1,客観的事実(網膜色素変性症・視野が狭い)を受け入れることができた。
障害者と認定されることで、自分が障害者なんだと実感。そんな自分をまず受け入れて、じゃなにができるのかを考えるようになった。視野が狭いのに、健常者と同じような生き方をしようとは思わなくなった。これを人は「あきらめ」というかもしれないが、デスペア的に言うと「獲得された絶望感」。
※もちろん手帳をもらいうために、はじめて市役所の障害福祉課の窓口にいくのは、抵抗があった。はじめて、手帳を提示して乗車券を購入したときも抵抗があった。がそれもじきに慣れた。
2、障害者採用枠で就職できた。(予定)
この年になって、就職は難しい。特に私は網膜色素変性症であり、車は運転できない(バイクも、自転車もあぶない)。工場などの危険を伴う仕事も難しい。そんな私が就職できたのも手帳のおかげである。もしこの制度がなければ、田舎に帰って年金暮らしの両親と窮屈なくらしだろう。
(司法試験にも障害者採用枠っていうのがあったらなぁ[笑])
3,割引制度。
交通機関の割引制度はいい。深夜高速バスは半額だし、新幹線も基本運賃は半額(特急料金に割引無し・・・残念、障害者は鈍行にしないさいということ?)。このおかげで、月10万の私でも東京までなっちやまこっちゃんのイベントにいけた。目が悪いから、見ず知らずの場所へ行くにはすくなからず抵抗がある私。その抵抗感を金銭面から逓減してくれたこの制度に感謝。
デスペア的 障害者手帳取得のデメリット。
1、家族親族への影響。
私はさほど障害者手帳を取得に抵抗はなくなったが、やはり家族は抵抗があるだろう。特に私の実家は田舎なので、世間の虚々実々のうわさ話の中での生活。障害者が家族の中にいるというのは、大きな抵抗があるだろう。特に網膜色素変性症は遺伝的要素もある(らしい)ので、これがまたよりいっそう抵抗感を与える。
もし私が田舎にいたなら、手帳は申請していないだろうとおもう。兄弟や親戚の結婚などで不利益をうけないとはいいきれないので。
※ちなみに、私は実家には手帳取得を教えていない。(家族はただ心配するだけで、家族はそれを打ち消す方法を習得できていないので)
手帳を取得してみて、もっと優遇されるのかとおもいきや(年金がもらえて、手当がもらえるのかと思いきや)、モー娘やなっちのコンサートやツアーに行くためには、私のような「働ける」障害者は働かないとならない。障害者であるということで、適した働ける場を国が採用枠という形で提供してくれるだけ。それ以上にお金をくれたりはしない。これが現実。
私の両親はまだ「働ける」老人だけど、働かないでも生きてるだけで、1人年金月20数万円。なんだろうこの違和感。
※障害者手帳を取得 の考えられるデメリット (不確か情報)
1、履歴書の身体状況欄にその障害をかかなくてはならないのかもしれない(?障害というのは高度な個人情報なので、書かなくてもいいように思うけど・・・どうなのだろう?)
2、保険に入る時も、健康状態欄にその障害を書かなくてはならない
3,網膜色素変性症が進行して障害年金をもらうときに、「初診日」がポイントになる。「初診日」に無職だったら国民年金の障害年金しかもらえないが、「初診日」にサラリーマンだったら、厚生年金の障害年金がもらえる。もらえる額に大きな隔たりがある。
網膜色素変性症は診断されても、障害年金をもらえるほど症状が悪化するまで数十年かかる。数十年かかるので、「初診日」を証明する病院のカルテが廃棄されている場合ある。その場合にそのカルテの代わりに初診日証明するものとして、障害手帳申請時の診断書が代用される(らしい?)。ということは、大学生の時(国民年金加入時)に手帳を取得するよりも、就職した後で手帳を取得したほうがいいように思うのだが・・・。(★不確か情報なので、鵜呑みにするのは危険です★)
もし私が弁護士になってたなら、障害者弁護士として、こういう制度のおかしなところをバンバン訴えていきたかったんだけどな・・・。(っておいデスペア!もうあきらめたのかよ)