佐藤あり紗さんが、この前のお姉さん家族とのディズニーランド行きを詳しく説明していました。あの日は金沢の読者の意識不明を伝えた日で、「楽し楽しい」を連発する神経にがっかりしたと前に書きました。でも、悪気がなくて無邪気だと、本人が大人になっるまで待つしかありません (;´Д`)
今回は随分と慎重なメッセージで、少し大人になったかなという印象。言い訳を書いているわけでもないし、説明したいことはちゃんと伝わってきているのでご安心を。僕はもう怒ってないし、これからも怒ることはないと思います。むしろ、怒りすぎたと反省しているくらいで、これから雨降って地固まるのだと思います (;^ω^)
実は、僕はディズニーの作品は半分も見ていません。アニメソフトの絵は気持ち悪いからです。また、ディズニーランドにも関心がなく、弟の家族が何度か遊びに来ているのを知っているくらいです。
僕は、
① 待たされる
② うるさい
③ 広くて歩く距離が長い
という庶民的な行動力には付いて行けないのです。だから、パレードも、盛岡八幡宮の夜間の山車の練り歩き程度が限界。こちらは伝統文化なので、血がたぎる要素があります。でも、ディズニーって「星に願いを(ピノキオの主題歌)」しかないでしょう。
ピノキオはディズニー内部で冷遇されている作品です。売り場でも端だし、申し訳程度の扱い。なぜか?その理由がわかりました。何と、ピノキオは未成年なのに葉巻をプカプカさせてビールもジョッキーで飲んでいます。これが教育に悪いと批判が出て、できるだけ目のつかない所に置かれているのでしょう。なんという偽善 (;´Д`)
メアリー・ポピンズも紅茶が出てくるから、筆頭株主のモルモンから冷遇。不思議の国のアリスもタバコと紅茶が出てくるからモルモンに冷遇。こうして、今のディズニーは毒にも薬にもならない偽善だらけに堕落。見ていて面白いわけがありません (´Д`)
ピノキオの原作はイタリアで、ストーリーも随分と違います。ピノキオは首吊られて死んでしまいます。これが非難轟々で続編が書かれました。疑問なのは、ウォルト・ディズニーがなぜか、白雪姫の2作目にピノキオを選んだこと ^_^;
そのヒントは製作年代にあります。第二次大戦の勃発した1940年の完成。登場人物の金魚クレオ(Cleo)は日本の象徴です。アメリカの金魚は日本から輸出したものでした。怠惰の島でロバに変えられる少年たち。これは、中国の『聊斎志異』に出てくる三娘子という女の術。マルコポーロの影響を受けた後の時代に清から輸入されたのでは (*_*;
鯨に飲み込まれるのは、旧約聖書のヨナの三日間の奇跡。鯨の腹の中で飲み込まれたマグロを一本釣りするゼベット爺さん。日本では一本釣りは当たり前ですが、アメリカの漁法にあっただろうか?
この作品は大赤字で会社が潰れそうになったとか。原作から逸脱して描きたかったテーマはなにか?前半のからくり時計やおもちゃは凄い。ピノキオが頭の弱い子の表情たっぷりで生き生きして、やはりディズニーはキャラクターを立てるのが上手い。
手塚治虫のピノキオに、ディズニーをなぞったような作品があります。今なら盗作と呼ばれるレベルですが、ディズニーもレオをパクったのだから話が付いているのでしょう。今回は英語で英語字幕で見ましたが、日本語吹き替えもあるし、見たい人には送ります (^_^;)
20:15 >┼○ バタッ から復活したので追加
ピノキオのメインテーマは、子供が良心を持って育つことの大切さです。たとえ、両親がいないピノキオですら、育ての父を命がけで救おうとした。世界に戦争孤児が増える中、子供が悪に染まらないように願っているのです。
ディズニーランドは子供に夢を与える。でも、ディズニーは、子供のままではダメで、子供心を保ちながらの、子供に夢を与える大人になるように願っているのです。大人にならないで子供のままではディズニーを裏切ることになる。
ディズニーランドは行くけど、ディズニー作品は知らないというのでは本末転倒。それなら、楽しければディズニーでなくても良いことになる (;´Д`)
バレーボールも子供に夢を与えることでディズニーの精神を継承する。それが選手の魅力であり存在価値でもあり、僕の誇りに思うところでもあります。僕は作る側の人間だから厳しいディズニーを理解する。でも、夢を与える選手も、作る側の苦労を理解するように成長できればいいなと思います (;^ω^)
今回は随分と慎重なメッセージで、少し大人になったかなという印象。言い訳を書いているわけでもないし、説明したいことはちゃんと伝わってきているのでご安心を。僕はもう怒ってないし、これからも怒ることはないと思います。むしろ、怒りすぎたと反省しているくらいで、これから雨降って地固まるのだと思います (;^ω^)
実は、僕はディズニーの作品は半分も見ていません。アニメソフトの絵は気持ち悪いからです。また、ディズニーランドにも関心がなく、弟の家族が何度か遊びに来ているのを知っているくらいです。
僕は、
① 待たされる
② うるさい
③ 広くて歩く距離が長い
という庶民的な行動力には付いて行けないのです。だから、パレードも、盛岡八幡宮の夜間の山車の練り歩き程度が限界。こちらは伝統文化なので、血がたぎる要素があります。でも、ディズニーって「星に願いを(ピノキオの主題歌)」しかないでしょう。
ピノキオはディズニー内部で冷遇されている作品です。売り場でも端だし、申し訳程度の扱い。なぜか?その理由がわかりました。何と、ピノキオは未成年なのに葉巻をプカプカさせてビールもジョッキーで飲んでいます。これが教育に悪いと批判が出て、できるだけ目のつかない所に置かれているのでしょう。なんという偽善 (;´Д`)
メアリー・ポピンズも紅茶が出てくるから、筆頭株主のモルモンから冷遇。不思議の国のアリスもタバコと紅茶が出てくるからモルモンに冷遇。こうして、今のディズニーは毒にも薬にもならない偽善だらけに堕落。見ていて面白いわけがありません (´Д`)
ピノキオの原作はイタリアで、ストーリーも随分と違います。ピノキオは首吊られて死んでしまいます。これが非難轟々で続編が書かれました。疑問なのは、ウォルト・ディズニーがなぜか、白雪姫の2作目にピノキオを選んだこと ^_^;
そのヒントは製作年代にあります。第二次大戦の勃発した1940年の完成。登場人物の金魚クレオ(Cleo)は日本の象徴です。アメリカの金魚は日本から輸出したものでした。怠惰の島でロバに変えられる少年たち。これは、中国の『聊斎志異』に出てくる三娘子という女の術。マルコポーロの影響を受けた後の時代に清から輸入されたのでは (*_*;
鯨に飲み込まれるのは、旧約聖書のヨナの三日間の奇跡。鯨の腹の中で飲み込まれたマグロを一本釣りするゼベット爺さん。日本では一本釣りは当たり前ですが、アメリカの漁法にあっただろうか?
この作品は大赤字で会社が潰れそうになったとか。原作から逸脱して描きたかったテーマはなにか?前半のからくり時計やおもちゃは凄い。ピノキオが頭の弱い子の表情たっぷりで生き生きして、やはりディズニーはキャラクターを立てるのが上手い。
手塚治虫のピノキオに、ディズニーをなぞったような作品があります。今なら盗作と呼ばれるレベルですが、ディズニーもレオをパクったのだから話が付いているのでしょう。今回は英語で英語字幕で見ましたが、日本語吹き替えもあるし、見たい人には送ります (^_^;)
20:15 >┼○ バタッ から復活したので追加
ピノキオのメインテーマは、子供が良心を持って育つことの大切さです。たとえ、両親がいないピノキオですら、育ての父を命がけで救おうとした。世界に戦争孤児が増える中、子供が悪に染まらないように願っているのです。
ディズニーランドは子供に夢を与える。でも、ディズニーは、子供のままではダメで、子供心を保ちながらの、子供に夢を与える大人になるように願っているのです。大人にならないで子供のままではディズニーを裏切ることになる。
ディズニーランドは行くけど、ディズニー作品は知らないというのでは本末転倒。それなら、楽しければディズニーでなくても良いことになる (;´Д`)
バレーボールも子供に夢を与えることでディズニーの精神を継承する。それが選手の魅力であり存在価値でもあり、僕の誇りに思うところでもあります。僕は作る側の人間だから厳しいディズニーを理解する。でも、夢を与える選手も、作る側の苦労を理解するように成長できればいいなと思います (;^ω^)