瀬戸内海のほぼ真ん中に位置する鞆の浦(とものうら)、
1925年に名勝・鞆公園の指定を受け、さらに1931年に制定された国立公園法
において我が国最初の国立公園として指定された地区のひとつです。
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万葉集にも詠まれた風光明媚な景観と歴史が息づく港町。
一度行ってみたかった街。本当はもっとじっくり巡りたかったのですが、
ささっとね・・・
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いにしえより「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦。
船が風と潮の流れを利用していた時代、瀬戸内海の潮の分かれ目となる
鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ船が集っていました。
そのことがこの地を繁栄させ、時折り歴史の舞台として顔を出します。
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鞆の浦のシンボルでもある「常夜燈」通称「とうろどう」と呼ばれています。
現存する日本一の高さを誇る常夜燈(1869:安政6年築)だそうです。
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2階建ての土蔵は国登録有形文化財、今は「いろは丸展示館」として
「いろは丸」と坂本龍馬に関する展示施設となっています。
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海は何でも知っている?
今は観光船が行き交い、わずかばかりの漁船が停泊するだけの港ですが
かつては歴史を揺るがす事件の舞台にも。
この地に幻の「鞆幕府」が置かれたことを知る人は少ないかも。もともと
室町幕府を開いた足利尊氏はここで天皇から院宣を賜ったのが始まり。
二百年以上続いた幕府は15代将軍足利義昭が織田信長によって京を追われ、
ここに「鞆幕府」を開きましたが、結局滅んでしまったというもの。
そのため「足利は鞆に興り、鞆に滅ぶ」といわれています。
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船着き場に置かれた鞆の港のゆえん、最後に「立ち小便をしないよう
港を美しく守りましょう」と締めくくられていました。(^_^ゞ
幕末には、あの坂本龍馬が「いろは丸事件」を引き起こします。
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「いろは丸事件」とは、坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」と、
紀州藩の蒸気船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没した事件。
龍馬は紀州藩に対し賠償を要求、紀州藩は徳川幕府の沙汰に従うとしたが、
龍馬側は万国公法を持ち出し紀州藩側の過失を追及、
日本で最初の海難審判事故とされています。
ちなみに賠償額は8万3526両198文(現在に換算すると40億円以上)。結果、
2006年、7万両に減額されたものの、11月7日に長崎で支払われましたが、
その8日後の11月15日、龍馬は京都の近江屋で暗殺されました。
「いろは丸展示館」には、鞆沖に沈んだいろは丸から引き上げられた遺物の
数々が展示してあるそうです。
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さて、船着き場から離れて街並みを散策します。
バス停の時刻表をみると、1日4本?日祝も平日も同じだしw
「トモテツ」って何かお笑いコンビに居たような・・・(^_^ゞ
こんにちわって、にこやかに写真に収まってくれるのは・・・
地元の人には「龍馬さん」って呼ばれていましたが、観光協会の人?(謎)
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交易都市として栄え、巨万の富を手にした豪商たちが育んだ街並み、
鞆街並み保存研修会の調べでは、江戸期の建物が80棟、明治期が91棟、
大正・昭和期が301棟あり、このうち保存すべきは450棟とか。
岡本家長屋門(福山城長屋門)
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友光軒 1917(大正6)年ごろに散髪屋兼銭湯として建てられたもの。
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走っているクルマまで景観を守っているような。
何気ない街角に鞆城三の丸石垣が残っていたりして・・・
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景観を守ると言えば、これ福山西警察署鞆交番。警官、守れてる?(^_^ゞ
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いろは丸の復元船?「平成いろは丸」幕末いろは丸の約1/5のミニチュア版。
仙酔島(せんすいじま)への渡船として使われています。乗船時間約5分♪
渡船場にはこんなポスターも・・・
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「ウルヴァリン SAMURAI」のロケ地にもなっていたらしい。
映画と言えばやっぱり、「崖の上のポニョ」の構想がここ鞆の浦でうまれた
と言うことはよく知られていますね。
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宮崎駿監督やスタッフもこの街に幾度も訪れ、いたる所にその足跡を
残しています。
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いろは丸事件で坂本龍馬が談判した歴史の舞台にも登場する由緒ある町家を
再生するにあたり、宮崎氏がプライベートで起こされたスケッチをもとに
誕生した、宿&カフェ。「御舟宿 いろは」
入ってみたかったのですが、残念無念の「準備中」でした。
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2014.9/7、鞆の浦にて。
1925年に名勝・鞆公園の指定を受け、さらに1931年に制定された国立公園法
において我が国最初の国立公園として指定された地区のひとつです。
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万葉集にも詠まれた風光明媚な景観と歴史が息づく港町。
一度行ってみたかった街。本当はもっとじっくり巡りたかったのですが、
ささっとね・・・
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いにしえより「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦。
船が風と潮の流れを利用していた時代、瀬戸内海の潮の分かれ目となる
鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ船が集っていました。
そのことがこの地を繁栄させ、時折り歴史の舞台として顔を出します。
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鞆の浦のシンボルでもある「常夜燈」通称「とうろどう」と呼ばれています。
現存する日本一の高さを誇る常夜燈(1869:安政6年築)だそうです。
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2階建ての土蔵は国登録有形文化財、今は「いろは丸展示館」として
「いろは丸」と坂本龍馬に関する展示施設となっています。
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海は何でも知っている?
今は観光船が行き交い、わずかばかりの漁船が停泊するだけの港ですが
かつては歴史を揺るがす事件の舞台にも。
この地に幻の「鞆幕府」が置かれたことを知る人は少ないかも。もともと
室町幕府を開いた足利尊氏はここで天皇から院宣を賜ったのが始まり。
二百年以上続いた幕府は15代将軍足利義昭が織田信長によって京を追われ、
ここに「鞆幕府」を開きましたが、結局滅んでしまったというもの。
そのため「足利は鞆に興り、鞆に滅ぶ」といわれています。
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船着き場に置かれた鞆の港のゆえん、最後に「立ち小便をしないよう
港を美しく守りましょう」と締めくくられていました。(^_^ゞ
幕末には、あの坂本龍馬が「いろは丸事件」を引き起こします。
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「いろは丸事件」とは、坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」と、
紀州藩の蒸気船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没した事件。
龍馬は紀州藩に対し賠償を要求、紀州藩は徳川幕府の沙汰に従うとしたが、
龍馬側は万国公法を持ち出し紀州藩側の過失を追及、
日本で最初の海難審判事故とされています。
ちなみに賠償額は8万3526両198文(現在に換算すると40億円以上)。結果、
2006年、7万両に減額されたものの、11月7日に長崎で支払われましたが、
その8日後の11月15日、龍馬は京都の近江屋で暗殺されました。
「いろは丸展示館」には、鞆沖に沈んだいろは丸から引き上げられた遺物の
数々が展示してあるそうです。
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さて、船着き場から離れて街並みを散策します。
バス停の時刻表をみると、1日4本?日祝も平日も同じだしw
「トモテツ」って何かお笑いコンビに居たような・・・(^_^ゞ
こんにちわって、にこやかに写真に収まってくれるのは・・・
地元の人には「龍馬さん」って呼ばれていましたが、観光協会の人?(謎)
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交易都市として栄え、巨万の富を手にした豪商たちが育んだ街並み、
鞆街並み保存研修会の調べでは、江戸期の建物が80棟、明治期が91棟、
大正・昭和期が301棟あり、このうち保存すべきは450棟とか。
岡本家長屋門(福山城長屋門)
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友光軒 1917(大正6)年ごろに散髪屋兼銭湯として建てられたもの。
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走っているクルマまで景観を守っているような。
何気ない街角に鞆城三の丸石垣が残っていたりして・・・
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景観を守ると言えば、これ福山西警察署鞆交番。警官、守れてる?(^_^ゞ
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いろは丸の復元船?「平成いろは丸」幕末いろは丸の約1/5のミニチュア版。
仙酔島(せんすいじま)への渡船として使われています。乗船時間約5分♪
渡船場にはこんなポスターも・・・
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「ウルヴァリン SAMURAI」のロケ地にもなっていたらしい。
映画と言えばやっぱり、「崖の上のポニョ」の構想がここ鞆の浦でうまれた
と言うことはよく知られていますね。
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宮崎駿監督やスタッフもこの街に幾度も訪れ、いたる所にその足跡を
残しています。
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いろは丸事件で坂本龍馬が談判した歴史の舞台にも登場する由緒ある町家を
再生するにあたり、宮崎氏がプライベートで起こされたスケッチをもとに
誕生した、宿&カフェ。「御舟宿 いろは」
入ってみたかったのですが、残念無念の「準備中」でした。
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2014.9/7、鞆の浦にて。