06年の3月から始まったこのブログも、もうすぐに満四年となります。在日と電通による真央潰しを告発するという初期の流れから、読者の理解が深まるにつれ、その背後に蠢(うごめ)く巨大な組織、すなわち統一協会と韓国そのものを問題視する流れに変化しました。また、彼らと手を組んでいる、反日の上海閥やロックフェラーという怪物を炙り出しました。ロックフェラーの私的な諜報機関であるCIAは、読売グループを使って民主党政権を誕生させ、日本は内部から崩壊する一歩手前に追い込まれています。
僕の専門は、古代遺跡の解析と古代史の新たな視点により、末日に聖書の奥義を公開する預言者的な役割にあります。末日というのは、イエスが再臨する直前の混乱期を指すのですが、この時期に人類は光か闇のどちらかに振り分けられる事になります。もっとも、振り分けられる人は強制されるのではなく、自分の意志で喜んで別々の道を歩むだけなのですが、その道は天国と地獄に至る二股道なのです。
民主党が政権を取ってから、絶望にも似た空気が世を支配し、多くの人は無気力に打ち拉(ひし)がれる状況で新年を迎えます。しかし、新しい年は、獣の数字の10を持つ2010年なのです。絶望の上に絶望が待っているのでしょうか?
実は、民主党政権誕生も、韓国選手の買収疑惑も、2010年の日韓併合100年という節目に合わせた一大プロジェクトなのです。統一協会の教義の中心にあるのは、日本が韓国を苦しめた原罪の国であるという教えです。日韓併合はその象徴的な事件であり、その復讐の時に定められたのが併合から100年の2010年なのです。要するに、日本と天皇に謝罪させて、韓国の下に日本を置こうという計画があるのです。だから、全ては2010年に合わせて資金がつぎ込まれ、天皇陛下を朝鮮半島に連れ出そうとしているわけです。
しかし、僕が公開する奥義においての日本は、アブラハム、イサク、ヤコブと続く、イスラエル12部族の末裔であり、天皇家は南北に分かれたイスラエルの王族なのです。従って、「日本は末日において、世界を救う救世主的な立場に置かれる」というのが聖書学的に正しい解釈となります。その証しが、飛鳥氏が述べるように、伊勢神宮に眠る契約の箱であり、イエスの十字架なのです。統一協会の日本原罪論は、このように根本的に間違っているサタンの教えなのです。
このように、日本が世界を救うという末日の奥義ですが、それが理解されると絶望が希望に変わるのです。神様が契約として日本を保ち、末日に御技を示す訳ですから、それを信じる人が一人でも多くなる事で、苦難の時期は短くなるのです。
サタンのやり方は、嘘、捏造、マスコミ支配、工作員による言論誘導、などなど、要するに組織力と資金力に依存した方法で行われます。真央潰しも麻生叩きも、全く同じ方法で行われていた事に多くの人は気付きました。サタンは犬にたとえられるので、やはりワンパターンなのです。サタンは支配する事で、人を動かそうとするのです。
対して、サタンに抗する人たちは、個人個人が独立していて支配されていません。しかし、掲示板やブログなどで行われているように、人々が知恵を出し合って解決の糸口を探る、いわゆる集合知という武器で戦う事が出来ます。これが、イエスが預言した、弟子の投網にたとえられる文字通りのネットワークなのです。
この集合知により、偏向報道の新聞社やスポンサーに対する不買運動の方法が提起され、チラシ作りやポスティングのノウハウが鬼女を中心に公開され、実際に新聞の購読者数が激減しています。手強いのはテレビ局と広告代理店の電通ですが、テレビを見ないという習慣が広まれば潰す事が出来ます。手始めに、紅白歌合戦のボイコットは必要ですね。紅白歌合戦を観なくては一家の団欒(らん)が保てないようでは、その家族は既に破綻しているのです。年末年始くらいはテレビを見ずに、神社へのお参りや除夜の鐘を突きに足を運びましょう。
さて来年ですが、人類と日本の未来は、信じて育む事で明るくなります。「来」という字は、十字架(イエスの磔刑=紀元)を挟んで、旧約のヤハウェを表わす「八」と、新約のイエスを表わす「八」が向かい合っている(同じ神)事を表わした「米」に、新たに十字架が乗っかったものです。米の上の十字架がイエスの再臨を表わす訳ですが、イエスは木に掛けられたので、「木+八=米」でも同じです。未来ですが、現時点でイエスはまだ再臨していない(来たらず)なので、「来」からイエスの八が抜けて「未」になるのです。イエスは神に捧げられた子羊だから、未がヒツジと読まれるのです。
来年の干支の寅(とら)は、ヨセフの息子エフライムが生まれた年であり、エフライムがエジプトで立法を整えたので、ここから立法がトーラーになったと考えられます。イエスが生まれたのも寅年。そう考えれば悪くないはずです。では、良い新年をお迎え下さい。
エフライム工房 平御幸
僕の専門は、古代遺跡の解析と古代史の新たな視点により、末日に聖書の奥義を公開する預言者的な役割にあります。末日というのは、イエスが再臨する直前の混乱期を指すのですが、この時期に人類は光か闇のどちらかに振り分けられる事になります。もっとも、振り分けられる人は強制されるのではなく、自分の意志で喜んで別々の道を歩むだけなのですが、その道は天国と地獄に至る二股道なのです。
民主党が政権を取ってから、絶望にも似た空気が世を支配し、多くの人は無気力に打ち拉(ひし)がれる状況で新年を迎えます。しかし、新しい年は、獣の数字の10を持つ2010年なのです。絶望の上に絶望が待っているのでしょうか?
実は、民主党政権誕生も、韓国選手の買収疑惑も、2010年の日韓併合100年という節目に合わせた一大プロジェクトなのです。統一協会の教義の中心にあるのは、日本が韓国を苦しめた原罪の国であるという教えです。日韓併合はその象徴的な事件であり、その復讐の時に定められたのが併合から100年の2010年なのです。要するに、日本と天皇に謝罪させて、韓国の下に日本を置こうという計画があるのです。だから、全ては2010年に合わせて資金がつぎ込まれ、天皇陛下を朝鮮半島に連れ出そうとしているわけです。
しかし、僕が公開する奥義においての日本は、アブラハム、イサク、ヤコブと続く、イスラエル12部族の末裔であり、天皇家は南北に分かれたイスラエルの王族なのです。従って、「日本は末日において、世界を救う救世主的な立場に置かれる」というのが聖書学的に正しい解釈となります。その証しが、飛鳥氏が述べるように、伊勢神宮に眠る契約の箱であり、イエスの十字架なのです。統一協会の日本原罪論は、このように根本的に間違っているサタンの教えなのです。
このように、日本が世界を救うという末日の奥義ですが、それが理解されると絶望が希望に変わるのです。神様が契約として日本を保ち、末日に御技を示す訳ですから、それを信じる人が一人でも多くなる事で、苦難の時期は短くなるのです。
サタンのやり方は、嘘、捏造、マスコミ支配、工作員による言論誘導、などなど、要するに組織力と資金力に依存した方法で行われます。真央潰しも麻生叩きも、全く同じ方法で行われていた事に多くの人は気付きました。サタンは犬にたとえられるので、やはりワンパターンなのです。サタンは支配する事で、人を動かそうとするのです。
対して、サタンに抗する人たちは、個人個人が独立していて支配されていません。しかし、掲示板やブログなどで行われているように、人々が知恵を出し合って解決の糸口を探る、いわゆる集合知という武器で戦う事が出来ます。これが、イエスが預言した、弟子の投網にたとえられる文字通りのネットワークなのです。
この集合知により、偏向報道の新聞社やスポンサーに対する不買運動の方法が提起され、チラシ作りやポスティングのノウハウが鬼女を中心に公開され、実際に新聞の購読者数が激減しています。手強いのはテレビ局と広告代理店の電通ですが、テレビを見ないという習慣が広まれば潰す事が出来ます。手始めに、紅白歌合戦のボイコットは必要ですね。紅白歌合戦を観なくては一家の団欒(らん)が保てないようでは、その家族は既に破綻しているのです。年末年始くらいはテレビを見ずに、神社へのお参りや除夜の鐘を突きに足を運びましょう。
さて来年ですが、人類と日本の未来は、信じて育む事で明るくなります。「来」という字は、十字架(イエスの磔刑=紀元)を挟んで、旧約のヤハウェを表わす「八」と、新約のイエスを表わす「八」が向かい合っている(同じ神)事を表わした「米」に、新たに十字架が乗っかったものです。米の上の十字架がイエスの再臨を表わす訳ですが、イエスは木に掛けられたので、「木+八=米」でも同じです。未来ですが、現時点でイエスはまだ再臨していない(来たらず)なので、「来」からイエスの八が抜けて「未」になるのです。イエスは神に捧げられた子羊だから、未がヒツジと読まれるのです。
来年の干支の寅(とら)は、ヨセフの息子エフライムが生まれた年であり、エフライムがエジプトで立法を整えたので、ここから立法がトーラーになったと考えられます。イエスが生まれたのも寅年。そう考えれば悪くないはずです。では、良い新年をお迎え下さい。
エフライム工房 平御幸