二『数理の歴史主義展開』における場所的直観説の批判
『数理の歴史主義展開』の第八章は『数学の自由主義(集合論)より歴史主義(位相学)への進展』という表題がついている。ここでは、数学基礎論における三つの主要な立場、すなわち論理主義(プラトン主義)、直観主義(構成主義)、形式主義(公理主義)のすべてがいずれもそのままでは維持しえなくなったという数理哲学の遭遇した歴史的な現実そのものを分析することにあてられている。この三つの立場を田辺は、それぞれ合理主義の独断論、経験主義の懐疑論、先験主義の批判論に対応させ、この三つの立場のどれもが二律背反ないし循環論をふくむことを明らかにした後で、ゲーデル以後の現場の数学者達がこの二律背反によって課せられた理性の本質的な制約を認めることによって、却って実践的にそれを克服しているという現実を、数理の歴史主義展開として捕らえたものである。
田辺の主張をよりよく理解するために、ここでは現場の数学者の行った数学の基礎に関する哲学的反省を手引きとすることにしよう。一つは、ヘルマン・ワイルの位相学や群論を扱う数学および理論物理学上の一連の仕事とそれらに基づく『数学と自然科学の哲学』という著作である。これは、一九二七年にドイツ語で書かれ、一九五〇年に英訳されたときにワイル自身によって改訂増補されたものであるが、田辺が問題としている科学哲学の全領域を現場の第一線で活躍した数学者の実践的見地から論じたものである。もう一つは、末綱恕一の『数学の基礎』(一九五二年)およびドイツ語でかかれた同一の主題の諸論文である。『数学の基礎』は『寸心先生に捧ぐ』という献辞からもわかるように、西田の言う行為的直観の考えかたに基づいて書かれた数学基礎論であって、『数理の歴史主義展開』のなかでも引用され、田辺の西田哲学批判という文脈のなかで『場所的直観説の不備、時空『世界』の歴史性』という章で論じられている。 ワイルは『リーマン面の理念』の初版(一九一三年)の序文で次のように言う。(5)
言語(記号)的構成を必要不可欠のものとする数学的概念は、このように数学理論の歴史的発展段階に拘束されるが、それとともに、それらの概念に内容を与える数学的直観もまた、媒介抜きの直接性と不変性をもつということはできなくなる。周知のごとく、カントは数学の命題がアプリオリな総合判断であることの根拠を、われわれの空間直観と時間直観のもつ形式にもとめた。このような直観主義に基づく数学論は、有限数の算術の命題とユークリッド幾何学の命題が必然的な真理であることを事実問題として認めたうえでその権利根拠を問うたものであったから、超限数の算術や非ユークリッドの可能性を問題とする現代数学の哲学的基礎をめぐる問題に答え得るものではないことも認めねばなるまい。すなわち、数学的直観そのものが数学的理論の歴史的発展段階に制約されているのである。
末綱恕一の数理哲学にたいする田辺元の反論は、西田哲学に影響された末綱恕一の行為的直観の説の非歴史的性格に向けられている。末綱は『数学の基礎』の序文で彼の数学観を次のように要約する。(9) 直観的内容をもつ勝義の数学といふものは、ただ有限個のものばかりでなく、ある種の無限者をも包含するのであって、事実普通の解析学(微分積分学)の基礎になるものは、直観的内容をもつものとして基礎づけられることを明らかにするのが、本書の目的とする所である。私は、自然数全体と直線的連続体とを全数学を担う二つの支柱と見なし、これから行為的直観的に我々が把握し得るものを、勝義における数学的存在と考える。
末綱は『無数のものがあってそれらが一つの纏まった全体をなすことが確認できない場合には、排中律は実際意味をもたない』ことを認める点において、ブラウアーの直観主義の主張の部分的正当性を認めるが、そこで言われている直観が、『有限の行為による構成をあまりに重大視するために、無数のものの集まりについての命題に関して排中律を全面的に拒否する』ことになり、その結果帰謬法も用いられなくなった欠陥を除くために、時間直観と空間直観との『矛盾的自己同一』としての行為的直観によって無限のものの集まりが一つのものとして把握されることをもって、無限集合に排中律の適用を許容することを可能にするような拡大された意味における直観主義の立場をとった。
田辺はこのような末綱の説が『形成行為を単に直接的形成に限らず、形成行為の目標を内に含ましめることによってその形成の範囲を拡大し、直観主義が有限主義に傾くのに対し、超限集合にまで構成を及ぼしつつ、しかも思惟の主観的理念に止まらず、之を時間空間の直観にゆだねられたことは、直観主義と公理主義との間に立って両者を補完総合するものとして特筆に値する』ことを認めつつ、『構成行為の目的として超越的目標に止まるものを、直観の内部に取り入れそれを直観に内在化せしめることが、直観の立場から許されるだろうか』という疑問を提示する。『西田先生の教えを仰ぐ』以来、終始一貫して変わらなかったこの疑問を、田辺はここでも繰り返す。(TW12;226)
無限集合論から位相学への数学の歴史主義展開という特殊な文脈で、このように西田が最も普遍的な哲学的論理として提示した『場所の論理』の批判を遂行するということは、そもそも如何なる意味を持ち、またそれはどこまで正当化されるであろうか。我々は、次の節で、西田の場所の論理を、無限集合論によって再構成した末木剛博氏の西田哲学研究を手掛かりにして、この問題を考察しよう。そして、田辺の批判は、少なくとも無限集合論として再構成されることを許すような『場所の論理』、すなわち部分に包越的全体が内在することを可能にするという重層的内在論の論理の批判としては有効であることを示そう。
『数理の歴史主義展開』の第八章は『数学の自由主義(集合論)より歴史主義(位相学)への進展』という表題がついている。ここでは、数学基礎論における三つの主要な立場、すなわち論理主義(プラトン主義)、直観主義(構成主義)、形式主義(公理主義)のすべてがいずれもそのままでは維持しえなくなったという数理哲学の遭遇した歴史的な現実そのものを分析することにあてられている。この三つの立場を田辺は、それぞれ合理主義の独断論、経験主義の懐疑論、先験主義の批判論に対応させ、この三つの立場のどれもが二律背反ないし循環論をふくむことを明らかにした後で、ゲーデル以後の現場の数学者達がこの二律背反によって課せられた理性の本質的な制約を認めることによって、却って実践的にそれを克服しているという現実を、数理の歴史主義展開として捕らえたものである。
田辺の主張をよりよく理解するために、ここでは現場の数学者の行った数学の基礎に関する哲学的反省を手引きとすることにしよう。一つは、ヘルマン・ワイルの位相学や群論を扱う数学および理論物理学上の一連の仕事とそれらに基づく『数学と自然科学の哲学』という著作である。これは、一九二七年にドイツ語で書かれ、一九五〇年に英訳されたときにワイル自身によって改訂増補されたものであるが、田辺が問題としている科学哲学の全領域を現場の第一線で活躍した数学者の実践的見地から論じたものである。もう一つは、末綱恕一の『数学の基礎』(一九五二年)およびドイツ語でかかれた同一の主題の諸論文である。『数学の基礎』は『寸心先生に捧ぐ』という献辞からもわかるように、西田の言う行為的直観の考えかたに基づいて書かれた数学基礎論であって、『数理の歴史主義展開』のなかでも引用され、田辺の西田哲学批判という文脈のなかで『場所的直観説の不備、時空『世界』の歴史性』という章で論じられている。 ワイルは『リーマン面の理念』の初版(一九一三年)の序文で次のように言う。(5)
厳密さに関する現代の厳しい要求に従おうとすれば、リーマン面の理念もまたその表現のために多量の抽象的な微妙な概念と思考とを要求する。しかしながら、この論理の糸によってきめ細かく織り上げられた全体系が、ここでは根底において決定的なものではないことを認識するには、多少とも鋭い洞察を加えれば足りる。それは単なる網であり、この網を使って我々は本質において単純であり偉大であり崇高である本来の理念を、プラトンの表現によれば場所なき場所(topos atopos)のなかから、海のなかから真珠を採るように、我々の悟性界の表面に取り出すのである。しかしながら、この精緻なそして煩瑣な諸概念の編み物に包まれた核心ーこれこそ理論の生命、真の内容、内的な価値を作るものであるーをとらえるためには、書物は(また教師でさえも)ただ貧弱な暗示を与えるに過ぎない。ここでは各個人が毎回あらたに、みずから理解を求めて格闘しなければならない。・・・彼は、この書物の最後の章を『一意化の理論(Uniformisierungstheorie)』にあてることを述べた後、次のように言うことを憚らなかった。(5)
我々は、ここに全ての地上的な個々の実在から解脱した神の姿-このような比喩をもちいてよいならばーを見る。二次元の非ユークリッド的な結晶の象徴においてリーマン面は、すべて偶然や光を曇らせるものから、でき得る限り解放された、純粋な真の姿を現すのである。一九一三年の時点での数学者ワイルにとって、リーマン面の理念(イデア)は論理の糸に細かく編み上げられた体系の網によって、『場所なき場所』から取り出されるものであった。ここでは、『イデアの場所(叡知的世界)』をあらわす新プラトン主義の用語にほかならぬ『場所なき場所』という語が使われているが、この場所で働く『イデアを見る』直観こそワイルが数学的理論の真の生命と呼んだものである。田辺が『数理の歴史主義展開』のなかで、『場所的直観説』として特徴づけているものは、直接には西田哲学を基盤とすると末綱恕一の数学論にむけられているが、一般的には純粋数学におけるプラトニズムの伝統を指していることに注意しなければならない。それは比論的に言えば、西田哲学の一般者の自覚的体系の最後の段階で語られる叡知的世界に、また『懴悔道としての哲学』の第五章で言及されている『智者賢者の自由』にもとづく『自力的神人合一の直観』に対応するであろう。懴悔道では、このような賢者の立場を自己自身が決してとり得ぬという実存的な愚者の自覚の立場が強調されていたが、その立場から翻って賢者の立場を批判する論拠、すなわち懴悔道と絶対批判とを媒介するものは徹底した歴史主義に求められていた。ところで、『数理の歴史主義展開』において問題となっているのは、数学的プラトニズムが維持できないにもかかわらず、さりとても純然たる経験主義的な直観主義にも、また数学的対象の実在性をすべて括弧に入れて無矛盾な公理体系の提示をもって満足する形式主義も、全て哲学的立場としては挫折したという二律背反的な状況である。 ここでワイル自身が、ゲーデル以後の数学の発達を考慮して大幅に改訂補足した『数学と自然科学の哲学』のなかでは、次のような叡知的世界の実在性にたいして懐疑的な立場に後退していることが注目されよう。(6)
単に現象論的な観点からは理解しがたい全体性のほうへと駆り立てる理論的欲求が我々の中に生きていることは否定できない。まさに数学こそこれを特別の明瞭さをもって示す。しかしそれはまた、その欲求は一つの条件の下にだけ、すなわち我々が象徴(記号)をもって満足し、超越的なものがいつか我々の直観の光圏中に落ちることを期待するという神秘的な過誤を断念するという条件の下でのみ満たされ得ることを教えるであろう。この著作におけるワイルは、数学を『無限の科学』として規定したあとで、『もしカントの言葉に従って、理念をすべての経験を超越し全体性の意味において具体的なものを補う理性概念と解するならば、無限にゆだねられている役目は単に理想概念としてのそれである』というヒルベルトの言葉を引用したあとで、数学的世界の記号的構成という行為の本質的に歴史的な性格を自覚することの必要性を示唆して次のように言っている。
この問題は、おそらく私自身の存在が欠くことの出来ない部分ではあるが自律的部分ではないところの精神の本質的に歴史的な本性を指摘することによってのみ答えられるだろう。それは光と闇、偶然と必然、自由である。そしてなんらかの究極的な形におけるこの世界の記号的構成がそれから引き離されうるというようなことはおよそ期待され得ない。読者はここに、田辺の言う数理の歴史主義展開が、決して彼の言う『懴悔道(超理観)の歴史主義』を数学に外部から押し付けたものではなく、現実の数学の歴史的展開に即したものでであったことを確認することができるだろう。それは数学の歴史的考察の意味を強調する数学史家ならびに数学基礎論の流れを先取りした議論なのである。例えば、M.クリーネが一九八〇年に出版した『数学:確実性の喪失』という著作は、数学そのものを基礎論の挫折という歴史的展開において捕らえたものであるし、(7)P.J.デービスとR.ヘルシュが一九八二年に書いた『数学的経験』は文字どおり経験主義の立場から数学の歴史を述べたものである。(8)カントや論理実証主義者がしたように、数学を没歴史的な体系として構想することは、数学がたえず発展する学問であることを説明することができない。簡単な例を挙げるならば、ゼロという記号をもたず、また一を数とは見なさなかったギリシャ人の数の概念と、ゼロや負の数をも整数とみなす現代人の数の概念とを同一視することはできないであろう。現代数学の体系の基礎をなし、没歴史的な概念構成の典型と見られている集合の概念自体が、数学の歴史の中で変遷している。たとえば『一者としての多者』という語で集合とプラトン的形相との類縁性を強調したカントールの集合の概念は、空集合を集合とは認めぬものであった。これに対して、現代数学で標準的なものとなったツェルメロ・フラエンケルの公理的集合論では、空集合から他の全ての集合が構成され、個物の存在することさえ集合論にとって必要不可欠の前提としていない。それゆえ我々はカントールの集合概念と公理的集合論の集合概念とを同じものと見なすことができないであろう。その概念は、没歴史的な自己同一性によって特徴づけられるものではなく、二律背反的矛盾を発条として歴史とともに発展して行くものなのである。
言語(記号)的構成を必要不可欠のものとする数学的概念は、このように数学理論の歴史的発展段階に拘束されるが、それとともに、それらの概念に内容を与える数学的直観もまた、媒介抜きの直接性と不変性をもつということはできなくなる。周知のごとく、カントは数学の命題がアプリオリな総合判断であることの根拠を、われわれの空間直観と時間直観のもつ形式にもとめた。このような直観主義に基づく数学論は、有限数の算術の命題とユークリッド幾何学の命題が必然的な真理であることを事実問題として認めたうえでその権利根拠を問うたものであったから、超限数の算術や非ユークリッドの可能性を問題とする現代数学の哲学的基礎をめぐる問題に答え得るものではないことも認めねばなるまい。すなわち、数学的直観そのものが数学的理論の歴史的発展段階に制約されているのである。
末綱恕一の数理哲学にたいする田辺元の反論は、西田哲学に影響された末綱恕一の行為的直観の説の非歴史的性格に向けられている。末綱は『数学の基礎』の序文で彼の数学観を次のように要約する。(9) 直観的内容をもつ勝義の数学といふものは、ただ有限個のものばかりでなく、ある種の無限者をも包含するのであって、事実普通の解析学(微分積分学)の基礎になるものは、直観的内容をもつものとして基礎づけられることを明らかにするのが、本書の目的とする所である。私は、自然数全体と直線的連続体とを全数学を担う二つの支柱と見なし、これから行為的直観的に我々が把握し得るものを、勝義における数学的存在と考える。
末綱は『無数のものがあってそれらが一つの纏まった全体をなすことが確認できない場合には、排中律は実際意味をもたない』ことを認める点において、ブラウアーの直観主義の主張の部分的正当性を認めるが、そこで言われている直観が、『有限の行為による構成をあまりに重大視するために、無数のものの集まりについての命題に関して排中律を全面的に拒否する』ことになり、その結果帰謬法も用いられなくなった欠陥を除くために、時間直観と空間直観との『矛盾的自己同一』としての行為的直観によって無限のものの集まりが一つのものとして把握されることをもって、無限集合に排中律の適用を許容することを可能にするような拡大された意味における直観主義の立場をとった。
田辺はこのような末綱の説が『形成行為を単に直接的形成に限らず、形成行為の目標を内に含ましめることによってその形成の範囲を拡大し、直観主義が有限主義に傾くのに対し、超限集合にまで構成を及ぼしつつ、しかも思惟の主観的理念に止まらず、之を時間空間の直観にゆだねられたことは、直観主義と公理主義との間に立って両者を補完総合するものとして特筆に値する』ことを認めつつ、『構成行為の目的として超越的目標に止まるものを、直観の内部に取り入れそれを直観に内在化せしめることが、直観の立場から許されるだろうか』という疑問を提示する。『西田先生の教えを仰ぐ』以来、終始一貫して変わらなかったこの疑問を、田辺はここでも繰り返す。(TW12;226)
もしそれ(行為的直観)が、行為の達成すべからざる目標を超越的イデーの立場から引き降ろして現実に内在化せしめることを意味するならば、それこそまさに独断的形而上学の常套であって、いはゆる神学の世俗化にほかなるまい。元来、無限追求の理想を表すイデーの達成実現といふことは、実はイデーのイデーたるゆゑんに反する不当の要求である。・・・ここで展開された西田哲学の行為的直観にたいする田辺の解釈と批判が西田自身のコンテキストに照らして公平なものであるかどうかは問題がないわけではない。西田自身は、円環的限定即直線的限定、直線的限定即円環的限定なることを説き、空間と時間との等根源性を主張していたから、決して田辺が言うように時間的行為を空間全体に内在化させる意図はもっていなかったからである。しかし、田辺から見れば、空間と等根源的なものとして見られた時間、即ち円環的限定と相即する直線的限定として捕らえられた時間は、空間化された時間であり、『危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性』を撥無するものにほかならないのである。彼にとっては『行為的直観の具体的真実は歴史的行為の自覚である』という立場から、『場所的空間的契機の優位を清算して、真に行為的時間的契機の優越を認め具体性を確保すること』が課題であった。 田辺が言う『行為的時間的契機の優越』というモチーフこそ、田辺哲学と西田哲学との共通項とも言うべき『絶対無』に対する両者のアプローチの相違の根本にあるものである。絶対無を『場所』として捕らえる西田哲学に避け難い『空間的契機』の批判が、『集合論から位相学へ』という数理の歴史主義展開という文脈において遂行された。そこでは、行為的直観とは無限集合の諸要素の時間的構成と空間的直観との矛盾的自己同一において成り立つという末綱恕一の数理哲学が『直観そのものの歴史性』を考慮していないことを理由に『場所的直観説の不備』として批判されたのである。
それ(イデー)を飽くまでレヤールなものとして直観に内在するといはれるならば、それはただ時間的行為を空間的全体に内在化せしめる行為的直観の主張に拠るほかない。これが西田哲学の立場であるからには、末綱博士もここに立脚せられるのであろう。しかし、これは私の強く反対せざるを得ないところである。その理由は、このように時間空間統一の直観を、西田哲学の主張するごとく場所的とし、空間の全体的直観に重点を置いて、時間の固有構造である過去未来間の対立抗争を並列的に一様化し、現在のもつ飜転循環的渦動性を抽象して、点の直接的連続(実は単なる稠密)系列に化するならば、それは畢竟時間を空間のうちに解消し、前者の立体的弁証法を後者の平面的同一性に化するものであるからである。それは、行為の時間即空間といふべき転換的動性あるいは三一性を意味するのではなく、行為的現在の瞬間的渦流ならぬ過去の均衡的一様性とそれの投影としての未来の均衡的一様性とをもって時間を空間化するものにほかならない。そこには危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性はないのである。
無限集合論から位相学への数学の歴史主義展開という特殊な文脈で、このように西田が最も普遍的な哲学的論理として提示した『場所の論理』の批判を遂行するということは、そもそも如何なる意味を持ち、またそれはどこまで正当化されるであろうか。我々は、次の節で、西田の場所の論理を、無限集合論によって再構成した末木剛博氏の西田哲学研究を手掛かりにして、この問題を考察しよう。そして、田辺の批判は、少なくとも無限集合論として再構成されることを許すような『場所の論理』、すなわち部分に包越的全体が内在することを可能にするという重層的内在論の論理の批判としては有効であることを示そう。