歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

「モーツアルトの最初のオペラを聴く」

2020-03-24 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
アマデウス・モーツアルトが11歳の時に、彼の名前を冠して、1767年にザルツブルグで上演されたオペラがふたつある。ひとつは、k.35 の「第一の律法の責務」、もうひとつはk.38の「アポロとヒアキントス」である。2006年のモーツアルト生誕250周年を記念してザルツブルグ大学の講堂で、John Dew 演出、Joseph Wallnig 指揮、モーツアルテウム大学の交響楽団とその卒業生の歌手達によって蘇演された。それを記録したDVDは現在も入手可能である。
 私は、バロック・オペラ「勇敢な貴婦人」の演出のヒントを得るためにこのDVDを取り寄せたのであるが、視聴しているうちに、2006年のこの記念祝典が挙行される一ヶ月前に私自身が学会出張でザルツブルグに滞在していたことを思い出し、何か不思議な縁を感じた、オペラの上演会場であるザルツブルグ大学神学部講堂は、The 6th International Whitehead Conferenceの会場でもあり、もう一ヶ月余分に滞在していれば、私もこのモーツアルトの最初期のオペラを直接聴くことができたからである。
 11歳のモーツアルトのこの最初の作品の中に、いわば萌芽のようなかたちで、晩年のオペラの豊穣な展開が内包されていることには驚かざるを得ない。たとえば、「アポロとヒアキントス」でヒアキントスの死を哀悼する父と妹の二重唱など、優美な旋律に載せながらも万感胸に迫る悲しみを表現する、あのモーツアルトの音楽の特徴が、すでに現れていると思った。 
 ザルツブルグ大学での蘇演、音楽的には素晴らしいものであり、歌手も伴奏音楽も申し分なかったが、この二つのオペラの演出のいかに難しいかということを感じざるを得なかった。
 「第一の律法の責務」というものものしい表題のついたオペラのほうは、ドイツ語の歌詞と台詞で語られるジングシュピ―ルで、登場人物が、「正義」「慈悲」「世俗精神(Weltgeist)」「キリスト教精神(Christgeist)」「キリスト教徒」「狩人」「ライオン」「悪魔達」という寓意劇であり、バロック時代のイエズス会の宗教劇の伝統を受け継いでいる点で興味深いものであった。ただし、もともとの音楽劇が三部作で、モーツアルトが担当したのが第一部だけなので、第二部と第三部の台本や楽譜が散逸してしまったために、全体としてこの音楽劇がどういうように上演されたかはよくわかっていない。2006年のザルツブルグ蘇演では、陽気で動きの活発なドイツ語の「笑劇」として演出されていたが、この演出には、「世俗精神」の役者の奇抜な衣装や演出の可否について、賛否両論があったようである。
 「アポロとヒアキントス」では、バロックオペラの豪華絢爛たる衣装をつけ、白塗りの化粧をした歌手達が、きわめて様式化された静的な振り付けで歌っていた。John Dewによれば、バロック時代の歌手の衣装と所作を参考にはしたが、現代の観客にもわかるように、それをより自然な形に改めたとのことであった。
 日本の演劇の伝統にこれに似たものを挙げるとすれば、能楽の振り付けが最も近いであろう。実際、「アポロとヒアキントス」は、同一の台本作者による「クロイソスの慈悲」という別のオペラの三幕の幕間劇(intermedium) として上演されている。
 非常に私が興味をそそられる点は、この台本作者Rufinus Widl が、「勇敢なる貴婦人」の作者(イエズス会のギムナジウムの校長)と同じく、ザルツブルグ大学の人文学の教師でもあり、ギリシャ・ラテンの人文的な伝統とキリスト教の統合をテーマにして演劇の台本を書いていることであった。
 「アポロとヒアキントス」の素材はいうまでもなくオヴィデウスの変身譚であり、ギリシャ的なエロスを主題としているが、Widl はそれをキリスト教的な「喜劇(コメディア)」に変換しているからである。ここで「喜劇」というのは、「笑劇」という意味ではなく、主人公の死で終わる「悲劇」に対して、主人公の死からの復活、婚姻という「生の喜び」を主題とするという意味である。
 初演の時の歌手達は、父親役を除けばみな十代前半の少年であったという記録が残されている。そして作曲を担当したのが、パリやロンドンへの大旅行から帰国したばかりのモーツアルト少年であったから、未来を背負う少年達がこのオペラを上演したということだろう。もっとも、このオペラの歌手への要求度は極めて高く、少年達が歌ったと云うことが信じられない程難しいコロラツーラを含んでいる。
 父親のレオポルド・モーツアルトは、オペラ作曲の経験に乏しく、ラテン語の歌詞に曲をつける息子の天賦の才能に驚いて、これ以後、オペラの本場イタリアに息子を連れて再び大旅行をするようになるのである。
 
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「Coincidentia oppositorum (対立の一致)と愛」ー西田幾多郎の大谷大学開校記念講演(1919)とバッハの宗教音楽に寄せて

2020-03-19 | 哲学 Philosophy
岩波書店から依頼された西田幾多郎講演集の編集・解説の仕事を現在しています。バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴きながら、この編集作業をしつつ感じたことを、忘れないうちここに書き留めておきましょう。
 
 ヨーロッパを何度か旅した日本人のキリスト者の一人として、30年戦争をはじめとする宗教対立の遺跡を巡り、また「キリスト」教国のなかのユダヤ人迫害、二つの世界戦争の犠牲者の史跡などを目の辺りにして、このようなイデオロギー対立を越えるキリスト教とは何かと言う課題を避けることはできませんでした。
 
諸宗教・諸宗派の差別と対立を越える対話の実践が必要ですが、私もまた限られた経験の範囲ではありますが、これまで35年の間、東西宗教交流学会をひとつの活動の場としてきました。禅とキリスト教の間の霊性交流と並行して宗教哲学の研鑽の場でもあったこの学会では、西田幾多郎にはじまる京都学派の哲学者、そしてクザーヌスに代表されるキリスト教的プラトン主義の哲学者達に最も惹かれます。
 
 バッハの「ロ短調ミサ」を聴いていると、カトリックの普遍的宗教性と、ドイツ語・ドイツ文化の個性が統合されていることを強く感じます。その統合は、どのようにして為されているのしょうか。それはまさに一人一人の「個」の協奏によって遂行されているように感じます。バッハの宗教音楽には、単旋律で歌うグレゴリオ聖歌の伝統も生きていますが、同時に、複数の他者と共鳴するポリフォニーが、不協和から協和へと向かうダイナミズムを感じさせます。ときに二人の歌唱が交互に主となり客となる二重唱、斉唱ではなく対位法的に複数の旋律が時間差を伴って反復されるフーガは、それぞれのパートが異なりを見せながらも協和します。そして何よりもルターに始まるキリスト教の原初の精神に立ち返って個々のキリスト者の心の奥底に呼びかける内面性と超越者との関係が見事に音楽で表現されています。超越者に対して「私ー汝」の関係で呼びかける「個人的(人格的)」な内面性のなかに、万人に通底する普遍的な真理が反響する。そういうことを私に如実に経験させてくれるのが、バッハの「ロ短調ミサ曲」や「マタイ受難曲」です。 
 
 西田幾多郎とクザーヌスの関係については、私もいろいろなところに書きましたが、大谷大学開校記念日講演の面白いところは、仏教者を聴衆としてクザーヌスを論じている点でしょう。
 西田はつぎのように「反対の一致」をもって宗教の本質を現すものとしています。
 
「宗教上の神仏とはその本質は愛であると云ってよいと思ふ。知識の竟まるところ人格となりてこの人格はCoincidenti oppositorumであるが Coincidentia oppositorumが結合するものが神又は仏であって、愛がそのessenceである。それで是はあくまで知識の対象となることはできぬが情意の要求によってこれを味ひこれに結びつくことができる。故に神を知識的に限定する事は中世の否定神学の云ふがごとく不可能である。而しCoincidentia oppositorum は一切の人間活動の基礎となり、愛の形によってその極致が示されるのである。即ち極めて論理的な概念が現実生活に極めて密接な事実となる。仏教でも、華厳などから、浄土真宗に移るところにこんな意味がありはしないかと思ふ。(西田幾多郎全集13:86)」
 
晩年の西田の宗教哲学を予感させる講演ですが、「反対の一致は愛の形によってその極致が示される」という文章を読むと、私には、バッハのカンタータの究極の主題を表現する言葉としてこれ以上に相応しいものを知りません。例えば、カンタータ106番の死と生、カンタータ140番の終末論的悲しみと婚宴の喜び、概念的には対立し一つにならぬものの「一致」すること、西田がのちに「矛盾的自己同一」と呼んだものを、概念ではなく、万人に開かれた音楽の心によって感じさせてくれる普遍性が、バッハの宗教音楽にあります。
 
 小澤征爾指揮の「ロ短調ミサ曲」が、彼の「マタイ受難曲」と並んでYoutubeにありましたので、リンクを張っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=JHcf3xeU4xQ&t=826s 
 
 
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レオポルド一世の典礼音楽を聴くーその1-

2020-03-16 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
僅か21歳で逝去したマルガリータ后妃の死を悼んでレオポルド一世は1673年に Missa pro defunctis (死者のためのミサ曲) を作曲しています。このミサ曲は、後世の劇場音楽と化した requiem とは違って「怒りの日」を含まない純粋な鎮魂曲となっています。構成は、
1 Introitus: Sonata-Requiem aeternam    
2  Kyrie-Christe-Kyrie eleison
3 Sanctus: Sonata-Sanctus-Hosanna       
4  Benedictus: Hosanna   
5 Agnus Dei:                                                 
6  Communio: Sonata-Lux aeterna-Requiem aeternam
 
 1899年にフランスの作曲家ラヴェルは、ベラスケスの絵画に触発されてピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を作曲した。パヴァーヌとは、スペインの舞曲で、嘗てはヨーロッパの王家の結婚式で、新郎と新婦が並んで行列するときにも奏されましたから、華やかな国民的祝典であったマルガリータの婚姻の追憶と哀悼に相応しい曲でした。
 上智大学の100周年記念で上演された「勇敢な貴婦人」では、終幕がガラシャの葬儀ミサの場面でした。これは史実に即したもので、そのときは典礼音楽なしの日本語の台詞だけの上演でした。
 
カトリックでは特定の故人のためのミサではなく、「死者達のためのミサ」を行うのが通例ですから、レオポルド一世のミサ曲をマルガリータ后妃だけでなく丹後の王妃ガラシャに捧げることも不自然ではありません。
 
「マルガリータ」とはラテン語で「真珠」を意味する言葉でもあって、マタイによる福音書13-45では、「神の国」が、真珠(bona margarita)に譬えられています。 偶然の一致ですが、細川忠興夫人の名前も「たま(珠)」でした。
 
グレゴリオの家での私の講演では下記のCDで聴きましたが、Youtubeに篤志家がアップしているので、そのリンクも張っておきます。
 
CD: Leopold 1 - Sacred Works: Waschinski-Cordier-Voss-Kleinlein-FinkWIENER AKADEMIE Martin Haselboeck
MUSICA IMPERIALIS
 
https://www.youtube.com/watch?v=xIHIKjbORXA&t=7s
 
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レオポルド一世の建立したウイーンのペスト終熄記念塔(三位一体像柱)に寄せて

2020-03-13 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
 
 
1670年代に10万人を越える死者を出した恐るべき伝染病(ペスト)の終熄を宣言する記念塔が今もウイーンにありますが、これはレオポルド一世が1679年に建立したもの。往時に制作された銅版画もアップしておきます。
 父・子・聖霊の三位一体の神に捧げられたこのバロック様式の像柱(votive column)には、死者を追悼し懺悔の祈りを捧げるレオポルド一世自身、十字架を担う女性、擬人化された黒死病を退治する天使像などの彫像が刻まれています。
神聖ローマ帝国の皇帝としてのレオポルド一世の課題は
(1)オスマントルコのキリスト教国への侵攻と首都ウイーンの防衛
(2)プロテスタントを奉ずる北方の諸侯との政治的対立
(3)長年のライバル関係にあったフランスのブルボン王家との対立
(4)スペインのハプスブルグ家との連帯と両家の存続
(5)伝染病や地震災害などの天変地異による人心の動揺
など、なかなか困難なものでした。
 聖職者志望の音楽青年で、長兄の死去によって思いもよらず皇帝とならねばならなかった彼にとって幸いしたのは、優秀な元老に恵まれたことで、なんとかこれらの課題を乗り切り、オーストリア・ハプスブルグ家の黄金時代を迎えることができたようです。
 ところで、この記念柱の下段に造形された十字架を担う女性像を観て、私は、バロックオペラ「勇敢ある婦人」のプロローグの演出のヒントが得られたように思いました。プロローグに登場する「像柱」の擁護者としてのガラシャというイメージが台本作者にあったことはほぼ間違いないでしょう。
 「勇敢なる聖女ガラシャ」を主人公としたこのオペラでは、像柱は三位一体の神のシンボルであって、プロローグでは「コンスタンチア」という婦人が、像柱を護ろうとする「不変の信仰」を表現しています。これに対して像柱を倒そうとする「クルデリタス」と「フロール」は、それぞれ「残虐」と「憤怒」を象徴する人物です。像柱が大きく傾いて倒壊する直前に、「インクイエス(良心の不安)」と「ポエニチュード(悔悛)」がやってきて、クルデリタスとフロールを誡め、像柱の倒壊を防ぎます。そしてコンスタンチアは、自ら十字架を担って退場するーこれがプロローグの構成であって、バロック・オペラ「勇敢な婦人」の根本的なモチーフを表現しています。
プロローグでコンスタンチアの声部を担当するのが、この音楽劇の主人公の「ガラシャ」ですから、このオペラの台本作者がガラシャに与えた役割がよくわかります。
  ルネッサンスおよびバロックの時代のオーストリアの音楽劇に内包された舞台のイコノロジーの解釈は、日本の観客にとってはなじみの薄いものですので、その演出にはなかなか難しい問題が潜みます。大事なことは、宗教的的な観念が先行する寓意劇に終わらせないこと。
  幸いなことに、優れた音楽は、観念先行型のイデオロギーを越える普遍性を表現する可能性をもっています。バッハやモーツアルトの音楽がイデオロギーや様々な宗派的プロパガンダを、軽々と越えて、あらゆる人の心の内にある宗教性の目覚めを喚起できるのも、音楽が人間の文化と自己形成の核心に触れることができるからでしょう。
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Fortem Virili Pectore(勇敢なる聖女)を聴く

2020-03-13 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
バロックオペラ「勇敢な婦人」(mulier fortis) のタイトルがカトリック典礼に由来することを前回説明しましたが、「理想の妻」を頌えた旧約聖書「箴言」に続けて歌われる賛「Fortem Virili Pectore(勇敢なる聖女)」の作者についての情報を聖グレゴリオの家の西脇純先生にご教示いただいたので、YouTubeでこの讃歌を聴きながら、作者について説明します。
賛歌Fortem Virili Pectoreの作者 Silvio Antoniano (1540-1603)は、細川ガラシャ(1563-1600)とほぼ同時代のイタリア人司祭です。貧しい毛織物業者の息子として生まれた彼は、幼少の時から詩と音楽に著しい才能を示し、竪琴の優れた弾き手でした。メディチ家出身の枢機卿の経済的援助を受け、司祭への道を選んだ彼は、北イタリアのフェラ―ラ大学で学位を取得後、ローマ大学で人文学の教授、同大学の学長を務め、1599年に枢機卿に叙階されたことからも分かるように、イタリアルネッサンスのプラトン主義的な人文主義とキリスト教を統合する学藝の道を典礼音楽の刷新に求めた人でもありました。彼の没年である1603年に、このFortem Virili Pectoreというグレゴリオ聖歌が、晩課および聖女共通祝日の讃歌に採用され、それ以後、現在に至るまでカトリックの聖務日課の中で連綿と歌い継がれています。
作曲者に関する詳しい情報については以下のサイトを参照。
http://www.araldicavaticana.com/parrinoantoniano_silvio.htm
http://cardinals.fiu.edu/bios1599.htm#Antoniano
https://hymnary.org/text/fortem_virili_pectore
youtubeのアドレスは
https://www.youtube.com/watch?v=LKComplkJR0

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「細川ガラシャの時代の典礼音楽」ー聖グレゴリオの家での講演から

2020-03-11 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
ーその1ー
「バロック・オペラ Mulier Fortis (勇敢なる婦人)のタイトルの由来について」
 
  このバロックオペラの表題の出典が、妻の理想について書かれた旧約聖書の箴言31:10-11に基づくカトリック典礼に由来することは前回の講演でお話ししました。この典礼文とそれに付随するラテン語の賛歌が、320年後の現在でも、ラテン語の聖務日課としてグレゴリオ聖歌とともに朗詠されてきたことがわかりましたので、それについてお話しします。
現行の旧約聖書の日本語訳および注解ではこの箇所がローマ典礼の聖務日課で引用されていることを指摘しているものが稀であることは誠に残念です。
 私の調べた範囲では、僅かに講談社版「聖書」(バルバロ神父訳)だけが、
   「彼女は真珠よりも遙かに値打ちがある」
という邦訳の脚注(1085頁)でカトリック典礼との関連を指摘していました。「新共同訳」や「フランシスコ会訳」にもそういう注釈がありませんでしたし、まして、プロテスタント系の聖書翻訳や注解書では、カトリックの伝承への配慮は少ないので、使徒継承のカトリックの聖伝のなかで旧約聖書詩編や賛歌がどのように引用され解釈されていったかという説明にであうことは稀です。Keil-Delitzch のCommentary on the Old Testament の第六巻(326頁)によると、箴言の該当箇所の70人ギリシャ語訳に由来する解釈の伝承では、ここは箴言全体の「結び」という大切な意味を持っている点が、ユダヤ教徒が聖典としたテキストとは異なるということを指摘していました。Keil-Delitzchによると、ここは、
  A virtuous woman, who findeth her!
  She stands far above pearls in worth.
と訳すのが妥当であり、「mulier fortis」を、単に「勇気ある婦人」「気丈な婦人」という意味にではなく、「宗教的な美徳をもつ婦人」という意味に取るのが適切であるとのことです。つまり真珠のような、どれほど高価であっても、金で買えるような商品とは全く異なる宝物、真珠よりも遙かに貴重な心を持つ女性ーまことの信仰を持った女性ーこそ妻とするに相応しいという意味に解釈しています。カトリック教会の旧約聖書の解釈は、70人ギリシャ語訳の大きな影響を受けていますから、このような内面化された「理想の妻」のイメージが、箴言を「賛歌」として典礼文に摂取する際に影響したと云うことは十分に考えられます。そこで、世俗的な意味で「理想の妻」がいかなるものであるかを述べているという印象の強い箴言のもともとのヘブライ語テキストを、カトリック教会がどのように内面化して、それをキリスト教的美徳の一つとしての「勇気」をもつ女性として頌え、その「賛歌」を朗唱するようになったかを見るために、典礼の中で朗唱されたMurier Fortis のイメージに立ち返ってみましょう。
 
「Mulíerem fortem quis invéniet? Procul et de últimis fínibus prétium eius. Confídit in ea cor viri sui, et spóliis non indigébit.
勇敢な貴婦人を誰が発見するであろうか? その価値は、(遠方より来る)真珠よりも遙かに貴い。夫は彼女を頼みとし、その事業に窮することがない。」
この旧約聖書箴言31:10-11の引用文の後で、次のような賛歌が典礼で朗唱されます。それは、まさに、キリスト教的美徳をもってその信仰の証をした女性(殉教者)をたたえ、その女性のとりなしのいのりを神に祈る詩となっています。
 
     (「勇敢な婦人」の賛歌)
「我らすべてが声を挙げて勇敢なる貴婦人を頌えましょう。
 聖なる栄光とともにその御名をほめ歌いましょう。
彼女は純一なる天上の輝きに満たされ星空の光に輝いています。
彼女は下界の事物への愛を拒否し、この地上に留まることを気遣いませんでした。
諸々の天に向かって苦難の道を行き
その身体をしっかりと従わせ、
その霊魂を祈りの甘美なる糧で満たしました。
彼方の世界で、この世の喜びを捨てた彼女は至福を味わうでしょう。
王なるキリストよ、全てのものを勇敢ならしめる御方よ、我らの至聖なる行いはあなたのものです。
高きところに居る彼女のとりなしの祈りによって、あなたの民の叫びを憐れみをもって聞き入れてください。」
 
   バロック・オペラMulier Fortisがウイーンで上演されたときは、高山右近とならんで、キリスト教的美徳と信仰を証した人として、細川ガラシャを主人公とするオペラ Mulier Foritis が上演されたことが、これでわかります。
   賛歌原文のラテン語は以下の通りです。
 
「Fortem viríli péctore / Laudémus omnes féminam,/ Quæ sanctitátis glória / Ubíque fulget ínclita.
Hæc sancto amóre sáucia,/Dum mundi amórem nóxium/
Horréscit, ad cæléstia/ Iter perégit árduum.
Carnem domans ieiúniis,/ Dulcíque mentem pábulo/
Oratiónis nútriens,/Cæli potítur gáudiis.
Rex Christe, virtus fórtium,/Qui magna solus éfficis,
Huius precátu, quǽsumus,/ Audi benígnus súpplices.」
 
さて、上記の典礼文は、聖グレゴリオの家の「聖務日課(晩課)では、グレゴリオ聖歌で朗唱できるようにネウマ譜が付けられています。現在のカトリック教会の典礼様式はピオ十世の典礼改革以後のものですから、レオポルド一世の時代のウイーンのイエズス会修道院や附属の学校の聖務日課で、ここがどのように朗唱されたかどうかは、さらに調べる必要があります。
   そこで次に細川ガラシャの時代のウイーンの典礼音楽がどのようなものであったかを、レオポルド一世自身が作曲した三つの宗教音楽、「レクイエム」、「聖母マリア讃歌」、「ダビデ王の悔悛詩編miserere 」の三曲を聴くことにします。
 このうちレクイエムは、彼の最初の妻マルガレ―タ(ベラスケスの名画やラベルのパヴァーヌで有名な王女)の死を悼んで作曲したもので、後世の劇場音楽と化したレクイエムとは異なり、「怒りの日」を含まない静かな祈りのこもった鎮魂曲です。また、詩編50編(プロテスタントの聖書では51編)は、悔悛するダビデ王の心情を歌ったものですが、自分自身が神聖ローマ皇帝でもあったレオポルド一世自身の王としての懺悔の気持ちのこもった名曲として聴くことができました。
 レオポルド一世の宗教音楽は日本ではあまり聴く機会がないだろうと思います。次回はCDで彼の音楽を聴きながら、音楽の街ウイーンの礎を気づいた人物の一人でもあったレオポルド一世を取り上げることとします。(続く)
 
 
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