9500の修理にまだ時間がかかるので、その間にイエスの磔刑のシーンにおける問題を出します。
リンク先はアンドレア・マンテーニャが描いた磔刑のシーンですが、イエスの左右で磔になっている二人の犯罪者を特定せよ。ルカによる福音書23章の39~42節に出てくる二人の犯罪者のうち、どちらが左でどちらが右に位置したのか。先の罵った者か、後の弁護した者か、十字架から分かるのです。
なお、参考の絵は回答とは関係なく、ただイメージしやすいように貼り付けただけです。ここ数日の僕の書いてきたことをちゃんと読めば分かる内容です。分からなかった人は読解力か注意力に問題があります。
エフライム工房 平御幸
リンク先はアンドレア・マンテーニャが描いた磔刑のシーンですが、イエスの左右で磔になっている二人の犯罪者を特定せよ。ルカによる福音書23章の39~42節に出てくる二人の犯罪者のうち、どちらが左でどちらが右に位置したのか。先の罵った者か、後の弁護した者か、十字架から分かるのです。
なお、参考の絵は回答とは関係なく、ただイメージしやすいように貼り付けただけです。ここ数日の僕の書いてきたことをちゃんと読めば分かる内容です。分からなかった人は読解力か注意力に問題があります。
エフライム工房 平御幸
先日先生は十字架の架の字に関して、「木の左右に力と口の構図があります」とおっしゃいました。
今回の問題に当てはめて考えると、口を開けて罵るというイメージがありますので、罵った者が右、弁護した者が左ではないかと思いました。
イエスの磔刑の場面は、「生命の樹」を表していると
思いました。
イエスのかけられた十字架が「均衡の柱」。
イエスからみて右側が「慈悲の柱」
イエスから見て左側が「峻厳の柱」だと思います。
失われたカッバーラ「陰陽道」の謎に、
慈悲の柱は「光」に、峻厳の柱は「闇」に通じるとあるので、
イエスから見て右側の罪人がイエスを弁護した罪人、
イエスから見て左側の罪人がイエスを罵った罪人だと思います。
まだ甘い。架の字の意味を説明するには足らない。
訓さん
同じく甘い。
私もほんとさん、訓さんと同じく、イエスから見て右が弁護した罪人、左が罵った罪人だと思いました。
架の字の意味について考えてみます…。
7月20日の記事で、「加」の字は口を閉じて力を投入するから「クワエル」である、とありました。
また、リンク先のウィキペディアで十字架刑の説明があり、「この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。刑を受ける者は両手首と足首を釘で打ち付けられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った」とありました。
ここから、木(十字架)の上でなんとか体を支えようと口を閉じて踏ん張る3人が「架」になったのかな?と考えました。
ではなぜ、マタイ伝では描写されていないのか?
皆さんと同じように「架」の字をヒントに考えてみました。
十字架上の二人の罪人のうち、弁護した者はパラダイスに入る最初の人間として、罵った者がこれまでの罪の人間としての終わりで、阿吽を意味するのではないかと思いました。
なので左側が罵った者、右側が弁護した者と考えました。
では、罵った者はイエスによって救われたのか否か?
先生と皆さんのコメントを拝見して考えましたorz
最初に罵った方がガブリと噛みつく阿吽の阿で、後の弁護した方が、吽と思いました。
架の字を見て、右が罵った方で、左が弁護した方かなと思いました。阿吽で、罪人の二人が始まりと終わりを表すと思いました。
結果は正解だが途中が間違い。