繖山 観音正寺(きぬがさやま かんのんしょうじ)に行ったのは
猛暑真っ只中の今月15日、京都では38度越え連発の日々だったかな・・・
このお寺、標高432.9mの繖山(きぬがさやま)の山中にあるので少しは涼しいかなと
期待したのですが、何とここ、西国三十三所でも一、二と言われる難所だとか。
表参道ならず表山道、石段が1400段とも・・・長命寺の808段でも驚いたのに
それを軽く上回る。
・・・但し、長命寺同様、こちらも中腹までクルマで行けます♪
入山料や拝観料は要らないのですが、クルマ用の林道には通行料が必要。
麓の小屋で500円払うと、昔の遮断機みたいなゲートを上げてくれます。
くねくね狭い舗装路を登ると10台ほど停められるかなって駐車場。
駐車場から下を見ると、先が見えない険しい石段の山道。
上を見たら・・・まだまだあるやん!この先、登ること300段?400段?。
石段と言っても整備されたものではありません。自然石ゴロゴロって感じ。
それだけではありません、周りが竹薮ってところがあり、ヤブ蚊がワ~~ッて!
ショートカットしたはずの駐車場からの登り、想像以上にかなりなものでした。
手すりに付けられた木札に書かれた格言を読みながら…少しは気が紛れます。
書かれた数字でカウントダウン、ちょうど登り切ると「一」が読めます。
ヤブ蚊に餌を与えながら、汗だくで登りつくと、山門(仁王門)は無く、
二体の仁王様が露天でお寺を守ってます。
仁王様用の鉄下駄? カッパちゃんには合いません・・・w
観音正寺の歴史は1400年以上前に遡るかなり古いものです。
鎌倉時代から室町時代にかけては、佐々木六角氏の庇護の下、三十三もの塔頭を
擁するまでの大寺に発展したのですが、その佐々木氏が応仁の乱の頃、ここに
居城である観音寺城を築いたことで、堂宇は山麓に移転。戦火に巻き込まれ
やがて織田信長によって観音寺城も落城。寺も焼討ち?
江戸時代に現在の地に移転し、明治15年(1882)に彦根城の槻(けやき)御殿
という建物を移築して本堂としていましたが、平成5年(1993)の原因不明の
出火によりその本堂も全焼。
現在の本堂は平成16年(2004)に再建、落慶されたもので新しいです。
境内も狭く、仁王像から本堂まで100mほどかな。その間に小さな堂宇が
並んでいる程度です。
「鐘楼」
仁王像の手前にあります。ここでもまたひと撞き・・・(^_^ゞ
右手の仁王像の先には池があり
「弁天堂」?
池の前や奥には小さな祠がいくつかありました。
あった~!
休憩所?
建物内は冷房は入ってませんが、自動販売機が!実はクルマから持って出た
小さなペットボトルの水はもうほとんど飲み尽くし、しかもぬるま湯みたい。
ここで冷え冷えのスポーツドリンクを補給。持って歩くことに・・・
?
「聖徳太子像」
あまりの暑さで、唇が乾いているように見えるけど・・・
このお寺の開基は31番札所「長命寺」に続いて聖徳太子です。
西国三十三所では、18番「頂法寺(六角堂)」、24番「中山寺」も同じです。
例によって伝承によれば、605年にこの地を訪れた聖徳太子が琵琶湖のほとりで
人魚と出逢い、「前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚にされて
しまい苦しんでいる。どうかこの苦しみから解放して下さい」と頼まれました。
聖徳太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音菩薩像を刻み、後に堂が建立され
その像を祀ったのが寺の創始とされています。
寺にはその「人魚のミイラ」と称するものが保存されていたそうですが、
平成5年の火災の際、焼失しました。ザンネン!
・・・何か写真で見た気もするけど、あれは河童のミイラだったかな?(^_^ゞ
「手水舎」
ここのお水は飲めます。冷たくて美味しい水でした、ついでにタオルを浸して
ドボドボのまま首に巻いておくことに。すぐに乾いてしまいますが・・・
「白蛇大明神」
「子授け地蔵尊」「子育て地蔵尊」
「北向地蔵尊」
ちょっとアートな祠、木樽?藁葺き屋根も面白い。
中には小さなお地藏さんが祀られています。一願地蔵で「声に出すことなく
微音にて7へん真言を称えるべし」とあります。大声で怒鳴ってはいけません。
願い事はひとつだけ、さすれば必ず解脱の方法を表し抜苦与楽を与えてくれる
そうです。必ず願いを叶えると書かないところがイイですね。?
余談ですが、子供の頃、童話などで「ひとつだけ願いを叶えましょう」と
言われた時、僕なら「何度でも願いを叶えて下さい」それが願いです。
って言おうと考えてましたが・・・(^_^ゞ
「濡佛(ぬれぶつ)」
釈迦如来坐像ですね、江戸時代から置かれていたものは太平洋戦争の際、
供出され、今のものは昭和58年(1983)に再建されたものです。
大仏さんの下には可愛いお坊さんが・・・キノコではありません。
「護摩堂」修験根本道場
中にはご本尊のミニチュアモデル?
矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子を従えた不動明王像、
隅には役行者の像も祀られていました。
「太子堂」
堂内には元三大師も祀られています。「おみくじ」を発案された僧ですね。
さて本堂ですが、右手の石積みが気になりますね。
2004年に再建された、まだ真新しいお堂です。
「抱きつき柱」
『本堂内撮影禁止』でしたが、お寺の方に訊ねてみると、内陣ご本尊の撮影は
困るけれど、それ以外だったらどうぞご自由に・・・ってことでした。
ご本尊はどうして駄目なのかとの質問には、ただの像ではなく開眼法要により
魂を入れてたものだから、宗教的にも他の参拝者にも失礼だと言うことでした。
この「抱きつき柱」は、台風で倒れたヒノキですが、節がちょうど33ヶ所
あったので、何かの縁と本堂再建の際に使用されたのだそうです。
これに抱きついて祈れば、三十三所分の功徳があるのだとか・・・
抱きついている人は見かけませんでしたが。(^_^ゞ
ご本尊は、それまでのものが平成5年の火事で焼けてしまい、新たに造立する
にあたり住職が二十数回インドに赴き、禁輸対象品である白檀の原木をなんと
23トンもインド政府から特例処置を受けて輸入。
その貴重な白檀で「千手千眼観世音菩薩坐像」を造り上げたのは、京仏師の
第一人者?松本明慶大仏師だそうです。
新たなご本尊は3.56m(光背を含めた総高は6.3m)の総白檀造り、
平成16年5月22日、本堂の落慶法要と同時に本尊の開眼法要も行われました。
写真は撮れませんが、拝観することはできます。
内陣に入り直ぐ前で拝観、お身拭いなどすることもできるようです。(別料要)
結構なスケールで、気になる石積みを見てみます。
所々の岩の上に観音像など仏像が置かれており、前は蓮池になっています。
「えんむすび地蔵尊」
悪縁を絶ち、良縁を結んで頂けるお地蔵様だそうです。
おっ!人魚のミイラ?
・・・ちゃうな。(^_^ゞ
壮観ですが、石積み自体には宗教的な意味は無いそうで、土木的な意味で
山崩れを防ぐためのものだそうです。
上からロープを垂らしてあったので、登ってみようかとも思いましたが
専門家じゃないと無理っぽいので自重しました。
「魚濫観音」
ちょっと珍しい?観音様ですが、水かけ観音とされていました。
乾き切っていたのでお水を掛けたら、クッキリとお姿が。
ここの水は、本堂建設の基礎工事の際、湧き出たという細菌ゼロ、水温14度の
水だそうです。
境内からの眺めはよく、三上山(近江富士)まで見えるとのことですが、
この日は湿度が高く、空気が澱んでいて・・・w
さて、「濡佛」像の脇から山道に入ると、観音寺城、繖山三角点に行けます。
観音寺城のことはよく知らなかったのですが、日本百名城の一つになっており
こりゃ行くしかないと・・・最初は歩きやすい山道だったのですが
しだいに険しくなり、石段道というより崩落跡?それより何より大群のヤブ蚊の
襲撃に遭い、あえなく敗退・・・途中から逃げるように戻りました。
汗だくでまた自動販売機のある休憩所へ、そこにはなんと観音寺城のスタンプが。
ま、途中撤退したとは言え、行こうとしたのだから日本百名城のスタンプ帳には
スタンプをゲット!・・・逆さまで二重捺しになってしまった。(^_^ゞ
奥の院もあったのですが、あまりもの暑さと、奥の院に行く途中にはこれまた
ロープを頼りに登らないといけないような険しい場所もあるとか・・・
即座に断念いたしました。8月15日、時期が悪かったかも。
○宗派:天台宗(単立寺院) ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手千眼観世音菩薩 ○創建:推古天皇13(605)年
御詠歌「あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを」
2013.8/15、観音正寺 蓮池にて。(SX50SH)
猛暑真っ只中の今月15日、京都では38度越え連発の日々だったかな・・・
このお寺、標高432.9mの繖山(きぬがさやま)の山中にあるので少しは涼しいかなと
期待したのですが、何とここ、西国三十三所でも一、二と言われる難所だとか。
表参道ならず表山道、石段が1400段とも・・・長命寺の808段でも驚いたのに
それを軽く上回る。
・・・但し、長命寺同様、こちらも中腹までクルマで行けます♪
入山料や拝観料は要らないのですが、クルマ用の林道には通行料が必要。
麓の小屋で500円払うと、昔の遮断機みたいなゲートを上げてくれます。
くねくね狭い舗装路を登ると10台ほど停められるかなって駐車場。
駐車場から下を見ると、先が見えない険しい石段の山道。
上を見たら・・・まだまだあるやん!この先、登ること300段?400段?。
石段と言っても整備されたものではありません。自然石ゴロゴロって感じ。
それだけではありません、周りが竹薮ってところがあり、ヤブ蚊がワ~~ッて!
ショートカットしたはずの駐車場からの登り、想像以上にかなりなものでした。
手すりに付けられた木札に書かれた格言を読みながら…少しは気が紛れます。
書かれた数字でカウントダウン、ちょうど登り切ると「一」が読めます。
ヤブ蚊に餌を与えながら、汗だくで登りつくと、山門(仁王門)は無く、
二体の仁王様が露天でお寺を守ってます。
仁王様用の鉄下駄? カッパちゃんには合いません・・・w
観音正寺の歴史は1400年以上前に遡るかなり古いものです。
鎌倉時代から室町時代にかけては、佐々木六角氏の庇護の下、三十三もの塔頭を
擁するまでの大寺に発展したのですが、その佐々木氏が応仁の乱の頃、ここに
居城である観音寺城を築いたことで、堂宇は山麓に移転。戦火に巻き込まれ
やがて織田信長によって観音寺城も落城。寺も焼討ち?
江戸時代に現在の地に移転し、明治15年(1882)に彦根城の槻(けやき)御殿
という建物を移築して本堂としていましたが、平成5年(1993)の原因不明の
出火によりその本堂も全焼。
現在の本堂は平成16年(2004)に再建、落慶されたもので新しいです。
境内も狭く、仁王像から本堂まで100mほどかな。その間に小さな堂宇が
並んでいる程度です。
「鐘楼」
仁王像の手前にあります。ここでもまたひと撞き・・・(^_^ゞ
右手の仁王像の先には池があり
「弁天堂」?
池の前や奥には小さな祠がいくつかありました。
あった~!
休憩所?
建物内は冷房は入ってませんが、自動販売機が!実はクルマから持って出た
小さなペットボトルの水はもうほとんど飲み尽くし、しかもぬるま湯みたい。
ここで冷え冷えのスポーツドリンクを補給。持って歩くことに・・・
?
「聖徳太子像」
あまりの暑さで、唇が乾いているように見えるけど・・・
このお寺の開基は31番札所「長命寺」に続いて聖徳太子です。
西国三十三所では、18番「頂法寺(六角堂)」、24番「中山寺」も同じです。
例によって伝承によれば、605年にこの地を訪れた聖徳太子が琵琶湖のほとりで
人魚と出逢い、「前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚にされて
しまい苦しんでいる。どうかこの苦しみから解放して下さい」と頼まれました。
聖徳太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音菩薩像を刻み、後に堂が建立され
その像を祀ったのが寺の創始とされています。
寺にはその「人魚のミイラ」と称するものが保存されていたそうですが、
平成5年の火災の際、焼失しました。ザンネン!
・・・何か写真で見た気もするけど、あれは河童のミイラだったかな?(^_^ゞ
「手水舎」
ここのお水は飲めます。冷たくて美味しい水でした、ついでにタオルを浸して
ドボドボのまま首に巻いておくことに。すぐに乾いてしまいますが・・・
「白蛇大明神」
「子授け地蔵尊」「子育て地蔵尊」
「北向地蔵尊」
ちょっとアートな祠、木樽?藁葺き屋根も面白い。
中には小さなお地藏さんが祀られています。一願地蔵で「声に出すことなく
微音にて7へん真言を称えるべし」とあります。大声で怒鳴ってはいけません。
願い事はひとつだけ、さすれば必ず解脱の方法を表し抜苦与楽を与えてくれる
そうです。必ず願いを叶えると書かないところがイイですね。?
余談ですが、子供の頃、童話などで「ひとつだけ願いを叶えましょう」と
言われた時、僕なら「何度でも願いを叶えて下さい」それが願いです。
って言おうと考えてましたが・・・(^_^ゞ
「濡佛(ぬれぶつ)」
釈迦如来坐像ですね、江戸時代から置かれていたものは太平洋戦争の際、
供出され、今のものは昭和58年(1983)に再建されたものです。
大仏さんの下には可愛いお坊さんが・・・キノコではありません。
「護摩堂」修験根本道場
中にはご本尊のミニチュアモデル?
矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子を従えた不動明王像、
隅には役行者の像も祀られていました。
「太子堂」
堂内には元三大師も祀られています。「おみくじ」を発案された僧ですね。
さて本堂ですが、右手の石積みが気になりますね。
2004年に再建された、まだ真新しいお堂です。
「抱きつき柱」
『本堂内撮影禁止』でしたが、お寺の方に訊ねてみると、内陣ご本尊の撮影は
困るけれど、それ以外だったらどうぞご自由に・・・ってことでした。
ご本尊はどうして駄目なのかとの質問には、ただの像ではなく開眼法要により
魂を入れてたものだから、宗教的にも他の参拝者にも失礼だと言うことでした。
この「抱きつき柱」は、台風で倒れたヒノキですが、節がちょうど33ヶ所
あったので、何かの縁と本堂再建の際に使用されたのだそうです。
これに抱きついて祈れば、三十三所分の功徳があるのだとか・・・
抱きついている人は見かけませんでしたが。(^_^ゞ
ご本尊は、それまでのものが平成5年の火事で焼けてしまい、新たに造立する
にあたり住職が二十数回インドに赴き、禁輸対象品である白檀の原木をなんと
23トンもインド政府から特例処置を受けて輸入。
その貴重な白檀で「千手千眼観世音菩薩坐像」を造り上げたのは、京仏師の
第一人者?松本明慶大仏師だそうです。
新たなご本尊は3.56m(光背を含めた総高は6.3m)の総白檀造り、
平成16年5月22日、本堂の落慶法要と同時に本尊の開眼法要も行われました。
写真は撮れませんが、拝観することはできます。
内陣に入り直ぐ前で拝観、お身拭いなどすることもできるようです。(別料要)
結構なスケールで、気になる石積みを見てみます。
所々の岩の上に観音像など仏像が置かれており、前は蓮池になっています。
「えんむすび地蔵尊」
悪縁を絶ち、良縁を結んで頂けるお地蔵様だそうです。
おっ!人魚のミイラ?
・・・ちゃうな。(^_^ゞ
壮観ですが、石積み自体には宗教的な意味は無いそうで、土木的な意味で
山崩れを防ぐためのものだそうです。
上からロープを垂らしてあったので、登ってみようかとも思いましたが
専門家じゃないと無理っぽいので自重しました。
「魚濫観音」
ちょっと珍しい?観音様ですが、水かけ観音とされていました。
乾き切っていたのでお水を掛けたら、クッキリとお姿が。
ここの水は、本堂建設の基礎工事の際、湧き出たという細菌ゼロ、水温14度の
水だそうです。
境内からの眺めはよく、三上山(近江富士)まで見えるとのことですが、
この日は湿度が高く、空気が澱んでいて・・・w
さて、「濡佛」像の脇から山道に入ると、観音寺城、繖山三角点に行けます。
観音寺城のことはよく知らなかったのですが、日本百名城の一つになっており
こりゃ行くしかないと・・・最初は歩きやすい山道だったのですが
しだいに険しくなり、石段道というより崩落跡?それより何より大群のヤブ蚊の
襲撃に遭い、あえなく敗退・・・途中から逃げるように戻りました。
汗だくでまた自動販売機のある休憩所へ、そこにはなんと観音寺城のスタンプが。
ま、途中撤退したとは言え、行こうとしたのだから日本百名城のスタンプ帳には
スタンプをゲット!・・・逆さまで二重捺しになってしまった。(^_^ゞ
奥の院もあったのですが、あまりもの暑さと、奥の院に行く途中にはこれまた
ロープを頼りに登らないといけないような険しい場所もあるとか・・・
即座に断念いたしました。8月15日、時期が悪かったかも。
○宗派:天台宗(単立寺院) ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手千眼観世音菩薩 ○創建:推古天皇13(605)年
御詠歌「あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを」
2013.8/15、観音正寺 蓮池にて。(SX50SH)
私なら、テーマを分けて3回くらい保たせますね。(笑)
吉本芸人なら、
「自分が笑われても人を笑顔にせよ」ですかね。
未来惑星ザルドス・・・そんなんあったっけ?ああ、あの石ッコロの顔ね(笑)
あの格言はお笑い芸人泣かせですね、吉本のトイレにでも貼っておきたいですが。
しっかもごつごつしてのぼりにくかったでしょ。
ぼくなら、たどり着くご利益を
ボイコットしそうです。。。。
写真のかっぱちゃんに大きなゲタが
ツボにはいりましたよ(笑)
降りるのも大変でしたよ。途中、登ってくる方に「まだですか?」って尋ねられたけれど「ガンバッテネ」と言うしか・・・まだ半分以上残っていたもの。
カッパちゃんにあの鉄下駄は、さすがにムリがありました・・・
「何度でも願いを叶えてください」って言おうって。
でも、残念ながら未だにチャンスなしです。
ところで、駐車場からこんだけも石段登った記憶が無いのですが。
表参道からアタックされたのね。
「ねずみ岩」なんて無かったし。
2ルートあるんですね、林道も2つかな?ナビはこっちを案内したんやけど。
何度でも願いを・・・そんなこと考えてる人間にはチャンスが訪れへんのかも。
お盆にハードですね。
階段は、きついなぁ。行けるようになるのかな。私。
この間、女房のお父さんのお墓に行ったけど、早く歩けないし、松葉杖なのでヤブ蚊の大群に襲われた時は参りました。どうしようもない。いま考えても恐ろしい。
立命館のそばに1400も石段のあるお寺があるのかと思ってしまった。
すごいですね。
毎日登っている方もいるのでしょうか。
上からの眺めはさすがです。
原因は何なんでしょう?
長生きすればきっと実現するかもね、医療やロボットの技術も急進していることだし。
ヤブ蚊だけはどうにも・・・そっちの技術も何とかして欲しいです。