日曜日のジャパンカップは、名手ルメールの好騎乗でウオッカの復活V。ウオッカは鼻出血(肺からの出血)を起こしての激走でした。脚色から判断するに、ゴール直前での発症でしょうね。それにしても、ルメールは、かかり気味の馬を制することがうまいですね。逃げるか後方一気の極端な騎乗しかできない武豊とは雲泥の違いです。
武君のリーチザクラウンは、色気を出したアサクサキングスが絡んできたので、予定より速いペースで逃げました。これがレースの好タイムを引き出したわけですが、ウオッカはやはり、緩いペースだと位置取りに関係なく爆発力が影を潜めるタイプですね。リーチザクラウンとコンデュイットは、目に見えない疲れがありました。コンデュイットは予想通り4着でしたが、これで評価が落ちるわけではありません。
さて、ゲームのキャラクターについて、いきなりの質問のメールが来ました。僕のブログや古代史のどこをどう読めば、ファイナルファンタジーとかのゲームの世界が連想されるのか?僕はゲームには興味がないので、理解に苦しみました。
僕の知っているゲームと言えば、昔のインベーダーや将棋だけです。その将棋でも、初代プレイステーションで16手で勝ち、03年ソーテックのバンドル版AI将棋でも25手前後で勝ち、プログラムの穴を見つける程度にしか遊んでいません。AI将棋って、コンピューター将棋選手権でそこそこ有名なんですよ。それが20数手で負けるのが、いわゆるプログラムの穴なのです。実は、ここにゲームの持つ危険性が表れているのです。
ゲームの多くは、プログラマーの思考パターンや趣味というものがベースで作られている仮想世界です。パソコン標準のゲームであるフリーセルは、数学的なパターン(組み合わせ)の限界まで、カードを配った手の組み合わせがあります。完全に数学の世界なので、ここにはフリーセル作者の思想や趣味が入り込む余地はありません。あるとすればカード(僕はリナックスのペンギンが好きなのですが)のデザインだけです。
フリーセル200連勝の記念画像
しかし、複雑なルーチンが必要とされる将棋では、純粋に数学的なプログラムは無理なのです。そこで、プログラムに「考える」という要素をAI(Artificial Intelligence=人工知能)として組み込む訳ですが、ここでAIの思索パターンを決定するのが、作者の性格や思考パターンや趣味なのです。ですから、ゲームのファンは作者の思考や趣味を無意識のうちにトレースしているのです。これが実に危険なのです。
ゲームばかりしているとゲーム脳になると言われていますが、これはゲームをする者が、作者の思考パターンや趣味を無条件で受け入れる所から来る弊害です。ゲームがどんなに難しい物であろうとも、そこには、自分で考えるのではなく、作者と考え方や趣味を一体化させようとする馬鹿者がいるだけなのです。自分の脳を自分で使うのではなく、作者にシンクロさせている気持ち悪さ。僕がゲームに拒否反応を示すのは、これが理由だったのです。
ゲームをする者は、ゲームの作者と脳を一体化してロボットになる。この危険性が理解できれば、飛行機や新幹線やロケットなどのシミュレーション以外は、ゲームに時間をかけるのは無駄と分かります。僕は初期のゲームにおいて、速く操作しすぎるためにタイミングが合わず、イライラしてゲームを放棄した経験があります。この時に気が付いたのですが、パソコンのダブルクリックと同じで、結局のところ、ゲームは自己放棄した人間による機械へのシンクロなのです。機械と作者へのシンクロ率の高い愚か者が高得点を上げるだけなのですね。
なお、将棋については、高度にファジーな局面判断が必要とされます。これを全ての可能性で計算したのでは時間がかかります。それで、局面に応じて、実際にあったプロ棋士の手を優先的な手として用います。将棋は過去の棋譜が全て残っていますから、局面ごとに羽生名人などの手を組み込むことが出来るのです。ですから、将棋においては、作者の思考パターンや趣味は駆逐される傾向にあります。それでも、誰も指したことのない手を指すと、コンピューターはプログラムの穴を露呈して簡単に負けるのです。
エフライム工房 平御幸
武君のリーチザクラウンは、色気を出したアサクサキングスが絡んできたので、予定より速いペースで逃げました。これがレースの好タイムを引き出したわけですが、ウオッカはやはり、緩いペースだと位置取りに関係なく爆発力が影を潜めるタイプですね。リーチザクラウンとコンデュイットは、目に見えない疲れがありました。コンデュイットは予想通り4着でしたが、これで評価が落ちるわけではありません。
さて、ゲームのキャラクターについて、いきなりの質問のメールが来ました。僕のブログや古代史のどこをどう読めば、ファイナルファンタジーとかのゲームの世界が連想されるのか?僕はゲームには興味がないので、理解に苦しみました。
僕の知っているゲームと言えば、昔のインベーダーや将棋だけです。その将棋でも、初代プレイステーションで16手で勝ち、03年ソーテックのバンドル版AI将棋でも25手前後で勝ち、プログラムの穴を見つける程度にしか遊んでいません。AI将棋って、コンピューター将棋選手権でそこそこ有名なんですよ。それが20数手で負けるのが、いわゆるプログラムの穴なのです。実は、ここにゲームの持つ危険性が表れているのです。
ゲームの多くは、プログラマーの思考パターンや趣味というものがベースで作られている仮想世界です。パソコン標準のゲームであるフリーセルは、数学的なパターン(組み合わせ)の限界まで、カードを配った手の組み合わせがあります。完全に数学の世界なので、ここにはフリーセル作者の思想や趣味が入り込む余地はありません。あるとすればカード(僕はリナックスのペンギンが好きなのですが)のデザインだけです。
フリーセル200連勝の記念画像
しかし、複雑なルーチンが必要とされる将棋では、純粋に数学的なプログラムは無理なのです。そこで、プログラムに「考える」という要素をAI(Artificial Intelligence=人工知能)として組み込む訳ですが、ここでAIの思索パターンを決定するのが、作者の性格や思考パターンや趣味なのです。ですから、ゲームのファンは作者の思考や趣味を無意識のうちにトレースしているのです。これが実に危険なのです。
ゲームばかりしているとゲーム脳になると言われていますが、これはゲームをする者が、作者の思考パターンや趣味を無条件で受け入れる所から来る弊害です。ゲームがどんなに難しい物であろうとも、そこには、自分で考えるのではなく、作者と考え方や趣味を一体化させようとする馬鹿者がいるだけなのです。自分の脳を自分で使うのではなく、作者にシンクロさせている気持ち悪さ。僕がゲームに拒否反応を示すのは、これが理由だったのです。
ゲームをする者は、ゲームの作者と脳を一体化してロボットになる。この危険性が理解できれば、飛行機や新幹線やロケットなどのシミュレーション以外は、ゲームに時間をかけるのは無駄と分かります。僕は初期のゲームにおいて、速く操作しすぎるためにタイミングが合わず、イライラしてゲームを放棄した経験があります。この時に気が付いたのですが、パソコンのダブルクリックと同じで、結局のところ、ゲームは自己放棄した人間による機械へのシンクロなのです。機械と作者へのシンクロ率の高い愚か者が高得点を上げるだけなのですね。
なお、将棋については、高度にファジーな局面判断が必要とされます。これを全ての可能性で計算したのでは時間がかかります。それで、局面に応じて、実際にあったプロ棋士の手を優先的な手として用います。将棋は過去の棋譜が全て残っていますから、局面ごとに羽生名人などの手を組み込むことが出来るのです。ですから、将棋においては、作者の思考パターンや趣味は駆逐される傾向にあります。それでも、誰も指したことのない手を指すと、コンピューターはプログラムの穴を露呈して簡単に負けるのです。
エフライム工房 平御幸