カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第一番札所 なち山

2011-07-05 23:54:43 | 西国三十三所巡礼
さてさて、いよいよ西国三十三所観音霊場巡りの旅。
第一番札所から順番にお詣りに行きたいと思います。
結願できるのはいつになるやらですが・・・ま、のんびりと。

まずは第一番札所『那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)』


和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地

最初っからいきなり雨天のスタートです。
バス通りから参道入口の看板を見つけ入っていくと・・・



長~い石段が続く参道が・・・でもまぁ、土産物屋を見ながらだと歩も進みます。




何処でもよく見る信楽焼の河童、ん、生首も?


トイレには女神さんもおるんよ。


しっかり心得も読んどきましょ・・・

しばらく登っていくと、右が青岸渡寺。


左は、熊野那智大社。


とりあえず札所である青岸渡寺に向かいます・・・まだあるか、石段。


山門(仁王門)です。
以前は熊野那智大社の「大門」だったものを移設したものだとか。


金剛力士像は湛慶(運慶の長男)の作とされているようだが
どうも疑わしいな、奈良仏師の臭いはするけど・・・



石段の坂を登りつめると、いよいよ本堂。世界遺産だそうな。









如意輪観世音を祀る本堂は、4世紀ごろインドの僧、裸形(らぎょう)上人が開山し、後に推古天皇の時代(7世紀)に生仏(しょうぶつ)上人が来山して玉椿の大木で現在の御本尊(御丈約4m)を彫り、裸形上人が感得した黄金の観音菩薩を胎内仏として納め正式に本堂が建立されたのです。そして推古天皇の勅願寺となり、那智霊場の信仰の中心として熊野信仰を育んできました。
花山法皇(かざんほうおう)が10世紀の末に一千日の瀧籠り修行をされ、西国三十三所観音巡礼の第一番札所として定めたとされます。
現存の本堂は、織田信長によって焼き討ちされた後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。


日本一の鰐口。再建の際、豊臣秀吉が寄進したもの。
※鰐口とは布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らす仏具です。
 お寺が鰐口で仏様に、神社は鈴で神様にお願いをします。



賓頭盧(びんずる)さんと、役小角(えんのおづの)さん。
あちこちでお目にかかります。






雨も本降りになってきたw






結局、那智滝の撮影スポット、三重塔の方へは行かず
熊野那智大社へ向かいます。って、すぐお隣りなんですがね。

熊野那智大社は、全国に約4000社あるといわれている熊野神社の本社であり、熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に熊野三山と呼ばれ、かつては「蟻の熊野詣」として全国から多くの参拝者がこの地を訪れたそうです。今でもそうやけど・・・





2011.6/19、青岸渡寺にて。




第一番札所『那智山 青岸渡寺』(2011.6/19)

○宗派:天台宗 ○開基:裸形上人
○御本尊:如意輪観世音菩薩 ○創建:仁徳天皇御代(313~399)

ご詠歌「補陀洛(ふだらく)や岸打つ波は三熊野(みくまの)の那智のお山にひびく滝つ瀬」

※ご詠歌(ごえいか)とは、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律に乗せて唱えるもの。一般には花山法皇の西国巡礼時に始まったとされる。