大書院のところどころには、
庭を眺める
出窓のようなものがあります。
ここは裏の発掘地を眺めるところです。
後で行きましょう。
そしてここは何にもない
庭を眺めるように、
縁台が作ってあります。
ああ~ここでゆっくりするのも
いいかもしれませんね。
でもそういうわけにもいかず、
外に出てまいりました。
先ほど室内から見た
裏手に回っていきましょう。
こんな立派な井戸のある広場は、
高台にあるため
なかなか眺めもよろしいようです。
え~っとこれは大体
ささやまマラソンの
コースの方角ですねえ。
ずっとこの庭の奥まで
歩いて行って、ふと振り返りますと、
これが先ほどまでいた
大書院の建物です。
あっ、裏への出口がありますよ。
見に行ってみましょう。
すると、石垣にこんな刻印があります。
「三佐之内」と刻まれているのは、
城築城の普請総奉行をつとめた
「池田三左衛門輝政」の
名を記しているようです。
石に刻まれた刻印には
こんなものがあるようです。
中には団子2兄弟や
バカボンパパのほっぺ、
仁丹のマークのような
ものもありますねえ。
そこからくるっと回っていくと、
本丸跡といわれる場所にある
「青山神社」に出ていきます。
篠山城主青山氏の2代を
祭神として祀っています。
また青山氏は教育にも
熱心で彼らの教育に関する
石碑も建てられています。
おっ、これは面白いですねえ。
大木の根っこに
大きな屋根がつけられています。
たぶんご神木なんでしょう。
古くからこの地に茂っていた木なんでしょう。
ちょっと詳細はわかりません。
この辺りもまた景色がきれいです。
少し離れたところに
「丹波富士」と言われる
高城山が見えています。
それに城の敷地内には
篠山小学校が、で~んと
立派に居座っていますねえ。
では元の位置に戻りましょう。
この辺りは発掘の後で、
いろんな施設の名前が残っています。
うんこ座りをしている
doironのいる場所は「厠」です。
これは「中之御居間」と
書いてありますが、
どういう間なんでしょうかねえ。
こ、これはわかります。
「介護部屋」ですね。
昔のデイサービス場。
え?違う?
そして、そういう場所の隅っこに
こんな石がありました。
そうなんです。
篠山城と岸和田城は
友好記念のお付き合いだそうです。
というのも、この篠山城の
初代藩主だる「松平康重」は
この城の跡、岸和田城へと
移っているそうです。
そうかあ、だから友好記念かあ。
だったら岸和田城にも
こんな石があったりするのかなあ。
今度確かめてみなくてはなりませんね~。
さて城の横のこのグランドは
マラソンのゴールですねえ。
その横へと出てゆきます。
下に降りて来たら、
マンフタがありました。
篠山城と市の花「ささゆり」が刻まれてます。
そうかあ、だから城の中のあちこちに
この百合の花が咲いていたんですねえ。
今回はここまで遠かったから、
これでもうお昼近い時間となりました。
では早速篠山の
おいしいお店を目指しましょう。
といってもねえ、
こんな昼間から屋根から
イノシシがはみ出しているお店で
ボタン鍋もなあ。
だったらここは?
う~ん、鯖寿司もちょっと
今の口に合いませんし、
そばはどこにもあるしなあ。
ということで、
結局一番繁華街に近いところで、
「黒豆うどん」をいただくことにしました。
まだまだこの後も
あちこち回りますので、
ついでにこんな感じで
いただきましたよ。
それにしてもここの
黒豆うどんはおいしかったです。
見た目はそばなんですけどね、
なかなかのものでした。
ミョウガも入ったてんぷらを
塩でいただきながら、
クイ~ッ。
これはもうたまりませんねえ。
そんなおいしい昼食をいただいて、
ゆっくりとお店を出ました。
これから次の名所である
「篠山歴史美術館」を目指しましょう。
続く