クイズの答えは日曜日の夜に発表するとして、クイズに関連した事を書きます。
イエスのエピソードは印象的なものが多いですが、本当に大事なものは密かに描かれています。クイズのヒントとして出した下着もその一つです。
「また下着を手に取ってみたが、縫い目 がなく、上から下まで一枚織りであった」(ヨハネによる福音書19-23)
このシーンはヨハネ伝だけに書かれており、マタイ伝を重視する普通の信者や研究家からは一瞥もされません。しかし、預言の霊が少しでもある者は、この一節が奥義に満ちていることが分かるのです。もっとも、「一枚織り」は「一本の糸で編まれた」の間違いですが。
僕が何故、間違いだと断言できるのか?それは、予備校生の時に、母親が送ってきた毛糸のロングベストです。黒い毛糸で編まれた、膝頭に届くロングベストは、胸を横切って一周するように赤いギザギザが付けられていました。僕はこれをトレンチコートの下に着ていたので、新美でも芸大でもサタンから守られたのです。兄の分も横取りして、「兄が届けなかった」と母親が勘違いしましたが、兄の祝福を奪うヤコブの逸話と同じです。
古代史の中で少し書いていますが、古代イスラエルが崩壊し、世界に散ったイスラエルの子孫によって、世界中に多くの文学的な足跡が残されました。グリム童話の『黄金のガチョウ』は、金で象徴されたエジプト宰相ヨセフがモデルです。自身はアヒルで象徴されたヨセフですが、妻の父がガチョウで象徴されたのです。ヨセフに連なった者の繁栄の物語なのです。
同じように、アンデルセン童話に『白鳥の王子』がありますが、こちらはヨセフの物語の上に上塗りされた、イエスのユダ族の匂いがします。「イエスの茨⇔刺草(イラクサ)」や、「イエスの下着⇔姫の編んだ衣」という対比。イラクサで編んだ衣が魔女の魔法を解くエピソードは、イエスの着ていた下着が霊力を持っていた事を再認識させるのです。
母親が送ってきたロングベストは黒で、これは「黒い羊=黒い毛糸」で象徴されたヤコブが雛形です。母親は聖書の知識はありませんでしたが、霊感が強いので、自然に神の求めるものを作ることが出来たのです。胸の赤いギザギサは雷で、絶対神の象徴です。今の東京は冬でも暖かいので、コートの下に着るという感じではないのですが、当時の僕はガリガリに痩せて寒がりだったので丁度良かったですね。
織物というものは、経(たて=縦)糸と緯(よこ=横)糸が交差するので、自然に十字架が形成されます。十字架のクロスと織物のクロスは一緒なのです。しかし、織物は裁断と縫製作業が必要です。イエスが着ていた下着が縫い合わせでないという前提から、それは「一本の糸で編まれたもの」という自然な帰結がなされるのです。
人が着るものには霊力が宿る。これはアダムとイブの着た、神が与えた衣服や、外套で川を叩いたエリヤのエピソード(『列王紀下』2-8)に描かれています。イエスの下着が編まれたものだったからこそ、「同じように編まれた網を手にする漁師=イエスの弟子」という構図が理解されるのです。
イエスと秦氏の関係は、このような深い掘り下げの中から出てくるものではなく、小学生にも出来る言葉遊びでピコーンとくるものです。パソコンや携帯の日本語変換機能が無駄にならないように、暇を見つけてピコピコとやっていればそのうちピコーンとくるかもしれません。たった一文字なので、早い人は1分で分かるでしょう。
エフライム工房 平御幸
イエスのエピソードは印象的なものが多いですが、本当に大事なものは密かに描かれています。クイズのヒントとして出した下着もその一つです。
「また下着を手に取ってみたが、縫い目 がなく、上から下まで一枚織りであった」(ヨハネによる福音書19-23)
このシーンはヨハネ伝だけに書かれており、マタイ伝を重視する普通の信者や研究家からは一瞥もされません。しかし、預言の霊が少しでもある者は、この一節が奥義に満ちていることが分かるのです。もっとも、「一枚織り」は「一本の糸で編まれた」の間違いですが。
僕が何故、間違いだと断言できるのか?それは、予備校生の時に、母親が送ってきた毛糸のロングベストです。黒い毛糸で編まれた、膝頭に届くロングベストは、胸を横切って一周するように赤いギザギザが付けられていました。僕はこれをトレンチコートの下に着ていたので、新美でも芸大でもサタンから守られたのです。兄の分も横取りして、「兄が届けなかった」と母親が勘違いしましたが、兄の祝福を奪うヤコブの逸話と同じです。
古代史の中で少し書いていますが、古代イスラエルが崩壊し、世界に散ったイスラエルの子孫によって、世界中に多くの文学的な足跡が残されました。グリム童話の『黄金のガチョウ』は、金で象徴されたエジプト宰相ヨセフがモデルです。自身はアヒルで象徴されたヨセフですが、妻の父がガチョウで象徴されたのです。ヨセフに連なった者の繁栄の物語なのです。
同じように、アンデルセン童話に『白鳥の王子』がありますが、こちらはヨセフの物語の上に上塗りされた、イエスのユダ族の匂いがします。「イエスの茨⇔刺草(イラクサ)」や、「イエスの下着⇔姫の編んだ衣」という対比。イラクサで編んだ衣が魔女の魔法を解くエピソードは、イエスの着ていた下着が霊力を持っていた事を再認識させるのです。
母親が送ってきたロングベストは黒で、これは「黒い羊=黒い毛糸」で象徴されたヤコブが雛形です。母親は聖書の知識はありませんでしたが、霊感が強いので、自然に神の求めるものを作ることが出来たのです。胸の赤いギザギサは雷で、絶対神の象徴です。今の東京は冬でも暖かいので、コートの下に着るという感じではないのですが、当時の僕はガリガリに痩せて寒がりだったので丁度良かったですね。
織物というものは、経(たて=縦)糸と緯(よこ=横)糸が交差するので、自然に十字架が形成されます。十字架のクロスと織物のクロスは一緒なのです。しかし、織物は裁断と縫製作業が必要です。イエスが着ていた下着が縫い合わせでないという前提から、それは「一本の糸で編まれたもの」という自然な帰結がなされるのです。
人が着るものには霊力が宿る。これはアダムとイブの着た、神が与えた衣服や、外套で川を叩いたエリヤのエピソード(『列王紀下』2-8)に描かれています。イエスの下着が編まれたものだったからこそ、「同じように編まれた網を手にする漁師=イエスの弟子」という構図が理解されるのです。
イエスと秦氏の関係は、このような深い掘り下げの中から出てくるものではなく、小学生にも出来る言葉遊びでピコーンとくるものです。パソコンや携帯の日本語変換機能が無駄にならないように、暇を見つけてピコピコとやっていればそのうちピコーンとくるかもしれません。たった一文字なので、早い人は1分で分かるでしょう。
エフライム工房 平御幸