ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ささっと篠山2

2016年09月01日 21時31分35秒 | ウォーキング

おお~、もう今日から9月
夏休みも終わって2学期ですねえ。
早いものです。

大書院への参道には、
堀を超えていきます。

おお~、堀にはアカウキクサが浮いています。



法隆寺近くの天満池や
天の香久山のため池でも見つけました。

岸和田包近の池にもあったと
記憶しています。

そして、この堀の横に
生えている桜が

「篠山城跡桜開花基準木」

だそうです。



桜がたくさんあったので
その季節にはきれいでしょうねえ。

三月初めの篠山マラソンの頃には
ちょっと早いのが残念です。

おお~、でも今の時期は
ユリがすごいですねえ。



そんなのを眺めながら
大書院の中に入っていきます。



まずは篠山城のことが
書かれています。



篠山は、西日本の外様大名を
押さえるための重要な城でした。
そのためこの城主は
関ケ原以前から徳川家につかえていた
譜代大名が遠国から配置され
城主を務めておりました。

最初は松平
それから藤井松平、
形原松平、青山と
つないでまいりました。

あ、ちなみに松平は徳川の旧姓ですね。

この城は周囲の丘陵や
河川の様子からみて
「笹山」と言われる丘陵地に
建てられました。

建築当初には「笹山」
「佐々山」「ささ山」「篠山」など
様々な字が充てられていましたが
次第に「篠山」が使われるように
なったとのこと、
それが今はもう市の名前ですね。

城の横には篠山市役所が置かれ、
そこで市政が行われていますが、
昔は城の本丸に置かれたこの大書院で、
すべての藩政にかかることが
ここで行われていたようです。

建物は9つの大きな部屋で
基本的にできています。
上段の間や次の間などで
様々な役割が果たされたのですが
中を見ていて面白かったのが、
これら8部屋に囲まれた真ん中に
1部屋「闇(くらが)り之間」
という部屋があるところでした。



ここで一体何が行われたんでしょうねえ。
こういうところこそ
こっそり開けて確認してみたかったですねえ。
残念です。

展示物のひとつに
昔の人の手紙なんかも
おかれてありました。



いやあ、それにしても
昔の人の字てかなり崩し字ですねえ。
これでちゃんと読めたんですかねえ。

当時、楷書はないのかというと
そんなことはありませんね。

ここに展示されていた梵鐘でも





二世安楽を願って刻まれた
文字や各地にある道標なんかには
ちゃんと楷書が刻まれていますもんね。

公な公文書的なものなんかは
誤解のないように
しっかりと書いておいて
ほしいものですね。

あ、そうそうそれと
こういう文書は誰が運ぶのでしょうか。
飛脚のほかに文書配達担当官
とかいたのかなあ。

そもそも飛脚の代金なんかも
誰かが決めていたりしたのかなあ。

テレビで時代劇を見ていても、
郵便配達の仕事って
なかなか表には出てきませんものねえ。

ちょっと調べてみますと、
幕府の公用便は継飛脚、
大名は大名飛脚というのを
走らせていたが、
民間でも「飛脚問屋」や
「飛脚屋」が幕府の許可を得て
配達を行っていたそうだ。

ちなみに江戸と大阪は早便で
4日でついたといわれているが
料金は高く、
今のようにちょろっと
手紙を出すようにはいかなかったそうだ。

では大書院の見学に
また戻りましょう。

ここでは各部屋の前や
廊下の片隅に
各藩主の時の出来事や
展示品の案内がいくつも
置かれており、ざ~と目を通し、
写真も撮りました。







でもねえいろんなことが
書かれてあり、
紹介しようとしてもこれが大変です。
事件の背景や仕組みなども
あまりにもいろいろあるので、
こちらも調べるのが大変です。

まあ、歴史の多いこの都市ですから、
いろんなことがあったんですねえ。

詳しくはここにきて
じっくり触れてもらうということで、
これ以上はもうさらっと
進んでおくことにしましょう。

さらっと続く。