歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

イグナチオ・デ・ロヨラの祈りの言葉

2025-01-31 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

イグナチオ・デ・ロヨラの祈りの言葉

  Anima Christi  キリストの魂

Anima Christi, sanctifica me.    キリストの魂、わたしを聖化し、
Corpus Christi, salva me.       キリストの体、わたしを救い、
Sanguis Christi, inebria me.      キリストの血、わたしを酔わせ、
Aqua lateris Christi, lava me.    キリストの脇腹から流れ出た水、わたしを清め、
Passio Christi, conforta me.      キリストの受難、わたしを強めてください。
O bone Jesu, exaudi me.        いつくしみ深いイエスよ、わたしの祈りを聴きいれてください。
Intra tua vulnera absconde me.   あなたの傷のうちにわたしをつつみ、
Ne permittas me separari a te.            あなたから離れることのないようにしてください。
Ab hoste maligno defende me.   悪魔のわなからわたしをまもり、
In hora mortis meae voca me.     臨終の時にわたしを招き、
Et iube me venire ad te,      みもとに引き寄せてください。
Ut cum Sanctis tuis laudem te.   すべての聖人とともに、いつまでもあなたを
In saecula saeculorum. Amen     ほめたたえることができますように。アーメン (ホセ・ミゲル・バラ神父による日本語訳)

 イグナチオ・デ・ロヨラが自身の『霊操』の冒頭に記しているのこの祈りは、「イグナチオ・デ・ロヨラの憧憬」と呼ばれることもある。
「霊操」の初版にすでに言及され、第二版以後は全文が引用されているこの祈りは、様々な国の言葉に翻訳されてきたが、英語訳では、ニューマン枢機卿のものが良く知られている。ニューマンはこの祈りの終わりの部分を「汝の聖人と共に永遠に汝の愛を歌うことができますように」(’With Thy saints to sing Thy love,World without end.')と、単に「ほめたたえる」と訳すのではなく「愛を歌う」と意訳している。

「キリストの魂」という祈りの根本にあるものが、「愛の頌栄」であるということは、ロヨラの『霊操』がキリストの愛を主題とする点で、ヨハネの福音書や書簡と深い内的なつながりがあることを示すものである。『霊操」の最も新しい邦訳者である川中仁によれば、ヨハネ福音書と『霊操』は、「イエス・キリストの形姿を媒介とする神と読者との間の間主観的コミュニケーションの場」を開くという共通の構造があるという(「ヨハネ福音書とイグナチオ・デ・ロヨラの霊操」ー上智大学キリスト教文化研究所篇『さまざまに読むヨハネ福音書』所収、2011)。

また、臨済宗の室内の根本修行を通過(大事了畢)して参禅指導者の資格を得たイエズス会の門脇佳吉神父は、禅の接心の初めから終わりまでを貫く根本原理を「大死一番絶後に蘇る」というダイナミックな体験とし、『霊操』の第一週から第四集までを貫く根本原理を、「一粒の麦がもし地に落ちて死せざれば、ひとつにとどまる。もし死すれば多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12-14)という「死と復活の」の経験としている。(岩波文庫の『霊操』門脇佳吉訳・解説参照)

 単なる神秘的観想にとどまるのではなく、さらに一歩進んで、さまざまな社会的な奉仕活動に積極的に参加するイエズス会の精神ー「愛の利他行」ーをささえるものが『霊操』であり、その冒頭に置かれた「キリストの魂」の祈りであろう。

Anima christi sanctifica me ( Chant Catholique )

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