ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼七十八番郷照寺

2016年09月20日 20時53分01秒 | ウォーキング

今日は同窓会ツアーから早く帰ってきたので
頑張ってこれを書いています。

うう~次のツアーも詳細が決まったし
前回分を思い出すのがたいへんだあ。
さて、では七十八番のお寺参りから
再開いたします。

=====

こういうお参りツアーについてくる
旅行社の人も大変そうですねえ。

宿に入ったときに、
それとなく聞いてみると、
こういう泊りのツアーは
少なくても月7~8回あるとのこと。
ヒャー、大変ですねえ。

確かに自分の持っている
荷物なんかも見てみると、
いかにも旅慣れていそうな感じである。

また、お寺についたらついたで、
みんながお参りに行くときに
一人で納経帳や掛軸、
人によっては白衣まで預かって
納経してもらうために納経所へ運んでいく。

雨が降ったら大変だろうて。

あるお寺で納経所の横を通ったら、
その添乗員がドライヤーを
振り回して納経していたのを
乾かしているのを見かけたよ。

汚したらいけないから、
その辺も大変だろう。

そしてまたバスの中では、
乗客の反応を気にしながら
いろいろと案内をしてくれます。

この時も
「え~っと、
みなさんが大変協力してくれたおかげで、
今日のお参りも順調に
こなしてこれましたので
あつくお礼申し上げます。
で、時間的にまだ余裕もありそうなので、
明日の分を今日もう少し
回っておこうと思うのですが
よろしいでしょうか」
と呼びかけもありました。

賽銭のことやらろうそく、
線香のことなどもありますし、
納め札の日にち的なこともあるので
聞いているのでしょう。

でも、まあだいたい客は
そうしてもらうと
明日の帰りが早くなるので
賛成でしょう。

ひょっとしたら来月の分まで回る・・
とはいきませんからね。

で、結局時間的に見て
あと2寺は行けそうですので
全員賛成で前倒しで回ることになりました。

次のお寺は78番郷照寺です。

え~、最近「空海の風景」という
司馬遼太郎の作品を、
ジムでバイク漕ぎながら読んでます。

空海の様子を彼の文書や
手紙などから読み解くものです。

かれが中国にわたり密教を
身につけたこと、
最澄とのやり取りが
こういうことだった
というのが今読んでいるところです。

まあ、つまり空海は
日本で初めて密教を
自分のものとして
帰ってきた人なんですね。

そしてその宗教は「真言宗」として
広まっていきました。
なので、この四国のお寺の宗派も
多くが「真言宗OO派」としています。

しかしながら、
この郷照寺はちょっと違います。
もともとは行基によって
開基されたお寺です。
その後中国から帰ってきた空海が
荒廃していた伽藍を改築し、
「郷照寺」と名付けて
霊場としたということです。

だからまだその頃は、
身につけた真言を唱える
お寺だったのでしょう。

その後、一遍上人が
この寺にとどまって
踊念仏の寺として中興したそうです。

しかしまたその後兵火で焼失しましたが、
建て替えられたときに
一遍上人をしのんで、
彼が開祖となった

「時宗」

のお寺となったわけですねえ。

時宗がどういうものかは
あまり知りません。

何でもかんでも人に聞くことなく
自分で学ぶ、
「自習」する寺・・・
というわけでもなさそうです。

ではdoironはここの何を絵に描くか、
これが問題です。

入口にある「開運大吉地蔵」も
いいかもしれません。



また、本殿の天井に



飾りがつけられてあるのも
捨てがたいですねえ。



お参りをしながら
そんなことも考えていました。

で、結局この寺には
「さぬきの三大ポックリ様」
といわれる石仏がありますので、



それを入れて書くことにしました。
それがこれ。



石仏の顔を描くのがむつかしかったなあ。
それとやはり本堂が
こってりしか描けず
往生しました。

まあ、ここでは自分でも
ぽっくり行けるように
お祈りはしっかりしておきましたよ。

八十八か所のお寺の中で
唯一瀬戸大橋を眺める
ことができるという
景色を眺めながら、



ちょっと暗くなり始めた景色の中、
我々は次の77番道隆寺に
向かうのでありました。

続く


大学同窓会3

2016年09月19日 22時15分13秒 | 最近の出来事

はちゃめちゃ同窓会も終わり
先ほど帰宅しました。

本当は、きょうはまだ友達の家で
一泊予定でさらにはちゃめちゃに
なる予定でしたが
迫りくる台風のおかげで
明日、暴風雨の中を帰らなければ
ならないかもしれないので
残念ながらお開きとなりました。

ああ~しかし
学生時代にハチャメチャした仲間は
還暦を迎えた今、ふたたび
またまたさらにハチャメチャに・・・

近いうちに集まって
騒ごうという話になりました。

今日は渋滞30キロを乗り越えて
大疲れなので
また改めて同窓会の実態を
紹介しましょう~


大学同窓会1

2016年09月17日 22時45分32秒 | 最近の出来事

今、ブログでは
四国詣でを書いているのですが
実は今日から金沢へ、大学の
同窓会で出かけてきています。

高校、中学と同窓会あって
これで今年最後の同窓会です。

おっさんばかりの同窓会なんですが
いやあ、37年ぶりの同窓生は
みんな年を取っていましたな。
明日は気の合った仲間と
能登方面へと向かいます。

あ~、酔った、酔ったあ


四国巡礼七十九番天皇寺

2016年09月16日 21時20分02秒 | ウォーキング

次のお寺は天皇寺です。
天王寺ではありません。
天皇に関するお寺かというと
まったくその通り。

崇徳天皇に関する
お寺なのであります。

81番の白峯寺で
荼毘に付されたとされる
「崇徳上皇」の遺体が
国からの指令が出るまで
安置されたのがこのお寺です。

この寺にはあまり近くに
バス駐車場がありません。
10分ほど歩いていくことになります。

しかしこの八十八カ所のお寺も
大変ですねえ。
バスの駐車場も整備しないと
いけないからねえ。

住宅街の中のお寺なら
こんな風に離れたところに
バス停があったりするんだよねえ。

まあ、もう雨も降ってないから
のんびり歩いていきましょか。



あ、これは予讃線の駅です。



「八十場(やそば)」と言います。

で、この八十場というのが
何のことかといいますと、
崇徳上皇の遺体を浸した
水のわく場所のことを言います。

次の79番天皇寺の近くに
この水場があるそうです。
見れるかなあ、
参拝の途中に近くを通らないかなあ
と期待しつつ歩いていきます。



静かな住宅街を、
巡礼者たちが静かに歩いていきます・・・



が、一人だけ「カポッ、カポッ」と
にぎやかに音を立てて
歩いている人がいます。

うう~doironでした。

長靴がねえ~こんな音を立てるのです。

横を歩いている白い帽子の人に、
にらまれつつ歩いていきます。
後でその女性に聞いたら
「きっと釣りが趣味の人なんやろなあ」
と思ったそうです。

「え~、巨大な石鯛が釣れますように」
とか
「伊勢海老が間違って釣れますように」
なあんていう祈願は起こしませんからね。

こうして一人だけにぎやかに
歩いて進んでいきますと、
正面に鳥居が見えてきました。



立派な三輪鳥居です。



ここが天皇寺です。

お寺の山門ではなく鳥居なのは、
白峰宮とその別当寺として
天皇寺があるからだそうです。

このお寺はまた書きますけど
保元の乱で敗れて
讃岐に流され、
失意のうちに46歳で
崩御された崇徳上皇ゆかりのお寺です。

境内のすぐ西には
今も駅の名前になっている
「八十場」の泉があり、
夏に亡くなった崇徳上皇の遺体は
この水場の水に浸され、
荼毘に付されるまでの20日は
まるで生きているようだった
といわれています。

また、この水場は神話の時代に
悪魚の毒に当たった
八十八人の兵士の命を
助けたといういわれを持ち、
空海はこの地を訪れ
水源のそばの霊木で
三体の尊像を刻んで
堂宇を立てたのが始まりなんだそうです。

だから、絵にかくのも
この鳥居がよさそうですねえ。
写真を数枚とってきたので、
それをもとに絵を描くことにしました。



静かな景色の中に
赤の鳥居は生えますねえ。

鳥居の柱の下の白い部分は
生きている人のためのものだと、
先達さんが説明されていました。

中に入って、
ここでも本堂と太子堂で
お経をあげます。







しかし、この日はとても風が強い。
ろうそくをつけるにしても
線香をつけるにしても
なかなか火が付きません。

みなさん建物の陰で
小さくなって火をつけてはりました。

こんなことを考えたら、
火つけ用のライターは
ガスボンベ風のやつのほうが
いいみたいですねえ。

今度来るときには
そういうライターを
用意しておきましょう。

おっ、ここが崇徳慰霊のための
白峰宮ですねえ。



さあ、ではこの西にあるという
八十場を見に行きましょう、
と思いましたが、
もうお参りを済ませると
先達さんはすぐにバスのほうに
向かっていきます。

え~、いかないの?

と思いましたが、
やはり仕方ないですねえ。

下手に外れて道迷ってもいけませんしねえ。
あきらめてまた「カポッ、カポッ」と
長靴を鳴らしながら帰っていきました。

次は78番郷照寺。
弘法大師空海の札所八十八か所で
唯一の周波である、
一遍上人の「時宗」を宗派とする
お寺である。

当初の予定では、
明日お参りとなるお寺ですが、
交通状況が順調なのと
名所も眺めずにせっせとお参りする
乗客のおかげで
前倒しで行くことになりました。

続く


四国巡礼八十番國分寺

2016年09月15日 21時50分19秒 | ウォーキング

今回の四国詣でから帰ってきて、
きょうで16日が経ちます。

その間、用事や遊びに行く間に
暇を見つけてはずっと
四国のお寺の絵をかいていました。

そして今日、やっと72番の
曼荼羅寺の絵が完成しました。
これで今回のお寺参り分は
終わりです。

11寺を16日。

いやあ、結構いろいろと
考えつつ絵を描いて、
頭も目も疲れました。

でもまあ、週末からの
同窓会ツアーには
間に合ってよかったです。

四国詣では結構費用も掛かりますが、
一回のお参りでこれだけ遊べたら
まあ良しとしましょう。

さてブログのほうですが、
81番の白峯寺まで書きました。
ここからの続きですね。

バスに乗って、山間部の村々を
眺めつつ行くと、





ありゃーすぐに次のお寺に到着です。



靴を履き替え、輪袈裟もつけて大忙し。
その次のお寺は第80番國分寺です。

実はこの四国八十八か所には
「國分寺」が4寺あります。
四国ですから4寺ですね。

阿波の15番、土佐の29番、
伊予の59番とこの讃岐の80番です。

寺号は同じですが、
それぞれの山号が異なるんですね。

ここでは白牛山という
山号がついています。

この4寺は、あの聖武天皇が
諸国に国分寺を建立すると勅願し、
それを受けて740年過ぎに
行基が作ったとされています。

そんな讃岐の國分寺は
空海が生まれる前に作られた話
(空海は774~835)で、
結局空海はこの寺の本尊である
千手観音菩薩を補修して
札所に定めたということなんだそうです。

だったら、そもそも八十八か所は
なぜ決まったのかというと、
実はこれには定説はありません。

煩悩の数であるとか、
米という字からとか、
厄年(男42、女33、子ども13)の
合計とかいろいろ言われているようです。

実際空海がそれを定めたのではない
というわけですねえ。

四国巡礼が本格化してきたのは、
江戸時代ころからだ
と言われています。

まあ、そんな話はこの際
あまりお参りには直接関係ありませんけどね。

我々は一連の流れで、
ろうそくを灯し線香をたいて、



般若心経を唱えるなどの
お参りを済ませていくだけです。

あ、そうそう、ここの太子堂は
ちょっと変わった、
新しい形をしていましたよ。



まあ、あと気になることといえば、
この寺をのちに絵にするときに、
どこを描くかというのが
大きな問題となりますね。

特徴は何なのか、
そして描くのに適している
ものはどこなのか。

それに色がいっぱいあったり、
複雑怪奇な部分は
なかなか選べないしなあ。

お参りをした以外は
そんな場所をいっぱい
きょろきょろと探しておるわけです。

この新しい太子堂を
描こうかとも思ったのですが、
このお寺は奈良時代に
金堂や七重の塔を建てたお寺で、
壮麗な七堂伽藍のあった
「天平の甍」の面影を
濃く残した寺だったそうです。

そんな建物は、天然災害や
人的被害などで崩れ去っていますが、
痕跡は礎石などでしっかりと残っていて、
重要な遺跡となっています。

ですからやはり、
この礎石あたりが
やっぱりこの寺の描きどころですかねえ。

で、こんな角度を選んで
絵にしました。



ここでは、松の描き方、
石の描き方を学びましたね。

石って意外に影をしっかりつけたら、
石っぽくなるんですねえ。
シンプルでなかなか楽しい
お絵かきができました。

ここにはミニ八十八か所結願も
ありましたし、



これが「お願い弁才天」、



これは「願掛け金箔大使」



願うところに金箔を貼るそうです。

そして「えんむすび」もね~。



とまあ、経路上はいろいろと
見ながら80番の國分寺に
お参りしてきました。

さて、逆うち巡礼も80番台が
これで終わりです。
次回からは70番台へと
移っていくことになります。

では、またまたバスに乗り、
次はちょっと離れた
79番天皇寺へと向かいます。

続く


四国巡礼八十一番白峯寺

2016年09月14日 21時04分26秒 | ウォーキング

この一寺お参りが終わるころには、
雨もすっかり上がるどころか、
時折薄日もさしてくる始末。

気温もぐんぐん上がってきます。

この先長靴でブカブカ音を
立てながらお寺を歩き回るのも
不細工ですが、
ほかの靴は持ってなかったので
仕方がありません。



これもまたお参りの一つです。

他人にどう思われようが自分は自分。
しっかりとお参りしていきましょう。

でもまあバスの中では、
輪袈裟を外し
長靴をスリッパみたいな
草履に履き替えますけどね。

次のお寺は、第81番白峯寺です。

先ほどのお寺は5色台の
青峰にありましたが、
今回の白峯寺は、「白峰」にあります。
文字通りですねえ。

空海がこの白峰に
堂宇を建立したのが
この寺の始まりとされています。

その後、
この寺がよく知られるようになったのが、
智証大使が瀬戸内海の霊木で
掘った千手観世音を本尊としています。

うひゃー、大津川の霊木で
千足観世音を作らなきゃ

バスで白峰を登っていきますと、
途中に右手に、二基の
十三重の石塔があります。

これが、保元の乱で敗れ
この地にやってきて、
その後、都に帰ることなく
この白峰山で荼毘に付された
崇徳上皇の供養碑です。

この天皇に関するお寺は
この後にも出てきますが、
ここはその終末の地ということで、
こんな石塔がたてられているようです。

写真に撮りたかったけどね~。
バスの止まったのは
その少し先なので
近寄ることができませんでした。

まあ、こういう目はこうしてツアーで
行動しているとこれから先も
よくあるでしょうねえ。
我慢しなければ、他の乗客に
迷惑をかけてしまいます。

でも、バスの止まったところには
こういう道の案内板がありました。



この道は「西行の道」と言われています。
入口からこの出口までの間に
崇徳上皇の悲しみをうたった、
いろんな人の歌で
飾られているようです。

上からちらっと撮影しただけでも、



なんとなく言われ深そうな道に
見えましたね。

で、お寺に近づいていきますと、
屋根の5つある変わった山門が現れます。

これがこの寺の名物ということなので、
ここはこれを絵にしてみました。



古い瓦屋根が段々になった
高麗門形式の山門でした。
この絵を描くことで、
今回は屋根瓦の描き方を勉強しましたね。

でもなかなか絵は思うようになりませんね。

それに例えば、色の作り方、
平面の塗り方、緑のイキイキ感、
絵の略し方なんかも、
これから先もっと勉強しないと
いけませんねえ。

お寺に入っていく人の絵は、
あの背中に「南無大師遍照混合」の
白衣があるので助かります。

お寺参りは八十八カ所。
僕の写真詣でも八十八枚。
いやあ、いろんな形式の
詣でもあるもんですなあ。

本堂、太子堂でここでも
しっかりとお参りして、



いよいよお寺は八十番の
国分寺へと移っていきます。

今回もまだ二つ目のお寺ですが、
もうなんかすでに
お参り時の心の在り方が
変わってきているような気がします。

ブログを書くための観察、
絵を描くための種々検討とともに、
本堂、太子堂のお参り時には、
自然と穏やかに祈っている
という感じがしてきました。

納め札の裏に書いてある
祈願事項が無心の中に
湧き上がってくるようです。
そこにその時々のお参りごとを加えて
作法をつなげていきます。

慣れたといえば
そうなのかもしれませんが、
まあこれが数多くのお参りの
いいところなのかもしれません。

政治と宗教が重なって
様々な思いがこの寺にはこもっています。
勅額門の前のケヤキの高木は
「玉章木(たまずきのき)」
と言われています。

現在は2代目の木らしいですが、
この神社にある様々な思惑を
眺めて大きくなった木なんだそうです。

続く


四国巡礼八十二番根香寺

2016年09月13日 21時05分25秒 | ウォーキング

今回の四国巡礼バスは、
日程の都合で
なんば発ではなく天王寺の
「てんしば」八時集合で出発する
ツアーを首Dさんがとってくれました。

早朝から出かけます。

恰好は大変で、長靴はいて
ウインドブレーカーを着、
掛け軸はビニール袋に入れ、
バッグをお参り用と宿泊用の
2つを持ち、満員電車で
八時に間に合うように
天王寺に向かいます。

これがねえ、もう大変。
たくさんの荷物が
通勤者たちの隙間をうごめきます。

うむ~、もうこの時点で
お参りが始まっているでは
あ~りませんか。

時間通りに待ち合わせた
首Dさんと席表を見てバスに乗り込むと、
あれっ?空いてます。

1回目のツアーはほぼ満車。
2回目は1台で足りずに
バスが2台出たくらい
だったのですが、
今回は、な、なんと席は
2席に一人で、総勢20名の参加で、
バスはめちゃ楽ちんでした。

台風でキャンセル出たのかなあ。

で、降りしきる雨の中、
バスは予定通りに
スタートとなりました。

今回は高松まで一直線で向かうので、
これまでの淡路島経由ではなく
瀬戸大橋かなあと思ったら、
やはり淡路経由でしたね。

こっちのほうがすいているのかなあ。

今回の客は、男5人にたいして
女性が15人。

女性は高齢者の友達同士、
単身参加が多いようです。

明石海峡大橋を渡り、



ここでトイレ休憩。



あ、この日の先達さんは
初めての男性でした。



淡路島ではまだまだ大雨で、
よしよし長靴を履いてきたのは
大正解だったと思っていたのですが、
四国に入ったころから
雨は小降りになり、
一番最初の昼食に入ったころには
雨も上がっているようでした。



その昼食がこれ。



ふむ~、まあツアーの参加費用を
考えたらこんなものでしょう。



ただ、うどんがつくかと思ったら、
冷たいソーメンだったのには
ちょっとがっかりしましたね。

食事の時には先達さんより、
「食事作法(じきじさほう)」を
教えていただきます。

合掌しながら食事前に偈を唱えます。

「一滴の水にも、天地の恵みを感じ、
一粒の米にも万民の労苦を思い、
ありがたく頂きます」。

ふむふむ、ここまで詣での
決まりごとがあるのですねえ。
いやあ、ありがたいことです。

では、エイに行った時にも
食事作法しましょう。

「一滴のビールにもアルコールの喜びを感じ、
一粒の米にも年金の大切さを思い、
ありがたく頂きます」ってね。

いやあ、罰当たりですかねえ。

食が終わって、店内を眺めていると、



こんな魚が水槽にいました・・・



ナポレオンフィッシュですよねえ。
水族館以外で見るのは
初めてかもしれません。

さあ、それでは今回の最初のお寺である、
第八十二番青峰山根香寺に向かいましょう。

高松には5色台
(紅、黄、青、白、黒の山があることからついた名)
が有り、お寺はその青峰にあるので、
こういう山号となっている。





ふつう「ねごろ」は「根来」と
書くことが多いのですが、
ここは本尊を刻んだ木の香りが高く、
こういう名前(根香)の寺号に
なっているそうです。

ここには昔「牛鬼」という怪物が住み、



村人を襲っていましたが、
或る弓の名人がそれを
射抜いてやっつけ、
その角をいまもお寺に奉納してあり、
いまも牛鬼の絵とともに
納められているそうです。

この寺にはまた、3万体以上の
観世音小像がびっしりと並んでいる
観音堂があります。



じつはお寺を参る前には
このお寺を、参拝後絵にするために
だいたい見どころを決めて
入っていきます。

ここではこの観世音小像を
見どころにしてやってきたわけで、
確かにすごい景色でした。

あまりに小像が多すぎて、
これを絵にかくのは大変だぞ、
なんとかうまくごまかして
描かねばなどと思いながら、
うろうろしていた次第です。
帰宅後、頑張って書いた絵がこれです。



あ、ちょっと名前を入れて
細工してあります。
ネット上ではこれからこうします。
えらいすんません。

四国では自分のお参りのほか、
友達のその時その時の祈願や
後のお絵かきやブログのことを
考えて寺内をしっくり、
そしてきょろきょろ散策する
doironなのでした。

四国詣では続きます。


四国巡礼 3回目に出発

2016年09月12日 21時05分16秒 | 最近の出来事

この春から、1年をかけて
四国の八十八か所を
逆の順番で回るという

「逆うち巡礼」に参加している。

この詣でも、8月でいよいよ三回目を迎えた。

これまでは日帰りで四国へと通いつつ、
八十八番札所から八十三番札所までの
6寺を回ってきたが、
今回から四国詣でも1泊2日で
出かけることになるのだ。

しかも今回はまだ大阪の近くだし、
お寺同士も近接している
ということもあって、
豪勢にも11寺も回る計画になっている。

なので初めての泊り、
豪勢なお寺回りということで
準備がいろいろとあった。

まず最初は、巡礼初めに、
旅行者がくれたろうそく、
線香がぼちぼちと品切れになってきているので、
これを準備しないといけない。

ろうそくは心に灯す智恵で、
線香は仏様を香でもてなすものとして、
必ず各寺で本堂用とお大師用の
2セット必要となるのである。

で、ちょっと考えてみると、
我が家には、両親計4人の葬儀が
この2年間にあったため、
いただいたものやら
こちらで購入したものやらで、
かなりの量のろうそくや線香がある。

これを利用して供養につなげよう
ということを考えたのだが、
まてまて、もしかしたら
四国詣でに使うろうそくや
選考にはサイズ、香りなど
指定のものがあるかもしれないので
確認しておく必要があるだろう。

で、ネットを見てみると、
参拝者の記述やお寺の写真なんかからも
どうもそういうものはない様である。

ろうそくはあのろうそく立てに
入れば問題なさそうだし、
線香も普通に香れば問題ないようである。

それだったら、ろうそくは
超大量に仏壇の中に眠っているので
それを使うことにした。

線香も、いろんな色の線香が
上がっているようで、
これもまああるものでいいだろう。

仏・法・僧のための3本さえ
挙げていればよさそうである。

まあ、香を焚けば燃えカスに
仏さんが浮かび上がってくる
というような効果な物は
ここではよくないかもしれないね。

普通の線香もかなり我が家にあるので、
それを使うことにすれば
わざわざ今の時点で
買いに行くほどのことはなさそうである。

賽銭はもちろんこの前解体した
ばあちゃんの5円玉兜があるので、
これもわざわざ両替する必要はない。

もしこういう5円玉がなかったら、
銀行へ両替しに行く必要があるだろうな。
単純に考えれば、11寺だと、
doironの賽銭あげ方だと5円玉が
44枚必要となるもんね。

なかなかそこまでひと月で
ためてられないだろう。

お参り時に必要なのは、
あと「納め札」である。

11寺ということで22枚を用意し、
2枚ほど接待お返し用に
名前、住所、祈願を描いて
用意しておくのだ。

あ、そうそう、ほかにも
忘れちゃいけないのが
「同行二人」と書かれたバッグと
白衣と輪袈裟も入れないといけないね。

あと、お参りに必応なものは・・・

あ、念珠とお経の本もね。

ああ、これでいいだろう、
と思っていたら危うくライターを
忘れるところでした。

一覧表を用意しておかないと
いけないかなあ。

もちろん、納経用の掛け軸と
納経帳も絶対必要だしね。

あ、そうそう今回から友達が
納経帳を収める袋を作ったくれました。

これ。



なかなか便利ですし、
納経帳を大切に保管できて
中のページもしっかり保たれていいですねえ。

ありがとうございました。

掛け軸もいただいた袋があるのですが
雨のため、今回はきっちりビニール袋に
収納して持ち運びます。

で、あとは一泊の用意なんですが、
今回はこれがまた大変。

台風が近づいているので
それなりの準備が必要です。

お参り時の靴は「長靴」にしました。
濡れた靴でバスに乗るのも大変だしね。

履き替えようの草履も
入れておきましょう。

傘はもちろん折り畳みじゃあきませんね。

頑丈そうな1本傘を
持っていくことにしました。

準備だけで1話使ってすみません。

続く。


台風はやがて・・・

2016年09月11日 20時08分52秒 | 自然

今年もなんだか台風が
たいへんですねえ。

義理のかあさんは
なくなる前の正月に
占いによると
「今年の八月は水害が大変」
というようなことを言ってました。
そしてまた
「11月も災害が起きるよ」
なんてことを言ってました。
たしかに、8月には台風による
水害が各地で起こりましたねえ。

なんか今年は日本近海の
海水温が高く
日本近辺で多くの台風が
発生し、それが日本に次々と
やってきました。

たくさんの土砂災害や
水害を残して台風たちは
日本の先で消滅していきます。

前回の台風は南の太平洋で
「温帯低気圧」に変わりました。

四国に行ってた頃の台風は
日本海で「熱帯低気圧」に代わり
落ち着きを見せました。

そう、ではこの「OO低気圧」って
どんなものでしょう
というのが今日のテーマです。

この低気圧、頭につく気候帯で
全く違ったものになっているのです。

まず、熱帯低気圧はというと
これは蒸発する水蒸気が
上昇気流を起こし
気圧が低くなるというもので
いわば、まあ台風のようなものです。
風力が「7」以下、最大風速が
17.1m/s以下のものを
熱帯低気圧と呼ぶわけですねえ。
台風の勢力が弱くなったものですね。

そして「温帯低気圧」とは
これは「熱帯・・」と全く違って
暖かい空気と冷たい空気が
混じり合って上昇気流が
おこるというもので
台風や熱帯低気圧とは
構造が異なります。

今年の台風のように
なぜ井戸の高い地域に移動していって
「熱帯・・」のなったのと
南の空で「温帯・・」になったというのは
なんか違和感を感じますよねえ。
それはそんな空気の流れの
違いによって起こったというこういう
わけであるわけですねえ。

ちなみに「亜寒帯低圧帯」というのもあります。
北緯60度、南緯60度あたりに
周りより気圧の低くなった地域を表します。

この低気圧の空気の流れの状況は
「温帯・・」と同じようなものです。
日本では北海道で
寒冷帯湿潤気候を呼び起こすものですねえ。

まあ日本に近づく台風は
こういう感じで収まっていくわけですねえ。
ニュースを見ながら
ちょっとそんなことを
書いてみたくなったのでした。

でもこの台風のおかげで
今年は祭りの提灯付けが
遅くなってしまいましたが



この週末にようやく落ち着きました。



でもまた新たな台風も
発生している状況ですね。

また、付けた提灯を
慌てて下す日がくるかなあ。
まあ、それは仕方ないにしても
岸和田まつり、泉州の祭り本番が
無事に終わってほしいですね~