歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

イグナチオ・デ・ロヨラの祈りの言葉

2025-01-31 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

イグナチオ・デ・ロヨラの祈りの言葉

  Anima Christi  キリストの魂

Anima Christi, sanctifica me.    キリストの魂、わたしを聖化し、
Corpus Christi, salva me.       キリストの体、わたしを救い、
Sanguis Christi, inebria me.      キリストの血、わたしを酔わせ、
Aqua lateris Christi, lava me.    キリストの脇腹から流れ出た水、わたしを清め、
Passio Christi, conforta me.      キリストの受難、わたしを強めてください。
O bone Jesu, exaudi me.        いつくしみ深いイエスよ、わたしの祈りを聴きいれてください。
Intra tua vulnera absconde me.   あなたの傷のうちにわたしをつつみ、
Ne permittas me separari a te.            あなたから離れることのないようにしてください。
Ab hoste maligno defende me.   悪魔のわなからわたしをまもり、
In hora mortis meae voca me.     臨終の時にわたしを招き、
Et iube me venire ad te,      みもとに引き寄せてください。
Ut cum Sanctis tuis laudem te.   すべての聖人とともに、いつまでもあなたを
In saecula saeculorum. Amen     ほめたたえることができますように。アーメン (ホセ・ミゲル・バラ神父による日本語訳)

 イグナチオ・デ・ロヨラが自身の『霊操』の冒頭に記しているのこの祈りは、「イグナチオ・デ・ロヨラの憧憬」と呼ばれることもある。
「霊操」の初版にすでに言及され、第二版以後は全文が引用されているこの祈りは、様々な国の言葉に翻訳されてきたが、英語訳では、ニューマン枢機卿のものが良く知られている。ニューマンはこの祈りの終わりの部分を「汝の聖人と共に永遠に汝の愛を歌うことができますように」(’With Thy saints to sing Thy love,World without end.')と、単に「ほめたたえる」と訳すのではなく「愛を歌う」と意訳している。

「キリストの魂」という祈りの根本にあるものが、「愛の頌栄」であるということは、ロヨラの『霊操』がキリストの愛を主題とする点で、ヨハネの福音書や書簡と深い内的なつながりがあることを示すものである。『霊操」の最も新しい邦訳者である川中仁によれば、ヨハネ福音書と『霊操』は、「イエス・キリストの形姿を媒介とする神と読者との間の間主観的コミュニケーションの場」を開くという共通の構造があるという(「ヨハネ福音書とイグナチオ・デ・ロヨラの霊操」ー上智大学キリスト教文化研究所篇『さまざまに読むヨハネ福音書』所収、2011)。

また、臨済宗の室内の根本修行を通過(大事了畢)して参禅指導者の資格を得たイエズス会の門脇佳吉神父は、禅の接心の初めから終わりまでを貫く根本原理を「大死一番絶後に蘇る」というダイナミックな体験とし、『霊操』の第一週から第四集までを貫く根本原理を、「一粒の麦がもし地に落ちて死せざれば、ひとつにとどまる。もし死すれば多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12-14)という「死と復活の」の経験としている。(岩波文庫の『霊操』門脇佳吉訳・解説参照)

 単なる神秘的観想にとどまるのではなく、さらに一歩進んで、さまざまな社会的な奉仕活動に積極的に参加するイエズス会の精神ー「愛の利他行」ーをささえるものが『霊操』であり、その冒頭に置かれた「キリストの魂」の祈りであろう。

Anima christi sanctifica me ( Chant Catholique )
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩編65[66]に聴く:主の公現後第二主日の入祭唱 “Omnis terra adóret te, Deus”のグレゴリオ聖歌から

2025-01-30 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

詩編65[66]に聴く:主の公現後第二主日の入祭唱 “Omnis terra adóret te, Deus”のグレゴリオ聖歌から

まず公現後第二主日で歌われるグレゴリオ聖歌の入祭唱“Omnis terra adóret te, Deus”を聴こう。

INTROIT • 2nd Sunday after Epiphany (“Omnis terra adóret te, Deus”)

Vulgata Text:
Omnis terra adoret te, et psallat tibi; psalmum dicat nomini tuo. Jubilate Deo, omnis terra; psalmum dicite nomini ejus; date gloriam laudi ejus.
English Text used by Orthodox Church in America: 
Let all the earth worship Thee, and chant unto Thee; let them chant unto Thy name. Shout with Jubilation unto the Lord all the earth; chant ye unto His name, give glory in praise of Him.

詩編[66]は、もともとは、民族としてのイスラエルの紅海における救い(6節)、捕囚からの救い(12-c節)を想起する「感謝の歌 מִזְמ֑וֹר שִׁ֣יר(šîr miz·mō·wr;)」であった。フランシスコ会聖書研究所訳に従うと、第1節から4節までは

1 すべての地よ、神に歓呼せよ 2 み名の栄えを ほめ歌い、はえある賛美を献げよ。3 「神よ、あなたのわざは恐るべきもの。敵はあなたの偉大な力の前に屈する。4すべての地はあなたを拝み、ほめ歌い み名をたたえて歌う」。

となっている。典礼では、順序が少し変わって、4節が歌われた後で、1-2節が歌われている。そして大切なことは、典礼で歌われていなくとも、この詩を初代のキリスト者が読むときにどのように解釈したかを知るために、16-19節を引用しよう。

16 いざ聞け、すべて神をおそれる者よ、神がわたしに何をされたかを語ろう。 17 わたしは口をもって神に呼び求め、舌をもって神をあがめた。18 わたしの心に よこしまがあったなら、主は聞き入れられなかったであろう。 18 まことに神は聞き入れて、わたしの祈りの声を心にとめられた。

ここでは、詩編記者は、詩の前半部分のように、イスラエル民族としての「我々」ではなく、一人称単数の「わたし」として、個人の救済を語っていることに注意したい。旧約の時代には、巡礼者の集まる民族的な祭儀ではまず団体的な感謝が行われ、次に個人的な感謝の奉献が行われたらしい。

新約の時代では、この詩編は、「キリストを信じる者の復活を喜ぶ」詩として歌われるようになった。それは、ギリシャ語訳の古い写本と、Vulgata訳では、この詩の表題が、ᾠδὴ ψαλμοῦ ἀναστάσεως Canticum psalmi resurrectionis (復活の頌栄)となっていることから知られるのである。

アウグスチヌスは『詩編注解」のなかで、この詩編65のキリスト者にとっての重要性を次のように説明している。

この詩編は表題として「終わりに、復活の頌栄」と書かれている。詩編が朗読されるとき、「終わりに」と言う言葉をあなたたちが聞くなら、「キリストにおいて」と理解しなさい。使徒は「というのもキリストは律法の終わり、信じる者にとって義となるものだからである(ロマ書10-4)」と述べている。だから、ここで復活がいかに語られ、誰の復活が語られているのか、主御自身が与え、啓示されることを嘉しとされる限りにおいて、聞きなさい。キリスト者の復活がわたしたちの頭(かしら)においてすでに成し遂げられたこと、また肢体においては将来起こることを私たちは知っている。教会の頭はキリストであり、キリストの肢体は教会である。頭において先行したことが、身体において続いて生じるのである。これはわたしたちの希望である。このことのゆえに、わたしたちは信じ、このことのゆえに、この世のかほどの悪意のなかで、忍耐し、堅忍するのである。希望が事柄として現実となる前は、希望がわたしたちを慰める。事柄が現実となるのは、わたしたちも復活し、天的な住まいへと変えられ、天使と等しき者にされる時である。真理が約束するのでなければ、誰が敢えてこれを希望するだろうか。

「終わりにin finem」とラテン語訳されたヘブライ語לַ֭מְנַצֵּחַ は、「(聖歌隊の)指揮者に」と訳されるのが普通であるが、七〇人ギリシャ語訳 εἰς τὸ τέλος に由来する in finem をアウグスチヌスは、単なる音楽上の指示などではなく、文字通り「終わりに(むけて)」と読み、終末における復活の希望に生きるキリスト者の希望を表現するものとしてこの詩篇を読んでいることが分かるのである。アウグスチヌスは、次に、マタイ傳22:23-30を引用し、復活を否定するサドカイ派に対するイエスの応答を引用し、死者の復活の希望をもっていたユダヤ人を励ますと共に、死者の復活が、キリストを信じる異邦人にも約束されていることを強調し、「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでである」(ロマ書11-25)というパウロの言葉を引用している。

ーーーーーーーーーEnglish translation---------------

Let's listen to the Introit for the 2nd Sunday after the Epiphany, ‘Omnis terra adóret te, Deus’, from the Gregorian chant.

Vulgata Text:
Omnis terra adoret te, et psallat tibi; psalmum dicat nomini tuo. Jubilate Deo, omnis terra; psalmum dicite nomini ejus; date gloriam laudi ejus.
English Text used by Orthodox Church in America:
Let all the earth worship Thee, and chant unto Thee; let them chant unto Thy name. Shout with Jubilation unto the Lord all the earth; chant ye unto His name, give glory in praise of Him.

Psalm 66 was originally a ‘song of thanksgiving’ (מִזְמ֑וֹר שִׁ֣יר, šîr, miz·mō·wr;) recalling Israel's salvation at the Red Sea (v. 6) and deliverance from captivity (vv. 12-c). Following the translation of the Franciscan Institute of Biblical Studies, verses 1-4

1. All the earth, sing to God with joy! 2. Sing to God with praise, and give him glorious praise. 3. ‘God's deeds are awesome. The enemy is defeated before his great power. 4. All the earth worships and praises him, and sings his name.’

In the liturgy, the order is slightly different, and verses 1 and 2 are sung after verse 4. And, importantly, even if it is not sung in the liturgy, let us quote verses 16-19 to see how the early Christians interpreted this poem when they read it.

16 Listen, all you who fear God, and I will tell you what he has done for me. 17 I called to God with my mouth and praised him with my tongue. 18 If my heart was wicked, the Lord would not have listened. 18 Surely God has listened and heard my prayer.

Here, the psalmist is speaking of personal salvation, using the first person singular ‘I’ rather than the ‘we’ of the first half of the psalm. In Old Testament times, it seems that at national festivals where pilgrims gathered, group thanksgiving was offered first, followed by individual thanksgiving.

In the New Testament era, this psalm came to be sung as a psalm of ‘rejoicing in the resurrection of those who believe in Christ’. This is known from the fact that in the Greek translation of the Old Testament and in the Vulgate, the title of this psalm is ᾠδὴ ψαλμοῦ ἀναστάσεως, Canticum psalmi resurrectionis (Hymn of the Resurrection).

In his ‘Commentary on the Psalms’, Augustine explains the importance of this psalm 65 for Christians as follows

This psalm is entitled ‘For the end, a resurrection hymn’. When you hear the words ‘for the end’ when the psalm is read, understand them to mean ‘in Christ’. The Apostle says, ‘For Christ is the end of the law and the righteousness of those who believe (Romans 10-4)’. So listen to what is said here about the resurrection and whose resurrection is being talked about, as far as the Lord himself is pleased to give and reveal. We know that the resurrection of the Christians has already been accomplished in our heads, and that in the members it will take place in the future. The head of the church is Christ, and the members of Christ are the church. What has preceded in the head will continue to occur in the body. This is our hope. Because of this, we believe, and because of this, we persevere and endure in the midst of the world's evil. Before hope becomes a reality, it comforts us. The reality will come when we too are resurrected, transformed into heavenly dwellings, and made equal to the angels. Who would dare hope for this if truth did not promise it?

The Hebrew word יִזְקַנְתִי, which is translated in Latin as ‘in finem’, is usually translated as ‘(choir) conductor’, but Augustine, who derived the word ‘in finem’ from the Septuagint Greek translation εἰς τὸ τέλος, read it literally as ‘towards the end’, and not as a mere musical instruction, and we can see that he read this psalm as expressing the hope of Christians living in the hope of the resurrection at the end of time . We can see that Augustine reads this psalm as expressing the hope of Christians living in the hope of the resurrection at the end of time. Augustine then quotes Matthew 22:23-30, Jesus' response to the Sadducees who denied the resurrection, and emphasises that the resurrection of the dead is also promised to the Gentiles who believe in Christ, while encouraging the Jews who had the hope of the resurrection of the dead, and quoting Paul's words that “it was because of the hardness of some of the Israelites that the whole Gentiles reached salvation” (Romans 11-25).

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記 1月28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士記念日

2025-01-28 | 福音歳時記

福音歳時記 1月28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士記念日

  超自然なる聖体賛歌造りたるトマス博士の信知を想ふ

日本語版の新しい聖務日課「教会の祈り」では1月28日をトマス・アクイナスの記念日とし、「読書」としてhttps://inori.catholic.jp/doc/show/3/2025/01/28
聖トマス・アクィナス司祭の『使徒信経講解』を第二朗読で読む。

 「神学大全」や「対異教徒大全」の著者としてだけでなく、トマスが司祭であって、聖書の釈義もしていたことを記念しているわけであるが、私は、トマスが、聖体賛歌 Tantum Ergo をはじめとする賛美歌の作者でもあったことを強調しておきたい。
 トマスは当時最先端の哲学であったアリストテレスの注解を通じて自然なる理性の働きを学び、擬ディオニシウスの注釈を通じて、一者から発出して一者へと帰還する新プラトン主義の形而上学を学んだが、それ以上に重んじたのは、ギリシャ思想に欠けていたキリスト教信仰の「神秘」であった。彼の明晰判明なる一切の言説は、この神秘への配慮なくしては理解されないだろう。
 トマスの聖体賛歌はグレゴリオ聖歌で歌われるのが伝統的であるが、そのほかにも、チェザレ・フランクによる「天使のパンPanis Angelicus」もよく演奏される。
 古き時代のカトリックの聖体拝領では、今日では「私たちの日ごとのパンを今日もください」 と唱えている「主の祈り」を、マタイ傳6-11のラテン語訳「panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie (我等の超自然的な麺麭を今日も与へ賜へ」と唱えていたことに由来している。「天使のパン」とは、自然的な糧である日常的なパンではなく、聖体として拝領する超自然的なパンのことである。

Tantum Ergo Sacramentum

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記  1月26日 吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会

2025-01-26 | 福音歳時記

福音歳時記  1月26日 吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会

            実存の深みより説く哲学は永遠(とわ)の詩人の命溢るる

 1月26日に、四谷のサレジオ会管区長館で、吉満義彦(1904- 1945)と垣花秀武(1920 - 2017)両先生を偲ぶ会があり、サレジオ会の阿部仲麻呂神父の司式で追悼ミサが行われた後に茶話会があり、両先生のゆかりの方々とお話しをすることが出来た。

以前上智大学の宗教哲学フォーラムで、道元と吉満義彦を取り上げたことがあった。そのとき私は、二人のそれぞれに独特な文体のもつ奇妙な類似性に驚いた記憶がある。

永平清規にみられるような修道の実践面に於いては、道元の指示は驚くほど明晰である。しかし、正法眼蔵のような主著の思想の根幹部分は、仏道修行者にとってもっとも大切な「語り得ぬこと」を今此処に顕現させるための工夫辨道が様々な言語使用を駆使して為されている。それは、現代風に言えば、記述言語ではなく、様々な「言語ゲームの使用」によって、言説出来ない実在に覚醒させることを目指している。
 吉満義彦も、キリスト教にとってもっとも大切な「信仰の神秘」を体験することを第一義としており、それに気づかせるために新トミズムから学んだ明晰な哲学的言説を使用している。それは神秘体験の後に神学大全の筆を折ったトマスから、神学大全のテキストを読み直すような試みである。

二人の思想には、勿論、時代や宗教的文化的背景の違いがあるのは当然であるが、ともに個的実存の深みから紡ぎ出される個性的な文体というところが類似しているのである。


写真は「偲ぶ会」に招待して下さった石上麟太郎氏の案内状から転載しました。

追記(1月29日)

詩人哲学者、吉満義彦とその時代」を読む

    柩撃ち生死を問ひし預言者の聲あらためて聴く敗戦日本 

「吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会」の席で垣花理恵子さんから、『永遠の詩人哲学者 吉満義彦とその時代ー帰天五〇年に寄せて』(ドン・ボスコ社)のなかの垣花秀武の回想記「詩人哲学者、吉満義彦とその時代」のコピーを頂いた。「偲ぶ会」終了後、この回想記を読み、吉満義彦という稀有の「詩人哲学者」と彼の生き抜いた時代に思いを馳せた。
 この告別式の受付を務めていた垣花秀武は、晩年の三谷隆正の弟子の一人であり、その平和主義、倫理性に響鳴していたという。しかし、彼は、三谷の無教会主義キリスト教には飽き足らず、吉満義彦のもとでカトリックの研究を本格的に始めたばかりの頃であった。そして、三谷隆正の告別式開始直前に、吉満義彦本人が「極めて緊張した面持ちで足早に現れ、丁寧に一礼した後、私(垣花)を見出し「君も此処に来ているの」とうれしげに微笑を投げかけ、ふりかえりざま「あなたの無教会主義からカトリックへの道はどうなったの」と言って、そのまま会場の中に消え去った」という。

 「詩人哲学者、吉満義彦とその時代」の冒頭、1944年2月20日、女子学院講堂で行われた三谷隆正の告別式についての垣花秀武氏の回想はとくに興味深いものであった。日本の敗戦のほぼ半年前、この告別式の司会を務めた矢内原忠雄の式辞、南原繁の『三谷隆正君を弔す」という別辞が、ほぼ全文収録されている。


 矢内原忠雄は、三谷隆正を「静かなる真理を学ぶ者としての僧侶の役目に加うるに、初代教会の熱烈なる信仰の証明者としての使徒の役目を兼ね備えた人」として紹介したあとで、
「我が三谷君は国を真の安全と興隆に導くべき義人でありました。君の生涯はうちに熱烈なるものを湛えた静けさであります。静かのなかに力の籠もったもの、熱さの籠もった静かさでありました。・・日本の義人を日本に返せ! 生命の所有者に生命を返せ! 私はそう言って喚きたいのであります」
と、文字通り怒号し、三谷隆正の柩を揺さぶって号泣したという。いかにも矢内原の人柄を彷彿とさせる記述である。


 南原繁もまた、抑制した口調ではあったが、
「国家は実に君の如き至誠にして真理に忠実なる隠れた預言者的哲人によって真に栄え、その存立を堅固にし得るであろう。・・世界史的転換の偉大なる決算のこの歳にあたり、君はその愛する祖国の将来と人類の運命とを思うて、これが終局をその眼で親しく目撃したかったであろうし、又それを叶へしめなかったことは何としても吾等の恨事である。しかし、新しき日本と世界の曙光は既に見えつつある。君が生涯を賭けて闘った正義と道徳の勝利は確実であろうから。君の播いた真理の種子は将来の日本に必ずや成長し・・・」
と軍事国家日本の敗北崩壊を予想し、三谷隆正が生涯を賭けて闘った正義と道徳の上に立って新しい日本と世界の曙光が見えると聴衆に訴えたのであった。


 私は、南原繁が、東京大空襲の時に詠んだ短歌
「けふよりは詩編百五十 日に一編読みつつゆけば平和来なむか 」に触発されて、「詩編に聴くー聖書と典礼の研究」という連続講義を聖グレゴリオの家で今年の復活祭の後から一年かけて行う予定である。その南原繁が三谷隆正に献げた別辞はまことに心にしみるものがあった。
 また、「初代教会の熱烈なる信仰の証明者としての使徒」を三谷隆正のうちに見出す矢内原の言葉に大いに共感すると同時に、「静かなる真理を学ぶ永遠の詩人哲学者」としての吉満義彦への関心を新たにしたのである。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記 1月25日 日本語オペラ「細川ガラシャ夫人」初演の日

2025-01-25 | 福音歳時記

福音歳時記 1月25日 日本語オペラ「細川ガラシャ夫人」初演の日

      天上の花は散るべき時を知るガラシア夫人の殉教の歌 

  上智大学の学長でもあったヘルマン・ホイベルス神父は、イエズス会に保存されていたガラシャのキリスト教信仰を伝える貴重な書簡をはじめとする一次資料をもとに、キリスト者としてのガラシャの歴史研究に多大な貢献をしました。演劇や音楽を重視するイエズス会の教育の伝統にもとづいて、ホイベルス神父御自身も「細川ガラシャ」をヒロインとする戯曲を書かれました。この戯曲は、サレジオ会の神父、ヴィンセント・チマッティによってオペラに編曲され、1940年1月25日に東京の日比谷公会堂で上演されました。チマッティ神父によるオペラ版は、能楽の「序破急」に倣った三幕構成になっています。
  第一幕 「蓮の花」(序)第二幕 「桜の花」(破)第三幕 「天の花」(急) 
このオペラは、十五世紀の日本の能楽師、世阿弥に由来する「花の美学」をキリスト教的精神に基づき摂取したもので、「蓮の花」は「汚水に染まらない純粋な美」、「桜の花」は「散り際の潔さ」、「天上の花」は「悲劇を越えた栄光」を象徴しています。また、それは、ガラシャの辞世の歌 「散りぬべき時知りてこそ世の中は花も花なれ人も人なれ」を踏まえたものでもありました。 

この作品は、「日本語で歌われた最初のオペラ」として評価されるのが普通ですが、より適切に、そして作品の精神に即して云えば、それは日本文化の土壌に根ざした最初の「キリスト教的受難劇」と呼べるでしょう。

画像は玉造教会壁画の細川ガラシャ像(堂本印象)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダニエル書の「アザルヤと三人の若者の賛歌」

2025-01-24 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

聖書と典礼の研究:ダニエル書の「アザルヤと三人の若者の歌」

聖務日課の先唱、「主よ、私の口を開いて下さい」という祈りの言葉の背景には、旧約聖書によってキリスト者に伝えられたどのような状況が想定されていたのだろうか? 祈りも我々の身勝手な欲求からするものではなく、神の先導による受動から始まり、神の賛美に終わるという教えがそこにあると思われるが、それだけであろうか?

この問いに対するひとつの答えは、聖ベネディクトに由来する荘厳朝課で歌われる「アザルヤと三人の若者の賛歌」(ダニエル書3:24-90)にある。

 この賛歌は、七〇人ギリシャ語訳やVulgataラテン語訳の旧約聖書に含まれる「ダニエル書」(3:24-90)にあり、カトリック教会と東方正教会の典礼の歴史の中では非常に尊重された賛歌である。

「アザルヤと三人の若者の賛歌」では、異教徒の残忍な王ネブカドネザルによって燃えさかる炉に投げ込まれたアザルヤが、

今や、私たちは口を開くことができません。恥と屈辱が、あなたの僕ら、あなたを礼拝する者たちに降りかかりました

と「火の中で」語る。彼は、イスラエルの民の不信を痛悔したあとで、「罪の故に異教徒の王の手にかかり、今日、全地で賤しい者となりはてた民が、<打ち砕かれた魂とへりくだる心によって>神に受け入れられること」を祈るのである。

 アザルヤの祈りに続いて、ダニエル書は、主によって奇跡的に救済されたことを感謝する「三人の若者の詠頌(Benedictiones)」を記録しているが、それは、この世界のすべての被造物に呼びかける賛歌となっている。

 Benedicite omnia opera Domini, Domino:

Laudate et superexaltate eum in saecula・・・

    主の造られたすべてのものよ、主を賛美せよ

 世々に主をほめ頌え、崇めよ・・・・

カトリック教会でも東方教会でも典礼で重視してきたこの「三人の若者の詠頌」は、ユダヤ教のマソラ本に従うプロテスタント教会の旧約聖書には欠落しているので、その内容を更に詳しく確認しておきたい。それは、詩編の最後におかれた詩編148-150の「ラウダ(宇宙賛歌)」や、後で論じるアッシジのフランシスコの「太陽の歌」の賛歌の背景にあるものを理解する上で必要だからである。

「三人の若者の詠頌」は、ありとあらゆる被造物―天、天使、天の上の水、万軍、太陽と月、天、星、雨と露、風、火と熱、寒暖、露と霜、夜と昼、光と闇、氷と寒さ、霰と雪、稲妻と雲、大地、山と丘、地にはえるすべてのもの、海と川、泉、海の巨大な生き物と水中に動くすべてのもの、空のすべての鳥、地のすべての獣と家畜、人の子ら、イスラエル、祭司たち、僕たち、義人たちの心と魂、聖なる心の謙虚なものーに呼びかけ、Benedicite (賛美せよ)とLaudate (ほめ頌えよ)の交唱のなかで祈り続けた後で、

主が私たちを陰府(よみ)から救い、死の手から救い出して下さった。また燃える炎の炉から解放し、火の只中から解放して下さった

と救済の奇跡を伝え、

Laudate et confitemini ei : quia in omnia saecula misericordia eius

(ほめ頌え、感謝せよ、主の憐れみは永遠)と感謝の言葉でこの詠頌を終えている。

 

Benedicite (Latin chant, with translation)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩編とグレゴリオ聖歌:(Liturgia Horarum- 時課の典礼-から)

2025-01-23 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
詩編とグレゴリオ聖歌:(Liturgia Horarum- 時課の典礼-から)
 
Dómine, lábia mea apéries.
℟. Et os meum annuntiábit laudem tuam.
Deus in adiutórium meum inténde.
℟. Dómine, ad adiuvándum me festína.
Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto.
Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen.
Allelúia.
 
聖ベネディクトに由来するカトリック典礼の朝の祈りは、
Domine, labia mea aperies, et os meum annuntiabit laudem tuam
(主よ、私の唇を開いてください。そうしたなら、あなたの賛美を唱えましょう)という先唱から始まる。
これは、詩編50(新共同訳では詩編51)のダビデ王の痛悔の後に続く讃美の言葉(17節)である。
 
夕の祈りは
Deus in adiutórium meum inténde. ℟. Dómine, ad adiuvándum me festína.
(神よ、私を救いに来て下さい、主よ、急いで助けに来て下さい)という先唱から始める。
これは詩編69(新教同訳では詩編70)の「ダビデの歌」冒頭である。
 
 どのような深刻な嘆きや悩み、病めるものの苦しみが歌われていても、ヘブライの詩編は、基本的に「賛美の詩編」であるという性格を持っている。そしてキリスト教徒が詩篇を歌うときには、「ダビデの歌」のうちに含まれていた旧約の預言が主キリストによって成就したことを讃えるために、三位一体の神への頌栄が歌われる。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記  2025年1月ガザ停戦

2025-01-21 | 福音歳時記

福音歳時記  2025年1月ガザ停戦

   難民の帰還待ちたるガザの朝 瓦礫のなかに光る十字架

 ガザ地区の聖家族教会は、イスラエル軍の空爆で、教会の屋根にある貯水タンクやソーラーパネルが破壊され、自動車や小教区の建物も被害を受けた。ガザ地区のキリスト教徒のほとんどが避難したという。状況は非常に厳しいが、修道女たちは戦争による深刻な苦難の中で人々の世話を続けている。そうしたなかで、イスラエルとハマスとの間に捕虜交換、ガザ地区からのイスラエル軍の撤退などいくつかの段階をへて実施される停戦協定が漸く結ばれた。これに対してエルサレム・ラテン総大司教庁は「ガザ停戦に関するカトリック司教団の宣言」を1月16日に発表した。https://www.kirishin.com/2025/01/17/71175/

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キング牧師記念日に寄せてーそのキリスト教的世界観の由来

2025-01-20 |  宗教 Religion

キング牧師記念日に寄せてーそのキリスト教的世界観の由来

 今年の Martin Luther King Jr.記念日は、トランプの大統領就任式と同じ1月20日であった。人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を訴えたキング牧師は、1968年に狂信者によって狙撃され、39歳の若さで帰天したが、米国では彼の誕生日後の第三月曜日を、国民的な祝日としてきたのである。

キング牧師の非暴力不服従運動は、実践に於いてはガンジーから学んだとされてきたが、彼のキリスト教的世界観・人間観は具体的にはどのようなものであったのだろうか。

 私は最近、米国で、ホワイトヘッドのハーバード大学での講義録を編輯・出版しているBrian G. Henning氏によって、キング牧師がボストン大学やハーバード大学で神学と哲学を学んでいたときに、ティリッヒとホワイトヘッドから影響を受けていたという事実を知らされた。
 たとえば、キング牧師のノーベル平和賞受賞講演(1964年12月10日)の冒頭には「公民権運動は、如何に重要なものとはいえ、米国だけに限られた現象なのではなく、「世界的な発展の比較的小さな一部」として見ることの重要性を指摘する次のような発言がある。

『最初に挙げたい問題は人種的不正義です。人種的不正義という悪を排除するための闘いは、現代における主要な闘争のひとつです。米国の黒人たちの現在の盛上がりは、自由と平等を「今、ここ」で現実のものとするという深い情熱的な決意から生じたものです。ある意味では、米国における公民権運動は、米国の歴史を踏まえて理解し、米国の状況に照らして対処すべき、特別な米国の現象ですが、しかし、より重要な別の観点から見ると、今日米国で起こっていることは、世界的な発展の比較的小さな一部です。「文明の基本的な見方が変化しつつある時代に私たちは生きている。社会が構築される前提条件が分析され、厳しく問われ、そして大きく変化する歴史における大きな転換点である」と、哲学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは述べています。・・・・歴史的な動きは、数世紀にわたって西欧の国家や社会がさまざまな「征服」を試みて、世界の他の地域へと進出していったものであった。植民地主義の時代は終わりを迎えています。」

 キング牧師がボストン大学に提出した博士論文「パウロ・ティリッヒとヘンリー・ネルソン・ウィーマンの思想における神の概念の比較」では、個人と宇宙との相関関係の重要性、人が社会的な活動と参加によってのみ十全な意味で「人間」となるという思想が強調されているが、キング牧師は、そこでライプニッツ、ホワイトヘッド、マルティンブーバーを、思想的な先達として引用している。

『存在することは個別化することである。しかし、人間の個別化は絶対的でも完全でもない。それは、参加との極性関係においてのみ意味を持つ。ライプニッツは、モナドの小宇宙構造について語る際に、この点を強調している。ホワイトヘッドは、活動的生起による全体の「抱握」について語るときに、この点を明確にしている。マルティン・ブーバーは、「私」の発展における「汝」の役割について述べるときに、個別化のプロセスにおける参加の役割を強調している。 これらの思想家のそれぞれが、ティリッヒが言わんとしていることを裏付けている。すなわち、個別化には参加が伴うということである。人間は、理性的な心と現実の構造を通じて宇宙に参加する。個体化が「人」と呼ばれる完全な形に達すると、参加も「交わり」と呼ばれる完全な形に達する。人は社会に参加することによってのみ「人」となる。人は個人的な出会いの交わりにおいてのみ成長することができる。参加は個人にとって不可欠である。』

神の永遠性と時間性の区別と関係性は、ティリッヒとホワイトヘッド、そしてホワイトヘッドの影響を受けたウィーマンにとって中心的な課題であるが、キング牧師の博士論文もこれに触れている。

『ウィーマンの強調点は、神の永遠性よりもむしろその時間性にある。実際、彼の神の概念は「極端な時間的有神論」と称されている。彼の神の定義、「成長」、「創造的出来事」、「プロセス」は、永遠性よりもむしろ時間的で過ぎ去るものに焦点を当てている。成長の出来事やプロセスは、持続する実体でも永続する現実でもない。それは、永遠に「なること」の状態にあるものである。ウィーマンの「プロセス」や「創造的出来事」としての神の性格づけは、実体としての存在というスコラ学的な概念を放棄したいという彼の願望によるものであることは明らかである。ホワイトヘッドと同様に、彼は動的な用語を好む。彼は、静的な「必然的存在」である絶対的な存在とは対照的に、神の活動を強調しようとしている。 そのため、ティリッヒとは異なり、ウィーマンは神を時間的な現実として確固として位置づけようとするあまり、神の永遠性をほとんど完全に無視している。私は、ウィーマンがミード、デューイ、ホワイトヘッドと共有する『動的』用語へのこの好みを歓迎する。しかし、実体的な存在というスコラ哲学の概念からの独立を宣言することによる利益があるとしても、正確性が大きく損なわれる危険性がある 。これらは、抽象的な形や理想に対する神の実在性、静的なens necessarium(必然的存在)や絶対的な存在に対する神の活動性を示すために、ウイ-マンが用いた用語である。』

 キング牧師は1955年春に博士号を取得した後に、1957年12月、米国キリスト教協議会(NCC)の年次総会における2つ目の講演「人間関係におけるキリスト教的生活」のなかで、次のように述べている。

『私は、非暴力の信奉者の中には、人格的な神の存在を信じるのが難しい人々がいることを知っています。しかし、そうした人々も、私たちがそれをホワイトヘッドの「具体性の原理」、ヘンリー・ネルソン・ウィーマンの「統合のプロセス」、パウロ・ティリッヒの「それ自身である存在」、ヒンドゥー教の「非人格的なブラフマー」、あるいは「無限の力と無限の愛を持つ人格的な存在」と呼ぶかどうかは別として、調和を求める創造的な力の存在を信じています。この宇宙には、現実の断片を調和のとれた全体へと導く創造の力が存在すると信じなければなりません。 創造の力は、巨大な悪の山々を低くし、途方もない不正の丘を崩壊させるために働いています。 これが、非暴力抵抗者が直面せざるを得ない緊張や苦悩を乗り越え続けるための信念なのです。』

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記 キング牧師記念日

2025-01-20 | 福音歳時記

福音歳時記 キング牧師記念日

 
  眞實は夢にこそあれ一月のキング牧師に捧ぐ月曜
 
 キング牧師は1963年にリンカーン記念堂の前で「私には夢がある」という言葉で知られる演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を訴えた。彼は、ガンジーから学んだ非暴力不服従運動を展開したが、1968年に狂信者によって狙撃され、39歳の若さで帰天した。
 米国では、キング牧師の誕生日(1929年1月15日)に近い1月の第3月曜日がキング牧師記念日として祝日に定められている。彼はプロテスタントのバプテスト派の牧師であったが、その理想は人種や宗派の違いを超えて多くの人々の共感を呼んだ。
 教皇フランシスは2018年の記念日にキング牧師の末娘、バーニス・キング牧師にメッセージを寄せ「キング牧師が非暴力と平和という手段を通して追求した共通善の実現や、すべての人の間の調和と平等という夢を妨げる、社会の不正義・分裂・対立が、今日の世界に拡大している」と述べている。
 社会の不正義・分裂・対立に苦しむ現代世界に対して、キング牧師の言葉に含まれる眞實の重さは依然として変わらない。
 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記 西坂の丘で殉教した聖パウロ三木

2025-01-19 | 福音歳時記

福音歳時記 西坂の丘で殉教した聖パウロ三木

 迫害を加へし者の救済を祈る侍(さむらい)主の十字架に


1597年2月5日に長崎西坂の丘で処刑された二十六人のひとりパウロ三木の言葉がフロイスによって記録されている。

 処刑されたキリシタンの罪状書きには、「これらの者はルソンから来た者で、禁制の教えを説いた者である」と記されていた。パウロ三木は処刑のときに、かれが侍として仕えていたイエスに倣い、十字架の上から次のように語った。

 「私はルソン人ではなく、れっきとした日本人で、イエズス会の修道士です。私は何の罪も犯してはいませんが、ただ主イエス・キリストの教えを説いたために殺されるのです。私はこのような理由で死ぬことを、主がわたしに与えた大きな恵みであると思っています。 今この時にあたって、私はあなたがたを欺こうとはしていないことを信じていただきたいのです。私の願いは皆さんがキリシタンとなって救われることです。私は自分の処刑を命じた人と処刑に関わったすべての人を赦します」(「日本二十六聖人殉教記」
(ルイス・フロイス 著、結城了悟 訳)より

1597年2月5日、三木パウロ33歳のとき、十字架上からの信仰の証しであった。

下の絵は長谷川路可の描いたフレスコ画 「St Paul M.I.K.I

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記 パウロの回心とダマスコからの脱出

2025-01-18 | 福音歳時記

福音歳時記 パウロの回心とダマスコからの脱出

  顕現のイエスの光り聖パウロ闇夜に墜ちて死人のごとく
  三日目に眼より鱗の落ちにけり按手洗礼満つる聖霊
  伝道に旅立つパウロ籠に入り真夜に城壁降りて去りぬ


 シリアのダマスコには、キリスト教を迫害してきたサウロ(パウロ)に洗礼を施したアナニアにちなんだ教会が建てられている。写真は聖堂の絵図で、使徒行伝9章の叙述に従って、「サウロの回心(イエスとの邂逅)」「サウロの受洗」「ダマスコからのパウロの脱出」の三場面が描かれている。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記 1月19日 聖トマス小崎巡礼の日

2025-01-17 | 福音歳時記

福音歳時記 1月19日 聖トマス小崎巡礼の日

 

 心臓を貫く十字イエズスにならふ少年母を気遣ふ

 

 1597年2月5日に長崎の西坂の丘で殉教した26人の記録をルイス・フロイスは同年3月17日に纏めた。そして、病身であったフロイス自身も、彼等の後を追うようにして7月8日に帰天した。イエズス会に入会して50年、東洋で49年、日本で34年を過ごした彼の最期の仕事が「二六人殉教記」であった。この記録には、日本では散逸してしまった殉教者の多くの書簡が残されている。

  トマス小崎について、フロイスは次のように記している。

「トマス小崎、修道者の同宿。16歳。伊勢出身で、フライ・マルチノと一緒に大坂にいた。彼の父ミゲル小崎も同じく十字架につけられた。この少年は、道中母に宛て手紙を書き、それを父に渡した。十字架につけられた後、一ポルトガル人が彼の懐から袋の中の手紙を一枚の御絵と共に見つけた。御絵には心臓の上に十字架を担う幼きイエズスが描かれていた。槍で刺された時の血にまみれたその手紙には次のように書かれていた。」

母に宛てたトマスの手紙

「神の御助けによってこの数行をしたためます。長崎で処刑されるためそこに向かう私たちは、先頭に掲げた宣告文の通り24人です。私と父上ミゲルのことについては御安心下さいますように。天国で近いうちにお会い出来ると思います。神父達がいなくとも、もし臨終の時、犯した罪の深い痛悔があれば、また、もし主イエス・キリストから受けた数多くの御恵みを考えそれを認めれば救われます。現世は、はかないものですから、パライソの永遠の幸せを失わぬように努めて下さいますように。人々からのどのようなことに対しても忍耐し、大きな愛德を持つようにしてください。私の弟たち、マンショとフェリペを未信者の手に渡さぬようにご尽力下さい。私は我が主に母上たちのためにお祈り致します。私の知人の皆様によろしくお伝え下さい。重ねて申し上げます。貴女が犯した罪について深い痛悔を持つようにしてください。これだけが大切なことです。アダムは神に背いて罪を犯しましたが、痛悔と償いによって救われました。
 安芸国三原の城から
                    12番目の月の2日(1597年1月19日)」

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福音歳時記  雪のサンタマリア

2025-01-15 | 福音歳時記

福音歳時記  雪のサンタマリア
   
 絵踏みせし罪におののくキリシタン雪の聖母に何いのるらむ

「雪のサンタマリア」とは、キリシタン時代の絵画の小断片を掛軸に表装したもので、現在は長崎の日本26聖人記念館にある。「雪のサンタマリア」の名称の由来は、諸説あるが、おそらく、日本布教の前にイエズス会の宣教師達が祈りをささげたサンタ・マリア・マジョーレ教会の伝承に由来するらしい。

昔、マリア聖堂奉献を考えていたローマのある貴族に、聖母ご自身が夢に示現され、建設すべき場所を(真夏であるにもかかわらず)雪で示されたという伝承である。

 姉崎正治の『キリシタン宗門の迫害と潜伏』(同文館 大正14年)に収録されている「宗門大要(北条安房守宗門改記録下巻)」のなかに「雪のサンタマリア」の記載がある。

  「宗門大要」は、岡本三右衛門ことジュゼッペ・キアラが、井上筑後守に替わって宗門改役について北条安房守の尋問に応じて明暦4年、1658年に宗門の大要を陳述したのを筆録したものである。内容は、宮崎道生校注『西洋紀聞』に収録されている「岡本三右衛門筆記」とほぼ同じであるが、それにはない文書も記載されており、そのひとつが「雪のサンタマリアと申すこと」という一九番目の文書である。

「雪のサンタマリアと申すことは、ロウマにてある侍(さむらい)、子を持ち申さず候(に)付きて、金銀取らせ申すべきものも之なき(に)付て、サンタマリアの寺を建て申すべき由、女房と相談申し候處に、其夜の夢にサンタマリア夢にまみえ給いて仰せられ候(に)付きて、夫婦ながら右の所へ参り見候へば、六月土用の中にて御座候へども、雪降り候て御座候。其處に即ち寺を建て申し候。夫れに就き雪のサンタマリアと申し候。」

これは「雪のサンタマリア」に言及した文書の中で最も古いものであり、サンタ・マリア・マジョーレ教会の伝承とほぼ一致することが注目される。

この記事が、「宗門大要」に載っている理由については、姉崎博士自身は「この話を何のために出したのか聯絡不明、或は奇蹟の一證としてか」と述べるに止まっているが、一つの自然な解釈として、シドッチが「親指の聖母」像を持参して来日したのと同じく、ジュゼッペ・キアラも、ミサを立てるときに用いる聖像の一つとして、「雪のサンタマリア」の絵を持参したのではないかという仮説が考えられる。

 キアラが宗教画を持参したという直接的な証拠は未だ見いだせないが、「ジュゼッペ・キアラが日本に密入国したときに持参した「書物」については、「岡田三右衛門筆録」に次のような記載がある。

 一 ヒイデス、ノダイモク 壹冊 是ハ初テ切支丹ニイタシ、又ハサイゴノ時トナヘ候書物
一 ミイサ、ヲコナイノキヤウ 貳冊  是ハデウス、尊キタムケヲ捧ケ候時ノ経
一 身持ノ書物 壹冊
一 エキノ書  壹冊
一 ヲカボラリヤウ 但三右エ門自筆 壹冊 是ハ日本口ナラヒノ書
一 日本言葉集書  三冊壹結
一 勤三冊ノ書物控 貮冊
一 同下書共    壹結
一 同不審書控   貳冊
一 天地の図ニ有之国郡ノ名付 壹結
一 南蛮ユサンの書付    壹結
一 キリシト天下ル未来記  同
一 諸事アツメ書      同
以上

ここで「ミイサ、ヲコナイノキヤウ 貳冊  是ハデウス、尊キタムケヲ捧ケ候時ノ経」とある点に注意したい。宗門改めの役人にとってミサ聖祭の道具がどんなものであるかは理解できなかったと思うが、キアラがミサをおこなうための「経典」とともに、シドッチと同じくそのための祭具を持参した可能性はあると思われる。

 現在、二六聖人記念館に保管されている「雪のサンタ・マリア」がキアラが持参したものであるという直接的な証拠はないので、即断は禁物であるが、「雪のサンタ・マリア」は、その後様々に(日本のキリシタン説話として)変容された形で、隠れキリシタンの間に伝承されたことはよく知られている。その意味で、サンタ・マジョーレ教会の古い伝承にもっとも近いものが、キアラの言葉を収録した「宗門大要」に掲載されていることが注目されるのである。

遠藤周作の「沈黙」の主人公ロドリーゴ神父のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父の墓碑は2016年1月26日に調布市の有形文化財に指定された。当時のカトリック新聞に 「キアラ神父は(棄教)後にキリスト教の教えを説く本(現在行方不明)を書かされました」という記事があった。しかし、キアラ神父が「棄教」後に書いた本のすべてが行方不明なのでは無く、「岡本三右衛門筆記」という文書の抜粋が新井白石の「西洋紀聞」にあり、更に詳しい内容をもつ「宗門大要」が、姉崎正治の「切支丹宗門の迫害と潜伏」(大正14年刊行)にあった。

遠藤周作の引用した宗門改の役人の手記に基づく映画版「沈黙」の最後の場面は、仏教の葬儀儀礼に従って棺桶に入れられ薪で焼かれるロドリーゴ神父の胸に十字架が光り輝くシーンである。これはスコセッシ監督のこの映画にこめたもっとも重要なメッセージであろう。

  浄土真宗の門徒として埋葬されたキアラ神父の墓碑は、1943年におなじイタリア人のタシナリ神父によって発見され、サレジオ修道会に大切に保管された。そのとき、この墓碑銘の「入専浄眞信士霊位」は、仏教の戒名から、キリスト教の「浄い真の信仰」を示す墓標に変容したのではないだろうか。墓標の上の司祭帽のような墓石と、キリシタン文字のように刻まれた梵字が印象的であった。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月の俳句

2025-01-15 | 福音歳時記

      正月の俳句

去年暮れより妻共々にインフルエンザに罹患して

  九度八分躰震はす寝正月

  有難き梅干し粥の二日かな

  三日には病床で聴くレクイエム

  妻も倒れ炊事洗濯、四日なり

病床で「福音歳時記」書き続くーいささか物狂ひめきて

  使命あるものの如くや初仕事

      福音俳句

  一碗の底にイエスの息吹く春

(上の写真は3年前に陶芸家の椿巌三さんから頂戴した茶碗です)

  元朝や驢馬に揺られし聖家族

  読初はフランシスコのさき花

  難病を生き延びし吾娘成人式

  七種を恵む福音喜寿過ぎぬ

  小正月ガザの平和を祈る夜半 

  冬薔薇ふゆそうび矛盾を生きるベネディクト 

  遊行期や春の小道にロザリオの歌 

   

下の写真は東久留米の聖グレゴリオの家(宗教音楽研究所)

 

ここではグレゴリオ聖歌による弥撒が主日の10時半より行われます。詳細は

https://st-gregorio.or.jp

をご覧下さい。

 

  

  

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする