ずっと以前,当blogで《ゴルフ場が好きだ》というヘンテコリンな話題を突然切り出したことがあったが,その話の続きはもう止めることにする(何を今更,って?) とりあえずは前々回のエントリーに格好だけは繋げられたことで自分的には諒としたい,な~んて勝手なこと思っとります。その代わり,と申しては何だが,ここでは地形的起伏la terre onduleなるものに関連して《扇状地》のことを少しだけ述べてみたい。
我が国においては,一般に,高山の山麓地域には扇状地が発達する。私どもが居住する当盆地の地形性状も,北側一帯に標高1,000mを超える丹沢山塊が屏風のように連なっているものだから,その山々から流出するいくつもの河川によって山麓一帯には複合扇状地が形成されている。
それらの扇状地は,いわゆるサトヤマ・サイクリストwたる私にとって日々の主たる走行フィールドなのである。もちろん私とて田舎自転車人のハシクレゆえ,あるときには峠を目指したり,林道を踏破したり,川沿いの道を遡行したり,野山を散策したり,あるいは町から町へと街道筋を辿ったり,社寺仏閣を巡ったり,市街地の路地裏を迷路のように通り抜けたりしているのだけれども,そういった,いわば「合目的性の走り」とは別のものとして,扇状地という地形の表面をなぞるように自転車で走ること,自転車というメカニカル・ヴィークルを介してその地形的起伏を我が身に感じること,そのこと自体がささやかな,しかし私にとってはこのうえない喜びとなっているのだ。
ところで,そもそも扇状地とは何か。手っ取り早くインターネットに頼ってみますると,例えば『Wikipedia』には次のように記載されている。
扇状地(せんじょうち,英: alluvial fan)とは、河川が山地から平野や盆地に移る所などに見られる、土砂などが山側を頂点として扇状に堆積した地形のこと。扇子の形と似ていることからこの名がある。扇状地の頂点を扇頂,末端を扇端,中央部を扇央という。
簡潔明瞭な説明文である。記述がいささか味気ないけれど,それがWikipediaの基本方針なのだろう。ただし,簡潔を旨とするゆえか言葉不足で正確さに欠けるところがあるのは残念だ。この文からは地形学的にいう山麓緩斜面Pedimentとの区分が明らかでないし,何よりも地形とは地史,すなわち大地の歴史であることが読み取れない。
ショーガナイので書架から本を何冊か引っ張り出してきて,まずは『地形学事典』(二宮書店,1981年)のページをめくってみると,そこには次のように書かれている。
河川によって形成された,谷口を頂点とし平地に向かって扇状に開く半円錐形の砂礫堆積地形。沖積扇状地ともいわれるが,これは河川の側刻による薄い砂礫を載せる岩石扇状地と区別する際に称される。沖積には時代の概念は含まれない。扇状地のうち傾斜の大なるものを沖積堆,小なるものを沖積扇と称することがある。扇状地の傾斜は,河流の水量と運搬砂礫の粒径に左右され,一般に大河川の扇状地の傾斜は緩やかで,粒径が小なる場合にも傾斜は小さい。 (中略) 扇状地の傾斜は扇頂が急で扇端に向かって緩くなり上に凹の傾斜を示す。扇端は比較的明瞭に自然堤防帯に変換するが,これは河川堆積物の礫から砂への粒径変化が不連続であり,扇状地が礫から構成されるためである。 (中略) 扇状地は断層や曲隆などの地殻変動を受けた山地の周縁につくられる地形であり,扇状地が形成されるための地形地質条件としては,上流山地側に浸食されやすい岩石・地層があり,地形的には急斜面をなすこと,下流の堆積地域は河川が自由に流路を広げたり移動したりできるほど広いこと,砂礫が排除されたり水面下に没してしまう地形でないことが必要である。
まことに精確無比な記載だと思う。文章がやや生硬であるのは否めないが,それとて熟読玩味に値すると思えばさほど苦にもならないだろう。用語の定義付けとはこうでなくではならない。
次に別の類書,『地理学事典』(二宮書店,1989年)から引用してみると,こんな感じだ。
河川によって形成された谷の出口を頂点とする半円錐形の砂礫の堆積地形。 (中略) 扇状地は自然の河川の出水によって形成されたものである。河谷を流れる河川は,両側を谷壁に限られるので,出水時には大きな水深を保ち,その運搬力が大きいが,河谷を離れると周囲に氾濫して,急速に水深を減ずるので,運搬力は急激に減少し,粗大な砂礫を堆積して,自然堤防をつくる。その結果,引き続く出水の際には,河川はより勾配の大きな方向に流路を転ずるので,出水のたびに河道は谷口を中心として放射状に変動する。河道に沿って堆積した自然堤防は,河道の変遷が繰り返される間に重なり合って,ついには谷口を頂点とする半円錐状の堆積地形が形成される。これが扇状地である。
あれれ,これは少々いただけない。記述がマダルッコシイ,というか,かなりの悪文ではアルマイカ。たとえ学問的な知見が同等であっても表現手法が異なれば成果品に明らかな差が生じるという事例だろう(言い過ぎか?)
口直しにもう1冊だけ引用しておこう。『陸水学事典』(講談社,2006年)には次のように書かれている。
谷の出口を頂点として,その下方の平地に向かって広がった扇状の半円錐形の堆積地形をいう。とくに沖積作用によって形成されたことを強調するために沖積扇状地ということが多い。谷の出口を扇頂,中央部を扇央,末端を扇端といい,その順に勾配は緩くなり,堆積物の粒径は小さくなる。扇状地を流れる河川は,浸透性の高い扇央を流れる間に伏流して流量が減少し,礫群を堆積させることが多く,また豪雨の降りやすい谷では,土石流が流出して扇面上に局地的な盛り上がりをもった土石流堆積域が出現しやすい。扇端には湧水がみられることが多い。
これはこれで大変スッキリまとまった記載である。出版年が新しいだけあって過去の反省を踏まえているのかナ。Wikipediaの著者もこの程度は書いて欲しいものです。
はいはい,閑話休題。引用作業はソレナリニ疲れるのでホドホドにしておいて,と。
私の場合,扇状地を走るのは先にも述べたように毎度お馴染みの自転車なのだが,本来ならばランニングの方がもっと気持ちよく地形を「直に」体感できるのではないかと思う。ただ,あいにく当方に搭載されているエンジン(心肺器官)はすこぶる非力であるがゆえ「駈けっこ」は昔から大の苦手とするところだ。思い起こせば中学二年生のとき校内マラソンで男子250名中192位で完走したというのがワタクシの長距離走における唯一の記録である。といって,扇状地の地形的スケールを的確に把握するという点では,ウォーキングによるスピードではマダルッコシク物足りない。よって,自転車走行となるのであります。
野道,畦道,細道,荒蕪地などのダートコースも含まれるゆえ,当然ながらマウンテンバイクが選択される。というか,私の場合ほとんど「道路」にはこだわらない。あくまで地形の表層をなぞるように辿ることが第一なのであって,ときには道なき道を突き進んだり,はては農家の裏庭に迷い込んだりと,まったくの行き当たりばったりなのです。この点,国道○号だとか県道△号だとかの立派な舗装道路を日々律儀になぞっておられる巷間賑々しくも格好いいローディ諸氏とは大違いである。まぁ,所詮はバラモンとシュードラなんですけどネ。
今の季節,MTBで扇状地を走り回るその気分は,そうさな,さしずめ与謝蕪村の次の句なんぞがピッタリする。
蛇を切って 渡る谷路の 若葉かな
《平成の蕪村》って,オマエはそんなに勇ましくも格好良くも,ましてや詩的でも知的でもないダロウガ!などという尤もなツッコミは甘んじて受けましょう。さはさりながら,空の青,山には青葉,野に青菜。 自然という瞠目すべきグランドデザインを背景に,扇状地を縦横無尽に自転車で走行する身体感覚,柔らかな風を切る心地よいスピード感,生が息づく新緑の匂い,そして大地の微妙な勾配負荷感。ああ,デコボコ人生にとりあえずは乾杯!なんてね。 (...続く)
我が国においては,一般に,高山の山麓地域には扇状地が発達する。私どもが居住する当盆地の地形性状も,北側一帯に標高1,000mを超える丹沢山塊が屏風のように連なっているものだから,その山々から流出するいくつもの河川によって山麓一帯には複合扇状地が形成されている。
それらの扇状地は,いわゆるサトヤマ・サイクリストwたる私にとって日々の主たる走行フィールドなのである。もちろん私とて田舎自転車人のハシクレゆえ,あるときには峠を目指したり,林道を踏破したり,川沿いの道を遡行したり,野山を散策したり,あるいは町から町へと街道筋を辿ったり,社寺仏閣を巡ったり,市街地の路地裏を迷路のように通り抜けたりしているのだけれども,そういった,いわば「合目的性の走り」とは別のものとして,扇状地という地形の表面をなぞるように自転車で走ること,自転車というメカニカル・ヴィークルを介してその地形的起伏を我が身に感じること,そのこと自体がささやかな,しかし私にとってはこのうえない喜びとなっているのだ。
ところで,そもそも扇状地とは何か。手っ取り早くインターネットに頼ってみますると,例えば『Wikipedia』には次のように記載されている。
扇状地(せんじょうち,英: alluvial fan)とは、河川が山地から平野や盆地に移る所などに見られる、土砂などが山側を頂点として扇状に堆積した地形のこと。扇子の形と似ていることからこの名がある。扇状地の頂点を扇頂,末端を扇端,中央部を扇央という。
簡潔明瞭な説明文である。記述がいささか味気ないけれど,それがWikipediaの基本方針なのだろう。ただし,簡潔を旨とするゆえか言葉不足で正確さに欠けるところがあるのは残念だ。この文からは地形学的にいう山麓緩斜面Pedimentとの区分が明らかでないし,何よりも地形とは地史,すなわち大地の歴史であることが読み取れない。
ショーガナイので書架から本を何冊か引っ張り出してきて,まずは『地形学事典』(二宮書店,1981年)のページをめくってみると,そこには次のように書かれている。
河川によって形成された,谷口を頂点とし平地に向かって扇状に開く半円錐形の砂礫堆積地形。沖積扇状地ともいわれるが,これは河川の側刻による薄い砂礫を載せる岩石扇状地と区別する際に称される。沖積には時代の概念は含まれない。扇状地のうち傾斜の大なるものを沖積堆,小なるものを沖積扇と称することがある。扇状地の傾斜は,河流の水量と運搬砂礫の粒径に左右され,一般に大河川の扇状地の傾斜は緩やかで,粒径が小なる場合にも傾斜は小さい。 (中略) 扇状地の傾斜は扇頂が急で扇端に向かって緩くなり上に凹の傾斜を示す。扇端は比較的明瞭に自然堤防帯に変換するが,これは河川堆積物の礫から砂への粒径変化が不連続であり,扇状地が礫から構成されるためである。 (中略) 扇状地は断層や曲隆などの地殻変動を受けた山地の周縁につくられる地形であり,扇状地が形成されるための地形地質条件としては,上流山地側に浸食されやすい岩石・地層があり,地形的には急斜面をなすこと,下流の堆積地域は河川が自由に流路を広げたり移動したりできるほど広いこと,砂礫が排除されたり水面下に没してしまう地形でないことが必要である。
まことに精確無比な記載だと思う。文章がやや生硬であるのは否めないが,それとて熟読玩味に値すると思えばさほど苦にもならないだろう。用語の定義付けとはこうでなくではならない。
次に別の類書,『地理学事典』(二宮書店,1989年)から引用してみると,こんな感じだ。
河川によって形成された谷の出口を頂点とする半円錐形の砂礫の堆積地形。 (中略) 扇状地は自然の河川の出水によって形成されたものである。河谷を流れる河川は,両側を谷壁に限られるので,出水時には大きな水深を保ち,その運搬力が大きいが,河谷を離れると周囲に氾濫して,急速に水深を減ずるので,運搬力は急激に減少し,粗大な砂礫を堆積して,自然堤防をつくる。その結果,引き続く出水の際には,河川はより勾配の大きな方向に流路を転ずるので,出水のたびに河道は谷口を中心として放射状に変動する。河道に沿って堆積した自然堤防は,河道の変遷が繰り返される間に重なり合って,ついには谷口を頂点とする半円錐状の堆積地形が形成される。これが扇状地である。
あれれ,これは少々いただけない。記述がマダルッコシイ,というか,かなりの悪文ではアルマイカ。たとえ学問的な知見が同等であっても表現手法が異なれば成果品に明らかな差が生じるという事例だろう(言い過ぎか?)
口直しにもう1冊だけ引用しておこう。『陸水学事典』(講談社,2006年)には次のように書かれている。
谷の出口を頂点として,その下方の平地に向かって広がった扇状の半円錐形の堆積地形をいう。とくに沖積作用によって形成されたことを強調するために沖積扇状地ということが多い。谷の出口を扇頂,中央部を扇央,末端を扇端といい,その順に勾配は緩くなり,堆積物の粒径は小さくなる。扇状地を流れる河川は,浸透性の高い扇央を流れる間に伏流して流量が減少し,礫群を堆積させることが多く,また豪雨の降りやすい谷では,土石流が流出して扇面上に局地的な盛り上がりをもった土石流堆積域が出現しやすい。扇端には湧水がみられることが多い。
これはこれで大変スッキリまとまった記載である。出版年が新しいだけあって過去の反省を踏まえているのかナ。Wikipediaの著者もこの程度は書いて欲しいものです。
はいはい,閑話休題。引用作業はソレナリニ疲れるのでホドホドにしておいて,と。
私の場合,扇状地を走るのは先にも述べたように毎度お馴染みの自転車なのだが,本来ならばランニングの方がもっと気持ちよく地形を「直に」体感できるのではないかと思う。ただ,あいにく当方に搭載されているエンジン(心肺器官)はすこぶる非力であるがゆえ「駈けっこ」は昔から大の苦手とするところだ。思い起こせば中学二年生のとき校内マラソンで男子250名中192位で完走したというのがワタクシの長距離走における唯一の記録である。といって,扇状地の地形的スケールを的確に把握するという点では,ウォーキングによるスピードではマダルッコシク物足りない。よって,自転車走行となるのであります。
野道,畦道,細道,荒蕪地などのダートコースも含まれるゆえ,当然ながらマウンテンバイクが選択される。というか,私の場合ほとんど「道路」にはこだわらない。あくまで地形の表層をなぞるように辿ることが第一なのであって,ときには道なき道を突き進んだり,はては農家の裏庭に迷い込んだりと,まったくの行き当たりばったりなのです。この点,国道○号だとか県道△号だとかの立派な舗装道路を日々律儀になぞっておられる巷間賑々しくも格好いいローディ諸氏とは大違いである。まぁ,所詮はバラモンとシュードラなんですけどネ。
今の季節,MTBで扇状地を走り回るその気分は,そうさな,さしずめ与謝蕪村の次の句なんぞがピッタリする。
蛇を切って 渡る谷路の 若葉かな
《平成の蕪村》って,オマエはそんなに勇ましくも格好良くも,ましてや詩的でも知的でもないダロウガ!などという尤もなツッコミは甘んじて受けましょう。さはさりながら,空の青,山には青葉,野に青菜。 自然という瞠目すべきグランドデザインを背景に,扇状地を縦横無尽に自転車で走行する身体感覚,柔らかな風を切る心地よいスピード感,生が息づく新緑の匂い,そして大地の微妙な勾配負荷感。ああ,デコボコ人生にとりあえずは乾杯!なんてね。 (...続く)