カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第十五番札所 今熊野観音寺

2012-06-01 22:59:23 | 西国三十三所巡礼
西国三十三ヶ所観音霊場、第十五番札所は京都市東山区にある
『新那智山 観音寺(しんなちさん かんのんじ)』
今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)と呼ばれている泉涌寺(せんにゅうじ)の
塔頭(たっちゅう)のひとつです。

東大路通り(東山通り)の東側(東山側)には七条に智積院があり、九条の南には
東福寺がありますが、その間の地域、地名は今熊野(いまくまの)と呼ばれています。
東山七条の東の峰を阿弥陀が峰といい、その峰の南西一帯を鳥戸野(とりべの)
と呼び、北西の一帯を鳥辺野(とりべの)と字を書きかえております。
また両方を合わせて鳥部野(とりべの)という字であらわします。今熊野と
呼ばれる一帯、阿弥陀が峰の南西側鳥戸野の地は、古くから高貴な方々の
葬地であり、いっぽうの鳥辺野は庶民の葬地でした。
その鳥戸野の葬地を掌っていたのが観音寺であります。
・・・分かります?HPからの抜粋ですが、ちょっとディープな説明ですね。




東大路通から泉涌寺道を東に入って行くと、泉涌寺の総門があり、これを越えて
進んで行くと、泉涌寺の手前に今熊野観音寺へ通じる道があります。




車高の低いロードスターだと結構な勾配の下り坂に見えます。




深緑の参道に朱塗りの「鳥居橋」。
(写真は帰りに撮ったもので向きが逆です。一応キープレフト。意味無いけど)

このお寺には山門のようなものはありません。この橋を渡って
参道を行けば境内です。ちょっとした普通の門がありそこを入って行くと
クルマを停めておけるスペースがあります。




本堂へ向う石段を登ると、手水がある広場に出ます。



その広場の中央には「子護弘法大師」像が。
小さな子供が弘法大師の足元にまとわりついてます。

この観音寺の開基は弘法大師空海とされており、上人が唐より帰国後まだ
東寺に居られた時に、東山の山中に光明がさしているのを見られ、そこへ
行ってみると白髪の老翁が現れ、天照大神作の一寸八分の観世音像と宝印を
大師に与え、自らを熊野の権現で、永くこの地の守護神となると告げられたとか。
その熊野権現のお告げのままに一堂を建立され、大師自ら彫られた一尺八寸の
十一面観世音菩薩像の胎内仏として授かった一寸八分の像納め、奉安された
というのがこのお寺の縁起です。



なお、この大師像の周りには四国八十八ヶ所のお砂がまかれており、
「南無大師遍照金剛」と唱えながら廻り祈願するようです。

ここよりまた石段を上って行くと本堂のある広場に出ます。


「五智の井」
この地で、空海が錫杖をもって岩根をうがたれると霊泉が湧き出しました。
・・・弘法大師空海さんの場合、この手の伝説が各地に沢山ある気がします。
大師はこの清水を観音御利生の水として崇められ「五智水」と名付けられました。
今もなお、こんこんと湧き出ている・・・蛇口をひねれば?(^_^ゞ



「大師堂」



この大師堂の前には・・・



このお寺には後白河法皇頭痛封じ霊験記が伝えれており、それによりますと
激しい頭痛持ちだった法皇、今熊野観音に頭痛平癒のご祈願をされたところ
ある日の夜に就寝中の法皇の枕元に観音様が現れ、病める頭に向けて
光明をお差しかけになりました。(今で言うレーザー治療みたいなもん?)
すると永年苦しんでこられた頭痛が、不思議にもたちまちに癒えてしまったとか。
・・・保険外治療かなぁ?よう効くんや!って訳で、「頭の観音さん」と
評判になり、頭痛封じ・智慧授かりなどから今ではぼけ封じ観音として有名。
「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の第一番札所となっています。
先に参った岩間山正法寺もこの札所のひとつでした。



こちらでは観音様の足元にまとわりつく爺さん、婆さん・・・



お身代わりの石仏が観音像の横にたくさん置かれています。
爺さんバージョン、婆さんバージョンがあるようです。(^_^ゞ




さて、本堂ですが小さいながらも二重屋根の堂々とした造りです。
かつては泉涌寺を凌ぐほどの大寺だったようですが、再三の戦乱、南北朝時代の
兵火では足利氏により復興を成し、応仁・文明の大乱でも伽藍は焼失。
その後復興されたものの、この頃より泉涌寺の塔頭となったようです。



現在の本堂は、江戸時代の1712年に宗恕祖元律師によって建立されたものです。



本堂の向って左側に地蔵堂、その間にご利益グッズ 授与品(お札とかお守り)を
販売されているところがあるのですが、ベストセラーは何と言っても「枕宝布」
枕カバーなんですが、霊験記にあるように観音様が夢枕に立たれ、頭痛を
治されたってことに因んでいるようです。
山中に見える多宝塔は「医聖堂」、頭痛を治されるってことで医学関係?





「三重石塔」
平安時代の創建時のものだそうですが文化財的価値は無いのかな。
「稲荷社」と「熊野権現社」が並んでいます。


「鐘楼」
梵鐘は古いもので太平洋戦争の際、供出されましたが元の姿で戻ったそうです。







医聖堂に向う参道、山道は「今熊野西国霊場」と言われ、西国三十三ヶ所霊場
の各御本尊を石仏としておさめた祠が並んでいます。
三十三あったのでしょうね。数えるのを忘れましたが・・・




竹林と森の先に医聖堂(多宝塔)が見えてきました。






日本の医学の発展に貢献した人々を祀っているということらしいです。


「医心方の記念碑」
医心方とは日本最古の医学書だそうで。石碑は医聖堂の傍らにあります。



側には医家の氏名が彫られた石碑も置かれています。当初は奈良、平安時代
から江戸時代までの122人の医家の氏名が刻まれた碑一個のだったようですが、
現在は明治以降の医家の名前が刻まれた碑が追加されています。
緒方洪庵、貝原益軒、前野良沢、杉田玄白、華岡青州などの名前がありました。





2012.5/13、今熊野観音寺にて。



○宗派:真言宗泉涌寺派 ○開基:弘法大師
○御本尊:十一面観世音菩薩 ○創建:天長年間(824~834)

御詠歌「昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり」