獲得された絶望感(盲人ウエカジ @ウエカジハローセンター 公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と全盲ヘルパー事業所と・・・~

トップエールの生地 ハロプロになれなかった7人の青春群像第4回 を読んだ。

2015-06-20 21:42:40 | モーニング娘。と私
 今日もスポーツジムに午前中いって1500mを水中歩行し、300m人版平泳ぎ。その後図書館へボランティアさんにハロプロ雑誌をよんでもらいにいった。網膜色素変性症な私デスペあ。視覚障害のため文字がよめない。そこで図書館の障害者サービス対面朗読。

 今日よんでもらったのはトップエール2015年7月号。先週もこの雑誌をよんでもらってまずはJuice=Juiceの記事、そして今日はアップアップガールズの記事を読んでもらった。

「長編大河 ハロプロになれなかった7人の青春群像 第4回」という記事。アップアップガールズのメンバー7人がハロプロエッグ時代を語っている記事。語っているといってもインタビュー記事ではなく、ライターがメンバーから聞いた話をうまくまとめて記事にしていて読みやすい。ルポタージュ?っていうのかな?この記事を書いたライターのほかの文章も読んでみたいな。第4回ということだけど、今までの第1回から第3回までの記事も読みたいけどもう過去のトップエールは捨ててしまったかな。

 記事の内容は、古川小夏、佐保明梨、佐藤綾乃などにエッグ時代のことを聞いた記事。

デスペア的ハロプロになれなかった7人の青春群像のポイント
1、宮本佳林の笑顔がはじけてた
 佐藤がエッグに入ったのは2009年の6期生として、レッスンに参加して、新人公演のリハーサルで、すっごく笑顔がはじけていて、ダンスも大きな子がいて、目が釘付けになったと佐藤。佐藤があの子すごいねと言うと、ほかの研修生が、あの子まだはいったばかりで5期生だよと言われて衝撃をうけたとのこと。それが宮本佳林。当時中学2年生の佐藤綾乃が小学4年生の宮本佳林のパフォーマンスに衝撃をうけたとのこと。

 たしかにあのころのちちゃい佳林のどこからその元気というかエネルギーがでてくるのかわからないようなはげしいダンスと表情はすごかったな。今の佳林とは違ったギラギラ感っていうか、無邪気な笑顔の下にもっと私を見てっていう意識が垣間見終えた佳林だったな。

2、ギラギラしてたのはだれ?
 古川小夏は、デビューしたいっていうよりもレッスンや新人公演がたのしくてエッグ時代をすごしていたっていっていた。一方小夏からして、一番ギラギラしていたのは福田花音とのこと。福田はほかの研修生になにか仕事がはいったらとてもくやしがって、自分に何がたりなかったかを分析して努力し、仕事をもらえたらとてもよろこんでいて、デビューを常に頭においていたギラギラしてたとのこと。佐藤も福田花音はスキがない、すでにアイドルとしてできあがっていたといっていた。そんな福田もデビューして6年でアイドルを引退。あのギラギラした福田花音は、今の福田花音の進路変更をどう思っているのか知りたいな。作詞家になるっていうことだけど、たぶんお笑い芸人と結婚してバラエティに進出するんだろうな。まぁ向上心というかなり成り上がってやろうという気持ちはたぶん昔の花音も今の花音も同じなので、あらたな進路を見つけたからハロプロを卒業するんだろうな。

 あと、古川があげていたギラギラしていたというかデビューを常に意識していたのは、橋本愛奈、岡田ロビン、そして有原栞菜だったとのこと。はしもんとロビンはわかるけど、有原もギラギラしていたのねえ。全然そうは見えなかったけどな。まぁそのギラギラ、向上心が有原をジャニーズジュニアとの恋愛にすすすませ、℃-uteを脱退することになったんだろうな。

3、佐保明梨のハロプロ愛
 佐保明梨はどこかひょうひょうとしていて、あまり感情を表にあらわさず、泣いたりおこったりしないイメージ。しゅごキャラエグからスマイレージに昇格するときに一人だけ選ばれなかったあとの新人公演でも決して泣かずに笑顔だった佐保。アイドルにあまり興味がないのかなとおもっていたら、そうじゃなかった。

 佐保は、幼稚園のころからモーニング娘。がすきで、おばあちゃんにモーニング娘。のカードを駄菓子屋でかってもらってそろえたほど、あと幼稚園のハロプロ好きな子とコンビをくんで、おうちのベッドで部屋のあかりを消して懐中電灯をスポットライトにして踊っていたとのこと、小学生になったらクラスでグループをつくってダンスを披露していたとのこと。意外だな。

 そして、ハロプロキッズオーデションがあるとしってうけるも1次審査で不合格。3年後のハロプロエッグオーデションにうけてやっと合格。佐保明梨って意外と熱いのね。

 一方関根梓はお姉ちゃんが通っていたダンススクールに通いたくてダンスをはじめて、ただお姉ちゃんと一緒にダンススクールにいきたいだけだったのに、ダンススクールの先生がエッグオーディションに申し込んでいて、受けることになって、合格したとのこと。その時関根はハロプロはほとんど知らなかったとのこと。それがいまではアップアップガールズのセンターでメインボーカルなんだから不思議だね。

4、その他
・佐保いわく、エッグの時はレッスンの曜日が人によってちがっていて、月曜日組はいまでもデビューできそうな候補生で、水曜日組はそれ以外というグループ分けをされていたとのこと。エッグの先生にきくとそんな分け方はしていないっていっていたけど、どうみても実力の差があきらかなグループ分けだったとのこと。ちなみに佐保は水曜日組。このとき佳林はどちの曜日だったのかな?

・エッグ初期は小学校3年生までのグループとそれ以上の年齢のグループにわかれてレッスンをうけていて、顔をあわえせることはなくて、ハロコンとかでえっつこんなにエッグていたんだと思ったとのこと。

・仙台在住だった仙石みなみは、レッスンに参加できず、どんどん鉾あの子との差がついていってるのを感じて、親にたのみこんで高校から状況し、のちに父親も仙台の仕事をやめて東京でハロワーク通いをしていたとのこと。これはたぶん連載第1回目の仙石と仙石パパのインタビューー記事の情報。仙石によると、エッグの子はコンサートにでるとみちがえるように上達してオーラもでてくるとのこと、それであせりを感じたといっていた。

・古川小夏は幹事となって、エッグ会を開いたとのこと、ほかの事務所にいいった子や(たぶん北原沙弥香のことかな)、今はOLをやっている子たちが集まったとのこと。またエッグ会やってよといわれているふるくぁ。古川は人望があついね。

・エッグ時代は新人公演が次もあるかはわからなくて、先生からこれが最後かもと毎回言われていたとのこと、それと比べて今の研修生は定期的に生タマゴSHOWという発表会ライブがあってうらやましいと古川。ただエッグ時代はエッグからデビューできたのはほんの一握りだけだったけど、今は研修生の半分ぐらいが一気にデビューしていって、逆にのこされた子はつらいんだろうなととのこと。


4ページにわたる長い記事なのでぜひトップエール7月号を買ってじくり読んでね。佐保がしゅごキャラに選ばれたときの様子や、それからスマイレージに選ばれなかった時の気持ちなどりあるに語っている。読み応え十分。

そんなハロプロになれなかった7人、アップアップガールズはハロプロからではないkぇど別の形でデビューしてもう5年目。7月5日日曜日には東京日比谷野音で単独コンサートをやるとのこと。初の3000人人規模の会場でのライブ。メンバーの森咲樹は水着みたいな衣装をきるらしいし、佐保はブロック割に挑戦するみたいだし、見どころ満載なのでお時間ある人はぜひ7/5は日比谷へ。チケットはセブンイレブンやローソンでも買えますよ。 
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