福音歳時記 主の奉献の主日:詩編2の黙想
永遠と時間の両義「今日」といふ日の典礼詩編朗詠す
新約聖書のなかで旧約聖書はギリシャ語で引用されるが、そのなかでも詩編2に由来する引用例は多い。
共観福音書ではーマルコ(1:9-11)マタイ(3:17)ルカ(3:21-22)では、イエスの受洗の場面で、「天が開け、神の霊が鳩のかたちで下り」天から「これは愛する我が子、我が心にかなうものである」という声がしたとある。また山上の変容の場面-マルコ(9:7-8)マタイ(17-5)ルカ(9:29-36)では、光り輝く雲の中から「これは我が愛する子、我が心に適うものである。(ルカ傳では、「我に選ばれたものである」)彼に聞け」と言う声が聞こえたとある。
また、使徒行伝(13:33)ではピシデヤのアンティオキアの会堂でのパウロの説教のなかで、復活後にイエスが神の子の栄光を受けたことを宣言するときに、詩編2の「あなたはわが子、わたしは今日あなたを生んだυἱός μου εἶ σύ, ἐγὼ σήμερον γεγέννηκά σε.= Filius meus es tu, ego hodie genui te.」を引用している。
このように、イエスの生涯の重要な出来事ー受洗、山上の変容、十字架の死/復活の栄光ー
を物語るときにこの詩編2が引用されていることが分かる。
を物語るときにこの詩編2が引用されていることが分かる。
詩編2は、元来は、イスラエルの王の即位式のために書かれた「王の詩編」と呼ばれるのが普通である。それは、
(1)イスラエルの新王に対して、諸々の国の王が空しい反逆をする (2)それに対する神(ヤーウエ)の嘲笑と怒り (3)諸々の国の王の上に立つ権威が神に由来するという新王の答え (4)新王に対する反逆は破滅をもたらし服従は幸福をもたらすのが神の摂理である
という構成から分かるように、隣接する国々の上に立つイスラエルの王の御稜威の由来を、父なる神(ヤーウェ)にもとめる詩であった。
新約時代のキリスト者たちは、ここでいわれている「新しい王」こそ、十字架につけられたのちに復活したイエスその人であると主張するために、この「王の詩編」を引用したと考えられる。王を神の子として認める即位式の宣言が、イスラエルという民族のみを特権化するものではなく、異邦人を含めたすべての人類の救世主イエス・キリストの神の子としての権能を表すものであったというのが、使徒継承の初代教父たちの解釈であった。
アウグスチヌスは、この詩編2のなかの「今日、わたしはあなたを生んだ」の「今日」と「生んだ」という言葉について次のような興味深い解釈をしている。
これは、イエス・キリストが人間として生まれた日が預言において語られていると思われるかも知れない。しかし、「今日」というのは現在を意味しているのであるし、しかも永遠に於いては、存在しなくなってしまったいかなる過去というものもなく、眞田存在していない未来というものもなく、そして永遠なるものはすべて存在しているのだから、現存するものだけが常に存在しているのである。それゆえ、「今日」というのは、「今日、わたしはあなたを生んだ」という言葉に従って、神に関することであると解される。この苦においては、この上なく純粋なカトリックの信仰が、独り子である神の力と知恵の永遠の誕生を宣告しているのである。
「今日わたしはあなたを生んだ」とは、神からの神、子なる神の父なる神からの永遠の発出を意味するのであるが、そのような神学に聖書的な根拠を与えるものが詩編2の該当箇所であったと言うことが出来よう。これはイエスキリストの神性にかんする事柄であるが、アウグスチヌスは、詩編2の次の箇所はイエス・キリストの人性、すなわち歴史的時間に関するものと解釈している。
「わたしに求めよ。わたしは異邦人をあなたへの嗣業として与えるであろう」(詩編2:8)。もはや、この句は受肉した人に関する時間的な意味を表している。その方はすべての犠牲に代わって自分自身を犠牲として献げたのであり、私たちの為にも執り成して下さるのである(ロマ書8:34)。それゆえ、「わたしに求めよ」という言葉は、人類のために定められた時間的な全統治そのものに関するものである。すなわち、それは、異邦人はキリストの名のもとに統合され、かくて異邦人は死から救われて、神に受け継がれることになるだろう、ということである。「わたしは異邦人をあなたへの嗣業として与えるであろう」とは、あなたが異邦人を救うために、異邦人を受け継ぎ、そして異邦人はあなたのために霊の実を結ぶであろう、ということである。
アウグスチヌスは、ここで、異邦人の使徒パウロの歴史的使命に言及すると同時に、神からの神、父なる神から子なる神の永遠の発出という出来事が、歴史的な「今日」ではなくと永遠の現在である「今日」をさすものであり、それはパウロに時代のみならず、あらゆる時代に当て嵌まる出来事であることを示しているのである。
以下のYoutube ビデオは「王であるキリスト」を歌う詩篇2をグレゴリオ聖歌風に英語で朗詠したもの。
Psalm 2 (English), Gregorian Tone 1D