地球は丸い。この真理に辿り着くまでに、人類は実に無駄な時間を費やしました。広大な海で水平線と呼ばれるものが、誰も実際に水平かどうか測られなかったことに驚きです。四国の海でさえ、物指しを当てれば両端が下に丸くなるのに。
物の長さというものは、常に相対的なものでしかありません。背の高さを誇る人も、隣に巨人が来れば風に飛ぶイナゴと一緒です。だから、デッサンでプロポーションを測るときも、基準に何を選ぶかで結果は違ってきます。また、物指しや量り升の基準となる度量衡(どりょうこう)も時代で異なり、英米はいまだにヤードポンド法です。
ところが、角度というものは時代や国で異なるということはありません。ディグリー、グラード、ラジアン、の3つの計測法の違いはありますが、分度器は世界共通であり、また時代に左右されない絶対性があるのです。絶対=神の領域ですから、角度は神の支配する世界でもあるのです。
このことに気が付いたのは、古代遺跡の解析を行うようになってからですが、古代遺跡は角度にこだわったものが圧倒的に多いのです。これが僕の古代史の出発点です。農業に必要な太陽の観測。航海に必要な星の観測。すべてが角度を計測することで成り立っています。それが偏見を助長するのか、海軍は陸軍より賢いというイメージがあります。陸軍で角度というと、大砲を撃つ時の角度くらいでしょうか。
この講座で早い段階で注意を促したのですが、モチーフを観察する時に、垂直と水平の基準をしっかり作れば、大半のものは正確に描けます。しかし、形の取れない人は、何度注意しても角度を間違うか、角度を測らないで描こうとします。
円柱で、上の楕円が下の楕円より厚くなる。上の楕円より下の楕円が幅広になる。このような逆パースは、きちんと角度を測れば間違うわけがないのです。幾何形体で角度を間違う人は、石膏像でも静物でも角度を間違っているのです。鼻梁や眉のライン。首の傾きなど。石膏像は角度を間違う要素がふんだんに盛り込まれています。幾何形体程度で角度を間違う人は、もっと複雑な石膏像や人物で形を取れるはずもありません。
角度を測るという行為は、正確にやれば間違う恐れのないものです。だから、角度で失敗する人は、角度を測る時に何かが間違っているか、あるいは角度を測らないで描いているのです。これについては、正しく見るという事で解決するしかありません。
絵画で角度が大切になる透視法。1点透視、2点透視、3点透視、の3つがありますが、デッサンの場合は、作品の構図で使う透視法とは違うのです。構図の場合は、1点透視か2点透視で問題ありません。物を見下ろす構図の時にだけ、下にも焦点(消点)のある3点透視法になります。しかし、幾何形体のデッサン時は、描くもので透視法が異なってくるのです。
まず、球体はどこから見ても同じなので透視法は必要ありません。使えば歪むだけです。次に、皿などの楕円は奥に焦点のできる1点透視。円柱は下が細く見えるので、下にも焦点の出来る2点透視。円柱が横になったら3点透視となります。
四角い角柱などは、真正面から見たら奥と下の2点透視。斜めから見たら3点透視となります。きちんと観察して、きちんと測り、きちんと描けば、意識しなくともこのようになります。透視図法が満足にできない人は、透視図法が理解できていないか、観察の仕方が悪いのです。僕は面倒なので透視図法の補助線は最小に留めますが、それでも不自然になることはありません。形が不自然な人は、物の見方が悪いのです。
なお、幾何形体が苦手な人は、透明な素材や薄い紙などを使って、工業製品の写真をトレースする訓練が有効です。日本古来の技法である伝意模写の応用ですが、トレースで綺麗な形をイメージできるようになれば、モチーフを観察した時も目が迷わないのです。ただし、デッサンするときには、正しい形が取れるまで修正が必要です。間違ったままで放置し、勝手に次の課題に移っても上達しません。紙が擦り切れようが黒くなろうが、できるまでやるという姿勢が不可欠です。そのようにしない人は教えても無駄ですから。
エフライム工房 平御幸
物の長さというものは、常に相対的なものでしかありません。背の高さを誇る人も、隣に巨人が来れば風に飛ぶイナゴと一緒です。だから、デッサンでプロポーションを測るときも、基準に何を選ぶかで結果は違ってきます。また、物指しや量り升の基準となる度量衡(どりょうこう)も時代で異なり、英米はいまだにヤードポンド法です。
ところが、角度というものは時代や国で異なるということはありません。ディグリー、グラード、ラジアン、の3つの計測法の違いはありますが、分度器は世界共通であり、また時代に左右されない絶対性があるのです。絶対=神の領域ですから、角度は神の支配する世界でもあるのです。
このことに気が付いたのは、古代遺跡の解析を行うようになってからですが、古代遺跡は角度にこだわったものが圧倒的に多いのです。これが僕の古代史の出発点です。農業に必要な太陽の観測。航海に必要な星の観測。すべてが角度を計測することで成り立っています。それが偏見を助長するのか、海軍は陸軍より賢いというイメージがあります。陸軍で角度というと、大砲を撃つ時の角度くらいでしょうか。
この講座で早い段階で注意を促したのですが、モチーフを観察する時に、垂直と水平の基準をしっかり作れば、大半のものは正確に描けます。しかし、形の取れない人は、何度注意しても角度を間違うか、角度を測らないで描こうとします。
円柱で、上の楕円が下の楕円より厚くなる。上の楕円より下の楕円が幅広になる。このような逆パースは、きちんと角度を測れば間違うわけがないのです。幾何形体で角度を間違う人は、石膏像でも静物でも角度を間違っているのです。鼻梁や眉のライン。首の傾きなど。石膏像は角度を間違う要素がふんだんに盛り込まれています。幾何形体程度で角度を間違う人は、もっと複雑な石膏像や人物で形を取れるはずもありません。
角度を測るという行為は、正確にやれば間違う恐れのないものです。だから、角度で失敗する人は、角度を測る時に何かが間違っているか、あるいは角度を測らないで描いているのです。これについては、正しく見るという事で解決するしかありません。
絵画で角度が大切になる透視法。1点透視、2点透視、3点透視、の3つがありますが、デッサンの場合は、作品の構図で使う透視法とは違うのです。構図の場合は、1点透視か2点透視で問題ありません。物を見下ろす構図の時にだけ、下にも焦点(消点)のある3点透視法になります。しかし、幾何形体のデッサン時は、描くもので透視法が異なってくるのです。
まず、球体はどこから見ても同じなので透視法は必要ありません。使えば歪むだけです。次に、皿などの楕円は奥に焦点のできる1点透視。円柱は下が細く見えるので、下にも焦点の出来る2点透視。円柱が横になったら3点透視となります。
四角い角柱などは、真正面から見たら奥と下の2点透視。斜めから見たら3点透視となります。きちんと観察して、きちんと測り、きちんと描けば、意識しなくともこのようになります。透視図法が満足にできない人は、透視図法が理解できていないか、観察の仕方が悪いのです。僕は面倒なので透視図法の補助線は最小に留めますが、それでも不自然になることはありません。形が不自然な人は、物の見方が悪いのです。
なお、幾何形体が苦手な人は、透明な素材や薄い紙などを使って、工業製品の写真をトレースする訓練が有効です。日本古来の技法である伝意模写の応用ですが、トレースで綺麗な形をイメージできるようになれば、モチーフを観察した時も目が迷わないのです。ただし、デッサンするときには、正しい形が取れるまで修正が必要です。間違ったままで放置し、勝手に次の課題に移っても上達しません。紙が擦り切れようが黒くなろうが、できるまでやるという姿勢が不可欠です。そのようにしない人は教えても無駄ですから。
エフライム工房 平御幸