平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

フリーソフトの恩恵~古墳時代の大和湖の存在

2006-07-05 12:09:54 | 古代史と聖書
 フリーソフトの恩恵~古墳時代の大和湖の存在

 古代史の方で度々用いるツールに、山岳地形シミュレーション・ソフトのカシミール3Dというものがあります。DAN杉本氏による無料のソフトですが、国土地理院などの地図情報を元に、地形を3D(立体)化したり、ダム湖や自然湖を作成したり、それらを仮想カメラで写すことが出来ます。使い方で色々に役立つのですが、僕は古代遺跡の地形的な制約を調べています。具体的には、弥生遺跡の水没が確認出来たりするのです。

 邪馬壹国の候補地に大和がありますが、田原本町にある弥生時代中期から末までの唐古・鍵遺跡もその候補地です。ところが、唐古・鍵遺跡の東西は、纒向遺跡と大和西古墳群という古墳時代の遺跡で占められています。古墳群に挟まれた盆地が弥生遺跡なのです。変ですね。なぜ、弥生遺跡は棄てられたのでしょうか。

 この疑問を解くために、古墳群の配置を検討する必要があります。なぜならば、古墳というのは権力の象徴ではなく、堀に水を集める構造で沼沢地などの土地改良を目的としたものだからです。これは、『私だけの古代史・第一部酒船石編』第7章「酒船石の謎解きの材料」で説明しています。従って、古墳は水際に造られたので、逆説的には古墳の標高以下は湖だったことになるのです。実際、中百舌鳥の仁徳天皇陵や羽曳野の古墳群も、古代の大阪湾の水際だったのです。ここから、大和西古墳群と纒向の古墳群に挟まれた唐古・鍵遺跡は、古墳が造られた当時は湖だったと推量出来るのです。

 最近、邪馬壹国を大和にしたい研究者が、古墳時代を引き下げようとする傾向にあります。しかし、古墳時代と卑弥呼の弥生時代は根本的に別なのです。卑弥呼の墓は槨のない土の家であり、これが塚なのです。塚を土の家と読み間違ったのです。いずれにしても、槨を持つ古墳とは違います。当然、箸墓古墳もその他の古墳も卑弥呼の時代のものではありません。邪馬壹国は静岡にあったというのが平説です。

 さて、問題は弥生遺跡が大和湖に沈んだ原因です。これもカシミール3Dで分かるのです。それは、斑鳩から西に流れる大和川が信貴山の南で塞がれ、ダムを形成したからです。関西本線が走る川沿いのどこかで土砂に埋まったのです。これは、川が埋まるほどの土石流があったことを意味します。これが大和湖を作り出し、唐古・鍵遺跡を水没させたのです。

 この様なことを現在研究中ですが、長編になりそうなので重い腰が益々重くなっています。番外編のエピソードとしては量も多く、第四部として構成しようかと悩んでいます。でも、カシミール3Dで作成した画像はインパクトがあるから、これだけでも早めに公開することにしました。

     エフライム工房 平御幸
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