旧約聖書で神の御業は陶器師の仕事に例えられる。ただの土塊(つちくれ)から人間を創った神。それに倣うように、人は土塊から陶器を作り、また塑像を作り出す。神の後追いをしているわけです (*^^*)
掲示板で、知ったかぶりが聖書やイスラエルやユダヤ人について間違ったことを書く。彼らは妄想の世界に生きているのであって、自分の霊を磨くということを知らない愚かな存在。
占いやオカルト好きな人間は、僕の設計したスピーカーやアンプを作ろうとすると頭のおかしいことを露呈する。僕は神の命令で設計しているから、サタンに支配されている者には極度のプレッシャーとなるからです。中には、自分で自分を切って血を流し、工作から逃げようとする者も出る始末 (~O~;)
物作りは人間の基本であって、農業や漁業と並んで国造りの根幹となっています。しかし、オカルトが入り込むと、人を害するための装置や薬品を作り、金儲けのために組織化するようになる。オウム真理教事件はその典型です。
物作りは理念が大切で、美意識や理想という、一銭にもならないものに情熱を注ぐ者も出る。本当の芸術家はその代表で、神によって与えられた才能に奉仕することで神を追い求める。ただ、万物を見通す神の目だけが怖いのです。心の中の嘘や偽りが露呈するから (>_<)
だから、スピーカーやアンプを作るときに、僕は祈るように作れと指導し、実際に読者は忠実に守って作っています。何年も作っている人は、いつの間にか霊格が上がって、本物と偽物の違い、真実と嘘と欺瞞の違いを理解できるようになる。
何かを作るとき、そこにはちゃんとした理論や経験則が必要になる。妄想が入り込む余地がないのです。思い込みで作ると失敗する。下手すると事故につながる。作ることで脳が活性化して老化も防ぐ。良い事だらけです (/・ω・)/
物作りは霊を育み、他人を育み、国を育むようになる。そのような人が神の世界に招かれるわけで、拝金主義者やオカルトマニアは神の家の門口に立つことすら出来ない。天の軍団が怒りをもって排除するからです。
不思議なことに、米粒1つ作れない、何も作れない者ほど高慢になる。金で買えばいいと思うようになる。農作物を作り、漁業を糧とする者に、生産に必要な機械や工具や船や網や燃料が提供される。工場ができて交通網が整備されて物流が活発になる。でも、最初に作る者がいないとシステムは崩壊するのです。
何も作らない者がオカルトに走る理由。濡れ手に粟の政治家が悪魔に魂を売る理由。それは、神の本質が創造であることの必然なのです。物作りは豊かさの原点。物だけでなく心が豊かになると神に褒められる。豊かになった心は次の世代のための種を蒔く。そういう意味では、今の時代は不健全すぎるのです。だから滅びの時代なのですよ (ーー;)
掲示板で、知ったかぶりが聖書やイスラエルやユダヤ人について間違ったことを書く。彼らは妄想の世界に生きているのであって、自分の霊を磨くということを知らない愚かな存在。
占いやオカルト好きな人間は、僕の設計したスピーカーやアンプを作ろうとすると頭のおかしいことを露呈する。僕は神の命令で設計しているから、サタンに支配されている者には極度のプレッシャーとなるからです。中には、自分で自分を切って血を流し、工作から逃げようとする者も出る始末 (~O~;)
物作りは人間の基本であって、農業や漁業と並んで国造りの根幹となっています。しかし、オカルトが入り込むと、人を害するための装置や薬品を作り、金儲けのために組織化するようになる。オウム真理教事件はその典型です。
物作りは理念が大切で、美意識や理想という、一銭にもならないものに情熱を注ぐ者も出る。本当の芸術家はその代表で、神によって与えられた才能に奉仕することで神を追い求める。ただ、万物を見通す神の目だけが怖いのです。心の中の嘘や偽りが露呈するから (>_<)
だから、スピーカーやアンプを作るときに、僕は祈るように作れと指導し、実際に読者は忠実に守って作っています。何年も作っている人は、いつの間にか霊格が上がって、本物と偽物の違い、真実と嘘と欺瞞の違いを理解できるようになる。
何かを作るとき、そこにはちゃんとした理論や経験則が必要になる。妄想が入り込む余地がないのです。思い込みで作ると失敗する。下手すると事故につながる。作ることで脳が活性化して老化も防ぐ。良い事だらけです (/・ω・)/
物作りは霊を育み、他人を育み、国を育むようになる。そのような人が神の世界に招かれるわけで、拝金主義者やオカルトマニアは神の家の門口に立つことすら出来ない。天の軍団が怒りをもって排除するからです。
不思議なことに、米粒1つ作れない、何も作れない者ほど高慢になる。金で買えばいいと思うようになる。農作物を作り、漁業を糧とする者に、生産に必要な機械や工具や船や網や燃料が提供される。工場ができて交通網が整備されて物流が活発になる。でも、最初に作る者がいないとシステムは崩壊するのです。
何も作らない者がオカルトに走る理由。濡れ手に粟の政治家が悪魔に魂を売る理由。それは、神の本質が創造であることの必然なのです。物作りは豊かさの原点。物だけでなく心が豊かになると神に褒められる。豊かになった心は次の世代のための種を蒔く。そういう意味では、今の時代は不健全すぎるのです。だから滅びの時代なのですよ (ーー;)
アベルは作物を作った。カインは狩猟に出かけた。祝福されたのはアベルの方で、カインは不満をつのらせた。
狩猟は捕り尽くしたら動物と人は絶滅する。神は最初から作ることの大切さを教えていたのです。サタンは最初から奪うことを教える (_ _;)
私は先生やエフライムSNSの皆さんに出会わなければモノ作りの楽しさに気づけなかったかもしれません。
最近は料理も楽しいなと思いますし、洋服や家具や色んなものを作ってみたいなと思います。
祖母を見習ってもっと早くこの楽しさに気づけば良かったです。。
最近のしたらば掲示板は聖書引用からの末日論者が多くてゲンナリしますorz
物作りの大切さを教えていただきありがとうございます。
趣味を仕事にさせて頂いているので、趣味と言える趣味がなくなってしまったので、初めてスピーカーを作らせて頂いた時は、仕事以外に集中する時間が持ててとても嬉しかったです。最近は集中力が持続せず、先生に完成してもらってばかりですので、落ちているのだと思います。
年をとって時間に余裕が生まれたら、絵を描いてみたいと密かに思っています。
昨日、アンプとユニットを受け取りました。
お忙しい中修理していただき、ありがとうございましたm(__)m
自分の作ったスピーカーが実は世の中を少し動かしていると思えば気合が違ってきますよ \(^o^)/
おばあちゃんには教わることが多いですね (;^ω^)
末日を論じても何の意味もありません。ただ魂を磨く日々の行いと思いだけが大切ですね (_ _;)
フロローサさん( ノ゚Д゚)こんばんわ
下手に弄って壊さないようにw
LEDパネルはずれているので修正が必要。スピーカーユニットは交換してみるように。ネジ穴が合わなければパテで埋めて乾燥したら開け直す。
ネジを締めるときにセンターキャップを潰さないように手で覆いながら締める (^m^;)
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
逆ですが。
以前、先生のブログにて百姓の意味を教えていただき、何でも自分で作れるのは理想だと思いました。なかなか思うようにはいきませんが…(ー ー;)
スピーカーから始まり、ミニアンプ、大アンプ制作からパン作りまで物作りの体験をさせていただきました。
制作においては、いつも楽しさと難しさを感じますが、大アンプ制作時は、あまり卑下する事なく自分を信用することも大切だと思いました。完成が近づいて「このまま本当に完成できるのだろうか?」と考えた途端、謎のトラブルにみまわれましたので…
これからも制作を続けていけるように精進しますm(_ _)m
物作りは人間の基本であることを忘れないようにしたいと思います。m(_ _)m
現場を見たり体験したりすることがないと、生産者に感謝したり敬意を表さなくなるのかなと思いました。
思い込みで作って失敗することもありますが、作ることに怠惰にならないようにしたいと思います。m(_ _)m
ご指摘ありがとうございます。でも、それでは救いがないのです。
アベルは羊飼い=救世主の雛形です。しかし、原始キリスト教の古代日本には羊はいないし、イエスの奥義は米作りに象徴されているのです。すでに逆になっているんですね。その意図を読み解かないとダメなのです。
伊雑宮の御田植祭の謎を解いて、祭りの責任者(ロンギヌスの子孫)から祭りで使った縄を拝領した自分には、新しい酒を新しい革袋に入れる責任があるのです。
だから、ブログは一般人のために書いているわけではなく、SNSのメンバーのために書いているのです。子犬が勝手に読んで糧とするのは構いませんが。
カッバーラでは、合わせ鏡で意図的に逆に映すことがあります。灼熱の金星探査機がマリナーとか。カッバーラを知らない人には理解できないし、『ダニエル書』の鏡の法則も知らないのは当然です。末日は鏡の法則により真理が明かされる時代でもあるのです。
今も生きているとされるカインは追放されて放浪。後に子孫は鍛冶屋になった。カインの子孫も掬うにはどうすればよいか。意図的な書き変えるのが良いのです。自分は聖書には誤謬がないとする立場ではないですから。
gan_chanさん( ノ゚Д゚)こんばんわ
火・水・風が御父・御子・聖霊に対応し、火はアンプ、風はスピーカー、残る水がソースとなります。
ソースとは焼きそばのソースではなく、音源のことです。つまり、自分たちで音源を作らないと完成ではないのです。賛美歌も音源の1つ。楽器も音源の1つ。まだまだやり残しているものは多いのです (;^ω^)
ほんとさん( ノ゚Д゚)こんばんわ
ヤコブが息子ヨセフの子供を膝の間に置いたのは、マナセとエフライムが成人になってからと計算されます。ちょっと無理ですね。
レビから3代でモーセも無理だし、思い込みで『創世記』を書いた人は冷や汗を流していることでしょう (^m^;)
物作りの基本の上に、物=牛+勿(なかれ)という牛を拝んではならないという基本も抑えくてはなりません。牛を拝んだオウム真理教にならないために (^^)