獲得された絶望感(盲人ウエカジ @ウエカジハローセンター 公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と全盲ヘルパー事業所と・・・~

松井秀喜物語@山田雅人かたりの世界オンライン配信トーク を聞いた。

2020-08-07 22:10:12 | 網膜色素変性症と私
僕には夢がある。

昨日の夜。眠たいけども、明日までの配信動画の期限。それを見なくちゃということで22時すぎから動画を見る。大阪芸人の山田雅人、かたりの世界、松井秀喜物語。1時間30分ほどのひとりしゃべり。

山田がずっとひとりで、松井秀喜の生い立ちから、野球に出会うまで、そして、5連続敬遠、巨人軍、ニューヨークヤンキースでの活躍。それをひとりで語る。いいね。映像がうつるわけでもなく、ずっと山田の一人、しゃべり。耳だけでたのしめるコンテンツ。網膜色素変性症な私デスペア。ほぼ全盲な視覚障害者の私。耳だけで楽しめるのはいいね。

松井秀喜はもともと右投げ右打ちだったけども、なぜ左打になったのかのエピソードがおもしろい。

小学生に上がる前の松井は、兄とよく三角べーすで野球をしていた。そのころ右打ちだった松井秀喜はよくホームランをうつので、それを見た兄が、ひがんで、左打にしてみろよ、おまえのあこがれの掛布選手も左打だぞ。
それを聞いて、左打をしてみる松井。すると、またしてもホームランばかり。それが左打者松井秀喜の誕生とのこと。

5連続敬遠の話もいいね。その後の高校通算60本目のホームランの話もいいね。

最後に、山田は、石川県にある松井秀喜野球記念館の話をする。そこには、小さい頃のまだ右打ちだったころの松井秀喜少年の銅像があるとのこと。
そして、その銅像の台座には、こうかかれてある。
僕には夢がある。

まるでキング牧師のようなセリフを松井少年も言っていた。いいね。

僕には夢がある。

今の大人になった45歳の松井秀喜の夢は、少年にやきゅうをおしえること。夢はつづくね。

松井秀喜と同い年の私デスペア。私には夢がある!!。
そう言えるか、考えてみた。

あるね。まずは視覚障害者が一人でどこへだっていける世の中にすることだね。そのためには何が必要か、視覚障害者が外に出たいとおもうようなコンテンツ、そして外出を支援してくれる障害福祉サービスの同行援護。ハロプロとガイドヘルパー同行援護。これがまさに私の夢だね。

山田雅人のトーク配信を見終わって、ハロプロのYOUTUBEチャンネルオマケチャンネルからの動画アップの通知を見る。

なんと、石川出身、石川県かほく市出身で、松井と同じ星稜高校出身の初代Juice=Juiceリーダーの宮崎由加が、松井秀喜ベースボールミュージアムを訪れてレポしている動画がアップされたことを知る。

いいタイミング。宮z機床も右打ちの松井少年の銅像にはびくりしていた。

さて、宮崎が、僕には夢があるの台座の文字に気づいたか。ぜひ動画を見て確認してね。

宮崎由加的石川旅12「松井秀喜ベースボールミュージアム」

コメント
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