今回、早々と退会した優秀な読者の中に、僕と同じように天理教のおぢばがえり(12才時)に参加した方がいます。今回のテーマとシンクロしてタイミングが良いので、天理教の「身上(みじょう)」という概念について説明しておきたいと思います。
身上(みじょう)というのは、もっぱら「体の上に起こる神のしるし」という意味があり、病気を因縁から説いたものです。例えば、僕のすぐ上の姉は耳を怪我したことがあります。母親は、「神様の言うことを聞け」という天の教えだと諭しました。また、生まれた時からの障害や病気は前世の因縁と説き、精神病は親の色情狂が因縁などと説きます。
実は、この身上(みじょう)という考えはユダヤ教にもあり、イエスはこの因縁説を否定しているのです。もっとも、全否定ではなく、イエスが現れたので因縁は取り除かれたという感じですが。最近は知識を盗むスパイが多いので、細かい説明は省きます。
身上(みじょう)と類似したものに、モルモンの「黒人=呪われた肌」説があります。黒人の黒い肌は呪われたもので、その因縁は人類が生まれる前の天上(霊界)での神とサタンの戦いの時にあり、神の側にもサタンの側にもつかなかった傍観者が呪われて黒い肌を与えられたというものです。何やら、SNSでの状況と似ていますね。
このモルモンの呪われた肌説が正しいかは別として、光と闇の戦いがあったときに傍観するのは罪悪なのです。勝った方につこうという卑怯な考え方は、御父の逆鱗に触れ、天界から追い落とされたサタンと眷属の次に重い罰が与えられるのは当然です。逆に、御父の側に立ってサタンを追い出した霊は、天使として高い位を与えられます。サタンに従わなかった霊は、肉体を与えられて人間としてこの世に生まれてきます。しかし、天界での功績が、この世での役割に影響を与えているのです。
今回のSNSの騒動で、最後まで残った者には共通の印があります。黒い肌ではありませんが、全員が病気持ちなのです。咳ばかりしている人、体質的に冷たいものを飲めない人、いつも病気の色の紫色の服を着ている人など。その中の一人は、龍のつく地名に居ます。一昨年から龍はあまり良い意味ではなかったですね。逆に、積極的退会者は健康な人ばかりです。
このように、天理教の身上(みじょう)という考え方は、絶対ではないので注意が必要ですが、ケースによっては正しい教となります。積極的退会者は健康でしたが、今回の騒動にシンクロして、奥さんが熱を出したり、本人も咳き込んでいたりするように、悪霊と戦った影響が出ています。僕は熱を出す手前で鼻うがいで済んでいますが、僕が呼び寄せたベテラン読者が風邪を引いて寝込みました。僕の身代わりだったのかもしれません。
僕のケルビムジュニアは写真で公開されていますが、ある読者は、☓☓☓☓がケルビムジュニアを悪魔の形相で抑えこもうとしている、恐ろしい悪夢を見たそうです。原文のまま紹介したいところですがメールですので出来ません。僕もケルビムジュニアが壊されると心配になってSNSで行方不明と書いたのです。やはり、今回の騒動にケルビムジュニアは大きな役割を担っていたのです。
読者の皆さんはヒエラルキーという言葉を聞いたことがあると思いますが、天界での位階を指すのです。位階と書くと難しそうですが、要するに天界での身分(地上では地位)です。この上位階層には大天使などが位置するのですが、今まで説明したように、天使とはサタンと戦う資質を持つ者を指すのです。龍を退治するミカエルがその代表ですが、戦わない傍観者は天使には絶対になれないのです。ヒエラルキーで最下層に落とされます。
前回の論功行賞で、日の位、月の位、星の位、と書いたのには理由があります。聖書ではそれぞれ、日の栄、月の栄、星の栄、として知られる言葉ですが、これらの栄光(自らが発する光)はイエスの再臨の時まで顕れません。そこで、これらの栄へのパスポートとして位という言葉を用いたのです。日の位は日の栄へのパスポートであり、復活体となったときに自ら発する光で闇を明るくする体になります。星の栄の人は、今と同じように光ることが出来ないのです。
さて、天界でサタンに従った者は厳罰という原則から、今回の騒動で早々と退会をしなかった者は星の位、そして、最後まで従って居残っている者は星の位の下、すなわち地獄が棲家となります。こうなると、僕にはもう何も出来ないのです。諦めて切り捨てるしかありません。冷たいようですが、裏切り者は自分を責めるしかないのです。
新しいSNSは分け隔てなく招待状を発送すると書きましたが、それは古代史CDの申込枚数や、読者としてのキャリア、あるいは支援などの貢献度、などでは差別を付けないという意味で、闇の世界に行った人にまで招待状を出すと神様に怒られるのは当然です。また、僕は「明日に退会」と書きましたが、そのリミットは24時間後ではなく、また次の明け方でもなく、日付が変わる瞬間だったのです。勝手にリミットを伸ばした愚か者は甘いのです。それにしても、九州はアフリカだと古代史で書きましたが、今回はモルモン説に符合した感じです。
なお、翡翠などの宝石・貴石には何の力もないと分かったでしょう。持つ者の霊格が大事なのです。
エフライム工房 平御幸
身上(みじょう)というのは、もっぱら「体の上に起こる神のしるし」という意味があり、病気を因縁から説いたものです。例えば、僕のすぐ上の姉は耳を怪我したことがあります。母親は、「神様の言うことを聞け」という天の教えだと諭しました。また、生まれた時からの障害や病気は前世の因縁と説き、精神病は親の色情狂が因縁などと説きます。
実は、この身上(みじょう)という考えはユダヤ教にもあり、イエスはこの因縁説を否定しているのです。もっとも、全否定ではなく、イエスが現れたので因縁は取り除かれたという感じですが。最近は知識を盗むスパイが多いので、細かい説明は省きます。
身上(みじょう)と類似したものに、モルモンの「黒人=呪われた肌」説があります。黒人の黒い肌は呪われたもので、その因縁は人類が生まれる前の天上(霊界)での神とサタンの戦いの時にあり、神の側にもサタンの側にもつかなかった傍観者が呪われて黒い肌を与えられたというものです。何やら、SNSでの状況と似ていますね。
このモルモンの呪われた肌説が正しいかは別として、光と闇の戦いがあったときに傍観するのは罪悪なのです。勝った方につこうという卑怯な考え方は、御父の逆鱗に触れ、天界から追い落とされたサタンと眷属の次に重い罰が与えられるのは当然です。逆に、御父の側に立ってサタンを追い出した霊は、天使として高い位を与えられます。サタンに従わなかった霊は、肉体を与えられて人間としてこの世に生まれてきます。しかし、天界での功績が、この世での役割に影響を与えているのです。
今回のSNSの騒動で、最後まで残った者には共通の印があります。黒い肌ではありませんが、全員が病気持ちなのです。咳ばかりしている人、体質的に冷たいものを飲めない人、いつも病気の色の紫色の服を着ている人など。その中の一人は、龍のつく地名に居ます。一昨年から龍はあまり良い意味ではなかったですね。逆に、積極的退会者は健康な人ばかりです。
このように、天理教の身上(みじょう)という考え方は、絶対ではないので注意が必要ですが、ケースによっては正しい教となります。積極的退会者は健康でしたが、今回の騒動にシンクロして、奥さんが熱を出したり、本人も咳き込んでいたりするように、悪霊と戦った影響が出ています。僕は熱を出す手前で鼻うがいで済んでいますが、僕が呼び寄せたベテラン読者が風邪を引いて寝込みました。僕の身代わりだったのかもしれません。
僕のケルビムジュニアは写真で公開されていますが、ある読者は、☓☓☓☓がケルビムジュニアを悪魔の形相で抑えこもうとしている、恐ろしい悪夢を見たそうです。原文のまま紹介したいところですがメールですので出来ません。僕もケルビムジュニアが壊されると心配になってSNSで行方不明と書いたのです。やはり、今回の騒動にケルビムジュニアは大きな役割を担っていたのです。
読者の皆さんはヒエラルキーという言葉を聞いたことがあると思いますが、天界での位階を指すのです。位階と書くと難しそうですが、要するに天界での身分(地上では地位)です。この上位階層には大天使などが位置するのですが、今まで説明したように、天使とはサタンと戦う資質を持つ者を指すのです。龍を退治するミカエルがその代表ですが、戦わない傍観者は天使には絶対になれないのです。ヒエラルキーで最下層に落とされます。
前回の論功行賞で、日の位、月の位、星の位、と書いたのには理由があります。聖書ではそれぞれ、日の栄、月の栄、星の栄、として知られる言葉ですが、これらの栄光(自らが発する光)はイエスの再臨の時まで顕れません。そこで、これらの栄へのパスポートとして位という言葉を用いたのです。日の位は日の栄へのパスポートであり、復活体となったときに自ら発する光で闇を明るくする体になります。星の栄の人は、今と同じように光ることが出来ないのです。
さて、天界でサタンに従った者は厳罰という原則から、今回の騒動で早々と退会をしなかった者は星の位、そして、最後まで従って居残っている者は星の位の下、すなわち地獄が棲家となります。こうなると、僕にはもう何も出来ないのです。諦めて切り捨てるしかありません。冷たいようですが、裏切り者は自分を責めるしかないのです。
新しいSNSは分け隔てなく招待状を発送すると書きましたが、それは古代史CDの申込枚数や、読者としてのキャリア、あるいは支援などの貢献度、などでは差別を付けないという意味で、闇の世界に行った人にまで招待状を出すと神様に怒られるのは当然です。また、僕は「明日に退会」と書きましたが、そのリミットは24時間後ではなく、また次の明け方でもなく、日付が変わる瞬間だったのです。勝手にリミットを伸ばした愚か者は甘いのです。それにしても、九州はアフリカだと古代史で書きましたが、今回はモルモン説に符合した感じです。
なお、翡翠などの宝石・貴石には何の力もないと分かったでしょう。持つ者の霊格が大事なのです。
エフライム工房 平御幸