西国三十三所観音霊場巡り、二つ目の番外寺です。
京都市山科区にある『華頂山 元慶寺(かちょうざん がんけいじ)』
番外札所とは西国巡礼の創始やその後の発展に関係のある特別な寺院で、
・奈良県桜井市。「法起院」西国三十三所観音巡礼を最初に始めた徳道上人が
晩年を過ごし、上人の廟がある。
・京都市。「元慶寺」西国三十三所観音巡礼を中興した花山法皇が落飾した寺。
・兵庫県三田市。花山院菩提寺 花山法皇が隠棲し余生を送り、入寂した寺。
この三寺です。
元慶寺の創建は平安時代。桓武天皇の孫に当たる遍昭僧正が貞観11年(869)に
華山寺を創建し、その後元慶元年(877)に清和天皇の勅願寺となって名が変わり
元慶寺となりました。天台宗の寺で、年号を寺名とした年号寺でもあります。
当時はかなりの規模と権勢を誇っていたようですが、今は小さなお寺です。
「山門」は竜宮門になってまいます。
竜宮門は珍しく、京都では伏見の長建寺、深草の石峰寺、大原古知谷の
阿弥陀寺、東山の法住寺、宇治の興聖寺などで見られます。
実はこのお寺、自宅の二階から見えるくらいの距離にあります。(^_^ゞ
したがって、徒歩での参拝です。
こんな細道をちょろちょろと・・・
クルマならバス通り(と言っても狭いですが)からここ↓に入ります。
写真では広く見えてますが、とぉ~ても狭いです。左折では入れないかも。
よりによってプラドで来られた強者も居られたようですが。(^_^ゞ
左手に2台ほど停められる無料駐車場があります。
プラドだとさぞ汗かきものだったのでは?
霊場巡りバスツアーの団体さんも数多く来られる寺ですが、観光バスなんて
とても入れません。おそらく国道1号線沿いの駐車場に停めてそこから
歩いて来られるようです。いつもお遍路姿の団体さんをよく見かけますもん。
山門の中には梵天、帝釈天像が置かれていたようですが、今は
京都国立博物館に出張中。つーか、委託中。
境内には石碑が色々見られます。上のは僧正遍昭の歌碑。
開基の僧正遍昭は六歌仙の一人として知られており、百人一首のなかでも
特に有名な『天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』の
作者でもあります。子供の頃、父親の影響で正月などによく小倉百人一首の
カルタで遊びました。田村将軍堂謹製だったかな、任天堂も今はゲーム会社
として有名ですが、もともとはカルタの会社で今でも作っているはずです。
「あまつかぜ~」と上の句を詠まれたら「おとめ!おとめ~!」って
概ね真っ先に覚える句のひとつじゃないかな?
気休めに坊主めくりをすると、この札には僧正遍昭の絵が描かれているので
「なんや、乙女やのに坊主かいな・・・」ってことになります。(^_^ゞ
話が逸れましたが、真ん中の石碑は元慶寺の沿革と再興の経緯を記したもの。
下のは・・・ん~、よく解りませんでした。
他にも「人皇六拾五代花山院法皇御落飾道塲」と彫られた石碑や
「遍昭僧正御墓」の石碑も。少し離れたところには宮内庁治定僧正遍照墓が
あるそうですが、見たことは無いです。
花山院法皇御落飾道塲とは、花山天皇がこの寺で出家し花山法皇となった
とされているしるしです。
花山天皇はこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、
皇位復帰の道を絶たれてしまう悲運の天皇。法皇となってから廃れかけていた
西国霊場を復活させた人で、西国霊場中興の祖として知られています。
山科でもこの辺りは「花山(かさん)」の地名が残っているし、東山将軍塚
近くにある京都大学花山天文台は有名。そして、花山中学校は我が母校です。
広くはないですが、お庭もキレイにされています。
2012.5/3、元慶寺にて。
○宗派:天台宗 ○開基:僧正遍昭
○御本尊: 薬師如来 ○創建:元慶元年(877年)
御詠歌「待てといわば いともかしこし花山(はなやま)に しばしと啼(な)かん 鳥の音もがな」
京都市山科区にある『華頂山 元慶寺(かちょうざん がんけいじ)』
番外札所とは西国巡礼の創始やその後の発展に関係のある特別な寺院で、
・奈良県桜井市。「法起院」西国三十三所観音巡礼を最初に始めた徳道上人が
晩年を過ごし、上人の廟がある。
・京都市。「元慶寺」西国三十三所観音巡礼を中興した花山法皇が落飾した寺。
・兵庫県三田市。花山院菩提寺 花山法皇が隠棲し余生を送り、入寂した寺。
この三寺です。
元慶寺の創建は平安時代。桓武天皇の孫に当たる遍昭僧正が貞観11年(869)に
華山寺を創建し、その後元慶元年(877)に清和天皇の勅願寺となって名が変わり
元慶寺となりました。天台宗の寺で、年号を寺名とした年号寺でもあります。
当時はかなりの規模と権勢を誇っていたようですが、今は小さなお寺です。
「山門」は竜宮門になってまいます。
竜宮門は珍しく、京都では伏見の長建寺、深草の石峰寺、大原古知谷の
阿弥陀寺、東山の法住寺、宇治の興聖寺などで見られます。
実はこのお寺、自宅の二階から見えるくらいの距離にあります。(^_^ゞ
したがって、徒歩での参拝です。
こんな細道をちょろちょろと・・・
クルマならバス通り(と言っても狭いですが)からここ↓に入ります。
写真では広く見えてますが、とぉ~ても狭いです。左折では入れないかも。
よりによってプラドで来られた強者も居られたようですが。(^_^ゞ
左手に2台ほど停められる無料駐車場があります。
プラドだとさぞ汗かきものだったのでは?
霊場巡りバスツアーの団体さんも数多く来られる寺ですが、観光バスなんて
とても入れません。おそらく国道1号線沿いの駐車場に停めてそこから
歩いて来られるようです。いつもお遍路姿の団体さんをよく見かけますもん。
山門の中には梵天、帝釈天像が置かれていたようですが、今は
京都国立博物館に出張中。つーか、委託中。
境内には石碑が色々見られます。上のは僧正遍昭の歌碑。
開基の僧正遍昭は六歌仙の一人として知られており、百人一首のなかでも
特に有名な『天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』の
作者でもあります。子供の頃、父親の影響で正月などによく小倉百人一首の
カルタで遊びました。田村将軍堂謹製だったかな、任天堂も今はゲーム会社
として有名ですが、もともとはカルタの会社で今でも作っているはずです。
「あまつかぜ~」と上の句を詠まれたら「おとめ!おとめ~!」って
概ね真っ先に覚える句のひとつじゃないかな?
気休めに坊主めくりをすると、この札には僧正遍昭の絵が描かれているので
「なんや、乙女やのに坊主かいな・・・」ってことになります。(^_^ゞ
話が逸れましたが、真ん中の石碑は元慶寺の沿革と再興の経緯を記したもの。
下のは・・・ん~、よく解りませんでした。
他にも「人皇六拾五代花山院法皇御落飾道塲」と彫られた石碑や
「遍昭僧正御墓」の石碑も。少し離れたところには宮内庁治定僧正遍照墓が
あるそうですが、見たことは無いです。
花山院法皇御落飾道塲とは、花山天皇がこの寺で出家し花山法皇となった
とされているしるしです。
花山天皇はこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、
皇位復帰の道を絶たれてしまう悲運の天皇。法皇となってから廃れかけていた
西国霊場を復活させた人で、西国霊場中興の祖として知られています。
山科でもこの辺りは「花山(かさん)」の地名が残っているし、東山将軍塚
近くにある京都大学花山天文台は有名。そして、花山中学校は我が母校です。
広くはないですが、お庭もキレイにされています。
2012.5/3、元慶寺にて。
○宗派:天台宗 ○開基:僧正遍昭
○御本尊: 薬師如来 ○創建:元慶元年(877年)
御詠歌「待てといわば いともかしこし花山(はなやま)に しばしと啼(な)かん 鳥の音もがな」
でも詳しい地図を見てみたら、メインルートから奥に入っていて、たしかにバイクやクルマでは通らない場所にあるんですよね。
位置は大体イメージできるので、あそこにこんなお寺が隠れていたとはって印象です。
西国三十三所観音霊場巡り番外
此処だけなら私でも御参りできますヨ!(笑)
渋谷街道から参道への入口はフレスコのすぐ横にあります。
と言ってもピィさんが居られた頃にはフレスコじゃ無かったかな・・・
先の日曜は、16番札所の清水寺から自宅まで歩いて帰りましたよ。
往きはクルマで送ってもらいましたが・・・
左折は一瞬にして諦め、右折で突入致しました。
駐車場は手前右手にもありましたが、汗かきましたよ
徒歩での参拝がうらやましい
たまに思案しているっぽいクルマを見かけることもありますよ。
この前の日曜は、清水寺は駐車場が大変そうなのでクルマで行くのは諦めました。
清水寺も徒歩圏内4km、ちとしんどかったけど。