泣けなくなった?
12月10日にハロプロおよびJuice=Juiceおを卒業してソロ歌手になった宮本佳林。卒業してから佳林は毎日ブログを更新している。
生い立ちというテーマで、自分がなぜハロプロを目指したのか、デビューまでどんな気持ちだったか、そして2どのメンタル、ストレスからくる体調不良(声がでなくなる、顔面麻痺)、耳がきこえなくなる)をどのように克服してきたかを赤裸々に書いている。佳林ファンの私は、もちろんそれらの事実は知っているけども、その原因がなにか、その時佳林はどうおもっていたのかなどはじめて佳林のソロブログで知ることが多い。
特に、今日の佳林ブログ、「今の私になるまで」のブログは実に興味深い。ストレスやプレッシャーを感じている人、かなしみや不安にいつも心を支配されている人は読めばなにか解決策になるはず。
佳林のそのストレス対処法、自分の気持ちのセーブの仕方は、自分気持ちを客観しして、相対化して、いったnそれを自分の気持ちからとりのぞくこと。佳林はそれを心の引き出しにしまうと表現している。
たしかに、この考え方はよく聞くよね。つらいことがあると、今の自分はほんとの自分じゃなくてもう一人の自分が感じていることだと思い込んで、その時をやりすごす。
こういうことかなとおもたけど、そうじゃない。佳林のこの心の引き出しは、ひとつではなくたくさんあるとのこと。その感情ごとにたくさんある。それはくやしいだったり、かなしいだったり、エピソードごとにたくさんあるよう。
さらに佳林のすごいところは、その引き出しにしまったものを、また取り出せるということ、そしてその時の感情をよみがえらせるということ。佳林はこのスキルを歌のパフォーマンスで使っていると告白。
すごいね。佳林のあの高い表現力はこうやってつくられているのね。
ただ、心配なのは、佳林はこの心の引き出しに感情をおさめてしまうと、その時の自分の感情はほぼ無になってしまうといっていた。まるでエバンゲリオンの綾波レイのように無感動になるよう。
そして佳林は、このスキルを手に入れてから、私は泣かなくなったと言っている。
たしかに、そういえば、佳林は昔はよく泣いていた、メソメしていたけど、ここ2、3念、客の前では泣いてないね。
そこが私としてはものたりない、もっと感情を見せてよと思う。先日の卒業コンサートも涙なしのコンサート。センチメンタルにひたりたい私みたいな昔からのファンにとっては涙がほしかった。
泣かなくなったと佳林はいうけど、でもいつでも泣けるとのこと。その心の引き出しをひとつ選んで、あるいは、複数のひきだからすこしずつとりだして、すぐに泣けるとのこと。これが佳林の歌のパフォーマンスにいきている。
うーん。すごいとおもう一方、なんか少しさみしい。
無邪気に泣きわめく赤ん坊や子供が、いつしか、社会性を身に着けて人前では泣かなくなる。それは成長というんだろうけどなんかさみしいね。しんせきのこどもがいつのまにか、親戚のおじさんやおばさんによそよそしくせっしてくるようなあのさみしさ。
佳林は、泣かなくなったと言っているけども、あのだれもまねできないような歌の表現力を手に入れるために、佳林は普段の生活では泣けなくなったのではないだろうか?それはそれでなんかファンとして申し訳ない気がしてならない。
そんなクリスマスイブの夜。私はひとりガストで、からよしのからあげ定食を食べる。ガストはガラガラだった。
いつかのクリスマスイブで、宮本佳林のその心の引き出しをガラガラにできる人を佳林はいつか見つけるだろうね。
今の私になるまで | 宮本佳林オフィシャルブログ2020年12月24日 Powered by Amebaはこちら
12月10日にハロプロおよびJuice=Juiceおを卒業してソロ歌手になった宮本佳林。卒業してから佳林は毎日ブログを更新している。
生い立ちというテーマで、自分がなぜハロプロを目指したのか、デビューまでどんな気持ちだったか、そして2どのメンタル、ストレスからくる体調不良(声がでなくなる、顔面麻痺)、耳がきこえなくなる)をどのように克服してきたかを赤裸々に書いている。佳林ファンの私は、もちろんそれらの事実は知っているけども、その原因がなにか、その時佳林はどうおもっていたのかなどはじめて佳林のソロブログで知ることが多い。
特に、今日の佳林ブログ、「今の私になるまで」のブログは実に興味深い。ストレスやプレッシャーを感じている人、かなしみや不安にいつも心を支配されている人は読めばなにか解決策になるはず。
佳林のそのストレス対処法、自分の気持ちのセーブの仕方は、自分気持ちを客観しして、相対化して、いったnそれを自分の気持ちからとりのぞくこと。佳林はそれを心の引き出しにしまうと表現している。
たしかに、この考え方はよく聞くよね。つらいことがあると、今の自分はほんとの自分じゃなくてもう一人の自分が感じていることだと思い込んで、その時をやりすごす。
こういうことかなとおもたけど、そうじゃない。佳林のこの心の引き出しは、ひとつではなくたくさんあるとのこと。その感情ごとにたくさんある。それはくやしいだったり、かなしいだったり、エピソードごとにたくさんあるよう。
さらに佳林のすごいところは、その引き出しにしまったものを、また取り出せるということ、そしてその時の感情をよみがえらせるということ。佳林はこのスキルを歌のパフォーマンスで使っていると告白。
すごいね。佳林のあの高い表現力はこうやってつくられているのね。
ただ、心配なのは、佳林はこの心の引き出しに感情をおさめてしまうと、その時の自分の感情はほぼ無になってしまうといっていた。まるでエバンゲリオンの綾波レイのように無感動になるよう。
そして佳林は、このスキルを手に入れてから、私は泣かなくなったと言っている。
たしかに、そういえば、佳林は昔はよく泣いていた、メソメしていたけど、ここ2、3念、客の前では泣いてないね。
そこが私としてはものたりない、もっと感情を見せてよと思う。先日の卒業コンサートも涙なしのコンサート。センチメンタルにひたりたい私みたいな昔からのファンにとっては涙がほしかった。
泣かなくなったと佳林はいうけど、でもいつでも泣けるとのこと。その心の引き出しをひとつ選んで、あるいは、複数のひきだからすこしずつとりだして、すぐに泣けるとのこと。これが佳林の歌のパフォーマンスにいきている。
うーん。すごいとおもう一方、なんか少しさみしい。
無邪気に泣きわめく赤ん坊や子供が、いつしか、社会性を身に着けて人前では泣かなくなる。それは成長というんだろうけどなんかさみしいね。しんせきのこどもがいつのまにか、親戚のおじさんやおばさんによそよそしくせっしてくるようなあのさみしさ。
佳林は、泣かなくなったと言っているけども、あのだれもまねできないような歌の表現力を手に入れるために、佳林は普段の生活では泣けなくなったのではないだろうか?それはそれでなんかファンとして申し訳ない気がしてならない。
そんなクリスマスイブの夜。私はひとりガストで、からよしのからあげ定食を食べる。ガストはガラガラだった。
いつかのクリスマスイブで、宮本佳林のその心の引き出しをガラガラにできる人を佳林はいつか見つけるだろうね。
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