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平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

負けの美学

2012-07-31 23:20:51 | Weblog
 開催中のロンドン五輪は、図らずもアグリーコリアン(醜い韓国人)が世界に知れ渡る絶好の機会となっています。水泳のフライング失格を取り消させたり、明らかに買収の疑惑を感じさせる柔道の旗判定。挙句に、フェンシング女子では判定に不満で座り込み。スイスのサッカー選手が批判をしたら、ウリナラからの攻撃で、する必要のない謝罪をするハメに。本当に反吐が出る「大清国属(大清に属する一地方で国ですら無いという意味)」です。まあ、国旗が不吉なんですけどね。

 フェンシングで座り込みをした選手は、ユニフォームに太極が描かれていましたが、何と二つの巴が分解されて離れ離れ。まとまりを意味する二つ巴を離したら、運からも見放されたということです。自業自得です。

 日本人はスポーツに潔さを求めるのですが、それは武士道の影響ではなくて、「神が見ている」というイスラエルの根本精神に由来しているからです。神の前に不正は出来ない。神の目は絶対なので、その目を盗むことは罪となる。

 この精神の上に、長い時間をかけて、武士の「勝てば良い」という汚い考えが修正されたのです。宮本武蔵は、吉岡一門の当主に担ぎ上げられた子供を斬り殺したので有名です。戦いに美学があったとすれば、それは平家滅亡まででしょう。源氏は汚かったですから。

 韓国選手に腕を潰された海老沼選手は、準決勝で敗退しましたが、これは仕方ありません。それよりも、最後の試合で見事な一本勝ち。これほど見事な一本は稀であり、多くの人は日本人としての魂が揺さぶられたのではないかと思います。雑念がなく、余計な力もなく、ただ練習に培われた体が勝手に動く感じ。神に愛されて神の祝福があれば、綺麗な柔道でも勝てるのです。

 勝とうという気力を全く見せずに敗退した上野選手。一年間は日本に帰って来ないで、海外で揉まれてください。見ている方が恥ずかしくなる試合でした。負けるにしても美学というものがあるのですから、みっともないだけの選手なら引退するべきです。美学のない柔道には何の価値もありません。

 柔道は早くから韓国との協定を結び、自分から滅びに向かった愚かな団体です。韓国の反則に抗議できない体質なら解散すべきです。そういう意味では、海老沼選手は救世主的な存在でした。日本柔道の進むべき道を教えたという意味で。

 重量挙げ女子で銀メダルを獲得した三宅選手ですが、彼女の顔が伝説の王であるカセケムイに似ているのです。カセケムイは、牢獄のヨセフの預言に感心し、牢から出して全権を委ねた名君です。エジプト史上最大の名君であるカセケムイは、当時の典型的な黒人の姿をしており、ネアンデルタール人のような顔をしていました。

 ネアンデルタール人は怪力で、横綱の輪島のように眉弓突起が発達していました。柔道の篠原監督の眉の出っ張りです。これがある人は間違い無く怪力です。以前の三宅選手は顎が小さく、今よりも後退した顎の形をしていました。これもネアンデルタール人から古エジプト人に遺伝した特徴です。こういう顎の人は、歯が噛み切るタイプではなく、上下で潰す形なので、基本的に肉食ではなくて穀食だと思います。

 上野選手も黒人の顔をしていますが、こちらの方はニジェール川流域の住民に近く、エジプト南部より南にルーツがあると思います。ちなみに、カセケムイのネアンデルタール人は、北エジプトからパレスティナや南欧にかけて生活していました。

 ヨセフを宰相にしたカセケムイから黒人系の血が入り、出エジプトの時にも多くの黒人がイスラエルに加わりました。そして、エルサレムなどのイスラエルが奪った地は、先住民の多くが黒人だったのです。大預言者モーセも奥さんが黒人のケニ人。これらが日本人のB型血液のルーツなのです。イスラエルに滅ぼされるくらいですから、意外に戦いには弱いのです。

 ということで調べてみたら、顔と血液型が一致しない選手が多いですね→こちら。一致していたほうが良いのです。篠原監督は、白人のO型でなくB型だったらシドニーで優勝していたのでしょう。後半はA型が多くなるので、それにシンクロして成績も上がれば良いですね。

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浅田真央のメリー・ポピンズ

2012-07-28 06:15:37 | フィギュアスケート女子
 英国の五輪が始まりました。それにちなむのでしょうか。恒例のザ・アイスで披露された真央ちゃんの新エキシは、イギリスのコクニー(下町)を舞台にしたミュージカル『メリー・ポピンズ』のメドレー。競馬では、1987年の第7回ジャパンカップに、アイルランド調教馬のコックニーラスが出走したことがありました(8着)。

 映画のメリー・ポピンズは大好きなので、古代史でもHを発音しない訛りとして取り上げています。白系ユダヤのハザール(Khazar)は、最初のKを発音しないのですが、そのまま読むか、あるいはHを発音しなければカザルスになります。偉大なチェリストのパブロ・カザルス(Pablo Casals)は、このハザールの転化ではないかと考えられるのです。

 Casaはイタリア語で「家」。フランス語で「場所」ですが、肝心のスペイン語で「ホーム」。総じて、ファミリーや出自を表すものならば、やはりハザールが語源という線が濃厚になります。ちなみに、ラテン語でCasalsは「コテージ」ですが、スペイン語では人名のみです。

 メリー・ポピンズの中では、煙突掃除人のバート(ディック・ヴァン・ダイク)がヘルプをエルプと発音しています。これがコクニーのスラングなのか、それともヴァン・ダイクの故郷のオランダ訛りなのかは分かりませんが。煙突掃除人のバートは、Pavement artist(大道画家)でもあるのですが、A screever's an artist of 'ighest degree と歌っているように、ハイエストな芸術家気取りです。ここでもHighestの Hが省略されています。

 絵描きはartistですが、絵を描く行為はdrawingです。Drawerにすると引き出しになってしまいます。大道画家は坂田靖子さんのコミック『バジル氏の優雅な生活』にも出てくるのですが、これは以前にヨハネの黙示録と荒川静香の関係で書いたことがあります→こちら。チム・チム・チェリーを子供の頃に聴いたときは、自分がアーチストになるとは思ってもいませんでした。But me cap would be glad of a copper or two は傑作ですね。銅貨一枚でも二枚でも、自分ではなく帽子が喜ぶとプライドを見せています。

 メリー・ポピンズは名曲揃いですが、その中でもFeed the Birds,A Spoonful of Sugar,Let's Go Fly A Kite, Chim Chim Cher-ee, Supercalifragilisticexpialidocious, の5曲は傑作。中でも、親子で凧をあげるLet's Go Fly A Kiteは希望に満ちた良い曲です。

Let's go fly a kite.Up to the highest height.Let's go fly a kite And send it soaring.Up through the atmosphere.Up where the air is clear.Oh, let's go fly a kite!

 英国といえば、イスラエルの宗主国である日本から見れば、南ユダ系のユダ族の分家扱い。バラの隠れシンボルはマリアのシンボル。僕がバラを描いているのにシンクロしています。天高く昇るカイトのように、真央ちゃんの今シーズンは軽々としたジャンプを期待したいですね。

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平御幸のデッサン講座~第15回 左右差

2012-07-27 22:21:08 | Weblog
 テレビや映画で、歴史的に繰り返された失敗といえば3D。2年ほど前にやたらに宣伝された3Dテレビですが、当然のように失敗しました。開発費を傾注したサムスンなどの韓国勢には、会社が傾きかけない極めて重大な失敗です。

 というのも、日本のメーカーは昔から研究しており、莫大な開発費を投入しての獲らぬ狸の皮算用は韓国メーカーに限られたのです。1980年代には、晴海の見本市会場で、オーディオフェアやエレショー(エレクトロニクスショー)が盛況し、僕もシャープが開発中の100インチ液晶3Dを体験したことがあります。目の前に魚が泳ぐ3Dです。

 このように、日本のメーカーは付け焼刃ではない研究と開発をしてきたので、今回のブームに過剰投資する必要はなかったのです。過剰投資した韓国勢は開発資金を取り戻せません。狸の皮を当て込んで、まんまと罠にハマった感じですね。

 さて、3Dの原理は単純で、左右の目に入る視覚情報の差を演出して、脳に立体的な擬似空間を体験させるものです。ですから、左右差の前提となる、人の目の動きや機能の研究から始まっているのです。韓国勢の3Dの評判が悪かったのは、このような基礎研究がされていなかったからです。

 人の目は複雑に機能しています。だからこそ、単純な幾何形体すら描くことが難しいのです。例えば、アルミ缶のように寝かせた円柱です。大半の人は、見えている手前の楕円を幅広に描き、奥の隠れている楕円の幅を小さく描く、いわゆる逆パースにしてしまいます。これは、口を酸っぱくして注意しても、一種の直らない病気のようなものです。なぜか?

 それは、左側に楕円が見えているセッティングの場合、左の目で左の楕円を観察し、右目で右の楕円を観察しているからです。これが間違い。遠近法の基本は透視なので、絶対に片目で見た光景を再現させなくてはならないのです。人には利き目があり、右目で観ている人と、左目で観ている人の、二通りの視点があります。野球で言えば、右目が利き目の人は左打者に、左目が利き目の人は右打者に向いているのです。ボールを手前の目で見るからです。

 利き目を調べる方法は、両目で見ながら遠くの点を指さし、片目ずつ瞑って、指が指している方が利き目となります。僕は右目利きなので左打者向きですが、実際に草野球での惟一のフェンス超えは左打席でした。

 目には利き目があるので、左右で観ている世界が違う。身近な例は、測らないでカステラや羊羹を半分に切ってみれば分かります。正確に真ん中に包丁を入れられる人は稀です。訓練や体調で変化しますが、僕はひどい時には1センチもずれていました。

 両目の間隔よりも幅の狭いモチーフを、左右の目で別々に見た場合、その側面は両方見えることになります。カメラのような単眼では有り得ない現象です。これが逆パースに見える理由なのです。だから、遠近法で描く場合、観察する段階から利き目による単眼で観なくてはならないのです。

 モチーフが大きくなった石膏などでは、描いたものですら、左右の目で見え方が違うのです。立体感や空間の表現は、左右の目の合成として描かれているからです。デッサン講座の最初の段階で注意したように、目の端で斜めから見る人は、この左右差が極端になるのです。物凄く歪んでいても気が付かないほど。

 幾何形体の形を注意されても直らない人は、観察して形を描くのではなく、設計図のように理論で描くしかないのです。この角度から見たらこのように見えるはずだという、自然に見える形を作るセンスが必要です。僕は、花入れのガラスポットなどもフリーハンドで描きますが、それは経験として綺麗な形がイメージできているからです。逆パースになる人は、幾何形体の様々な形を印刷して、それを数百回もトレースして綺麗な形を脳に叩きこむほかはありません。

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平御幸のデッサン講座~第14回 点と線

2012-07-24 15:40:04 | Weblog
 松本清張の出世作に『点と線』というものがありますが、新聞社でイラストを描いていた氏には、点と線は日常的な概念でした。しかし、一般の人は点と線を意識することは余りありません。

 絵は錯覚で出来ている。これは点と線にも当てはまります。二つの点を離して描くと、観る人は二点間に描いていない線があるように感じられます。脳の補正作用による実に便利な錯覚ですが、花や植物は、この応用の連続で描く事もできるのです。例えば、葉を描く場合は、茎との付け根と葉の先端だけを描けば、途中は何となく描かれているような錯覚に陥ります。花弁も同じです。

 この要領だけで芸大の日本画に入った男を知っていますが、入学させた方も入った方も馬鹿丸出しです。新作のバラの花のデッサン見てください。付け根と先端と中間の三箇所をきっちり抑えてあるでしょう。このように、抜けた部分を意図的に作ることで、空間や立体感や質感が表現できるのです。バカ正直に、上から下まで同じ手数で描いても、観ている方も息苦しくなるだけです。


バラ 鉛筆デッサン

 点と線にはタブーもあります。「矢印のように尖っている角の先端は、線に接してはならない」というものです。なぜかと言うと、尖った部分が線に接すると、目がそこに釘付けになるからです。新作のバラの絵では、一番上のバラの左下の萼の先端が、左のバラの花弁のラインに接しています。人の目はここに釘付けになるので、二つのバラが離れている感じがなくなるのです。

 このようなタブーはデザインの基本中の基本なのですが、驚いたことにホンダの車(FIT SHUTTLE)にデザインされています。Cピラーの先端がルーフラインに突き刺さっています。これは酷い。デザインのデも知らない素人の仕事です。このデザインに疑問を持ったためか、改変しているサイトまでありました。

 タブーのもう一つに、「並行する線は近接させてはならない」というものがあります。膠着して見えるからです。読者に寝かせた円柱を描かせているのですが、僕が考案した練習方法で、影と陰の部分にグラデーションをプリントした紙を貼り付けろと指示しました。円柱の一番暗くなる部分と、床の陰の部分です。

 しかし、何を勘違いしたのか、影の中のグラデーションを寝かせた円柱の稜線と重なるようにしてあります。どこから稜線でどこからグラデーションをプリントした紙なのかわかりません。なぜ、わざわざ判り難い置き方をするのか?この読者は、カッバーラの問題でも難しく考えて間違うタイプです。見る人に分かりやすいように、形や陰影を具体的に説明するのがデッサンなのです。自分だけで分かったつもりの自己満足ではダメなのです。

 今回のバラは、古い消しゴムを使ったために、分離した油分が水彩絵の具を撥ね退けてしまいます。それで苦肉の策として、小さな絵の具溜まりである点描を多用しました。点描は下地が見えるので、明るくて鮮度の高い色彩になります。日本画の岩絵の具で、粒子の粗い顔料を用いると、同じように下地が見えるので発色が良くなります。


バラ 着彩 古い消しゴムを使ったら、油分が分離して絵の具をはじく orz

 前回のバラは色が重くなりましたが、今回が点描だとすると絵の具を塗った感じです。水彩は、塗る感じではダメで、絵の具で描くか、絵の具を置く感じが良いのです。また、水彩の赤系は意外に暗く、モノトーンに変換すると真っ黒になります。下の絵は、プリントした時の誤作動で、赤が黒として出力されたものです。赤は明度が低いので、水彩に慣れないと黒っぽくなるのです。鉛筆の黒と相性が悪いのも当然です。



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平御幸のデッサン講座~第13回 リズム

2012-07-19 09:21:47 | Weblog
 以前に、予備校レベルでのセンスについて否定的な書き方をしました。経験で克服できるものを、センスという言葉を使って、最初から無いものと決め付ける指導者には気を付けたいものです。しかし、音楽に音感やリズム感が必要なように、絵画にも色感や造形感覚は必要です。問題は、訓練によって後天的に身に付けられるかどうかなのです。僕は、合理的で効率の良い、その訓練方法を説明しているわけです。

 さて、このような感性の一つにリズム感があります。絵画でのリズム感とは何か?それは、バランス感覚に近いものです。ミケランジェロのピエタで説明しましょう。デッサンにカラーで描きこんでいるものは、ミケランジェロが刻む時に重視した流れです。



 青は、ベールが流れ落ちるなどの垂直のリズムを表しています。ベージュは、首から上のムーヴメント(動き)の柱です。この斜めの力だけだと単調なので、それに交差する緑色のムーヴメントで顔の動きを強調しているのです。黄色は、鼻に焦点が来る構造を表しています。これはもう少し説明が必要です。

 石膏デッサンの前に、小さなスケッチブックでエスキース(esquisse)というスケッチをします。簡単なメモで、目鼻口は暗示程度です。この段階で構図や大まかな構想が出来上がるのですが、僕はエスキースで独特の表現をしていました。それは、石膏像の顔を、鼠小僧次郎吉の手ぬぐいで頬被りのように描くことです。マルスを見ていて閃いたのですが、人の顔というのは鼻に力が集まるのです。ミケランジェロの彫刻では、ブルータスがそのように意図されています。

 このように、ピエタの顔も鼻に力が集まるように彫刻されているのです。こめかみから眼球を一つの塊として見る。眉間から髪の生え際も一つとして見る。このような見方ができてくると、自然にムーヴメントは理解できてくるのです。

 しかし、実際に描く段になると、音楽のリズムのように木炭や鉛筆を走らせるのは大変です。僕は絵を描くときは音楽はかけません。シーンとしている方が集中力が高まるからです。だから、頭の中で音楽を思い出しながら、それにリズムを合わせて描いているのです。音楽が感じられるる絵には、必ずリズム的な構造が隠されています。それだけを抽出すると、ミロとかカンディンスキーのような作品になるのです。

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平御幸のデッサン講座~第12回 造形とイラスト

2012-07-18 14:00:47 | Weblog
 前回、嫌味だと皮肉を込めて紹介した永山裕子の作品。この人の作品は誤魔化しの手法であり、初心者が絶対に参考にしてはならないという見本です。でも、一般の人は何が悪いのか分からないと思いますので、もう少し具体的に説明したいと思います。

 大道芸の一筆龍(いっぴつりゅう)をご存知でしょうか。縁日などで、一筆で龍を描いてみせる芸です。これにはデッサン力は必要ありません。運筆で描いているからです。運筆とは墨絵の技法で、筆の様々な使い方のパターンです。例えば、松の描き方だとか、モチーフを見なくても描けるパターンがあるのです。もっとも、一流の人は、観察力があるので、必ずしもパターンだけではありませんが。

 このように、パターン化された運筆で描くのが大道芸の龍です。永山裕子の作品も全く同じなのです。彼女は芸大の油絵を出ていますから、誤魔化し方が上手なだけで、硬質な鳩を見れば分かるように、彼女にはデッサン力はありません。デッサン力は造形の基本なので、彼女の作品は造形ではないのです。ただのイラストです。

 世界で最も有名なイラストレーターは、おそらくはロートレックです。ロートレックのポスターは誰もが見たことがあると思います。でも、ロートレックのポスターには、厳密な意味での造形的な強さも繊細さもありません。このように書けば、商業的な絵画は全てイラストに分類されるのかと疑問に思う人も出てきます。もちろん、優れた例外もあります。

 例えば、版画の葛飾北斎です。北斎は漫画をたくさん描いていますが、その人間観察がデッサン力となって、他の作家とは次元の異なる造形的な強さがあります。北斎は突飛な構図ばかり注目されますが、人間の自然な動きや形にこそ、彼の才能が垣間見られるのです。ロートレックが着物を着ている写真がありますが、彼もジャポニズムの作家なのです。

 琳派の代表である尾形光琳もまた、突出した造形家です。俵屋宗達もしかり。形の厳しさは、どこも手を入れるのを拒む凄さです。他の誰もが加筆できない完璧な造形。レオナルドやミケランジェロレベルです。永山裕子の作品は、素人が少し手を入れても誰も気が付きません。所詮、そんなレベルなのです。僕には、毒々しくて気持ち悪いとか、悪趣味とかの言葉しか出てきませんが、あのような作品で癒される人がいるとは驚きです。

 造形とイラストは違う。ピカソなどの優れた造形は、商業的なイラストに転用できますが、イラストに使ったから造形が弱くなるわけではありません。しかし、イラストの仕事をする人がイラストとして描いたものは、造形としての観賞には耐えられないのです。例外は、デッサン力がある人の作品のみです。

 造形とは、必ずしも空間や立体感を指すのではなく、空間を支配する、厳然とした佇(たたず)まいなのです。それを構成する要素の中に、ライン、マッス(量感)、立体感、空間、色彩、構造、骨格、などが含まれるのです。名車と同じです。

 最近の車は、ライン(線、線描)がなくて無骨です。コークボトルライン、スーパーソニックライン、サーフィンライン、アイラインなど、車のデザインはラインから生まれたのです。線描がデッサンの基本ですが、今のデザイナーは線描という基本を忘れているのだと思います。スバル360設計の百瀬氏が、「線を引け、絵を描け」と後輩に教えたようですが、コンピュータ全盛の時代だからこそ、手描きはますます重要になるのです。

 最後に、「形あるものは美しく、美しいものは形がある」と書いておきます。この場合の形とは、フォルムではなく、造形という意味です。

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2012-07-17 22:22:40 | Weblog
 前回は画像が間に合わなかったので追加しました。バラの透明水彩と、ピエタの修復状況です。


バラの水彩 バラが全部同じ色になった失敗(A3スキャナー 25%以下に縮小)


ピエタ デジカメ(カラーで撮影して補正)


ピエタ グレースケール スキャナー+貼りあわせ

 スキャナーで取り込んだものは、端の方で明度変化があり露骨に張り合わせたことが分かります。スキャンの仕方を考えねば。なお、バラはスキャナーサイズのA3に画用紙を水張りしています。スキャンする時に超便利です。ピエタは左側の頬に練りゴムのシミができて、ここでトーン変化が出せません orz。
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平御幸のデッサン講座~第11回 難しい赤

2012-07-17 10:02:09 | Weblog
 バラの着彩に失敗しました。軽やかなバラ色が出ないで重くなり、色彩に輝きがありません。(描いている最中にミレッジの逆転ホームランが出たのに、休憩にリアルタイムスコアをチェックしたら見る間に逆転される始末。またサボっているのがバレました。)

 着彩に失敗した理由ですが、昔の感覚が戻っておらず、色を重ねる順番とかに間違いがあったのです。透明水彩の赤系は、色を重ねるごとに黒っぽく濁ってきます。この特性があるので、発色を良くするために色々な工夫が必要とされます。

 まず、前々回に書いた下塗りです。今回は、この下塗りをしないでバラ色を塗ってしまいました。紙に塗った場合、パレットで溶いた色がそのまま出ることはありません。発色は、紙の色+塗った色なので、想定よりも褪めた感じになります。パレットの色がそのまま出るのは不透明水彩です。しかし、不透明だと色彩が重くなり、空気感や輝きが出ません。

 バラの色を出したい時に下塗りをどうするか?これは経験則で、薄いレモンイエローが適しています。暗くなる部分は青系を薄く塗っておきます。今回はレモンイエローの下塗りをしなかったので、実際のバラよりも黒ずんだ感じになりました。これを修正するのに、ホワイトを混ぜた色を使うので、余計に重くなります。イエローの上にバラ色と、バラ色の上にイエローでは全く異なる発色なので、下塗りを失敗した時点で修正が効かないのです。

 赤系の発色を良くする2つ目ですが、赤は鉛筆と相性が悪いと覚えてください。鉛筆の上に黄色では緑に感じますが、鉛筆の上に赤だと、乾いた血の色のように黒ずんで見えます。従って、赤い色のモチーフで陰影を表現する場合、鉛筆や黒で暗くすることは御法度なのです。陰影は、赤や青や、紫や茶色を少し使うことで表現します。プリンターは黒を使うので、微妙な赤系に弱いのです。

 従って、バラでもリンゴでも、着彩する場合はデッサンでの陰影を最小限にしておく必要があります。鉛筆淡彩のように、陰影は鉛筆任せという技法では、絶対に綺麗な赤を表現する事はできません。バラの花のデッサン段階では、鉛筆は線の強弱でデッサンする感じで、陰影は硬い鉛筆を少なめに用い、柔らかい鉛筆の黒くて粗い粒子は避ける必要があります。デッサンだけで完成させる場合と、色を塗るのを想定するデッサンでは根本から違うのです。

 日本画の制作の最初は、デッサンの裏に木炭を塗るか、チャコペーパーを敷いて、硬い鉛筆で和紙にトレースします。日本画でチャコペーパーは僕が使い始めたのです。芸大でも誰も使っていませんでした。バラの花の場合、チャコペーパーの色を赤か青にすると発色が良くなります。トレースした線に墨入するときも、墨ではなくて薄い朱色か藍色を使います。墨を使う場合は、細い線でなくてはなりません。線描きのことを白描と言いますが、白描で美しくないと良い絵にはなりません。

 バラの花は、デッサンの段階以上に美しく描くことはできません。デッサンの欠点がモロに出てきます。形をごまかした所は形が崩れ、色が濁ってきます。デッサンの段階で、色の塗り重ねを計算できるようになれば一人前です。

 バラやリンゴにホワイトを使う場合、陰影で彩度を下げたい場所に少し使います。ハイライトも使わないほうが良いのです。また、日本画で垂らし込みという技法がありますが、これは寝かせて描く手法で、イーゼルに立てて行うことはできません。垂らし込みは、薄く溶いた顔料が乾く過程で、自然に濃度の差が出るのを利用する技法です。墨溜まりのように、顔料が溜まったところが強調され、花弁などがそれらしく見えるのです→菱田春草 落葉

 垂らし込みを詳しく解説すると、明るい暗い反射光で説明した、陰の部分から急に反射光で明るくなる境目と同じ現象なのです。陰影のダイナミックレンジは、強い色から弱い色までの非直線的な変化です。鉛筆デッサンで、線の始まりに力を入れて、そこから抜くように一気に鉛筆を走らすと、最初だけ強くて最後は弱い線が勝手に出来ます。この手法と同じく、線の強弱のダイナミックレンジを広げる手法が垂らし込みなのです。

 初心者は、デッサンの陰影でも、強弱を一定の割合で変化させようとします。強弱の変化を直線グラフ的に考えているのです。しかし、実際には変化量は非直線的であり、強い色は極端に強くて、それ以外は弱い色が多いのです。水墨画は、陰影の自然界における強度分布を具象化したものですね。垂らし込みは使い過ぎると嫌味になります→嫌味な絵の典型。ここぞという時に使いましょう。

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美人の霊感アンテナ

2012-07-15 04:34:37 | Weblog
 美人を観察するに、概ね幾つかの共通点があり、その本質は「不安」と断言できます。と書くと、美人でないと自覚している読者は「えっ」と驚くかもしれません。でも事実なんですね。

 美人にはもう一つの共通点があります。それは、恋愛でキャッチボールが出来ないこと。要するに、相手に気持ちを伝えるための、自分側からの行動ができないのです。常に相手からのアプローチ待ちで、家に帰れば受け取ったボールが山のようになっています。これでは、普通の男性は疲れてしまうので、美人は御免ということになります。この間隙を突き、醜男が押しの一手で美人を手中にするのです。

 町中で手をつないでいるカップルの大半は、どちらも美人や美男子から程遠い場合が多いです。もっとも、男の僕から見ても、世の中にはいい男は物凄く少ないので、美男美女のカップルは少なくて当然です。でも、どうしてキモカップルは仲が良いのか?それは、人目を気にしないからなのだと思います。

 美人は人目を気にする生き物です。自分の気持よりも周りの目線が優先することがしばしばあります。だから素直になれない。素直になれなくて相手を傷つける行動に走る。その結果、自分が嫌われたと思い、自己嫌悪に陥って自信を喪失する。だから、アメリカ映画のように、耳にたこができるほど「愛してる」と言われないと愛されている自覚が持てないわけです。日本人的な「言わなくても分かる」は、こと美人に関しては通用しないのです。

 ここまで分かっていれば、美人の操縦など簡単そうですが、実際には物凄いエネルギーを消耗します。その理由は、美人の不安が伝染するからです。いや、不安だけでなく、疑心暗鬼や絶望も伝染するのです。自分の不安が相手も不安にし、自分の疑心暗鬼が相手の疑心暗鬼を引き起こす。これではうまく行くはずがありません。

 美人という生き物は、純粋な人が多く、それで霊的な影響力も強いのです。だから、芸術の陰に女ありとなり、犯罪の陰に女ありにもなるのです。霊感の受信感度の弱い男にとって、美人は霊感アンテナのようなものです。逆に言えば、アンテナとして役に立たない女は美人ではないのです。

 なお、ピエタの修復は進み、以前にアップした写真とは別の表情になりました。前のものは、トーン優先で色を練ったもので、僕がファンデーションと呼んでいる段階でした。絵の質としてはナルシシズムが強く、技術を誇示する自画像に近いものでした。最新版は、自我を抑えてモデルのイメージを追ったものでです。

 でも、ミューズの女神はピエタでは満足していないようなので、バラを鉛筆でデッサンしました。3時間で花を5つとその他。スプレーのバラは花が固まって描き難く、また花弁が多くてカーネーションのよう。疲れてへたへたなので、透明水彩での着彩は後日に。でも、すぐに枯れるから大変です。

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大津の特殊性

2012-07-13 02:49:40 | Weblog
 ミューズの女神の事を書いたことで、11日には早速の大逆転勝ち。神奈川の三浦投手を負けさせるわけにも行かず、逆転するなら降板してからだろうなと思い、ひたすらピエタの修復に全力。パソコンの部屋に戻ってきたら大逆転していました。しかも、僕の出身地である、岩手の畠山が満塁ホームランです。

 実は、この日の午後にミューズの女神に会えました(12日も)。ずっとレジで7連敗くらいだったのですが、不思議と信号も何もかもスムーズな日で、ミューズの女神もドンピシャ。もっとも、ミューズの女神には侍女(役の子=友人)がいて、その娘が前々日に笑顔でサインをくれたので、僕が途方に暮れているのが伝わったのだと思います。

 でも、女神指数の指標であるバレンティンが不振で、12日も全休と、女神の怒りはまだ執行猶予の段階のようです ((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル。12日は、デッサンの部屋のパソコンでスコアチェックしたので最後に追いつかれました。デッサンをサボったのがバレたのです orz。それにしても、ミニミカエルを作るという二人の女性読者に嫉妬し、数時間前にハンズで払ってきた板の代金分を、2回(二人)の表裏で計8点(八千円分)とは恐ロシア。向こうは捕手(女房=既女)の満塁ホームランですよ。ウリは命が縮むニダwww。

 ところで、大津事件と書くとロシア皇太子への刃傷沙汰が連想されるので、大津イジメ事件と書きますが、大変なことになっていますね。僕は滋賀県とは縁がなく、今までに降り立ったことはありません。山科の天智天皇陵の近くは歩いたことがあるのですが、ここは京都の端です。なぜ、これほどまでに縁がないのでしょう?

 大津といえば、天智天皇が明日香から遷都して近江朝を立てた場所で、実はいろいろと特殊な物が隠されています。というのも、天智は南北イスラエルの北イスラエル系ですが、中大兄と呼ばれたように、「中」の一字で象徴される上エジプトの王なのです。

 ヨセフは青ナイル。息子のマナセは上ナイル=白ナイルで、弟のエフライムが下ナイル=赤ナイルで象徴されるのです。中大兄はマナセ系で、シンボルは白なのです。古代史で珍説を披露している小林惠子(やすこ)が『白虎と青龍』で書いているように、白虎が中大兄で白のマナセ系に一致します。だからこそ、朝鮮半島の白村ノ江に軍隊を派兵したわけです。白村ノ江とは、マナセ系の根幹拠点だったのです。

 ここから分かるように、母親の皇極天皇(斉明天皇の重祚)もマナセ系なのです。父の舒明天皇が正しければ、父が南ユダのベニヤミン系で、母がマナセという系図です。北イスラエルはエフライム系が正統で、南ユダはユダ族が正統なので、父母共々が王族の第二血統という構成です。ちなみに、大正天皇の「正」がユダ族かイッサカル族ではないかと思われます。正が五画だから、五番目の祝杯という意味のイッサカルです。

 このように、天智天皇は北イスラエル系の二番目で、一番目となる弟のエフライム系が天武天皇なのです。だから天智の名前は、ベニヤミンの「明」も、エフライムの「武」も付かないのです。また、天智は葛城皇子とも呼ばれたので、葛城地方全体がマナセ系なのだと思います。そうすると、泉大津のダンジリなどで名前の出る近江ですから、ダンジリはマナセに帯同したダン族の祭だと推察されます。

 「楽浪(さざなみ)の 滋賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 舟まちかねつ」と柿本人麻呂が歌っているように、滋賀は朝鮮半島北部の楽浪から移住してきたです。今の地図だと、南朝鮮のソウルから北朝鮮の平壌にかけての一帯です。もっとも、今の朝鮮半島に住んでいるのは北方狩猟民族の穢(わい)族なので、楽浪原住民=倭人とは違います。

 楽浪が漢時代の中国の管轄名であったことから、「ラク」で括られる遊牧民族のイスラエル系(の語源)であるのは間違いありません。古代出雲や隠岐が楽浪と交易していたのは出土品からも明らかで、出雲は祭司のレビ族の土地だから、楽浪もユダヤ教の古い部族が支配していたのだと思います。これは、楽浪から移住してきた琵琶湖沿岸の民も一緒だと思います。

 唐(漢族ではなく鮮卑)を含む古代イスラエル社会は、宗主国の日本の主権をエフライム系に定めたのです。それが天武天皇なのですが、祭司の中臣氏は中が付くのでマナセに付帯した祭司です。おそらく、古代エジプトの水(オブ)神官がルーツで、早い時期に原始キリスト教に帰依し、その信仰の拠り所として、マナセ系の天智系ではなく、エフライム系の天武に鞍替えしたのだと思います。

 しかし、天武と藤原(中臣)氏は原始キリスト教を仏教に隠すことで一致。不比等の息子の時代には、別のイスラエル系である長屋親王を虐殺して、それを蘇我氏の山背皇子殺害として過去にさかのぼって記述。だから、蘇我氏が投影された入鹿の別名が、鞍替えを意味する「鞍作り」と、イエスの脇で十字架にかけられた二人の罪人を表す「林」となっているのです。蘇我入鹿の別名「林」に、二人の罪人が隠されていたのもカッバーラです。

 ということで、大津は昔からマナセ系の残滓とも言える土地なのです。ヤコブがエジプトに寄留した時、息子ヨセフが連れてきた二人の子供を祝福しました。しかし、ヤコブは手を交差して、弟のエフライムを長子として祝福し、兄のマナセをその下に置きました。これ以降、エフライムへの祝福はマナセを上回り、マナセはエフライムを妬む存在となったのです。

 学校も教師も警察も教育委員会も腐りきっている大津。聖書に登場する呪いが全て集まったかのような悲惨さ。生徒の一人を脅迫した書き込みに、朝鮮学校への進路も見えました。イジメ仲間に在日がいるのは間違いないようです。朝鮮半島に関わったら滅亡する。天智天皇の時代から何も変わっていませんね。

     エフライム工房 平御幸

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ミューズの女神

2012-07-10 22:30:21 | Weblog
 7月に負け知らずで、打線も驚異的に好調だったスワローズに急ブレーキがかかりました。ブレーキがかかったのは6日に広島戦が中止になった時からですが、6日に何があったかというと、絵の譲渡話です。要するに欲しいという人が現れたのです。無碍に断るわけにも行かず、ピエタのデッサンで合意したのですが、それからろくなことがありません。勝利の女神とミューズの女神にそっぽを向かれたのです。

 僕が本格的に絵を再開したのは26年ぶりです。女性教諭陣は発狂寸前か流産という、全てが死んでいる恐ろしい小学校で、(おそらく)北朝鮮系の養護教員に関わった時に、エクソシストするために45キロ以下にまで体重が落ちたとき以来です。その時はエクソシストとしての修行中でしたが、今回は純粋に芸術としての活動です。ミューズの女神が現れたからです。

 ミューズの女神は、とあるお店に居るのですが、ジョワドヴィーヴルの出現とシンクロしていました。ジョワドヴィーヴルのように小柄で品があって美人で可愛いという、古代史の瞳ちゃんのモデルとなった人を小さくした感じです。キビキビと仕事をしている動作を見ているだけで飽きない、どこを切り取っても絵になる完璧なモデルタイプです。母親の若い時はこんなだったのだろうなと思いました。

 しかし、どんなにモデルタイプでも、顔を見るために毎日通うわけには行きません。それで尻込みをして帰ろうとすると雨が降ります。思い直して行けば雨が上がり、スワローズもバレンティンが活躍して勝ちます。負けそうな時に出向いて帰るだけで逆転勝ちが何度もあったのです。スワローズに新加入したロマンの名前が全てを物語っています。

 ところが、尻込みする僕の性格が災いして、3月に彼女が休むようになりました。雨続きの週末とジョワドヴィーヴルの敗戦と骨折。それから毎日針の筵です。尻込みしない。がっかりさせない。それからどこでも誰にでも絶対に怒らない。神様と3つの契約をして、また以前のように出てくるようになったのです。

 交流戦に入った時にスワローズは10連敗もしましたが、連敗の初日に僕は怒ってしまっていたのです。神様の罰です。そして今回は、彼女が前を向いているのに、僕は彼女のいる左のエスカレーターではなく、離れた右の階段を上がったのです。気持ちが弱くて避けてしまったのです。それから、広島と横浜に連敗しただけでなく、彼女もずっと休み続けています。

 ここまで書けば分かると思いますが、ピエタは彼女がモデルなのです。また、バラの絵は彼女のイメージです。構図で二つの花が左右に分かれているのは、お互いが余所余所しく感じている現状を表しているのです。だから、絵が欲しいという人が現れても断るべきでした。何事も、ミューズの女神のお伺いを立てなくてはならないのです。天罰ですね。ピエタの方も手を入れれば入れるだけメタメタになって来ました。

 人生で数回あるかないかというミューズの女神との出会い。僕は、エジプトで囚人だったヨセフのように、髪も切らずに、エジプトのサンダル(雪駄)を履いて、唯一のご馳走であるパンをかじりながら、牢獄から出してくれる姫様を待っているのです。アセナテがヨセフの才能を引き出したように、ミューズの女神だけが僕を牢獄から出すことが出来るのです。僕は芸術家としてのラストチャンスを掴めるのか。今回を逃したら、二度と絵は描けないと思います。

     エフライム工房 平御幸
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デジカメ高画素の疑問

2012-07-09 20:42:17 | Weblog
 中古のA3スキャナーを落札したので、届いたら取り込みの実験をします。その前に、手持ちの古いスキャナーでスキャナーの性質を調べてみました。

 前回、古いスキャナーよりはデジカメのほうがマシだと書きましたが、バラの絵をプリントしてみたら逆でした。スキャナーで取り込んだほうが発色も階調も良いです。前回は、スキャナー用に古いパソコンを用いたので、ソフトの影響で階調が飛んでいたのです。取り込んだ画像を新しいパソコンとモニターで見たら、意外にしっかり取り込めていました。

 ピエタのデッサンの方は、実は手を入れすぎてトーンのバランスが崩れています。スキャナーでもデジカメでも、前回にアップした画像に比べて白々しく見えます。再度の修正が必要なので、もう少し描いて見ることにします。

 前にアップした画像は、ファイルサイズが7.7Mで撮影したものですが、フィル形式がJpegなので圧縮されて2M程度に落ちるようです。最大のサイズで撮影していなかったので、改めて12Mで撮影。しかし、かえって暗くなってノイジーです。3版式のメリットが伝わって来ません。また、レンズが小さいので、収差でどうしても木炭紙が歪んで写ります。

 今度は、ファイルサイズを4.7Mで撮影。ホワイトバランスや絞りを調整して暗さを解消。その結果、最初のオートと比べてのメリットも余り感じられず。やはり、ビデオカメラの写真撮影機能では無理で、一眼レフタイプでないとダメみたいです。

 スキャナーで取り込んだ画像は、保存する時に選択する形式として、ファイルサイズが大きい順にビットマップ(Bitmap)、Png、Jpegですが、画質は圧縮のないビットマップが優れています。Jpegはどうしても画質の劣化が気になります。それでも、デジカメのようなジラジラとしたノイズではないので、どうもデジカメの圧縮率が強すぎるのだと思います。

 スキャナーの解像度を100dpi(ドットパーインチ)にすると、1インチ(2.54センチ)を100ドットでスキャンすることになります。1ミリを約4ドットですから荒く思われますが、木炭紙は木目が粗くて線が縦横に見えますから、デッサンでは余り気になりません。やはり木炭紙に描いたバラも同じです。


200dpiでスキャンした薔薇の絵 ファイル形式はBitmap→Jpeg変換+縮小

 100ドットでスキャンしたものは、200ドットでスキャンしたものの面積で1/4のサイズです。同じ大きさで表示させたい時は、100ドット画像を100%表示なら、200ドット画像を50%サイズで表示させると一致します。印刷で使う72dpiはシルクスクリーンの解像度を参考にしたものだと思いますが、最近では350dpi程度まで解像度を上げているようです。

 自宅でプリントする時に、ファイルサイズが大きいままだと、プリンターが勝手に分割プリントする場合があります。プリンターのメーカーによっても違うし、初心者の一番困る所です。希望サイズのプリントを希望通りの色で印刷するのは大変で、ドットではなくて、出来上がり幅を指定しての分割プリントが気楽にできるようになって欲しい所です。前に、印刷について勉強しようと思いましたが挫折しました。それほど面倒で、やはりプロの領域です。

追加 A3スキャナーが届いたので150dpiでBitmapスキャン→Jpeg変換+縮小

まだ白飛びを起こしていますが、新しいスキャナーはこんなに色が違います ホルホル

     エフライム工房 平御幸
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スキャナー作戦

2012-07-07 21:37:00 | Weblog
 ピエタのデッサン画像をA4にプリントし、贔屓の乾物屋さんに見せたら好評。ダ・ヴィンチ展も知っていて芸術談義。ピエタは優しそうで、表情は僕に似ているそうな。とゴマをすられたので、ホルホルと杏の乾物を買いました。

 実際、自分で見ても、プリントからも良さは伝わってくるので、ポスターを作って配布しようかと獲らぬ狸の皮算用。ピコーンまでは良かったのですが、木炭紙をスキャーナーで取り込むのは至難。紙が痛むロールタイプではなく、大判のフラットベッドのスキャナーは都内にしかありません。それも足立区で激遠いし、料金も一枚3000円超。

 近くのコピー屋さんで聞いてみたら、スキャナーでは僕のデッサンは淡過ぎで取り込めないだろうとの事。写真屋でデータ化するか、A3のスキャナーを買って実験してみるか?いずれにしても大変そうなので、とりあえず環境設定からということで、27インチのモニターを買って来ました。分割スキャンした絵を貼り合わせる時に、モニターが大きくないとずれるからです。でも、現品処分の三菱モニターは、青一色だと端に色の溜りが出ます。

 僕の持っているスキャナーは90年代のIBM製で、蓋が取り外しできるので便利です。古代史の資料作りで重宝しました。しかし、いかんせん古いので遅いし、試しにバラの絵を取り込んでみたらハレーション。バラ色はくすむし、淡い色は白飛びで消えてしまいます。まだデジカメのほうがマシです。また、デッサンだと9分割してスキャンすることになり、張り合わせも大変です。

 最近のスキャナーはCCD搭載で、スキャンスピードは早いし魅力的なのですが、CCDの感度に不安があります。それほど、僕の作品はデリケートで、色の再現は難しいのです。バラの絵の本物を見たら、明るい色彩とデリケートなトーン変化に、大半の人はあまりの違いに驚くと思います。というのも、バラに使う顔料は、デジカメやスキャナーなどの撮像素子では透過してしまうのです。ピンクというよりも桃色に近い色ですから、余計に色飛びを起こしてしまうのです。

 ということで、無事にポスター化できたら、一枚1000円程度で配布します。木炭デッサンはカラーではなくグレースケールのほうが良いかも。原画の方はさっそく唾を付ける読者が現れたので、原画は試聴会などで飾ってもらおうと思います。バラの方は、本画(日本画)を描く時に必要なので手放せません。コピーや写真では色の再現はできないからです。

     エフライム工房 平御幸
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平御幸のデッサン講座~第10回 パステルと色鉛筆

2012-07-04 14:54:09 | Weblog
 前回は透明水彩の説明をしましたが、色を着ける素材にはパステルや色鉛筆もあります。今回は、それらの使い方を説明します。

 アニメや映画で、ストーリーをラフに描いたものをコンテと言います。コンテは黒や茶色の硬い棒で、線がはっきりと描けるので、曖昧さを回避するラフスケッチに有効なのです。ラフスケッチの段階で迷うようなら、良い作品にはなりません。

 このコンテと似ている素材にパステルがありますが、パステルのほうが柔らかくて、色数も多いし、感触がチョークに似ています。パステル調と俗に言われるように、パステルは色の境目を曖昧にした描き方に向いています。しかし、細かい描写には向いていないので、デッサンを学ぶ初心者には勧められません。



 また、色数が豊富という意味では、色鉛筆もパステル以上に用いられる素材です。しかし、色鉛筆は退色が早く、いつの間にか作品の色が変化している場合があります。日本画の岩絵の具でも紫外線などで退色しますから、本当に退色を心配するなら、天然の宝石・貴石をパウダーにした顔料にするしかありません。明治時代に描かれた油絵も、化学反応で色が変化しています。


ステッドラーの色鉛筆は、描いた上から水と筆で溶かすのが本当の使い方

 パステルが細部描写に向かないという現実。実は、バラを描こうと思ったら画用紙がなく、仕方なく木炭紙にパステルという、無謀なチャレンジをするハメになりました。僕の持っているパステルは特に太くて柔らかくて、線の一本すら正確に引くことはできません。それでも破綻しないように描いたのが一枚目。形を決められないのでこれが限界です。


パステルだけではこれが限界

 それで、色鉛筆を取り出して形を取り直すことにしました。しかし、このステッドラーの色鉛筆は特殊で、水で溶けるという性質があります。固形化した水彩絵の具なので、本当は木炭紙向きではないのです。木炭紙はこすって押し込むのに適し、水彩で使うことはありません。


色鉛筆は柔らかく、鉛筆のような線と細部描写は無理

 それでも、乗りかかった船ですから、柔らかくて細部描写に向かないステッドラー色鉛筆で限界まで挑戦。パステルと併用しながら、三割程度まで完成↑↓。写真では分かり難いのですが、水を入れたポットの重さと質感が出ているので、画面が安定しています。ポット部分のアップを掲載しますが、光源がイーゼルの向こうにあるので画面は暗くなっています。


本物はポットの質感がリアルです

 写真は色の再現性が悪く、細かな線も見えないので、自動補正をかけてみました。このようにコントラストを強くし、彩度を上げれば(色を強くする)、仕事した手数が如実に現れます。色を付けるのなら、やはり透明水彩がよく、デッサンの段階で形をしっかり描いていないと後で苦労します。モチーフと素材の相性など、実際に体験して会得するしかありません。


自動補正をかけたもの

 なお、デッサンは純粋に理科であり科学であるので、理科の成績の良かった人は自然に上達が早いのです。観察して描くのだから、観察力が必要とされる理科と相性が良いのは当然です。

07/06 一部変更
4枚目の画像を変更しました。絵の古い版だったので新しいのに差し替えたのと、実際の色彩に近い補正をかけました。実際の絵は、バラが紫ではなくピンクに近いバラ色です。もっと明るくて淡いのですが、この再現は写真では無理です。

     エフライム工房 平御幸
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クイズ~日本語の中のラテン語

2012-07-03 21:59:15 | Weblog
 古代史第二部11章の中で書いていますが、日本語の「埒(らち)があかない」のラチは、ラテン語のラテンと同じです。ラテンとは、「ラチの」という意味で、ラテン語圏でratiと書いて「合理性」を表します。だから、埒が開くではなくて、埒が明くと書くわけです。

 しかし、ラチはもともと原日本語(古代イスラエル語)であった可能性もあり、ラテン語の中に古い日本語が隠れているのかもしれません。鶏が先か卵が先かという問答になるので、このへんは専門の研究次第です。ということで、「日本語の中のラテン語」あるいは「ラテン語の中の日本語」というテーマでクイズ第一弾。

 今回の問題は、「比べる」という言葉の「比」です。なぜ「くらべる」と読まれるのか?ちなみに、ヒントは馬名にもあるクラーベセクレタやコンクラーベ(Conclave)です。それぞれの意味は自分で調べてください。きっと「なるほど」と感心すると思います。結構、「根競べ」もここから来ているのでは?

     エフライム工房 平御幸
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