
☆まだ息をしてるだろうか?
せめて週末までは生きていてくれとの願いが通じたらしく、シェラと一緒にこの週末を迎えることができた。今週、すでに大半の時間をシェラはどんよりしと寝たままで過ごしている。
夜や朝、ぼくと家人は寝ているシェラをそっとのぞきにいく。口には出さないが、まだ息をしているだろうか? 生きていてくれるだろうか? それだけが気になってしまうからだ。
朝、目覚めれば、どんな時間だろうと、まずはシェラを見にいく。かすかに胸の辺りが動いていればほっとしてベッドに戻る。すると、寝ていたはずの家人が、「シェラちゃんはどう?」と訊く。「うん、静かに寝ているよ」と答える。家人が見にいって帰ってくれば、「どう?」とぼく……。
もう食事をまったく受けつけないし、水さえもすぐに吐いてしまう。元々、吐き癖のあるシェラである。吐くときのいかにも苦し気な様子を、かねてから家人は恐れてきた。だから、食べたがらない食事を与えることができず、水さえも与えるのにひと苦労だった。このまま、燃え尽きんとする余塵を眺めるがごとき態度の自分たちでいいのかと焦燥感に駆られていたところ、幸いにしてコメントの助言の数々に助けられている。
スポーツドリンクを薄めてた水をドレッシング容器に入れ、歯茎を濡らす要領で飲ませ、食事代わりにスープを少しずつ飲ませてやった。嫌がりながらもシェラは飲んでくれた。もしかしたら、ぼくたちだけの自己満足に過ぎないかもしれないが、シェラが反応してくれただけでうれしかった。

☆こんなになっても休日の外出を待つなんて
ルイの朝の散歩は、シェラがいないからたっぷり歩いてやることができた。ぼくたちがシェラのかまけて相手をしてやる頻度が減っている分、ルイの運動量もじゅうぶんではなくなっている。それだけに、今朝は天気もよかったのでたくさん歩いてやるつもりでいた。せめて、5000歩くらいはと……。
4500歩あたりで終わってしまったが、家に戻るとシェラがしっかり目を見開いて迎えてくれた。むろん、寝たままである。朝食を摂りながら、家人がそっとぼくに囁いた。
「シェラちゃん、今日が休みだって知ってるわよ。いつもなら、虚ろなどんよりした顔で寝ているだけなのに、しっかりした目をしてるわ」
なるほど、見開いた目がぼくを正面から見ていた。
「シェラ、あとで散歩にいこうな」
汚れた口のまわりを拭いてやりながら、ぼくはシェラに語りかけた。
今朝までのシェラはいつ呼吸が止まってしまっても不思議ではないような容態だった。ずっと食べていないし、ほとんど飲んでいない。口のにおいだって、いかにも「尿毒」という悪臭である。こんな毒素に身体を蝕まれているのかと思うと、ただただやるせない。
撫でてやったときの反応だって実に鈍いものだった。昏睡状態になっているわけではないが、ほとんど意識が遠のいているものだとばかり思っていた。それが、家人のいうとおり、しっかり目を見開き、「お父さん、今日はお休みでしょう。どこへ連れていってくれるの?」と訊いている。

☆最後までカフェ犬でいような
ぼくの約束を楽しみにして待ったのか、それとも休日のお出かけをあてにして待ったのか、シェラはぼくの動きに俊敏に反応して目を開いた。
午後3時、本当に散歩ができるかどうかわからないまま、シェラをカートに入れ、ルイはリードをつけてぼくたちは散歩に出かけた。シェラの気分転換に、近所をちょこっとまわってやるだけのつもりだった。ご近所のわんこ仲間の奥さんたちが行き会う度に声をかけてくださり、励まし、涙ぐんでくれた。つくづくありがたいと思う。
カートの中で、シェラは伏せもせず、坐ったままでいる。横たえて楽な姿勢にしてやろうとするのを嫌がり、しっかりと坐ったままでいる。
いかにもシェラらしい。クルマのシートでも、まず、よほど疲れていないかぎり、いつも坐ったままで乗っている。家人が、「シェラちゃん、疲れるから伏せしなさい」といってもきちんと坐り、表の風景を眺めているのである。
ほんの5分か10分で帰るつもりだったが、シェラの気力に促されて、ぼくは家人に提案した。
「モスバーガーまでいかないか」
家人も、「ええ、そのつもりよ」と笑顔で答えた。せめて土曜日まで生き延びてくれと願ってきたことがアホのようである。
ぼくたちはシェラを「カフェ犬」と呼んでいる。休日、とにかく、カフェの類いのテラス席でひとときを過ごすのを楽しみにしているわんこだからである。家人ゆずりのカフェ好きでというわけだ。だから、最後になるかもしれないテラス席でひとときを過ごしたいのである。

☆まさかオシッコまでしてくれるなんて
寒さがゆるんだ土曜日の午後、もしかしたらテラス席には先客がいるかもしれないと危惧したが、幸運にも空いていた。シェラが何も食べることができなくても、そこにいるだけで満足してくれるはずだ。スポーツドリンク入りの水も持参していた。ここで過ごした時間を含め、結局、小一時間の散歩になった。
家人が、「帰りにどこかでシェラを歩かせてやりたいんだけど……」というので、草のある場所へまわった。まもなく宅地になる予定の畑の跡地である。カートから下ろして置いたとたん、シェラは腰をかがめ、オシッコをした。家人が歓声を上げた。ぼくはしばし信じられなかった。
しかし、たしかにシェラはオシッコをしていた。しかも、そこそこの量である。昨日からの水のおかげであろうか。たったそれだけのことで、ぼくたちはとってもハッピーな気持ちで家に戻ることができた。
そして夜、ほんの数10分、家人ともどもシェラとルイを置いて家を留守にした。戻ってみると、玄関前のシェラを寝かせていた場所にシェラがいない。まさか動いてしまうなんて思いもよらなかった。もっと意外だったのは、シェラが動いて寝ていた先だったが、詳細のレポは明日に。
以前、近所の老人介護施設を見学した方からの話ですが、そこではオムツは使っていないそうです。
施設のスタッフから、「ご自分でオムツを使って排泄してみてください」といわれたそうです。
オムツという発想がどれだけ非人間的かということです。
それは人間のみならず、わんこたちにとっても同様ですし、わんこにしてみたら、「汚したらいけない」という余計な気づかいをさせてしまうような気がしてなりませんでした。
オムツを絶対に使うべきではないというのではなく、使う状態やタイミングをみきわめてやるべきだと、シェラとの経験から学びました。
ドレッシングの水差しは本当に役立ちました。
20歳とはまたがんばってくれましたね。
わが家の主のようなにゃんこは18歳でしたがやっぱり腎不全で亡くなりました。
お医者さんからは、「いわば老衰ですよ」と慰めていただきましたが。
この子もやっぱりひと月ほどの闘病生活でした。
すごくがんばって、最期のときは家族が揃うまで待っていてくれました。
シェラも一目置いていた、メスネコながら、威風堂々とした子でした。
わが家の二匹の猫たちも最後は腎不全でした。
そういえば、ぼくの親父も同じでした。
シェラは体力があった分、よけい苦しいめにあってしまったそうです。
17歳の老犬ながら、毛の艶は衰えず、フカフカのままでしたから……。
もうひとつ、やっぱりぼくたちのためにがんばってくれたのでしょう。
わたしたちもシェラの癌に気づくのが遅れました。
身体のあちこちにコブができていたのでそのひとつだろうとタカをくくっていたのが間違いでした。
そうですね、たしかにこちらのがんばりに応えてくれてしまったようでもあります。
そのためになおさらつらい思いをさせたかもしれませんが、いまは「シェラ、ゴメンな。でも、うれしかった」と心のなかでいいつづけています。
シェラやむぎとの思い出が残るカフェのテラス席で、これからはルイとの思い出づくりです。
でも、ご自分を責めるのはいかがなものでしょうか。
わたしは自分の母も家人の母も死に目にはあえませんでした。
家人の母は、病院ではありましたが、家族のだれも最期に間に合わず、まさにひとりで旅立ちました。
その日その時間、ぼくは昼休みすを使って顔を出すつもりだったのですが、豪雨だったので帰りに寄ろうと予定を変更しました。
もし、あのとき、変更していなければ母をひとりで逝かせなくてよかったとずいぶん自分を責めた時期もありました。
でも、それは母らしい潔さ、母らしい美学だと思いなおし、また、そのことでくよくよすることが母の遺志にそぐわないと思えるようになりました。
ブログにも書きましたが、もし、シェラがひっそりとひとりで旅立ったとしても、それがシェラの遺志だから悔やむまいとかたく心に決めていました。
わが家のにゃんこのダダは、ぼくが会社から帰ってみると、まさに、いま息を引き取ったという状態でした。
夕飯の支度をしていた家人も気づかず、あとせめて10分、いや、5分早かったらと悔しい思いをしましたが、でも、「これこそダダらしい」と思えました。
最期のときそばにいてあげられないのも運不運、それよりも、元気だったころに悔いのない関係だったらそれで満足すべきだとぼくは思います。
どうか、いつまでもご自分を責めないでください。
「カフェ犬」・・・休日はいつも一緒に楽しまれたのですね。
シェラちゃんの記憶の中では、沢山の思い出と感謝がいっぱい溢れていると思います。
私も先日、留守番させる為に紙オムツをさせましたが、慣れないのか中で排泄する事はありませんでした。
いつからか水も自ら飲まなくなってしまったので、ドッグフードをお湯でふやかせて与えていますが、私もドレッシングの容器を買って来て飲ませようと思います。
シェラちゃんの体が楽になり
hiroさんと奥様も、お気持ちが楽になり
ルイちゃんも元気な姿で
素敵な休日に心が暖まりました。。
焦燥感。。。
その言葉に胸が締め付けられました
同じ気持ちを経験したといいますか。。。
(軽々しく口にして、すみません)
このhiroさんのブログのおかげで
皆さん”腎不全”の事が広く知ってもらえて
また、私も教えていただいて
うまくいえません。。おこがましいですが
感謝しております。
罹患して、初めて知った事なのですが
色々な疾患があっても、老犬の最後に襲うのが
腎不全なのですね。。
持病の心疾患にばかり気をとられていて
「あれ、なんで食べないんだろう??
好き嫌い?年のせい?」
私は、気づくのが遅かったんです。。。
あっ、年始に体調を崩していたうちの子も
特に何かしたわけではなかったのですが
持ち直して過ごせています。。。
やっぱり、特効薬は家族の愛ですかね。。なんて。。
今回の、記事で深く頷いてしましました。
シェラちゃん・hiroさん・奥様・ルイちゃん
素敵なブログ
ありがとうございます。
私の場合はわんちゃんではなく、愛猫でしたが、昨年腎不全との闘病の末旅立った子を見送りました。20歳でした。
介護生活は短く1ヶ月でしたが、シェラちゃんの闘病生活とその頃の記憶が重なります。聡明なシェラちゃん。一日でも長く、飼い主さんとの穏やかな日々が続きますように祈らずにはいられません。
そしてできれば、カートの中でもいいからいつものカフェに行けるとシェラちゃん喜ぶだろうなあ。。と
思ってました!
おむつのこととか、お水のことなど波乱続きでしたが、カフェに再び行くことができてよかったですね。
飼い主さんががんばると、ワンコもがんばるんだ!と
感動しました。
一日一日みんなで力を合わせてるから、シェラちゃんの生きるパワーになるんですね。。。
シェラちゃんのお顔を舐めてるルイちゃん、とっても
よいお写真ですね!
もっともっとこの日々が続きますようにお祈りしています。
ごめんなさい、差し出がましい事を書かせて頂きました。お許しください…☆