ミー太の月命日

2018年06月14日 | 日々のアブク
 昨日はミー太の「月命日」だった。今年の春先,3月13日の夕つ方,我が家族の大切な一員たるミー太(9才,男)は突然に,実にアッケナク死んでしまった。それ以来,早や三ヶ月が過ぎたことになる。 ク・ル・タン・パッス・ヴィット!

 その日,真夜中の2時頃,ミー太は急にゲッコをして苦しみはじめ,咆えるように唸るように,喉から擦れ声を絞り出して鳴きつづけた。ヨロヨロしながら室内を動きまわるのだが,何だか後ろ足の動きが不自由になってしまったようで,マトモニ歩くことすらできない様子だ。これはタダゴトデハナイ!と,妻も私もただただオロオロするばかり。それでも,急ぎネットで検索して,平塚にあるという『夜間救急動物医療センター』に電話してこちらの事情を説明し,それからすぐさま,苦しむミー太を無理やり車に乗せて県道62号をダッシュで走り,病院へと駆けつけた。さいわい他の急患はいなかったので,すぐに診療,検査をおこなっていただき,とりあえずは朝まで点滴,一時入院ということになり,いったん二人とも家に戻った。その後はお互い言葉を交わすこともなく,そのまま一睡もせず身じろぎもせず,ただただ時間だけは徒に過ぎてゆき,やがて寒々とした夜が明けた。その救急センターは夜間のみの開院なので,朝7時にミー太を引き取りに再び車で出向いたのだが,そこでドクターの言うには,身体の状態はかなり悪く,「血栓が下半身にきている」とのことだった。とまれ,丁重にお礼を申し述べ,治療費の支払い(高額!)を済ませ,それから次に,盆地内にあって以前何度かお世話になっている動物病院へと折り返し車で直行した。まだ診療前の時間だったが,状況を話すと先生はすぐに診て下さった。ミー太の様子を見るなり,『大動脈血栓塞栓症』ですね,と一言。これはちょっとムズカシイですよ,とも言われた。手術か,点滴か,それとも放置かの三択を提案され,こちらとしては点滴治療を依頼,その場でお任せ入院となった。夕方,病院の方からミー太の容態が急変したとの電話ありて,慌てて急ぎ駆けつけると,その数分前に息を引き取ったとのこと。時刻はちょうど午後5時だった。

 明けて翌日の午前,前日中にメールで連絡しておいた息子(ミー太のGodfather)が,現在住んでいる愛知県から始発の新幹線でやって来た。目いっぱい悲しみに打ちひしがれた,実にナサケナイ顔つきで。そして,彼みずからの手で玄関脇の小さな庭(猫の額その2)の一画に穴を掘り,それから三名だけでささやかなる葬儀,ミー太を土に返した。合掌。安らかに眠っておくれ!  埋葬場所は,ミーシャのお墓のすぐ右隣だ。そのミーシャは15歳までと割合長く生き永らえたのだけれども,ミー太の方はわずか9歳の命だった。この世に生きとし生いけるもの,万事塞翁が馬。運命とはそういうものなのだろう。。。

 そして,未だに性懲りもなく何とかかんとか生き永らえている私は,今日も今日とて,ガランとして人気のない家のなかを,認知症老人が徘徊するがごとくユルユルと無駄に動き回っている。その最なか,居間や台所や玄関脇,あるいは二階へと通じる階段やあちこちの廊下の左右,さらには納戸の中にいたるまで,それこそあらゆる場所の壁という壁にクッキリハッキリとズタズタボロボロに刻印されている無数の引っ掻き傷(ミー太が9年間生きてきたシルシ)を見るたびに,思わずハアッと溜息を漏らしてしまうのである。昔のさまざまな記憶のカケラがランダムに呼び覚まされてしまうのだ。「健忘症」「認知症」とは別物であるという言説は,あくまで客観的理屈であり前進的診立であって,将来の見通しをまったく持たぬまま過去に生き今を生きている当事者にとっては,両者に然したる違いなぞありはしない。 そう,記憶ってヤツは実に残酷なものだ! 

 (以上,遅ればせながらのミー太逝去報告&ワタクシ生存報告)



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