気づくこと
今日は月曜日、会社終わって、家にかえって、ボランティアさんに、スマホエクスペリアのモバイル設定を手伝ってもらう。ひとりではなかなかSIMのだしいれとかできない。網膜色素変性症な私デスペア。ほぼ全盲な視覚障碍者の私。
楽天モバイルのSIMをやめて、OCNモバイルの3ギガコースに変更。OCNモバイルアプリをダウンロードして、そこからアクセスポイント設定をしようとするも、OCNモバイルのIDとパスワードがわからない。ということdえ、手入力。なんとか1時間ほどかけてモバイルネットワークにつながった。よかった。これで、毎日TBSラジオをラジコで聞けて、録音ラジオサーバーでタイマー録音してきけることができるね。よかったよかった。
OCNモバイルは無料府Wi-Fiスポットも使えて、コンビニとか、スタバとかタリーズとか、ロッテリアとかモスバーガーでも使えるのね。これはうれしいね。私のお気に入りのファミレスガストではつかえないみたいだけど、ガストはガストのフリーWi-Fiんをはじめたよう。こんど使ってみよう。
20時になって、ボランティアさん帰宅して、私ひとり。あさて、こんどは、ひとりで、ズーム。ズームとうオンライン会議システムを使ってのトークライブ。元ハロプロリーダー、スマイレージリーダー、アンジュルムリーダー、そしてアイドルであり、フェミニストでありジェンダーについて考える人 和田彩花と、体は男で心は女性のトランスジェンダーの鈴木みのりというライターの二人のトークライブ。六本木ツタヤ書店主催のトークイベント。
2時間にもおよぶトークイベント。フェミニズムとはジェンダーとはセックスとは、二人の対話から、それらの考え方を聞いているだけで自然とまなべるのがいいね。
女性アイドルという、ジェンダー聴規範がつよくて、そのジェンダー、いわば、女性らしさ、女の子らしさ、アイドルらしさを商売とする世界に10年以上いた和田彩花。
和田が語ったのは、昔はそういうものだとおもっていたけど、いまおもうと、ジェンダーだったんだ。MV撮影で、マニュキュアを黒にしようとしたら、それはらしくない、リップもオレンジとかブラウンにしたかたけどもそれはコンセプトにはあわない。そのらしさ、コンセプトは、男性社会からみたコンセプトであり、アイドルらしさ。
そのことを、大学で美術を学んでいくうちに、ジェンダーというのも勉強して、気づく。そうだったのか。そういうことだったのか。
ほとんどが男性視点の、らしさを求められている。それに気づく和田彩花。
そういったジェンダーの視点というのは面倒なもので、その視点をもったとたん、自分の行動は制限されるようにもおもう。
例えば、親戚の子供、男の子と女の子に、プレゼントをする。男の子にはロボット、女の子にはお人形さん。青とピンクの袋にいれてプレゼント。
そもそも、この私の行動も、ジェンダーに支配されている。男の子らしさ、女の子らしさという考えに支配されている。
こういった視点に気づくということは、あらたな発見ではあるけども、主にでもある。
たぶん、和田もそうなんだろうなとおもったら、そうじゃない。
和田いわく、そういうことに気づいて、気づくことができてそれが喜びなんです。そして、そういったことを私が発信することで、そうじゃなくてもいいんだとアイドルたちにもおもってもらうことができるといっていた。
そして、そのことに気づいて、私はほんと楽になった、自分らしく生きていけるようになったと、うれしそうに語る和田彩花。
自分が感じていた違和感、ジェンダーという言葉でそれを解釈して、そうだったのかという気づき。その視点で、社会がちがった見え方をしはじめた。もしかしたら、これは初恋のようなものなのかな。この胸のざわつき、これはいったい何だろう?そうかこれが濃いか。恋をしたら世の中が違ったように見える。それと同じかな。
和田彩花は、これからジェンダー論をやわらかくして、咀嚼して、私たちに伝えてほしいな。そしていつか杉田スイミヤク銀と、ジェンダー論のトークバトルしてほしいな。どちらも真実なんだろうな。
ただ、私が思うのは、より多様性を認めるほうに私はシンパシーを感じるだろうな。
ps
鈴木みのり は同じ名前の声優さんもいるみたいなので検索するときは注意だね。鈴木みのりがシモーネという雑誌に去年、ハロプロを題材としたジェンダー論を書いているよう。これ読んでみたいな。今度図書館で探してみよう。
ps
和田は、ここ10年のアイドル界隈についても少し語る。距離が近づきすぎて、ちょっとお互いきつくなっているのではと投げかけていた。
握手会で、自分の名前覚えてねといって、そのあと、別の握手会にきて、僕の名前おぼえてくれた・
このyはりとりがとっても負担とのこと。それはできない。だから私は、ごめんんささい、私そういうことやってないのとお断りしていたとのこと。
あと、とても今日日深かったのは、和田いわく、なぜ日本ではアイドルが神格化されるのか、アイドルというものが存在するのか。
それは、日本に宗教がないため、外国では一神教の宗教があって、それがどんとある。だから、あくまでアイドルはそのわきにおかれるけども、日本ではその神の存在、宗教がないから、アイドルが神格化してしまうとのこと。
外国では、悩んだりしたらまず神様におねがいしたり、たよったりするけども、日本ではそれがないから、アイドルがそのかわりをしている。
たしかにそうだな。アイドルコンサートでのあのファンの熱狂は、一種、ゴスペルとか、ミサでの讃美歌をうたいあげて、気絶する外国のおばさんみたいだよね。
アイドルを自分の中で相対化していく必要があるのかな。でもすでにアイドルファンは、ある意味相対化している。それはそのアイドル個人を推すというのはもちろん、そのアイドルグループを推すということも同時にしている。これによって、ひとりのアイドルを神格化せずに、あるいは、そのグループにいる間は神格化するけども、グループを卒業したら距離を置く。ハロプロにいてくれたら推すけど、ハロプロ卒業したら興味ないとうそぶくファンもこの深層心理があるんだろうな。ひとりの神を失うことに耐えられないもんね。
今日は月曜日、会社終わって、家にかえって、ボランティアさんに、スマホエクスペリアのモバイル設定を手伝ってもらう。ひとりではなかなかSIMのだしいれとかできない。網膜色素変性症な私デスペア。ほぼ全盲な視覚障碍者の私。
楽天モバイルのSIMをやめて、OCNモバイルの3ギガコースに変更。OCNモバイルアプリをダウンロードして、そこからアクセスポイント設定をしようとするも、OCNモバイルのIDとパスワードがわからない。ということdえ、手入力。なんとか1時間ほどかけてモバイルネットワークにつながった。よかった。これで、毎日TBSラジオをラジコで聞けて、録音ラジオサーバーでタイマー録音してきけることができるね。よかったよかった。
OCNモバイルは無料府Wi-Fiスポットも使えて、コンビニとか、スタバとかタリーズとか、ロッテリアとかモスバーガーでも使えるのね。これはうれしいね。私のお気に入りのファミレスガストではつかえないみたいだけど、ガストはガストのフリーWi-Fiんをはじめたよう。こんど使ってみよう。
20時になって、ボランティアさん帰宅して、私ひとり。あさて、こんどは、ひとりで、ズーム。ズームとうオンライン会議システムを使ってのトークライブ。元ハロプロリーダー、スマイレージリーダー、アンジュルムリーダー、そしてアイドルであり、フェミニストでありジェンダーについて考える人 和田彩花と、体は男で心は女性のトランスジェンダーの鈴木みのりというライターの二人のトークライブ。六本木ツタヤ書店主催のトークイベント。
2時間にもおよぶトークイベント。フェミニズムとはジェンダーとはセックスとは、二人の対話から、それらの考え方を聞いているだけで自然とまなべるのがいいね。
女性アイドルという、ジェンダー聴規範がつよくて、そのジェンダー、いわば、女性らしさ、女の子らしさ、アイドルらしさを商売とする世界に10年以上いた和田彩花。
和田が語ったのは、昔はそういうものだとおもっていたけど、いまおもうと、ジェンダーだったんだ。MV撮影で、マニュキュアを黒にしようとしたら、それはらしくない、リップもオレンジとかブラウンにしたかたけどもそれはコンセプトにはあわない。そのらしさ、コンセプトは、男性社会からみたコンセプトであり、アイドルらしさ。
そのことを、大学で美術を学んでいくうちに、ジェンダーというのも勉強して、気づく。そうだったのか。そういうことだったのか。
ほとんどが男性視点の、らしさを求められている。それに気づく和田彩花。
そういったジェンダーの視点というのは面倒なもので、その視点をもったとたん、自分の行動は制限されるようにもおもう。
例えば、親戚の子供、男の子と女の子に、プレゼントをする。男の子にはロボット、女の子にはお人形さん。青とピンクの袋にいれてプレゼント。
そもそも、この私の行動も、ジェンダーに支配されている。男の子らしさ、女の子らしさという考えに支配されている。
こういった視点に気づくということは、あらたな発見ではあるけども、主にでもある。
たぶん、和田もそうなんだろうなとおもったら、そうじゃない。
和田いわく、そういうことに気づいて、気づくことができてそれが喜びなんです。そして、そういったことを私が発信することで、そうじゃなくてもいいんだとアイドルたちにもおもってもらうことができるといっていた。
そして、そのことに気づいて、私はほんと楽になった、自分らしく生きていけるようになったと、うれしそうに語る和田彩花。
自分が感じていた違和感、ジェンダーという言葉でそれを解釈して、そうだったのかという気づき。その視点で、社会がちがった見え方をしはじめた。もしかしたら、これは初恋のようなものなのかな。この胸のざわつき、これはいったい何だろう?そうかこれが濃いか。恋をしたら世の中が違ったように見える。それと同じかな。
和田彩花は、これからジェンダー論をやわらかくして、咀嚼して、私たちに伝えてほしいな。そしていつか杉田スイミヤク銀と、ジェンダー論のトークバトルしてほしいな。どちらも真実なんだろうな。
ただ、私が思うのは、より多様性を認めるほうに私はシンパシーを感じるだろうな。
ps
鈴木みのり は同じ名前の声優さんもいるみたいなので検索するときは注意だね。鈴木みのりがシモーネという雑誌に去年、ハロプロを題材としたジェンダー論を書いているよう。これ読んでみたいな。今度図書館で探してみよう。
ps
和田は、ここ10年のアイドル界隈についても少し語る。距離が近づきすぎて、ちょっとお互いきつくなっているのではと投げかけていた。
握手会で、自分の名前覚えてねといって、そのあと、別の握手会にきて、僕の名前おぼえてくれた・
このyはりとりがとっても負担とのこと。それはできない。だから私は、ごめんんささい、私そういうことやってないのとお断りしていたとのこと。
あと、とても今日日深かったのは、和田いわく、なぜ日本ではアイドルが神格化されるのか、アイドルというものが存在するのか。
それは、日本に宗教がないため、外国では一神教の宗教があって、それがどんとある。だから、あくまでアイドルはそのわきにおかれるけども、日本ではその神の存在、宗教がないから、アイドルが神格化してしまうとのこと。
外国では、悩んだりしたらまず神様におねがいしたり、たよったりするけども、日本ではそれがないから、アイドルがそのかわりをしている。
たしかにそうだな。アイドルコンサートでのあのファンの熱狂は、一種、ゴスペルとか、ミサでの讃美歌をうたいあげて、気絶する外国のおばさんみたいだよね。
アイドルを自分の中で相対化していく必要があるのかな。でもすでにアイドルファンは、ある意味相対化している。それはそのアイドル個人を推すというのはもちろん、そのアイドルグループを推すということも同時にしている。これによって、ひとりのアイドルを神格化せずに、あるいは、そのグループにいる間は神格化するけども、グループを卒業したら距離を置く。ハロプロにいてくれたら推すけど、ハロプロ卒業したら興味ないとうそぶくファンもこの深層心理があるんだろうな。ひとりの神を失うことに耐えられないもんね。