平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

斑鳩(いかるが)は昴(スバル)

2006-04-10 08:45:39 | 古代史と聖書
 古代史の方で新発見があったと前に書きましたが、それをエフライム工房の方でアップしましたので、今回は概略を書きたいと思います。

 今回の発見は、斑鳩の寺院や古墳の配置が星座の昴になっているということです。何故昴なのかは後で説明するとして、最初に発見したのは牡牛座の方でした。昴が牡牛座の肩にあるのは有名ですが、それが大和西古墳群に映されていたのです。大和西古墳群は、ちょっと見にはオリオンに似ています。しかし、オリオンとするには左右反転したような構図であり、シンボルの三つ星もありません。まあ、厳密に再現しない理由として、古墳間の距離が全て、地球の赤道半径の等分になっているという事実が考えられました。それで、大阪の羽曳野古墳群が白鳥座、聖徳太子廟のある太子町古墳群がカシオペア座ということにしていたのです。これらも僕の発見で、もう15年以上前に発見していました。

 ところが、カシミール3Dという山岳地形シミュレーションソフト(無料)を用いて大和西古墳群の配置図を作ってみました。すると、どうも牡牛座に似ているという感じがします。それで星座と比較してみると、牡牛座のアルデバランという赤い右目が一際大きな古墳と一致するのです。もちろん、二本の角と脚の部分の星も一致します。

 それで、大和西古墳群は斑鳩の南にあるのですが、斑鳩も一望できるようにすると、牡牛座の肩にある昴と斑鳩の遺跡が一致するのです。藤ノ木古墳、法隆寺、夢殿、法輪寺、法起寺、西円堂、の七つですが、これも昴のプレアデス星団の七つ星伝説と重なります。最も昴は六星(むつらぼし)と呼ばれていましたが、西円堂は法隆寺に極めて近いので斑鳩も六つに見えます。外国でも星が一つ無くなったという話もあるようです。



 さて、本題はここからです。斑鳩は何故に昴を模(かたど)っていたのか?その疑問に対する答えは、斑鳩が北イスラエル王国と南ユダ王国の融合を目的とした聖地であり、それでイスラエルのシンボルである六芒星(ろくぼうせい)に繋がる昴の六星になるのです。古代日本の皇統は一つではなく、前928年に分裂した、北イスラエル王国の10部族と、南ユダ王国の2部族の覇権争いがあったのです。これが、天皇名が天武などの武の系統と、用明などの明の系統の二つになる理由なのです。

 北イスラエルの代表はエフライム族、南ユダの代表はダビデのユダではなく、最初のイスラエル王を輩出したベニヤミン族です。それぞれの末字のムとミンが武と明になるのです。ベニヤミンは突厥(とっけつ=トルコ)に変身していましたが、それで日本と兄弟であるという伝説が生まれたのです。長くなるので興味のある方はエフライム工房の『私だけの古代史第三部・法隆寺編』を読んで下さい。

     エフライム工房 平御幸

コメント (4)
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