今回の四国詣でから帰ってきて、
きょうで16日が経ちます。
その間、用事や遊びに行く間に
暇を見つけてはずっと
四国のお寺の絵をかいていました。
そして今日、やっと72番の
曼荼羅寺の絵が完成しました。
これで今回のお寺参り分は
終わりです。
11寺を16日。
いやあ、結構いろいろと
考えつつ絵を描いて、
頭も目も疲れました。
でもまあ、週末からの
同窓会ツアーには
間に合ってよかったです。
四国詣では結構費用も掛かりますが、
一回のお参りでこれだけ遊べたら
まあ良しとしましょう。
さてブログのほうですが、
81番の白峯寺まで書きました。
ここからの続きですね。
バスに乗って、山間部の村々を
眺めつつ行くと、
ありゃーすぐに次のお寺に到着です。
靴を履き替え、輪袈裟もつけて大忙し。
その次のお寺は第80番國分寺です。
実はこの四国八十八か所には
「國分寺」が4寺あります。
四国ですから4寺ですね。
阿波の15番、土佐の29番、
伊予の59番とこの讃岐の80番です。
寺号は同じですが、
それぞれの山号が異なるんですね。
ここでは白牛山という
山号がついています。
この4寺は、あの聖武天皇が
諸国に国分寺を建立すると勅願し、
それを受けて740年過ぎに
行基が作ったとされています。
そんな讃岐の國分寺は
空海が生まれる前に作られた話
(空海は774~835)で、
結局空海はこの寺の本尊である
千手観音菩薩を補修して
札所に定めたということなんだそうです。
だったら、そもそも八十八か所は
なぜ決まったのかというと、
実はこれには定説はありません。
煩悩の数であるとか、
米という字からとか、
厄年(男42、女33、子ども13)の
合計とかいろいろ言われているようです。
実際空海がそれを定めたのではない
というわけですねえ。
四国巡礼が本格化してきたのは、
江戸時代ころからだ
と言われています。
まあ、そんな話はこの際
あまりお参りには直接関係ありませんけどね。
我々は一連の流れで、
ろうそくを灯し線香をたいて、
般若心経を唱えるなどの
お参りを済ませていくだけです。
あ、そうそう、ここの太子堂は
ちょっと変わった、
新しい形をしていましたよ。
まあ、あと気になることといえば、
この寺をのちに絵にするときに、
どこを描くかというのが
大きな問題となりますね。
特徴は何なのか、
そして描くのに適している
ものはどこなのか。
それに色がいっぱいあったり、
複雑怪奇な部分は
なかなか選べないしなあ。
お参りをした以外は
そんな場所をいっぱい
きょろきょろと探しておるわけです。
この新しい太子堂を
描こうかとも思ったのですが、
このお寺は奈良時代に
金堂や七重の塔を建てたお寺で、
壮麗な七堂伽藍のあった
「天平の甍」の面影を
濃く残した寺だったそうです。
そんな建物は、天然災害や
人的被害などで崩れ去っていますが、
痕跡は礎石などでしっかりと残っていて、
重要な遺跡となっています。
ですからやはり、
この礎石あたりが
やっぱりこの寺の描きどころですかねえ。
で、こんな角度を選んで
絵にしました。
ここでは、松の描き方、
石の描き方を学びましたね。
石って意外に影をしっかりつけたら、
石っぽくなるんですねえ。
シンプルでなかなか楽しい
お絵かきができました。
ここにはミニ八十八か所結願も
ありましたし、
これが「お願い弁才天」、
これは「願掛け金箔大使」
願うところに金箔を貼るそうです。
そして「えんむすび」もね~。
とまあ、経路上はいろいろと
見ながら80番の國分寺に
お参りしてきました。
さて、逆うち巡礼も80番台が
これで終わりです。
次回からは70番台へと
移っていくことになります。
では、またまたバスに乗り、
次はちょっと離れた
79番天皇寺へと向かいます。
続く