大江健三郎がNewYorker に寄稿した記事を読む。
黒沢の黙示録的映の意味については、先日のブログで書いたが、今日は大江の言う「広島・長崎の被災者の視点」で原発を見る、ことの必要性について書きたい。どちらも、科学者や政治家の立場ではなく、芸術家の想像力の世界からのメッセージとして様々なことを考えさせられたのである。
大江健三郎氏の発言の原点は「広島ノート」に遡るであろう。放射能汚染に苦しんできた人々は、広島と長崎の人々であったが、核エネルギーの使用の有つ危険性は、原子爆弾のような兵器だけに限定されるものではなく、原子力発電のような「平和利用」にも付きまとうものである。そして、使用済み核燃料の再処理を通じて獲得されるプルトニウムは、ただちに核兵器に転用できることを思えば、原子力発電所が世界各国に建設されることはただちに核の拡散を意味するのである。冷戦自体の核兵器開発競争の時代は過去のものとなったが、第二次世界大戦の戦勝国だけが核を保有する時代は過ぎ去り、核兵器の製造が容易になった現在、核戦争による「地球の死」はいつでも我々の足下に潜む現実的な可能性である。
放射能が健康に及ぼす被害については、つねに医学や環境科学の知見は現実に追いつくことはなかった。南太平洋で核実験を巨大花火を見るように見物していた米軍兵士達は、それがいかに危険であったかを当時は全く知らされていなかった。大気中の放射能濃度だけを測定して得られた安全基準などがいかに頼りないものであるかということは、原子炉の近傍の植物系にそれらが蓄積されることが発見されるまでは認識されていなかった。科学技術は失敗によってそこから学び、改良を重ねることがその智の本質に含まれているが、一度の過失が取り返しのつかぬ結果を生み出すのが、原子力技術の恐ろしさである。
また、事前に正しい予測をし、対策を講ずべきであることを科学者が警告しても、政治的・経済的利害の絡む現実的な決断の場ではそれが通らないことがあること、そして、ひとたび大事故が起きた後では、そのような適切な対策を講じなかった「不作為責任」が如何に大きなものであっても、肝腎の当事者達(それは決して東電だけではなく保安院や原子力委員会、マスコミ、そして最終的には原子力ロビーのプロパガンダに載せられた我々自身にも及ぶであろう)は、その社会的責任を自覚しないということも分かった。この不作為責任は今後、きちんと検証すべきものであるが、それは一個人の責任だけではなくて、適切な対策を講じることの出来なかったシステムの問題、制度の問題も当然考慮しなければならないだろう。
上に述べたような自然科学者や政治家の果たすべき役割は重大であるが、それとは次元の違った社会的役割を、文学者や芸術家、そして哲学者は果たすことが出来ると思う。政治や科学は、与えられた条件の中で「何が最善であるか、よりましなものであるか」を目指すものであるが、そこでの実践目標は、あくまでも、「暫定的な基準」にのっとって実践すべき相対的な事柄である。ところが、相対的なものだけに囚われていたのでは、我々は事柄を根本から打開する決定的な決断を行うことが出来ない。そこには文字通りラジカルな、我々の実存の根柢から発するメッセージに耳を傾けることが必要になるのである。
そのような根源的なメッセージ、現代という時代において、今の日本人が、過去の世代の犠牲者達に対して負う責任がいかなるものであるかを表現する「言葉」として、私は大江のメッセージを受け止めた。過去の世代に対して責任を負うものにして、初めて現在のみならず未来の世代に対しても責任を負うことが出来るのではないか。「広島と長崎の被災者の目を以て福島の被災を見る」ことはそういう意味で、大江健三郎が我々の時代に与えた「預言者のことば」であり、「世代間倫理」の根柢にあるものを、わかりやすい言葉で想起させてくれたと思う。