山田方谷が活躍した備中松山藩は小藩でありながら要衝の地にあり、難攻不落の山城として有名です。天守が現存する最高所の山城でだそうです。
ほんと、昔の方々は機械も道具も限られている中で、どうしてどうやったらこんな構造物ができるのか。全く不思議です。しかも400年以上の自然災害に耐えてきた。
とはいっても、江戸時代は平和な時代。幕末城主であった板倉勝静公は2回ほど登城しただけではないだろうかと言われています。普段は城番の方が数名いただけだそうです。今でも車で中腹まで行けるにも関わらずヒーヒー言いながら登る備中松山城。当時城下からここに登ってくるのは、さぞさぞたいへんだったでしょうね。
山田方谷と言えば10万両の借財を7年で10万両の蓄財にしたことで有名ですが、私が惹きつけられたのはそこではなく、人物としての山田方谷でした。明日は少しばかりその辺を書いてみたいと思います。
ではまた。
おさむ
北澤工務店ホームページhttps://www.e-kitazawa.com/
ほんと、昔の方々は機械も道具も限られている中で、どうしてどうやったらこんな構造物ができるのか。全く不思議です。しかも400年以上の自然災害に耐えてきた。
とはいっても、江戸時代は平和な時代。幕末城主であった板倉勝静公は2回ほど登城しただけではないだろうかと言われています。普段は城番の方が数名いただけだそうです。今でも車で中腹まで行けるにも関わらずヒーヒー言いながら登る備中松山城。当時城下からここに登ってくるのは、さぞさぞたいへんだったでしょうね。
山田方谷と言えば10万両の借財を7年で10万両の蓄財にしたことで有名ですが、私が惹きつけられたのはそこではなく、人物としての山田方谷でした。明日は少しばかりその辺を書いてみたいと思います。
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