歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

「被爆マリア」に祈るフランシス教皇(長崎のミサ)

2019-11-24 |  宗教 Religion
 
 
長崎でのミサで祭壇に置かれた「被爆マリア像」に祈るフランシス教皇です。(Vatican Newsの中継からの録画) この被爆マリア像は、浦上天主堂の原子野の瓦礫の中から発見された木製のマリア像。三つに割れた痛々しいお姿を被爆者でカトリック信徒の西村勇夫さんが修復されたものとのことです。
 この祈りに接した後で、「フランシス教皇とともに祈るロザリオの祈り」(Praying the Rosary with Pope Francis, Libreria Edition Vaticana)をあらためて読みました。
 ロザリオの祈りは、「喜びの秘義(Joyful Mysteries)」「光の秘義(Luminous Mysteries)」「苦しみの秘義(Sorrowful Mysteries)」「栄えの秘義(Glorious Mysteries)」の四つの黙想と共に行う祈りです。
 このなかの「苦しみの秘義(sorrowful misteries)」は、わが子イエスの受難に遭遇した「悲しみの聖母」を黙想する祈りです。しかし、被爆マリア像を見ていると、マリアはキリストの受難を、そばで歎き悲しむだけにとどまらず、キリストと同じような受難の道も選ばれたような気がします。聖母マリアは、理不尽にも原爆によって命を絶たれた無数の母親と共に苦しむことをあえて選ばれ、「天の栄光」のうちに入ることよりも、むしろ焼跡の瓦礫の中に、苦しみの姿のままでとどまられた―そういう思いがわき起こってくるのを抑えることができませんでした。
 私は、永井隆博士が亡くなる直前に描いた「十字架の道行」の画が収録された次の本を座右の書の一つとして置いています。
 
 
永井博士自身が書いた画に、キリシタン殉教史の研究者でもあった結城了吾神父が解説されたこの本には、最晩年の彼の言葉と祈りが収録されています。
「三日目。学生の死傷者の措置も一応ついたので、夕方、私は家に帰った。ただ一面の焼灰だった。私はすぐに見つけた。台所のあとに黒い塊を。―それは焼け尽くした中に残った骨盤と腰椎であった。そばに十字架のついたロザリオの鎖が残っていた。私の骨を近いうちに妻が抱いてゆく予定であったのに―運命はわからぬものだ。私の腕の中で妻がかさかさと燐酸石灰の音をたてていた。私はそれを「ごめんね、ごめんね」と言っているのだと聞いた。」
 
「屋敷の東北の隅の灰の中をていねいに探していたら、ついに見いだした。わが家の祭壇の十字架を。木の台はもちろん焼けてなくなっていたが、青銅のキリストだけはそのまま型も狂わず傷もつかず残っていた。これは徳川禁教時代からひそかに伝えられた由緒あるものである。私はいっさいの財産を失ったが、この十字架ひとつだけは失わなかった」(『ロザリオの鎖』)
 
結城了吾神父は、永井博士の「十字架の道行」の最後(15留)を、博士の次の短歌で結んでいます。 
「白ばらの花より香り立つごとく この身をはなれのぼりゆくらむ」
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