平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

劣等感という化け物

2006-11-06 09:29:43 | Weblog
 インターネット社会を代表するものに掲示板というものがあります。特定のテーマの掲示板をスレッドと言い、参加者は実名、あるいは匿名で好きな事を書き込む事が出来ます。でも、掲示板は悪意で使用される事があり、中傷・誹謗・捏造・非難・脅迫が横行します。でも、悪意の書き込みはどうして起こるのでしょうか?今回はここを掘り下げてみたいと思います。

 僕のブログは気まぐれなので更新は時々ですが、それでも毎日誰かが読んでくれています。それで、自分のホームページに隠しコンテンツとしてブログ関係のhtm(ブラウザで開く文書)を置いてるのですが、これはアクセスの回数が分かるようになっています。例えば、前回の「画像で分析する浅田真央の心理」のhtmは、公開2日目に突然アクセスが増えました。変だなと思って調べてみると、2チャンネルという掲示板の、浅田真央ファンのスレッドで誰かが紹介していたのです。

 ところが、この掲示板は真央ファンだけでなく、アンチ真央の書き込みも多く、いわゆる荒れた状態が続いていました。荒れる原因の大半は、掲示板に一日中張り付いて、意図的にファン同士の対立を煽る書き込みをする者の存在にあるようです。例えば、安藤選手のファンを偽装して真央ファンを叩くとか、安藤選手を在日扱いにする事で、安藤選手に非難が集まるように仕組むなど、その手口は実に巧妙です。要するに、日本の中に内部分裂を起こさせようと意図されているのです。それで、このような存在は朝鮮半島の工作員として扱われます。

 彼ら(工作員)は無視するのが一番とされていますが、多くの人は彼らの書き込みに過剰に反応して反論するので、結果として罵倒合戦になり掲示板が荒れるのです。では、どうして大半の人が工作員の書き込みを無視できなくて対応してしまうのでしょうか?それは、書き込む側と同じくコンプレックスを抱いているからです。また、最近、些細な事で怒る、あるいは犯罪に走る、という短絡的な人が増えています。さらに、幾ら大問題になっても飲酒運転は無くなりません。その理由も、彼らの精神の根底にあるコンプレックスが原因です。

 工作員のコンプレックスは民族的な劣等意識です。それで、日本を代表するような選手が現れると必ず叩いてきます。逆に、日本と戦うレベルの選手が出てくると、マスコミを利用して「真央ちゃんの最大のライバル」などとアドバルーンを上げます。真央ちゃん本人はライバルとは思っていないでしょう。それなのに、無理矢理ライバル扱いして宣伝し、視聴者を平気で欺きます。ここにも、偽りの韓流が見られるのです。それで、掲示板では工作員対反韓・嫌韓の構図で、罵倒合戦が加速する事になるのです。

 工作員の意図は統制が取れているので明確ですが、反応する日本人の方は個人個人がバラバラです。しかも、掲示板はその性質上同好の士が集まる、要するにナルシシズムを満たそうとする人が多いのです。その結果、誰かの書き込みでナルシシズムが傷付くと過剰に反応するという現象が見られます。また、揚げ足取りが目的の人間もいて、些細な間違いなどを追求しようと虎視眈々としています。どうも、僕から見ると変な世界ですが、これは日本というコンプレックス社会の縮図ではないかと思えてきます。

 学歴、容姿、収入、社会的地位、権威、あるいは民族や人種、あるいは親、ありとあらゆるものがコンプレックスの原因となっているのです。それで掲示板で偉そうな事を書き込むとか、他人を誹謗するとか、そうやって憂さを晴らす人種が形成されるのです。僕は、憂さ晴らしをする人が嫌いです。人間として一番情けないのが憂さ晴らしではないかと思います。酒を飲む、掲示板に書き込む、そのような事で憂さを晴らしても、それで何か解決しますか?無理ですよね。根本的に何も変わっていないのだから。


 長くなったので、結論を書きます。劣等感、あるいは無力感という厄介なものは、実はサタンから来ているのです。永遠の闇に属すもの。だからこそ、この鎖に捕らわれると抜けられないのです。劣等感は抱いてはならないし、克服できる性質のものではありません。劣等感を克服したと勘違いした者は、逆の優越感に浸るつまらない人間になるだけです。人は、光と闇のどちらかにしか仕える事が出来ないように、二択しかできないのです。すなわち、劣等感も優越感も抱かない光の人間か、劣等感か優越感に支配された闇の人間の二択です。人は神の子であるとしたら、劣等感を抱く事がどんなに罪か理解されるでしょう。

 もし人に足りないものがあれば、それは人が協力して補い合うためなのです。もし人に優れたものがあるとしたら、それは神と社会に奉仕するためなのです。劣等感を含むコンプレックスという闇の化け物から解放されるには、人間が誰でも持っている光の扉という「どこでもドア」を開けさえすればよいのです。純粋、謙虚、素直、それがこのドアを開ける三つの鍵ですが。

     エフライム工房 平御幸(Miyuki.Taira)


コメント (2)
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