カラーフィルムは普及されていたけれど、カラーはリバーサルフィルムと決めていたので、殆どはモノクロで撮っていました。
何故か72系電車が好きで、HOゲージも持っていました。
まぁ、近いこともあって鶴見線は何度も撮影にきた路線です。
鶴見川橋梁もアーチ橋で撮影スポットになっていました。
国道駅は今も昭和レトロ感があふれていますが、当時は戦後間もない雰囲気でした。
海芝浦支線は運河沿いを走ることもあり、開放感がありました。
仙石線では4両編成のアコモデーション改造車がありました、鶴見線にも1両アコモデーション改造車(モハ72970)が存在していました。
写真の中間がモハ72970なんでけれど・・・分かりにくいかも。
鶴見線は鶴見-扇町、浅野-海芝浦と武蔵白石-大川間を走っていて、その内の武蔵白石-大川間(大川支線)は17m級のクモハ12が担当していました。
72系引退後も大川支線は17m級のクモハ12を使用しているかというと、武蔵白石駅の大川支線用ホームのRがきつかったからです。
このお陰で長い間はクモハ12が活躍していました。
しかし、なんと鶴見線の20m級車統一で武蔵白石駅の大川支線ホームは撤去されてしまいました。