ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼七十六番金倉寺

2016年09月22日 21時26分59秒 | ウォーキング

doironも首Dさんも寝ることに関しては、
非常に優れた特質を持っています。

まあ、ほとんど寝れなかったことがない。
寝てしまったら前後不覚五里霧中
になってしまいます(どんなんやねん)。

なので、こういう旅行に来ても、
寝ることに関しては
二人ともぐっすりなのです。

こういうベッドの部屋で熟睡し、



朝は二人ともさわやかに目覚めました。

とはいえ、
こういうお参りの旅は朝が早い。

朝食などもうすべて済ませて、
午前7時半にスタートなので、
ホテル周辺を散歩とか、
新聞読みながらモーニングコーヒー
などという優雅な時間はありません。

まあ、もっとも田園地帯の中ですから、
朝の散歩はさほど
楽しそうでもありませんけどね。

目覚めてすぐにバイキングの
朝食へと向かいます。

ああ~結構昨日食べたからなあ。
高カロリー成分は少なめにするなど、
取りすぎに注意して
ぱたぱたとすませました。

うう~、これも修行です。

準備もさっと済ませてバスへ。

メンバー全員がそろい次第
すぐにスタートです。
幸い天気は台風の影響も
ほとんどなく好天気。

でもdoironはやはり
長靴でお参りだけどね。

田園地帯を出発して、
町の中に入っていくと
今日のお参りのお寺
76番金倉寺に到着です。

ふむ~、金の倉ですよ。
なかなかゴージャスな名前の
お寺ですねえ。



そもそもは、西暦774年に、
この金倉の郷の豪族である
和気道善が開基したお寺だそうです。
あ~ということは
ちょうど空海が生まれた年に
開基しているんですねえ。

その頃は名前をとって
「道善寺」と呼んでいたそうですが、
醍醐天皇の勅願時となり
その時に地名としての
金倉を寺の名前にしたそうです。

さて、さらにこのお寺ですが、
4代前の住職の弟子に、
中務茂兵衛という人がいました。

この人が慶応二年に
四国遍路に出たのをはじめとして、
大正11年まで家に帰らず、
お四国を280度回られたそうです。

まあ、いろいろ事情はあったのでしょうが、
自由にこんなに四国巡りを
できるような立場で、
何を祈願したのかという
そういう興味がわきますねえ。

いやあ、いろんな人がいるものです。

とまあ、そんなことを考えつつ
本堂に行きます。



ろうそくを灯し、線香をあげ、
納札をいれていきます。

あ、このとき注意しないといけないのが、
納札入れと写経入れが
よく似た形で置かれてあること。

しっかり確認して入れていきましょう。

そうそうそういえば首Dさんと、
どこかのお寺に写経をしに
行こうと思ってます。

これまで高野山やで写経も
したことがあります。
般若心経を
書いたらここへもってきて、
奉納すればいいんですねえ。

気候が良くなったら
行こうと思っています。



はい。では、まずはお参りです。
賽銭を入れて・・・

あれ?

あれあれ?

おかしいぞ。

参拝バッグの中に
賽銭用の五円玉財布がありません。

あ、そうかあ、
昨夜補充しとかなきゃと
5円玉を入れ、
それを参拝用のバッグに
入れ忘れているじゃありませんか。

しかたないなあと思って
自分のメインの財布を開けてみると、
ウヒャー、5円玉はないどころか、
100円玉以上しか入っていません。

むむ~、これはこのお寺の
名前にかかわる陰謀ではないかと
あせりつつ、首Dさんに借りようとすると・・・

「ああ、賽銭用の財布忘れたあ」
と騒いで張ります。

いやあ、朝一のお参りだと、
こういうことも起こるんですねえ。

でも決まりごとは
しないといけないしなあ。
すべてのお寺を滞りなく
回っておきたいので、
しかたなく「釣り人疑惑」を
申してた女性に賽銭を借りました。

ああ~助かりました。

こうして周りの人々に
助けをいただきながら
歩いていけばいいんですねえ。

そして無事にお参りを
すますこともできました。

絵は、この寺の看板が
小判に書かれてあったり
千社札が小判の形をしている
こんな景色を描くことにしました。



「金倉寺」という名前にふさわしく
明るく描いてみましたよ。

バスですぐに借りた賽銭の
お金を返して解決。

いやあ、しっかりしないとなあと
言い聞かせながら続きます。