竜王行きコンテナ+石油混結列車83レ
アウトカーヴの撮影地にありがちなことだが、カーヴのピークからちょっと手前まできた所にピン位置を置くアングルだと、編成の先頭から数両が陰になって見えなくなる事象が起きる。機次位においしい部分がある列車だと非常に悲しくなる訳で、そういう場合シャッターを切らずに帰ることもしばしば。
83レはその典型的な列車で、コキ車はこの機次位に4両繋がっているのだが、残 . . . 本文を読む
EH200も一頃は狂ったように撮ってたこともあったが、EF210やEH500みたいに同じ形式の中でみられる差異もないし、ライナーを牽く場面はあるったって、ぬこや西濃急行、ECO-LINERにRUNTEC、みたいな華やかな31ft.コンテナが載ってる訳でもない(尤も、DOWAの廃品回収コンテナやTRANCY 22G1みたいなバルク輸送の20ft.海上ドライコンテナとかはよく載ってるが)ので・・・
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上手くいってなかった、ってだけで。
オケキモでゴハチ(EF58)牽引の臨時列車は結構撮ったが、国鉄最速のカマを相手にするだけに挑んだ当初はまぁ・・・
89+東サロの組み合わせだったこの時も、ファインダーからオーバーランする寸前で止まってそのまま30年近い年月の間クサってた訳だが、偶々別件でサルヴェージしてた際に「マウント入れる位置調節して、うpする時のサイズ変えれば・・・」と、発掘。
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俺が就職、上京してからは暫くとうほぐを顧みることは殆んどなかったけれど、「山線」が色々とヤヴァくなってきた頃「次は・・・」って事を考え始めた際に「かり電撮りに来い!」だの「583系撮りに来い!」だのと熱烈に誘ってきたのが、仙台の「H.W.」だった。
弁は立つわ、話は面白いわ、更に加えて金失の技量では当時のヌコ屋の見開き飾る位上手いわで、今でも尊敬している金失の一人である。尤も、金失が上手い人間 . . . 本文を読む
今はなき、好摩の高田旅館で一泊して撮ったのが懐かしい・・・あぁいう「座敷わらし」がでそうな駅前旅館は貴重だった。
9002M (好摩~岩手川口間:28.04.'01)
二日がかりで1往復という企画で、残念ながらサシこそ無かったものの、サロ車含む12両編成でヘッドサインは文字幕と、往時を彷彿とさせる編成にワクワクしながら撮りに出掛けた。
大方はクルマで来ると思われたので、こちらは好摩まで . . . 本文を読む
1990年代に一世風靡した「お座敷列車」や「欧風客車」等の所謂ジョイフルトレインでも、JR西に所属する編成は「マンネリ」化を防ぐためにあっちこっちの支社に貸し出されたが、特に金沢支社に貸し出された場合、JR東のエリアまで足を伸ばす運用に充当されたりするので注目の的になった。
「大サロ」こと「サロンカーなにわ」が金沢支社に貸し出された'93年10月下旬、東北本線から陸羽東線~陸羽西線を回って酒田 . . . 本文を読む
あのゴールデンコンビが撮りたくて撮りたくて、どうしようもなかった。
根府川の鉄橋でという夢はフィルムがカメラのスプロケットにちゃんと巻き込まれてなくて幻に終わったけれど、コレが撮れたお陰でその悔しかった思い出もチャラになった。あとは自分の撮りたいのを撮りにいくだけ。
今こうしてまだまだやってるのも、この1枚のお陰。他の原版が失くなっても、コレは門外不出。後生大事にとっておくつもり。 . . . 本文を読む
今年の3.31で撮影26周年
いつもこの時期は、この写真と大瀧さんの「Blue Valentine's Day」を掛けて、ボンヤリするのがお決まりの過ごし方。
31.03.'96、津久田の第○利根川橋梁を渡るロクイチ牽引の団臨9704レ。前日は"ムーミン"EF55 1と重連で水上まで下ってから高崎まで回送されたが、当日は横浜?にお帰りとあって、高崎から回送で上げる段階からロクイチが単機牽引 . . . 本文を読む
光線トップだったんで、陰になった側面の部分が出ないかと思った。
お座敷「江戸」による”北区区民号”
(24.10.'93)
初代RDPを使ったものだが、原版が赤く腐ってたとは言え使ったレンズの抜けが良かったからか、何とか空の青さが出せた。ヘッドマークの「北区区民号」って黄色い文字までキレイに出せたらもっと良かったけれど。
パックの「ぶどう色2号」は、空の色をみながらその都度その都度で調整 . . . 本文を読む
最近はお山に見放されてます
(19.09.'21)
こういう時、我が郷里は”晴れ”だったりする訳で、予想天気図にも出てたりして、それ見ながら金があったらスノトレ買い直して出かけっかなとか思うのだが。
あぁ・・・鳥海山の凛々しい姿を今一度拝んでみたい。
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