☆もう仲間だね
突貫小僧ルイの毎日に、ぼくも家人も、そして、シェラも翻弄されているが、順応性の高さでは人間のぼくらよりも老犬のシェラのほうが圧倒的に上である。
ルイを見ているとわんこの成長の早さに驚く。日々、目に見えて進化しているからだ。歳をとるだけでなく、大人になる速度もまた人間の三倍、いや、それ以上のものがある。それに対応し、つきあってやる老犬の柔軟性にも感心する。
ルイが日々、昨日のルイではなくなっているように、シェラもまたルイに対して昨日のシェラではない。ちゃんと順応し、群れの仲間として迎え入れる準備を少しずつ整えている。
もし、ルイがいまは亡きむぎのようなおとなしいパピィだったら、とっくに仲間と認め、面倒を見ているだろう。
シェラがどんな面倒を見ているかといえば、自分のそばにいることを拒まない態度に変わったことである。そして、すでにいま、もし、外敵からの攻撃を受けたら自分が楯になってでもルイを護ろうとする姿勢を感じる。
☆怒られるのもルイには遊び
散歩のとき、シェラはルイが自分のすぐ横を歩くことを認めている。もうずっと以前からそうやってきたかのような自然な姿である。
ただ、ルイが、「遊ぼうよ」とばかり、跳びつくのは嫌っている。見ているだけでも煩わしかろうと思う。もっと若いときのシェラであってもこれは拒否しただろう。
シェラが、むぎを相手にくんずほぐれつ遊ぶのは、たとえば、雪原であったり、広い原っぱであったり、ともかく、とっても気分がよくて、だれにも邪魔されずに遊べるときだけだった。ぼくたちも、シェラとむぎがわんこらしく遊んでいる姿をそうそう何度も見ているわけではない。
ルイにしてみれば、ぼくに怒られているときも遊んでもらっていると錯覚するくらいだから、跳びついてシェラに「やめなさい!」と吠えられ、叱られても、ますます喜んで走りまわり、また跳びついていくだけだ。目の前にいるシェラは恰好の遊び相手でしかないのである。
むぎにはそんな突貫精神がなく、ただ、シェラのそばに身を寄せていれば幸せだったから基本的には静かな関係を維持することができた。
ルイにしても、シェラに跳びつく幼児性がなくなれば、シェラとの普通の関係になれるだろう。ただし、ルイがシェラよりも上位を狙っての闘争がはじまらなければという前提がある。
☆いつまで一緒にいられるだろうか
オス犬の強さに圧倒されっぱなしの家人は、「去勢するとおとなしくなるかもしれない」と友人から聞きつけてきて、いまはひたすらその時期の到来を待ち望んでいる。
家人のためにも、シェラのためにも、そして、ルイ自身のためにも去勢はやったほうがいいとぼくも理性では理解できるのだが、同じオス同士として、何か身を切られるような痛みを感じてしまう。
ぼくにとっては、ルイのいかにも男の子らしい溌剌としたワンパクぶりは好ましく、この子を躾けていくことが楽しいだけに、なんとも複雑な思いでいる。
だが、ルイに性的な不要のストレスをためるより、また、病気のリスクを軽減するためにも、そして、家族の平穏のために、やっぱりおとなしいルイにしてしまうほうがいいのだろう。
ルイが時間を駆け抜けて、いつかぼくたちの老いに追いつき、一緒に老後を送る日を迎えるためにも……。
もっとも、ルイがシェラのような老犬になるまでぼくのほうが生き永らえることができるかどうかあぶなっかしいのが不安でならない。死ぬのが怖いのではなくて、むぎや、いずれ旅発つシェラの元へルイを残して先にいってしまうのが心残りなのである。
突貫小僧ルイの毎日に、ぼくも家人も、そして、シェラも翻弄されているが、順応性の高さでは人間のぼくらよりも老犬のシェラのほうが圧倒的に上である。
ルイを見ているとわんこの成長の早さに驚く。日々、目に見えて進化しているからだ。歳をとるだけでなく、大人になる速度もまた人間の三倍、いや、それ以上のものがある。それに対応し、つきあってやる老犬の柔軟性にも感心する。
ルイが日々、昨日のルイではなくなっているように、シェラもまたルイに対して昨日のシェラではない。ちゃんと順応し、群れの仲間として迎え入れる準備を少しずつ整えている。
もし、ルイがいまは亡きむぎのようなおとなしいパピィだったら、とっくに仲間と認め、面倒を見ているだろう。
シェラがどんな面倒を見ているかといえば、自分のそばにいることを拒まない態度に変わったことである。そして、すでにいま、もし、外敵からの攻撃を受けたら自分が楯になってでもルイを護ろうとする姿勢を感じる。
☆怒られるのもルイには遊び
散歩のとき、シェラはルイが自分のすぐ横を歩くことを認めている。もうずっと以前からそうやってきたかのような自然な姿である。
ただ、ルイが、「遊ぼうよ」とばかり、跳びつくのは嫌っている。見ているだけでも煩わしかろうと思う。もっと若いときのシェラであってもこれは拒否しただろう。
シェラが、むぎを相手にくんずほぐれつ遊ぶのは、たとえば、雪原であったり、広い原っぱであったり、ともかく、とっても気分がよくて、だれにも邪魔されずに遊べるときだけだった。ぼくたちも、シェラとむぎがわんこらしく遊んでいる姿をそうそう何度も見ているわけではない。
ルイにしてみれば、ぼくに怒られているときも遊んでもらっていると錯覚するくらいだから、跳びついてシェラに「やめなさい!」と吠えられ、叱られても、ますます喜んで走りまわり、また跳びついていくだけだ。目の前にいるシェラは恰好の遊び相手でしかないのである。
むぎにはそんな突貫精神がなく、ただ、シェラのそばに身を寄せていれば幸せだったから基本的には静かな関係を維持することができた。
ルイにしても、シェラに跳びつく幼児性がなくなれば、シェラとの普通の関係になれるだろう。ただし、ルイがシェラよりも上位を狙っての闘争がはじまらなければという前提がある。
☆いつまで一緒にいられるだろうか
オス犬の強さに圧倒されっぱなしの家人は、「去勢するとおとなしくなるかもしれない」と友人から聞きつけてきて、いまはひたすらその時期の到来を待ち望んでいる。
家人のためにも、シェラのためにも、そして、ルイ自身のためにも去勢はやったほうがいいとぼくも理性では理解できるのだが、同じオス同士として、何か身を切られるような痛みを感じてしまう。
ぼくにとっては、ルイのいかにも男の子らしい溌剌としたワンパクぶりは好ましく、この子を躾けていくことが楽しいだけに、なんとも複雑な思いでいる。
だが、ルイに性的な不要のストレスをためるより、また、病気のリスクを軽減するためにも、そして、家族の平穏のために、やっぱりおとなしいルイにしてしまうほうがいいのだろう。
ルイが時間を駆け抜けて、いつかぼくたちの老いに追いつき、一緒に老後を送る日を迎えるためにも……。
もっとも、ルイがシェラのような老犬になるまでぼくのほうが生き永らえることができるかどうかあぶなっかしいのが不安でならない。死ぬのが怖いのではなくて、むぎや、いずれ旅発つシェラの元へルイを残して先にいってしまうのが心残りなのである。
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