獲得された絶望感(盲人ウエカジ @ウエカジハローセンター 公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と全盲ヘルパー事業所と・・・~

Juice=Juiceの宮本佳林が下積み時代を語っていた。

2016-01-27 21:09:25 | モーニング娘。と私
 先日Juice=Juiceの金澤朋子が子宮内膜症という病気であることを公表し、病気とつきあいながらJuice=Juice活動を続けていくとのこと。昨日の仙台でのCD予約イベンとはトークと握手だけで歌ダンスはなかったせいか元気にかなともも参加していたよう。まずは一安心。Juice=Juiceは5人だね。

 でももしこれがエースの宮本佳林だったら大変だったろうな。なにせJuice=Juiceは宮本佳林がいなければなりたたないグループ。それはつんくもかつてツイッターで認めていた。

 そんな絶対的エースの宮本佳林17歳も下積み時代があった。小学校6年から中学2年までの3年間。ことごとく新メンバーオーディションにおちつづけた宮本佳林。ハロプロ・エッグとして研修生としてずっとチャンスをまっていた宮本佳林。でもさすがに後輩にぬかれていくと心がおれそうになる。佳林も中3までにデビューできなかったらハロプロをやめて高校にかようと親と約束していたほど、中3目前「にJuice=Juiceの結成メンバーに選ばれていまもアイドルをつづけている佳林。ほんと宮本佳林がハローを見捨てなくてよかった。

 そんな宮本佳林がデビューできずになやんでいたときに心のささえになったのが、静岡朝日テレビの深夜番組ピンクスコピンクスのナレーターのお仕事。コピンクちゃんというキャラクターでナレーター。そしてこのコピンク名義でのソろ曲をリリース「カリーナノッテ」。この曲名hはもちろんカリンの名前にかけたもの。まだ研修生だった佳林がソロ曲。これはハロプロ史上初の出来事。

 今回ネットのインタビュー記事で、コピンクのお仕事がきまった時期とかをあらたに答えている。記事によると2010年の三億円少女の舞台のころにいただいたお仕事とのこと。この時期はまだ佳林が娘。オーデをうける前のことだったののね。

 宮本佳林をJuice=Juiceから知ったという人はぜひインタビュー記事を読んでね。そしてコピンク名義で宮本佳林はアルバムCD「コピンクス!メロディーズ~star chart~ 」も聞いてみてね。アマゾンでも買えるし、iTuneStoreでもダウンロード購入できますよ。。


宮本佳林、オーディションに落ち続けた時期 コピンクがあったから心折れずに頑張れた/対はこちら
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