歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

青梅に寄せて

2005-04-24 | 日誌 Diary
昨夜はカント・アーベントで帰宅は深夜となったが、日曜日は好天気に誘われるように早朝に起床。いささか頭が重かったが、木々の緑と満開の躑躅を脇に見ながら、全生園へ。自転車を漕いでいるうちに次第に爽やかな気分になった。

    この頃の朝の目覚めや梅實る


      
           (photo by ガラクタ箱さん)
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カント・アーベント

2005-04-23 | 日誌 Diary
土曜日午後一時より本郷の東大山上会館・大会議室でのカントアーベントに出席。プログラムは
第一部「研究発表」が
  1. 懐疑論と運命論 -カルネアデスの議論を中心に  近藤智彦
  2. ドゥルーズ哲学に於ける「アフェクト」概念の内実と意義について  原一樹
  3. 「規範性」の解釈学的構造について-「了解」概念を手掛かりに  飯島裕治
第二部「講演」が
     ハーヤー(ヘブライ的存在論)と物語  宮本久雄

であった。宮本さんのhayathologyを研究テーマとする講演の聞くのが本来の目的であったが、午後一時からの三つの研究発表も聞いた。こちらは、いずれも博士課程を終えて間もない若手の研究者であったが、そのなかではカルネアデスにかんする発表を興味深く聞いた。

カルネアデスについてはキケロによる間接的な報告しかないのであるが、プラトンのアカデメイアの後継者達が、外部の人間から「懐疑主義」者と呼ばれたのはなぜであろうか。そういう疑問を私はかねてからもっていたが、司会の神崎さんも同じ趣旨の質問をされた。もしアカデメイアの懐疑主義者達が學祖の衣鉢を継いでいるのであれば、彼等の「懐疑主義」は、セクストス等の感覚的現象論のごとき、心の平静を保つための「判断留保」に終始する消極的なものではなく、独断論を否定の弁証法によって解体していく「高貴なる懐疑主義」であったのではないか-そういうことを垣間見るような議論が、カルネアデスによるストア派の論駁にある。

ドゥルーズ哲学にかんする発表は、そのアフェクトの概念がホワイトヘッドのいうFeelingの概念にあまりにも類似しているのに驚いた。ホワイトヘッドは、FeelingがFeelerを目指すといったが、自我や主体をアプリオリに前提しないドゥルーズの哲学的立場においても同様のことが言えるだろう。対象の生成と主体の生成が同時的であること、「私は馬を見る」というとき、それは「私」という「もの」と「馬」という「もの」の間に成り立つ二項関係なのではなく、私という場に於いて「馬」が生成し、同時に、馬を見るものとしての「私」自身が生成するということー言うなれば主客二元の成立以前の純粋経験から、ものとしての主客の二元的成立をいかに記述するかが問題なのである。

「規範性」の解釈学にかんする発表は後期ヴィトゲンシュタインの規則に関する懐疑論をテイラーの所説を手掛かりにしつつ解釈学的に論じたものである。このような論点は既にアリストテレスやトマスによって習慣の概念によって考察されたものであるが、それを現代哲学の言葉であらためて論じ直したという印象を持った。ただし、ヴィトゲンシュタインは、「我々は規則に盲目的に従う」などと云っているが、これは「盲目的」という言葉の誤用である。規則はいつでも必要とあれば我々は分節化できるのであり、そのかぎりで「暗黙の了解」は決して盲目的ではないのだから。

講演終了後、ハヤトロギアの可能性について宮本さんとしばし歓談。ヘブライの存在論としてだけではなく、たとえば日本の美学や文学にも適用可能なものとして考えていくという点で、意見が一致した。私は、hayathologyを、道元の正法眼蔵の用語をつかい「現成論」と訳すつもりである。生成消滅の意味での「生成論」から区別したいからである。
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連歌の美学的考察 1

2005-04-20 | 美学 Aesthetics
連歌の付合の根本精神

「親句は教、疎句は禅」とは心敬の言葉ですが、この言葉のあとに、教と禅の一致という思想を付け加えるならば、それこそが連歌の付合の根本精神を要約したものとなるでしょう。心敬の時代に流行していた連歌の特徴は、投句するものが前の句のことを考えずにそれぞれ身勝手な自己主張を展開するものであったと思われます。各人が派手な素材を好み、技巧を凝らして付け句をするが、前句を投じた人の心を無視している。そのために、連歌の技法のみが発達して、付合の心が無視される結果となりました。

「昔の人の言葉をみるに、前句に心をつくして、五音相通・五音連聲などまで心を通はし侍り。中つ比よりは、ひとへに前句の心をば忘れて、たゞ我が言の葉にのみ花紅葉をこきまずると見えたり。されば、つきなき所にも月花雪をのみ並べおけり。さながら前句に心の通はざれば、たゞむなしき人の、いつくしくさうぞきて、並びゐたるなるべし。」

前句の人の心に通い合うものがなければならない-この考え方は、後世の人によって「心付け」とよばれるようになりますが、心敬の場合には、それは必ずしも「意味が通う」ということだけではなく、内容的にも言葉の上でも「響き合う」ものがなければならないということを意味していました。

五音相通・五音連聲とは「竹園抄」という歌論書によると、和歌や連歌の音韻的なつなぎ方の親和性を表現する用語です。「響き」の親句のうち、子音が響き合うものを五音相通、母音が響き合うものを五音連声と呼んだようです。たとえば、「やまふかき霞の...」はK音が響き合うので五音相通、「そらになき日陰の山...」はI音が響き合うので五音連声です。

前句の人の心につけるという場合、心敬が念頭に置いていたのは、新古今集の和歌の上の句と下の句のような一体性であったと思われます。ただし、ただの三句切れの和歌を合作するというのでは、付け句の独立性は失われ、前句の解説をするような従属的な関係になりますから、付け句は独自性と独立性を保ちながら、前句と親和しなければなりません。

心敬が理想とする連歌は、疎句付けでありながら、前句と響き合う付句です。新古今集の秀歌は、定家に典型的に見られるように、疎句表現のものが圧倒的に多いという特徴を持っています。それゆえに、疎句付けとは何か、どのような疎句付けが連歌に生命を与えるかということが心敬の議論のなかで重要な意味を持ってきます。

前句の心を承けることと並んで、前句の何を捨てるか、ということも連歌にとっては大切です。

「つくるよりは捨つるは大事なりといへり」

「捨て所」という言葉がありますが、付け句は、前句のすべてを承けてはならない、のです。(すべてを承けるのは四手といって、連歌の流れをとめてしまう危険がある)かならず、前句の中のあるものを捨てて、新しい風情を付け加えなければならない。そうすることによって、前句から離れることによって、かえって前句の心を生かすことができる、というのが心敬の議論のポイントでしょう。

 心敬がもっとも重んじた歌人は定家とその影響下にあった正徹でした。疎句表現を内在させた和歌が、優れた連歌の規範となっていたということをお話ししましたが、それを裏付けるために「ささめごと」の本文から離れて、藤原定家の和歌を考察しましょう。

若き日の定家は和歌に様々な革命的手法を持ち込んだために、当時の人々にはなかなか理解されず、彼の歌は「達磨歌」(禅問答のような歌)だといって非難されました。一首の上句と下句が一見するところ直接的関係を持たずに別のことを述べているようでありながら、その実、両者の対比のなかで、独特の新しい詩情が成立するごとき歌をかれはたくさん残しています。形式的には、575+77の三句切れであったこれらの歌に内在する対話性が、のちに連歌の付合として生かされていくようになります。いくつかの事例をあげましょう。

仁和寺宮50首から

  春の夜の夢のうきはしとだえして
       峰にわかるるよこぐもの空

  今よりは我月影と契りおかむ
       野はらのいほのゆくすゑの秋

  わたのはら浪と空とはひとつにて
       入日をうくる山のはもなし

  木のもとは日数ばかりをにほひにて
       花も残らぬ春の古里

 これらは、定家の同時代の歌人にはなかなか理解されませんでしたが、連歌が成立したあとの時代を知っている我々からすれば、定家のこういう作品は、まさしく連歌の上句と下句の付合を一首のなかに内在させている歌だということが分かります。それは歴史の順序にそって考えるならば、定家の歌の持っていた対話性、問答性が、後に連歌という形で顕在化したのだといっても良いでしょう。

 定家といえば百人一首の選者でもありますが、この百人一首に選ばれた歌の多くは、上句と下句の間に対話性があることに気づかれるでしょう。そのゆえに多くの人に愛唱され、また歌歌留多のゲームとして愛好されました。上句を聞いて下句の札をとるというゲームには、どこか連歌の付合ににた呼吸が感じられます。

 新古今集は、それ以前の歌集と比べて三句切れの歌が多いのが特徴です。そして疎句表現の歌に秀歌が多く、それらは連歌のなかで本歌として引用されるようになります。

たとえば、式子内親王の

  時鳥そのかみやまの旅枕
    ほの語らひし空ぞ忘れぬ

とか、藤原良経の「祈恋」の名吟

  幾夜われ波にしをれて貴船川
    袖に玉散るもの思ふらむ

などの和歌こそが後の連歌の背景をなす世界であったといえましょう。

三句切れ疎句表現の和歌は決して新古今集のような王朝時代の作品に限ったことではありません。現代短歌でも、たとえば斎藤茂吉の次のような作品はどうでしょうか。

  のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて
    たらちねの母は死に給ふなり

  死に近き母に添寝のしんしんと
    遠田のかはづ天に聞ゆる

  めん鶏ら砂あび居たれひつそりと
    剃刀研人は過ぎゆきにけり

これらはすべて上句と下句が疎句付けになっている短歌です。
最後に、寺山修司の若いときの短歌

  マッチするつかの間海に霧ふかし
     身捨つるほどの祖国はありや

をあげましょう。これは寺山の代表作ですが、上句はある雑誌に出ていた俳句を寺山が借用したというので問題になりました。私の見るところでは、この短歌はもとの俳句とは別のものとして鑑賞されねばなりません。この短歌の詩情は、上句だけにあるのでも下句だけにあるのでもなく、両者がある緊張をはらんで対峙している疎句付の関係にあります。 こういう種類の詩情こそ、連歌が追い求めているところのものに他ならないのです。 


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連歌の美学的考察 2

2005-04-19 | 美学 Aesthetics
連歌の十体

連歌の付句の分類は様々な観点から行うこととができます。

心敬の分類は、定家の十体論を連歌に適用したものですが、後世の付け句の分類が言葉のつながりだけに着目した技術的なものが多いのに比べると、句の「心」を重視している点に特徴があります。付句の分類といっても、たとえば二条良基の分類もまた後世に大きな影響を与えましたが、それは様式の上の分類であって、価値評価の基準が明示されていません。(平付けや四手、余情、本説など、その後の連歌論や俳論にも引き継がれましたが)どのような付けが理想とされるかという問題が歌学の根本であるとすると、単なる付句の分類だけでは連歌の美学としては物足りない物があります。それに比べると、心敬の分類は、明確に価値基準にコミットしている点でより自覚的な物であるといえましょう。

幽玄体(ゆうげんてい)

     「わかれ思へば涙なりけり」に対して
     松風の誰がいにしへを残すらむ     救済

幽玄体は疎句づけでなければなりません。前句は、将来の別れのつらさを詠んだものであるが、それを付句では、「いにしへ」即ち過去の物語(源氏物語「松風」の別れか)を面影にしてつけています。松風の音が過ぎゆくように、すべては跡形もなく消えてしまうであろう、という意味。この述懐は、将来と過去とを現在において同時に見るような視座に移ることによって、「時の無常」そのものを詠んでいると解釈できましょう。

     有心体 (うしんてい)  

   「主こそ知らね舟のさほ川」に対して
  奈良路ゆく木津のわたりに日は暮れて    救済

有心とは、広い意味では優れた連歌のすべてについて云われますが、十体のひとつとしては、前句の心を良く汲んでつける親句をさします。掲句では、佐保川→奈良路 と場所の一致を重んじ、自分も前句に最もふさわしい夕暮れ時を配することによて、捨て舟にふさわしい情趣をかもしだしています。

     長高体(ちゃうかうてい)

    「かぞふばかりに露結ぶなり」に対して
   春雨にもゆる蕨の手を折りて    順覺

長高体は基本的に疎句付けです。前句の露(秋)を、春の蕨の新芽に結ぶ露に取りなした句。転換の妙と共に、前句の「かぞふ」に「手を折る」によって応じた句。連歌の第三に要求される「たけの高い」句の体です。

      麗体(うるはしきてい)

    「月こそ室の氷なりけれ」に対して
    三熊野の山の木枯吹きさえて      良阿

ここで云う種類の「麗体」とは、冬の「寒く痩せた風体」のもつ美のことです。これはむしろ心敬自身の「さび、ひえ、こほりたる」風情の美学とも関係します。
ここでは、通俗的な「春の花」、「秋の月」の美しさではなく、冬の月、山の木枯のもつ「麗しさ(詩情)」が、心敬によって発見されたということに注意したい。

    濃体(こまやかなるてい)

   「水やのぼりて露となるらむ」に対して
   玉だれの小瓶にさせる花の枝   信昭

 濃体は親句付けで、前句とともに繊細にして典雅な風情を与えるものを指します。

     面白体(おもしろきてい)

     「心たけくも世を逃れぬる」に対して
   みどりごの慕ふをだにもふりすてて    良阿

 これは、物語的な面白さを本説とする句を指すようです。
掲句の場合は、西行の出家に関する説話をふまえているのでしょう。

   一節体(ひとふしのてい)

    「心よりただ憂きことに塩じみて」に対して
  入り江の穂蓼からき世の中

は「ひねり」の利いた句をさします。機知ないし頓知の働いた付句。

     事可然体(ことしかるべきてい)

    「人に問はれむ道だにもなし」に対して
   花の後木のもと深き春の草    良阿

「なるほどもっともである」と納得させる付句。
前句との関係が云われてみれば、非常に筋道が通り説得力がある付句です。幽玄体や麗体とはちがって、情趣よりも理性に多く訴える付句です。

    写古体(しゃこてい)

  「上下をさだむる君がまつりごと」に対して
   絶えず流るる賀茂川の水    善阿

これは、伝統を尊ぶ内容を持つ句です。かならずしも言葉遣いが古風である句に限定されません。掲句は、前句の上下を賀茂川の上下の神社に取りなして、伝統の重さを詠んでいます。

    強力体(がうりきてい)

「ふしおがむより見ゆる瑞垣」に対して
 これぞこの神代ひさしき宮柱

これは麗体が女性的なのに対して、男性的な力強い付句です。
掲句はさらに荘厳なイメージが伴いますね。

心敬の独自性は、これらの十体のすべてに通じていなければならないということを強調している点です。どれか一つの体を特別視するのではなく、様々な前句に対して、融通無碍に対応できる柔軟な心を重視したことの現れといえるでしょう。

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連歌の美学的考察 3

2005-04-18 | 美学 Aesthetics
五型説

連歌にとって重要な歌学上の分類は五型説です。これは、もともとは和歌の五七五七七の五つの部分の果たす役割を論じた三五記(定家に擬せられた歌論書)に由来しますが、心敬によって連歌の付句のありかたと関連させて論じられるようになりました。心敬の説明は、用件のある来客が案内を請い、用件を果たし、訪問先を辞するまでの五段階になぞらえて、連歌の五型を説明しています。

   篇:「訪問する家の軒先に佇んでいる」
   序:「取り次ぎをする人に案内を頼む」
   題:「訪問の理由を述べる」
   曲:「訪問の趣旨を説明する」
   流:「暇乞いをしてその家を退出する」

連歌の上句と下句は一体となってこれらの五型を兼備すべきことが要請されています。

たとえば、上句が曲を中心とするものであれば、下句は、曲以外の型をもってつけなければなりません。連歌にとって重要なことは、上の句も下の句も単独ですべての体を備えないように配慮すべきだと云うのです。つまり、一句がすべての型を備えたのでは、付句の必要がなくなりますから、かならず「云われていない部分」を残しておかねばならないという考え方を明確に述べたのが連歌五型論です。

ここから心敬独特の「痩せ」の美学が出ます。これは後世の芭蕉の「細み」の先駆とも言えますが、一句の中に欲張って多くのことを詠み込む句をよしとせずに、かならず言い残された余情のあることを強調します。具体例を挙げましょう。

   「罪も報いもさもあらばあれ」という前句に対して

  月残る狩場の雪の朝ぼらけ  救済

は、前の句には曲(理)のみがあり、それだけでは歌になりません。付句が「篇序題」を言い表しているので、両者が一体となって、はじめて歌になります。前句は「罪も報いもかまうことはない」という享楽的・直情的な発言に過ぎず、意味内容ははっきりしていますが、それだけでは全く詩情のない散文にすぎません。これに対して救済の付句は、疎句付けです。前句に対して、一見関係のない月と雪の景色を出していますが、前句と共に詠むと、「このような風情ある自然の美を前にすると、自分の罪も報いも消え去り、心が洗われるような気持ちがする」という、深い詩情を湛えた歌に変貌します。そして、この救済の句は、「曲」の部分を欠いているが故に、新しい付句によって、前句とは全く異なる世界を拓くことが可能になる。これこそ、すべてを言い尽くさぬことによって、かえって、新しい世界に対する「開け」をもたせるという連歌の美学の基本といえるでしょう。
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連歌の美学的考察 4

2005-04-17 | 美学 Aesthetics
二条良基について

「俳句」という用語が「発句」にとって代わったのは、明治以後で 「連俳は文学に非ず」として、発句を連歌から切り離して「俳句」 として独立させた正岡子規とその後継者達の影響によるものです。

私は、子規の連歌や俳諧に関する見方は狭量で間違っていると思っていますが、過去の権威に囚われずに思ったことをずばずばと言った歌の世界の「革命家」としての気概に満ちた青年子規の文章には今でも惹かれます。

 子規は、実作者としてよりも、理論家として、新しい時代の短歌や俳句のあり方を方向付けました。大事なのは、彼が自分の理論に基づいて俳句の結社や句会のありかたを決めたことでしょう。

 たとえば、無署名で投句された句を参加者が全員対等の資格で互選し、その後で講評・披講するという現在普通に行われている句会の形式は、子規とその後継者達が始めたことです。これが作品の創作を活性化する場を提供し、江戸時代の俳諧の「座」にかわる俳句の新しい「座」となりました。

 ところで、今日は、室町時代の連歌の世界に颯爽と登場した若き論客、二条良基 (一三二〇―一三八八) を紹介したいと思います。遙か後世に 正岡子規が明治以後の短歌や俳句の世界を方向付けたのとおなじように,その後の連歌のあり方を定める理論を明快に提示した良基もなかなか魅力的な人物です。

「僻連抄」は良基二六歳のときの著作で、連歌に手を染めてから十年くらいしかたっていない青年の手になるものですが、実に堂々たる気概に満ちた文章で、彼が後に師の救済の校閲を経て著した「連理秘抄」の草案とみられています。

 連歌を共同で製作するひとは何を心得ておかなければならないか、連衆の従うべきルールを定めたものが、「式目」ですが、良基以前の連歌では宗匠格の人がそれぞれの座で勝手に定めた規則に従っていたわけで、全国共通のルールというものは無かったのです。いわば、それぞれの地方で、「方言」を語っていた連歌の世界に「標準語」を導入するということを良基はやったわけです。
「式目」の制定者としての良基については、またあとで語るとして、今日は「僻連抄」のもうひとつの大事な側面と私が考えているもの---彼の発句論についてお話ししたいと思います。 
 良基は、まず発句は表現効果のはっきりとしたものが望ましいといいます。彼が、発句の良き実例として挙げている句は

霜消えて日影にぬるる落葉かな

です。日影にぬれる落葉によって「霜の消えた」様を表現したこの句を良基は「発句の体」であるとのべています。ところで、時代は遙かに下りますが、「切字なくしては発句の姿にあらず」とは芭蕉の言葉です。ところが、その芭蕉が、別のところで、「切字をもちふるときは、四十八字みな切字なり」とも言っています。つまり「かな」とか「や」とか「けり」というような言葉をつかわなくても句の「切れ」は表現されるわけですから、句に「切れ」があるかないかはどうやって見分けるのか、という問題が当然生まれます。

さて、良基は、連歌論の嚆矢とも言うべき「僻連抄」の中で、

  「所詮、発句には、まず切るべきなり。切れぬは用ゆべからず」

と切れの重要性を強調した後で、句に「切れ」があるかないかを見分けるじつに明快な方法を教えています。具体的には 

   梢より上には降らず花の雪

という句には切れがあるが

   梢より上には降らぬ花の雪

には切れがない。その理由は、 「上には降らぬ花の雪かな」とは言えても「上には降らず花の雪かな」とは言えないからだと言っています。これなどは、実に分かりやすい説明ですね。 俳句に季語は必要不可欠ですが、そのルーツを辿っていくと連歌の発句に「折節の景物」を詠むべきであるという良基の主張に出逢います。

発句の成否は連歌の出来を左右するということを述べた後で、良基は、

発句に折節の景物背きたるは返す返す口惜しきことなり

と述べていますが、これは、その当時の連歌師に発句に季題を詠まぬものがいたことを示しています。

連歌の「折節の景物」は、和歌の世界の伝統を受けたもので、後世の俳諧の季題のように多彩ではありませんが、良基は次のものを挙げています。
 
正月には 余寒  残雪  梅 鶯
二月には 梅 待つ花より次第に
三月までは ただ花をのみすべし。落花まで毎度、大切なり。
四月には 郭公 卯花  新樹 深草
五月には 時鳥 五月雨 五日の菖蒲
六月には 夕立 扇 夏草 蝉 蛍 納涼
七月には 初秋の体 萩 七夕 月
八月には 月 草花色々 雁
九月には 月 紅葉 暮秋
十月には 霜(十二月まで) 時雨 落葉 待雪 寒草(十一月まで)寒風(十二月まで)
十一月には 雪 霰
十二月には 雪 歳暮 早梅
 
 これらの景物を詠むべきであるとは、発句が嘱目の句でなければならないことを意味していました。従って、都にいて野山の句を詠んだり、昼の席で夜の句を詠むこと、「ゆめゆめすべからず」と注意しています。

発句の良きともうすは、深き心のこもり、詞やさしく、気高く、新しく当座の儀にかなひたるを上品とは申すなり

とは、後に「筑波問答」のなかで述べた良基の言葉です。
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The Individuality of a Quantum Event

2005-04-16 | Essays in English 英文記事

The Individuality of a Quantum Event

Yutaka Tanaka

Summary


The distinction between two modes of analysis of an actual occasion, i.e. genetic and coordinate, is fundamental in Whitehead's "epochal" theory of time. Genetic analysis divides the "concrescence" (the process of becoming concrete), and coordinate analysis divides the concrete (thing). The concrete is in its "satisfaction", but the concrescence is the passage from real potentiality to actuality. Both can be objects for analysis but under the different perspectives. Whitehead states:
physical time makes its appearance in the coordinate analysis of the satisfaction. The actual entity is the enjoyment of a certain quantum of physical time. But the genetic process is not the temporal succession: such a view is exactly what is denied by the epochal theory of time. Each phase in the genetic process presupposes the entire quantum, and so does each feeling in each phase. The subjective unity dominating the process forbids the division of that extensive quantum which originates with the primary phase of the subjective aim. The problem dominating the concrescence is the actualization of the quantum in solido.
The above passages seem to have annoyed many commentators ofProcess and Reality. The genetic analysis of an actual occasion (Part III) divides the concrescence into primary, intermediate, and final phases, which, according to Whitehead, are not "in" the physical (i.e. coordinate) time. One phase of genetic divisions must be prior to another: but what sort of priority is this? William Christian discusses and rejects four possible ways of interpretation, i.e. (i) priority in physical time,(ii) the logical priority of a premise to a conclusion, (iii) a whole-part relation, and (iv) a dialectical process of the Hegelian development of an idea. Then he says, though genetic priority may have some analogies with other sorts of priority, we must accept it as something of its own kind, but he does not analyse further the sui generis character of genetic divisions." Charles Hartshorne also questions the validity of "genetic" analysis, and proposes to accept only the succession of phases in the physical time.
What I will show in this paper is the importance of the distinction between "genetic" and "coordinate" analysis and its relevance to the interpretation of quantum physics, especially the relation of Heisenberg's indeterminacy principle to temporality, Bohr-Einstein debates, and the recent experimental refutation of the Bell Inequality.

If we take into consideration the impact of quantum physics on the emergence of Whitehead's metaphysics, as Lewis Ford shows in detail in his book, we naturally expect that the "epochal" theory of time has something to do with the quantum "jump", or the discontinuous transition from potentiality to actuality. But we need some cautions. The references of quantum physics in Science and the Modern World (1925) is mainly to the primary stage of quantum theory in the early 1920's, and there is no textual evidence concerning whether Whitehead knows the final stage of quantum physics established by Bohr, Heisenberg, Schrördinger and other contemporary physicists. The composition of Process and Reality began at the Gifford Lectures in 1927, and the same year was memorable to the history of quantum physics: Bohr stated his principle of "complementariry" and stressed the "individuality" of quantum event in his Como Lectures, and Heisenberg published his paper of Indeterminacy Principle in Zeitschrift für Physik. Only two years later,Process and Reality was published (1929): although Whitehead did not mention Bohr's principle of "complementarity", nor Heisenberg's indeterminacy principle, there are indeed a striking correspondence between Whitehead's metaphysical analysis of an actual occasion on the one hand and Bohr's and Heisenberg's physical analysis of quantum events on the other hand.

The purpose of this paper is not to confirm or disconfirm the historical influence of Bohr's or Heisenberg's ideas on Whitehead's metaphysics. That is an interesting study in itself, but will remain only a conjecture. Rather, I will consider the problem of temporality in the interpretation of Heisenberg's indeterminacy principle, and then discuss Bohr's concept of "individuality" of quantum events under the Whiteheadian perspective. I will show that Whitehead's distinction between "genetic" and "coordinate" analysis of an actual occasion proves to be relevant to the interpretation of the delayed-choice experiment in quantum physics: this experiment is about the indeterminate past, which will catch the attention of process thinkers who take the determinate past for granted and think that only the future is indeterminate.

Lastly, I will present a new approach of quantum logic to analyse Bohr's concept of "individuality" of a quantum event. This approach uses the concept of "divisibility" of an event by another event, and defines the concept of "commensurability" of events. Then I will characterize the classical world by saying that all events are commensurable with each other whereas the quantum world is characterized by saying that some events are incommensurable with each other. This analysis may be interesting to Whiteheadian scholars because it will teach us that the concept of individuality of an quantum event denies atomism in so far as atomism presupposes the divisibility of an complex event into atomic component events. Many scholars think of Whitehead's epochal theory of time as temporal atomism, and arbitrarily conjecture the existence of a temporal atom with a very minute scale of duration. Once we accept the quantum logical analysis and apply it to the epochal theory of time, we will understand the key concept is the individuality of an actual occasion and not atomism of any kind.

continued
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Bell's Theorem and the Theory of Relativity

2005-04-15 | Essays in English 英文記事
Bell's Theorem and the Theory of Relativity--An Interpretation of Quantum Correlation at a Distance based on the Philosophy of Organism--

Yutaka Tanaka


Summary


 This paper starts with the observation that the combination of the so-called EPR argument and Bell's theorem reveals one of the most paradoxical features of quantum reality, i.e. the non-separability of two contingent events. If we accept the conclusion of the revised EPR argument together with Bell's theorem, we are necessarily led to the denial of local causality which was presupposed by the original version of Einstein's criticism against quantum physics. As the concept of local causality is a cornerstone of Einstein's theory of relativity, we next consider the problem of compatibility between the theory of relativity and quantum physics Popper's proposal of going back to Lorentz's theory is examined and rejected because the quantum correlation of EPR is not to be interpreted as "an action at a distance' which we can control and use as the operational definition of absolute simultaneity. An inquiry into something like aether as hidden reality behind the theory of relativity is considered as retrogressive as the so-called hidden variable theory of quantum physics. Accepting the non-separability of local elements of reality as the undeniable fact, we discuss the possibility of a realistic interpretation of quantum physics which transcends scientific materialism and classical determinism. As an example of such projects, Stapp's theory is examined with respect to a Whiteheadian process philosophy which provides the metaphysical background for his realistic interpretation of quantum physics. Finally, we present another version of quantum metaphysics based on "the philosophy of organism" which is broad enough to include observer and observed, local causality and non-local correlation, space and time, and potentiality and actuality in the inseparable unity of physical reality.

continued
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キリストの所在

2005-04-14 |  宗教 Religion

1456年の公現の主日にニコラウス・クザーヌスは 「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?) というラテン語の説教をしている。クザーヌスといえば、東方教会の伝統、とくに偽ディオニシウス文書に代表される否定神学、キリスト教的プラトニズムと、マイスターエックハルトの独逸神秘主義の伝統を受け継ぎつつ、それをローマンカトリックのなかで継承した思想家である。彼は真にカトリック的なもの、すなわち、「真に普遍的なもの」を探求し、教会の一致と、イスラム教との平和共存を説いた先駆的な思想家でもあった。彼の「智ある無知」や「隠れた神」などの主著は既に邦訳されているが、ここで言及したラテン語説教の様なものは残念ながら翻訳されていない。しかし、私の考えでは、この説教は、彼の根本思想を、我々自身の自己の実存の問題に架け橋する上で重要なものであると思う。

「イスラエルの王」とはキリスト(救世主にして王、あるいは神の子)のことである。したがって、「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?)という問は、「キリストはいま何処にいますか?」 という問と同じである。

ルカ傳が伝えるキリスト生誕の物語ならば、答えは「ベツレヘムにおられます。空の星があなたを導いて下さるでしょう」という答えですむであろう。

 しかし、1456年のクザーヌスにとって、「キリストは今どこにいますか?」という問いは、過去の歴史的な事実に関する問だけではすまぬものを持っている。そして、2005年のこの物語を聞く私にとっても、「キリストは今何処にいますか?」という問は、単に、「ベツレヘムに」とかあるいは「ナザレに」とかいう空間的場所を指し示すだけではすまないものがある。

「キリストは今何処にいますか?」

この問に対して、あなたならばどう答えるのか-それは単純な問ではあるが、公現の主日に発せられた基本的な問である。それは、キリストは何処にいるか、と問うと同時に、キリスト者であるあなたは今何処にいるのか、と問いかけている様にも思われる。

神学者ならば、このような問に答える仕方を何通りも知っているであろう。たとえば、「死せるものと活けるものとを裁くために今、キリストは父の右に座しておられる」などと。神学者でない人は、たとえば公共要理などの専門家によって書かれた権威ある書物を繙くかも知れない。しかし、クザーヌスは、自己を学者(ソフィスト)ではないと断言したソクラテスの弟子でもある。「無学者」として、一人の信仰者として、彼は聴衆に語る。その場合、神学が与える様な他人ごとの知識ではなく、彼自身が自らの実存の深みに於いて端的に了解し、そこにおいて生き、行為すべき答えこそが、説教者には求められるのである。

興味深いことに、用心深い神学者ならばキリストというべきところで、クザーヌスは、もっと端的に、あの大工の一人息子、イエスの名をもって語る。即ち、

  「イエスはいま何処にいますか?」Ubi est Iesus?  (Where is Jesus?)

という三語によっても語る。「キリスト」は元来、普通名詞である。これに対して、イエスは固有名詞であり、肉体を持って生きた歴史上の人物ー一個人(person)-の名前である。

イエスという一個人の名前は、キリストという名前と不可分であり、キリスト者とはイエスがキリストである、と証言するもののことである。すると、この問に対して、如何なる答えが可能であるのか。ある意味で、出来合の答えというものはない。各人が、自らのキリスト者としての実存をかけて、それぞれ生涯をかけて答えるべき根源的な問であるとも言えよう。

クザーヌス自身はどう答えたのか。彼は、ある端的な答えを与えている。それは、

  Ubi est Christus. (Where is Christ). と。

すなわち、 「何処(ubi)」すなわち「場所(locus)」こそがキリストである、と。
すなわち、私はキリストにおいてあり、キリストこそが私の「場所」に他ならない、と言うのがクザーヌスの答えであった。

イスラエルの王としてのキリスト、ユダヤ民族の救世主(メシア)としてのキリスト、あるいは全能永遠の神の一人子としてのキリスト、というような神学者の言葉に寄ってではなく、もっと端的に、「キリストは私の場所である」というのがクザーヌスの答えであった。その意味するところをさらによく考えてみよう。

まず、「キリストに於いてen Cristw=in Christ」という言い方はパウロ書簡で多用される表現であることに注意したい。「私はキリストに於いて真実を語る」というように。そこでは、キリストは自己とは別の実体ではなく、そこに於いて私が生き、語り、証する場所として捉えられている。キリストとは、私の主体性がそこにおいて成り立つ「場所」なのである。

この「キリストという場所」は、メシア(王あるいは救世主)という伝統的な意味とどのような関係にあるのか。ヨハネ福音書は一つの手がかりを与える。それはイエス自身が、「あなたはキリストなのか?」と問われたときに、「我在りego eimi = I AM」と答えている箇所に注意したい。それは、決して、「私こそユダヤの王である」等という意味に解されてはならぬであろう。もっと端的な「我在り」こそがイエス自身の証言であった。

このように、キリストをキリスト者の場所として捉える見方は、キリスト教だけに固有のものであろうか。私にはそうは思われない。旧約聖書に於いては、信仰が向けられるものは、決して固有名をもたない。それは対象化を許さぬものであるから、世界の中にあるひとつの対象ではないのである。だから、神を有限なる実体としてではなく、無限なる場所として捉える見方は、旧約聖書の伝統の中にも厳然として存在する。ヘブライ語のマーコムという言葉が、「場所」に該当するが、ミドラシュの伝承に寄れば、神は世界の中には存在しないが、世界は神の中に(神に於いて)存在すると明言される。

世界の中にある有限なる対象は、如何なるものも神ではない。更に言うならば、存在するものの総体である世界そのものが有限なる存在である。そういう世界を構成する一要素、あるいは世界の全体を神と等値する思想(汎神論)は聖書的ではない。しかし、このような神の超越性だけを述べるのはまだ一面的である。この考えでは、神は絶対的に超越的であって、人間と神、世界と神の関係は疎遠なままに留まるでだろう。これに対して、「神は世界の場所である」という命題に於いては、神はそこにおいてある世界、世界の構成要素たる個々の人間と不可分でありながら、有限なる世界には還元されぬ無限者なのである。

このような旧約の伝統における超越者、いうならば名付けることの出来ない無限なる「吾が主」が、一個の人間と如何なる関係にあるのかという根本問題を、一個人の「私」の場所としてのキリストを機軸にして考えることーこれが「私はキリストに於いて語る」というキリスト者のメッセージの核心にあるものではないだろうか。
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普遍の教会(カトリック教会)について

2005-04-13 |  宗教 Religion
今日は、いつもの様に全生園の愛徳会で主日のミサに参列したが、今年の二月に刷新された使徒信条の新しい口語訳をプリントしたものを戴いた。ここの信徒さん達の平均年齢はほぼ80才、アヌイ神父などパリミッションの司式を覚えている世代は、まだラテン語でミサを唱えていた時代だから、隔世の感があると思う。旧い世代にとって、典礼の言葉が変化するとなかなかそれに適応するのが難しい。還暦まであと二年の私自身もまた、口語訳にはなじめず、旧い文語訳の方がずっとよいという感情がある。それはともかく、日本のカトリック教会では、新しい世代のために典礼の言葉も平易な口語訳へと刷新していく方針のようだ。言葉がラテン語から文語訳に代わり、それが口語訳になり、そしてさらに平易な口語訳になるのは時代の趨勢だから、そのことに反対はしない。まだ、明治時代の文語訳を越える様な訳は出ていないと思うが、口語訳でも魂のこもった訳は可能であると思うから。

もともと新約聖書や使徒信条のような初代教会の文献は、当時の被植民地の民衆の共通語で書かれたものだ。いってみれば、今日のラテンアメリカやアフリカの人々が英語で書物を書く様なものであった。新約聖書はコイネー(当時の世界共通)の平易なギリシャ語で書かれていた。だから、生粋のギリシャ人の語る古典ギリシャ語ではない。それにもかかわらず、私は、プラトンやソフォクレスのような生粋のギリシャ人の書くギリシャ語にはない魅力を感じる。簡潔で力強いヘブライ語法のはいった独特の表現が多いが、そのなかに民族精神を越える普遍性を認める。後世のラテン語の典礼訳は西洋世界の文語訳で格調が高いと言われているが、よく調べてみると、それはギリシャ語聖書からの直訳に近いものである。そして、近代ドイツ語や英語に影響を与えたルターのドイツ語訳も英語の欽定訳も、現在の訳文にくらべれば、その簡潔さと力強さにおいて、はるかに原語に忠実な直訳である。

日本語訳の場合も、訳文は出来る限り原語にそっておこない、一字一句ゆるがせにせずに内容を理解することがが大事だろう。今日は、キリスト教の原点に立ち返って、使徒信条の内容を理解するために、翻訳の日本語だけで満足するのではなく、原文と複数の翻訳を参照しつつ、とくに「カトリック教会とは何か」という問題を考えてみたい。

使徒信条は、父と子と聖霊の三位一体の神への信仰を宣言したものだが、その三番目の、聖霊への信仰を宣言する箇所で、「聖なる普遍の教会」という言葉が出てくる。新しい口語訳では、次の様になっている。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。
原文のギリシャ語、ラテン語訳、そして英訳を併記すれば次の通り。
原文(ギリシャ語) Pisteuw eiV to PNEUMA TO AGION, agian kaqolikhn ekklhsian, agiwn koinwnian, afesin amartiwn,sarkoV anastasin. zwhn aiwnion, Amhn.

ラテン語典礼訳 Credo in Spiritum Sanctum; sanctam ecclesiam catholicam; sanctorum communionem; remissionem peccatorum; carnis resurrectionem; vitam æternam. Amen.

英訳 I believe in the Holy Ghost; the holy catholic Church; the communion of saints; the forgiveness of sins; the resurrection of the body; and the life everlasting. Amen.
まず、注意すべき事は、この信仰宣言の人称性である。それは、「私は信じる」と述べるものなのであって、決して「我々は信じる」ではない。常に「一人称単数」で宣言するところに、信仰告白(Credo=I believe)の特徴がある。それは、集団の信仰共同体の中に個性を埋没させることではなく、あくまでも「一個人に徹する」ことを通じて、「普遍の教会」を信じることを宣言するのである。

次に、「聖霊への信仰」が、同時に「聖霊のうちにある信仰」であること。聖霊こそが、そこにおいて「私は信じる」という信仰の生起する場所なのである。そして聖霊の場に於いて「聖なる普遍の教会」すなわち「カトリック教会」への信仰が生起する。

日本語訳の「聖なる普遍の教会」は英訳では、 the holy catholic church すなわち「聖なるカトリック教会」と訳されている。この点では、日本語訳の方が、良いと思う。ここでのカトリックとは、プロテスタントを排除するものではないからだ。アメリカのプロテスタント教会では、the holy Christian Churchと訳して、catholic という語を避ける場合もあるし、日本のプロテスタント教会では、「聖なる公同の教会」と訳すことが多い。ようするに、カトリックとは、公同的、普遍的といのが原義なのだ。

私自身は、「カトリック」という言葉を使うときは、いつでもこの、「普遍の教会」という原点に立ち返って考えている。けっしてプロテスタントに対するカトリックという意味に特殊化しない。プロテスタント教会もまた、使徒信条を自らの信仰の拠り所としている限りでは、カトリックでなければならない。ローマン・カトリック=カトリックと考える人もいるが、真に普遍的なものに、西も東もなく、ローマも東京もない。ラテンアメリカの人も、アフリカの人も、ヨーロッパの人に劣らずカトリック的であり得るのだ。

だから、カトリックとは民族という特殊性から自由でなければならないし、特定の教派の教会組織からも自由でなければならない。普通、ローマカトリックと呼ばれている教会組織もまた「真にカトリック的であること」が課題として与えられている-私は、こうなふうにカトリックという言葉を使っている。

さらにもう一歩を進めて、私は、日本の無教会主義のキリスト教、とくにその原理を旧約聖書にまで遡って理解しようとした関根正雄の「無」教会思想のなかに本来的な意味でのカトリックの原点を見ている。ここにいう「無」は単なる教会の否定ではない。「無」教会とは教会を否定することによって、それを復活させることに他ならないからだ。「無教会」の「無」の場所に徹するところに聖霊への信仰があり、聖霊の内にあることこそ、まさに誕生しようとしている教会の原点なのだから。
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「人格」と「絶対無」 

2005-04-12 |  宗教 Religion
西谷啓治の「宗教とは何か」は 英訳され Religion and Nothingness というタイトルで University of California Press から1982年に出版された。そのなかで、とくに「宗教に於ける人格性と非人格性」という章をとりあげ、その内容を要約しつつ批判したい。

 西谷の「宗教とは何か」の議論は、「人格」と「絶対無」との関わりを巡って展開する。彼は次のように言う。
人格としての人間という観念が、従来現れた最高の人間観念であったということは疑ひない。人格としての神といふ観念についても同様である。主体的自覚が確立されて以来、人格としての人間といふ観念は殆ど自明的になってゐる。しかし、人格といふものについて従来一般に考へられてきたやうな考へ方が、果して唯一の可能な考へかたなのであらうか。
西谷の議論をよく読んでみると、彼はデカルトの自我の概念、あるいはカントの人格概念など、近代的自我の主体性を論じる文脈で「人格」を考えているようだ。そのために、彼の議論を更に補い、人格概念のキリスト教的起源をさらにふまえて話す必要があるだろう。

まず、人格を「理性的本性を有つ個別的実体である Persona est natura rationalis individua substantia」というボエティウスに遡る定義がある。このように人格を「個的実体」ととらえる理解は優れてギリシャ的、あるいはアリストテレス的であるといってよかろう。実体とは、存在するために他を必要としないものであり、アリストテレスの意味では、第一実体としての基礎個体である。それは「理性的本性をもつ」という人間に固有の特有性によって特徴づけられ、他の生物学的個体や単なる物体から区別されている。西谷啓治が言及した「人格」の伝統的なとらえ方に、是が含まれることは間違いない。

しかし、これまで、西谷自身によっても、また実体概念を機軸として展開された西洋の形而上学の伝統の中でも充分に取り上げられているとは言い難いもうひとつの人格概念がある。それは、キリスト教の三位一体論に由来する「人格」概念の伝統である。これについては、私は、既に、「人格概念のキリスト教的起源」のなかでもその一端にふれたが、人格を「実体」ではなく「関係」と見なす伝統といってよい。

中世の初めに於いて、聖ヴィクトルのリシャールは、キリスト教の内部から由来する人格概念を、「霊性を有つ通約不可能な実存=spiritualis naturae incommunicabilis existentia」と定義した。ギリシャ哲学では、常に主題となるのは類的存在としての本質を備えた「人間」であり、個人というものは視野に入っていない。あの人間もこの人間も、「人間性」という共通の本性に於いては通約可能であり、そのかぎりで学問的な研究の対象になる。しかし、人格とは、第一義的には共通本質(essentia)ではなく通約不可能な実存(existentia)である。

また、「霊的 spiritualis」という言葉も、理性的と同義ではない。聖書の伝統では、霊的なるものは、理性だけではなく感覚的な身体を含む人間の全体を指すのであり、身体から分離された精神的な実体ではない。

「通約不可能な実存」としての人格は、すぐれて個々の人間の自由と責任の問題、類的存在のような共通性に還元されぬ、代替不可能な生きた全体としての人間に関わりを持つ。つまり、この考え方は、掛け替えのない個人の価値を第一義的に考えるキリスト教の伝統を表すものと言ってよいであろう。このような「個人への配慮 cura personalis」こそ、人間論を実践哲学へと架橋するキリスト教的哲学の核心にあるものである。

さて、「宗教とは何か」における西谷の人格論は、エックハルトの思想に依拠し、そこにおける「神と神性の区別」をもとにしている。西谷の理解するところによれば、神性とは神の本質essentia であり、「神をして神たらしめるもの」である。西谷には「神と絶対無」というエックハルト研究があるが、そこではこの神性を「絶対無」と等値している。

しかし、本質essentia とは、アリストテレスに由来する哲学用語であり、それはものが「何であるか」を言い表す説明方式(ロゴス)であり、実体のカテゴリーについて本来言われるべき事である。従って、神の本質としての神性というとらえ方自体が、存在を表す言葉に派生するのであるから、それを「絶対無」とよぶことが果たして妥当であろうか。

本当にエックハルトは、神性は絶対無であると言ったのか。ここは西谷のエックハルト解釈の要であるが、私はテキスト的にこの解釈は基本的に誤っていると考えるものである。もちろん、エックハルトが、ある文脈に於いて、「無」に該当する言葉を使っていることは、その通りである。しかしそれは、どういう文脈であろうか。

それは、「神が何であるか」を、我々が、人間の理性の立場ではけっして知り得ないと言うこと、人知の限界を承認することを意味するのである。そして、それは否定神学の正当なる主張を摂取したトマスの根本主張でもあり、エックハルトもこの先人の考えに従っているのである。

したがって、神性が無であるということは、神性については我々はロゴスによって語ることが絶対に出来ないと言うことを意味する。そのかぎりで「無」ということは適当である。エックハルト自身、被造的存在を「有」というその尺度を当てはめる限り、神は決して「有」ではないといったのであるから。しかし、西谷は、この主張の裏にあるもう一つの意味を見落としている。すなわち、神の存在を「有」とする尺度をあてはめるならば、どの被造物も決して「有」ではあり得ないというもうひとつの重要な主張が見落とされている。

エックハルトのラテン語著作を読む限り、彼は「esse(動詞としての有)」を機軸として考えるトマスの伝統を受け継いでいる。その伝統では、神性は、純一なる「有」というべきであって、決して、「絶対無」とはいえない。ニーチェやハイデガーの所謂ニヒリズムの自己超越という文脈で、西谷はエックハルトを論じているのだが、エックハルトは近代のニヒリズムとは無縁のキリスト者である。そしてまさにそうであるが故に、現代のキリスト者である私に直接訴えるものがあるのである。

 私は、有無の対立を超える絶対者を、再び「有」または「無」の名前で呼びはしない。そして、それがキリスト者としてエックハルトを現代という時代に於いて受け継ぐと言うことである。エックハルトの著作を後世に伝えたニコラウス・クザーヌスは、「神は有でも無でもない」といったが、その神を「絶対無」などとは呼ばず、「絶対に最大なるもの」すなわち究極の普遍として言い表した。この考え方は、真の意味でのカトリックを目指す私にとって指針を与える。

 究極の普遍は、それを限定するものを持ち得ないが、あるものを「無」とよぶ場合は、必ず「有」を否定することによる限定が伴うのである。その限りで、「絶対無」なるものはあり得ないともいえよう。有無はつねに相関しており、その両者を越えるものを言い表すことは出来ない。
 
聖書に示されるような宗教的経験を言い表すのに、「絶対無」は不適切であるが、そうかといって、それを「有」というギリシャ哲学の用語で概念化するのも不適切である。そこで、出エジプト記の神名の啓示を手掛かりとして、ヘブライ語の動詞「ハヤー」をもって、「有無を超える純一なる生成」を言い表すーこれが私の立場である。

 存在論と神学との結びつきを絶ち、「実体の形而上学」ではなく、真の意味でのキリスト教的形而上学は、「オントロギア」(存在論)ではなく「ハヤトロギア」(現成論)でなければならない。「現成」という言葉は、道元の「正法眼蔵」にある言葉であるが、「ハヤトロギア」を日本語化するにあたって、私は、それに最も近いと信じる仏教者の言葉を使った。

 ここでは詳説しないが、私の理解するところでは、仏教においてすら、有無を超える「絶対」を再び「無」とは呼ばないのが一般である。「中論」で明示されているごとく「空」は「縁起」と同義なのであり、決して老荘的な「無」ではない。

 道元は、「正法眼蔵」において、無や空を「絶対化」せず、有無を超える絶対を「現成」と言っている。「無」を強調したのは、「無門関」の著者や、無字の公案を教育課程に採用した臨済宗の伝統であるが、それを「絶対無」と呼んだのはあくまでも京都学派の哲学者である。

 有にせよ、無にせよ、あるいは現成にせよ、それは哲学の概念で絶対者を言い表さんとする試みであるが、それは信仰に於ける言表とはただちに結びつかない。信仰とは、人格的なるものを抜きに語り得ぬものであり、その限りに於いて、人格的なるものの意味が、ハヤトロギア(現成論)において、再び問われなければならないであろう。
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「人格」概念のキリスト教的起源 

2005-04-11 |  宗教 Religion


我が国に於いても、「人格の尊厳」、「人格の回復」、「人格の形成」などの成句に見られるように、「人格」という言葉は既に市民権を得ている。基本的人権とは、「個人の譲渡できぬ生得的権利」のことである。また、「人格への配慮 cura personalis」とは、多くのカトリック系の教育機関が標榜している「人間教育」の基本原理である。しかし、たとえば、「人間」と「人格」は何処が違うのか-人間が、文字通り「人と人の間」すなわち、社会性を含意するのに対して、「人格(person)」は「個人性」を含意するようにも思われるが-その両者は如何なる関係にあるのか、こういった基本的な事柄に対して、必ずしも我々は明瞭な自覚を持っているとは言い難い。そこで、まず、この言葉の持つキリスト教的な含意を検討しよう。

「人格(person)」を何よりも重んじるという考え方は、キリスト教信仰によって可能となり、それによって人類の思想史に提供されたものである。それは、単なる哲学的思索ではなく、哲学と、それに先行する信仰の与件=聖書との間の相互影響から生まれたものであることーこのことをまず確認しておこう。

人格の概念は、「(我々が聖書に於いて出会う)神とは何か」「キリストとは誰か」という、キリスト教にとって二つの枢要なる問いかけから生まれたものである。信仰が自己反省を始めるやいなや、これらの根本的な問いかけに対して、キリスト教的な思索はギリシャ哲学に於いてはそれまで使用されていなかった「人格(prosopon=persona)」という概念を使った。それによって、キリスト教的思索はこの言葉に新しい意味を与え、新しい次元を開いたといえる。

最初に論ずべき人物は テルトリアヌスであろう。彼は una substantia-tres personae = one being in three persons (三つのペルソナ(人格)をもつひとつの存在)という三位一体論のなかで persona という語を用いて、キリスト教的な神概念を定式化した。彼に於いて「人格的存在」という語が、西洋の知的歴史の中に初めて登場したという教理史家は多い。

一見すると、「不合理故に我信ず」とか「アテネとエルサレムとのあいだに何の関わりがあるか」という言葉で知られているテルトリアヌスが、かかる神学的定式を与えたというのは奇妙に思われる。しかし、聖書の神がギリシャ的な哲学的理性によってその本質essentia ないし実体substantia が不可知であるにしても、神の内なる三つのペルソナ(人格)は、そのような認識を絶する闇の中に留まっているのではない。それは、我々にむけて語られる聖書のメッセージの中に現存している。聖書には沈黙もあるが、その沈黙から語られる言葉がある。いうなれば、神の不可知なる本質(essentia) から、言葉へと語り出るところに三位一体という人格的存在が立ち現れるのである。

したがって、このような三位一体の神の意味するものは、「信仰の神秘」から「神秘の神秘」へと「言葉」を通して導くものであり、人間の理性による内在的了解を常に越えでるものであるが、それを把握することから、人格相互の対話に基づくキリスト教的思索が始まるという意味で、決して反理性的なものではない。

テルトリアヌス が人格(persona)という語を使った文化的な背景については、C. Anderson, "Zur Entstehung und Geschite des trinitarischen Person-begriffs" ZNW 52(1961):1-38 に詳しい研究がある。

それによると、聖書テキストの「人格的な釈義(prosopographic exegesis)」というものが影響したという。それは、古代の人文学者達によって開発されたテキスト釈義の方法である。古代の偉大なる詩人達は、単に出来事を物語るのではなく、それに生気を与えるために、人格的存在を登場させて物語らせる。たとえば彼等は神々を人格的存在として描き、彼等に語らせ、それによって物語を進行させる。人格的存在は、「役割」をもっており、そのもろもろの役割を通して、行為が対話の中で描き出されるのである。文献学者はこれらの「役割」を発見する。事件に劇的な効果を与えるために、「役割存在」として人格が創出される。もともと、prosopon=persona とは、「役割」を意味し、俳優の付ける仮面を意味していた。したがって、「人格的釈義(prosopographic exegesis)とは、詩や物語に生命を与えるために著者が創造した劇的役割、対話的役割を明らかにすることなのである。聖書を読むときに、キリスト教の著作家達は非常に良く似た状況に遭遇したという。彼等は、ここでも出来事が対話に於いて進行しているのを見出したのである。(たとえば、神が複数形で語ること、あるいは自己自身と語ること。創世記の「我々の似姿に人間を作ろう」「アダムは我々のひとりのようになった」あるいは、詩編110の「主は吾が主に言われた」をギリシャ教父たちは、父と子との対話として受けとめた。)教父達は、神が複数形で導入され、自己自身と語るという事実を、人格的に釈義したのであり、それによって、人格という言葉に新しい意味が生まれた。二世紀中頃に Justin はすでに「聖なる著者は異なる人格(prosopa)、異なる役割を導入している」と書いている。

しかしながら、私の見るところでは、「人格」という言葉は、「役割」という表層的な意味に尽きるのではなく、それよりも存在論的に深い意味を獲得し、神の言葉への信仰のもとに、根源的な実在性を帯びる様になっている。聖書の著者によって導入された「役割」とは実は、「対話的な実在(dialogical realities)」として、単なる現象にはとどまらぬものを持っているようだ。

「預言者があたかも一人の人が語っているかのように(hos apo prosopou)述べるのを聞くとき、諸君は、それらが霊に満たされた者達(すなわち預言者)によって話されたと思ってはならない。そうではなくて、それは彼等を動かしている御言葉(ロゴス)によって語られているのである」と Justin は言う。

だから、預言者によって導入された対話的な役割は、決して単なる文藝上の装置ではない。「役割」はたしかにあるが、それは、prosoponであり、「顔で」あり、此処で真実を語りつつ、預言者との対話的関係に参入する「御言葉」そのものである。テルトリアヌス が Adversus Praxean のなかで、詩編110-1に言及して次のように書いているのに注目したい。
「第三の人格的存在としての聖霊が、父と子について語っているのに注意せよ。『主は吾が主に言われた、私があなたの敵をあなたの足下に置くまでは、私の右に座していなさい』と。同じように、イザヤを通して『主はこれらの言葉を主キリストに言う』・・・これらの少数のテキストに於いて、三位一体の内的区別が我々の眼前に明らかとなっている。語るものが自ずから存在している、すなわち聖霊である。さらに、聖霊がそれに向かって語る父、そして最後に、聖霊がそれについて語る子が自ずから存在している」(Ratzinger, Retrieving Traditon:concerning the notion of person in theology,communio 17, 1990 参照)
 人格的存在(ペルソナ)の概念は、聖書を読みそれを釈義することの中から生まれた。それは、対話の観念、より詳しく言えば、対話的に語る神現象の「人格的釈義」に起源を有つ。神自身が物語る聖書、人との対話のなかに現存する神が人格(persona)の概念を成立させたのである。聖書文献学のいまだ発達していない時代に書かれた教父達の釈義には今日から見れば時代遅れの部分もあるが、彼等の解釈の基本路線は、全体としてみれば正鵠を得たものであり、聖書の霊的な伝統をよく捉えたものである。我々が聖書によって導き入れられる根本現象は、物語る主体としての三位一体の人格神であり、語りかけられる個人(=person)である。そして、神的人格(divine person)によって世界における慈愛(アガペー)へと召命された人間相互の共同性ーエクレシア-の形成である。

このように、人格の観念は、その起源に於いて、対話の観念と対話的存在としての神の観念を表現している。人格は、ロゴス(言葉)の中に現存し、「私」「あなた」「我々」のような言葉から成立する存在としての神を示している。このようなキリスト教的神認識の光の中で、人間の真の本性が新しい仕方で明瞭となったと言ってよかろう。

五世紀を迎えると、キリスト教神学は、「神は三つの人格に於ける一つの存在」であるというキリスト教的な人格神のテーゼの含意するところを、ギリシャ哲学の論理的なカテゴリーを踏み越えて表現できるような段階に達した。神学者は「人格」は「実体」としてではなく「関係」として理解しなければならない、ということに気づいたのである。

神における三つの「人格」は、並列するあるいは序列を有つ三つの異なる実体なのではなく、活動的する「関係」に他ならない。活動する「関係」、ないし関係づけられて活動することは、「人格」という「実体」に付け加えられる何ものかであるのではなく、それは「人格」そのものなのである。

その本性に於いて、「人格」はただ関係としてのみ活動するのであって、実体として存在するのではない。。たとえば第一の人格(父)は、第二の人格(子)を生むという活動をなすが、この働きはすでに完成した人格に付加されるものではなく、その「人格」が、生むという活動、自己を与えるという活動、自己を発出させるという活動そのものなのである。人格とは、この自己贈与の活動と同じである。

かくして、第一の人格(父)を豊饒なる智と愛の自己贈与と定義することも出来よう。父という「人格」がまず先にあって、彼の中に自由なる自己贈与の働きがあるというのではなく、父はこの自己贈与そのもの、活動の純粋なる現実性なのである。

「人格」は「他者に向けられた純一な関わり」(pure relativity towards the other)であると述べたのは Ratzinger であるが、私は、この「純一なる関わり」という語を、「相互内在をもたらす関係性」すなわち、ペリコーレーシス(回互性)と捉えている。父と子と聖霊は、どのひとつの人格をとっても、他の二つの人格が内在するといういみで、「純一なる他者への関係」なのである。人格は実体のレベルにあるものではなくー実体は一である-対話的な現実性、他者への純粋な関係性のレベルにある。人格とは、かつてキルケゴールは「死に至る病」のなかで、人間精神を「関係が関係自身に関係するような関係」と規定したが、それはここでいう人格の規定にも当て嵌まる。他者への活動的な関係において、自己自身に関係し、自己同一を保持する「純一なる関係」こそが、「出来事」であると同時に「存在」でもある人格を形成するのである。

「人格」を「他者への純一なる関わり」として捉えたことこそ、キリスト教的な新しさであった。存在するためには他を必要としないという意味での実体というカテゴリーではなく、「他者への関わり」がその本質を形成するような活動的存在、「他者への純一なる関わり」という人格観念を生み出し、人間の人格的な現象を視野に入れることを可能にしたものこそ、キリスト教信仰なのである。


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The Principle of Relativity 1

2005-04-10 | Essays in English 英文記事

The Principle of Relativity


Yutaka Tanaka

1. Einstein's Impact on Modern Science and Philosophy

It is difficult to overestimate the tremendous impact of Einstein's theory of relativity on contemporary physicists. Today, more than half a century after the so-called Einstein revolution, almost every textbook of physics takes his theory for granted. What once seemed paradoxical has become commonsense to students of physics. Taking a retrospective glance, we need a little imaginative power to understand the nature of the paradigm-change from Newton to Einstein. Concerning the drastic effect of Einstein's prediction that rays of light are bent as they pass in the neighborhood of the sun, Whitehead wrote in his memoirs:
"It was my good fortune to be present at the meeting of the Royal Society in London when the Astronomer Royal for England announced that the photographic plates of the famous eclipse, as measured by his colleagues in Greenwich Observatory, has verified the prediction of Einstein . . . The whole atmosphere of tense interest was exactly that of the Greek drama: we are the chorus commenting on the decree of destiny as disclosed in the development of a supreme incident. There was dramatic quality in the very staging: the traditional ceremonial, and in the background the picture of Newton to remind us that the greatest of scientific generalizations was, now, after more than two centuries, to receive its first modification."(1)
The crucial point of the above drama was that the new theory, in spite of the risk of refutation, dared to predict that something should happen at the time of the eclipse, which was afterwards confirmed by experimental physicists. Moreover, the admission of the new theory involved abandonment of common notions which physicists had hitherto uncritically accepted. The very validity of Euclidian geometry, as applied to physical space, was now suspect in the light of relativistic theory. In other words, Einstein claimed that non-Euclidian geometry should hold in the presence of a strong gravitational field. The meaning of spatio-temporal magnitudes must be changed in such a way that the length of a rigid body and the lapse of time measured by clocks cannot remain unaltered after the transformation of coordinate systems.

Einstein's infiuence on contemporary philosophy was worth noticing, especially with regard to the logic of scientific research. For example, Karl Popper repeatedly emphasized the importance of Einstein's methodology as a paradigm of critical reason. He claimed that the traditional principles of science which had been thought of as a priori should be reformulated in such a way that they can be tested by empirical data. When he proposed the falsifiability-criterion as the principle of demarcation between science and metaphysics, he was certainly influenced by Einstein. What had impressed him most was that Einstein declared clearly what kind of empirical data should be counted as a refutation of his general theory of relativity. For example, he wrote that "if the red shift on spectrum caused by gravitational potential is not observed, the general relativity cannot be maintained."(2) Revolutionary as he was, he admitted the refutability even of his own theory. According to Popper, such a self-critical attitude of Einstein's methodology, which was open to a new horizon of experience, was "radically different from the dogmatic ones of Marx, Freud, and Adler, to say nothing of their uncritical followers."(3)

Whereas Newton distinguished his principles from hypotheses in his dictum "hypotheses non fingo", Einstein willingly exposed fundamental principles of his own theory to the risk of being refuted. The alleged a prior principles of classical physics became so many empty formulae, devoid of empirical meaning, at the expense of their irrefutability. On the other hand, Einstein's principles, having passed through empirical tests, enables us to get much more information about the actual world. Einstein's theory, In spite of its revolutionary character, contains the principle of self-criticism which can be formulated within itself. It was natural that his theory had broken the dogmatic slumbers of philosophers who rested on a priori principles. The Kantian theory of space and time, which had accepted as a matter of fact the axioms of Euclidian geometry and Newtonian physics, could not embrace Einstein's theory without modifications. So the logical positivist were also under Einstein's influence when they denied the synthetic a priori. H. Reihenbach, A. J. Ayer, and other advocates of this movement treated Einstein as if he were a prophet in the new age of "scientific philosophy". But we must notice that Einstein did not think much of positivism, but held something beyond observable facts in high esteem. For example, he once said to Heisenberg:

"It may be heuristically useful to keep in mind what one has actually observed. But on principle, it is quite wrong to try founding a theory on observable magnitudes alone. In reality the very opposite happens. It is the theory which decides what we can observe . . . You should not seriously believe that none but observable magnitudes must go into a physical theory."(4)

A phenomenalistic approach is not sufficient if we are to go beyond the observable data and reach to the essence of natural knowledge. Nor can we reconstruct what may be called the philosophy of Einstein only by collecting his fragmentary comments on philosophical problems scattered through his writings. His philosophy was not explicitly systematized, so we had rather seek it in his mode of thinking as he grappled with the frontier problems of physics.

In The Meaning of Relativity, Einstein stressed the importance of conceptual analysis which must precede any system-building. Concerning the relation between inertia and gravitation, he said:

"The possibility of explaining the numerical equality of inertia and gravitation by the unity of their nature gives to the general theory of relativity, according to my conviction, such a superiority over the conceptions of classical mechanics, that all the difficulties encountered must be considered as small in comparison with this progress."(5)

It had been a well-known phenomenon since Galileo that material bodies fall with the same acceleration independently of their sizes or masses. Physicists had accepted it as an "irreducible stubborn fact", too commonplace to be posited as a problem. Why this kind of uniform acceleration should happen is beyond the reach of positivists. Tracing back the origin of numerical equality between gravitational and inertial masses to the unity of their essences, Einstein was able to construct the theory of general relativity. This kind of reasoning was, according to Einstein, necessary to the essential development of science. Taking an analogous example from the history of physics, we remember that first the numerical equality between the speed of light and that of electro-magnetic waves was discovered, and then the essential identity between both phenomena was theoretically propounded for the unified system of physics. Such questioning about the origin of measured equality, in spite of its seeming speculative analysis, was characteristic of Einstein's procedure.

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The Principle of Relativity 2

2005-04-10 | 哲学 Philosophy
Though Einstein did not formulate his own standpoints in philosophical terminology, we may tentatively summarise them as follows:

(1) The immanent epistemology in the forma/ principles of Einstein's theory, especially the special and the general principles of relativity. According to this epistemology, such entities as absolute space, absolute time, and absolute inertial systems, should be excluded from the physical theories. Natural phenomena, observed from a certain standpoint (coordinate system of reference), should not be considered as absolute, but always as relative to some observers. But the same principle prohibits the existence of a privileged observer. All observers are equal, for it is postulated that the natural laws should be formulated in such a way that the same mathematical forms hold in every system of reference.

(2) The essentialism implicit in the material principles of Einstein's theory, such as the constant velocity of light, and the principle of equivalence. These principles, though empirically refutable, should give some information about the essential structures of the world. For example, the constant velocity of light plays the essential role of mediation between mass and energy. The principle of equivalence, if accepted, would necessarily reform our ideas of space and time. We must adopt the curved space of non-Euclidean geometry in the presence of a gravitational field.

(3) The deterministic world-view in the background of Einstein's cosmology. The characteristic of relativistic cosmology is that uncertainty, or contingency totally disappears in the four dimensional space-time: everything should be determined sub specie aeternitatis. The appearance of contingency is due to our ignorance of necessity. It was this kind of Spinozism that forced Einstein to reject the non-deterministic interpretation of quantum mechanics.

In order to estimate a physical theory, it is not enough to understand its philosophical background. We must also know to what extent it has passed through the empirical tests. What we must bear in mind is that while the special theory of relativity, with its abundant empirical supports, has won the approval of almost every physicist, the general theory of relativity, in spite of its philosophical importance, has been treated, not as decisive, but as one of many competing gravitational theories. This is because of the comparatively few number of crucial tests, whose accuracy has often proved not sufficient enough to be reliable. It is not without reason that the general theory has been isolated from other advanced fields of physics. But thanks to the improvement of experimental techniques and the development of astronomy, the general theory of relativity has again become the center of interest among experimental physicists.

There are many theories of gravitation known as varieties of Einstein's theory, e.g. Brans-Dicke theory. famous for being faithful to Mach's principle, scalar- and vector-tensor theories, etc. From the philosophical point of view, the most interesting is Whitehead's theory of relativity. This theory, originally published in 1922, has a different paradigm from Einstein's, elegant and simple in mathematical formulation with its own philosophical background. It has been called as "a thorn in Einstein's side", because it agrees with Einstein in its prediction for all the classical tests. Whitehead's theory is closely connected with his philosophy of nature and his metaphysics. We cannot understand it without paying due attention to his philosophy. Comparing it with Einstein's theory, we may summarize the main oppositions between them as follows:

( 1) Whitehead's theory does not presuppose "the principle of relativity" in Einstein's sense. It contains a subsystem which corresponds to Einstein's theory of special relativity, but it can do without "the principle of special relativity" and "the principle of the constant velocity of light." For example, it derives the Lorentz Transformation only in terms of the weak condition concerning the symmetry and uniformity of space-time. Moreover, "the principle of general relativity" does not hold in Whitehead's theory of gravitation, in which the inertial systems are not equivalent to the rotating systems of reference.

(2) Whitehead rejected "the principle of equivalence" which was the cornerstone of Einstein's theory oj'genera/ relativity. According to Whitehead, there is no reason why we should give privileged status to gravitational fields with respect to the space-time metric. They should be treated on a par with other physical fields. The gravitational and inertial forces are, therefore on principle, distinguished from each other in his theory.

(3) Whitehead did not adopt the deterministic world-view in his background cosmology. According to his philosophy of nature, natural laws only partially restrict future contingency. The concept of matter as the substance of nature disappears with his rejection both of Cartesian dualism and of Spinoza's monism. The concept of event, or of duration which is the field of creative becoming, plays the central role in his theory.

Thus we have to say that Whitehead's theory is different from Einstein's with respect both to the formal and to the material principles, in addition to the difference of world-views in the background.

I don't intend to decide by an outside criterion which theory is better, but to consider each in its own context. It is not easy for us to compare between theories with different paradigms, and the simple data cannot tell us crucial matters by themselves. What we want is the integration of the two paradigms. This does not mean that the problem of empirical tests might well be devalued. On the contrary, as long as we discuss physics, we must try to formulate theories in such a way that they are refutable by possible observation. The problem is that there exists a difference between them concerning the kind of principles that are subject to empirical refutation.

Whitehead once said of Einstein that "the worst homage we can pay to genius is to accept uncritically formulations of truths which we owe to it." This kind of critical spirit will become the guiding thread in the following consideration, with proviso that it should be the case with Whitehead as well.

What we must notice before discussing empirical tests is that Whitehead's principle of relativity has a different meaning from that of Einstein's. Taking into consideration the importance of the Whiteheadian relativity principle, we must first make clear what he means by it in the context of his own philosophy.


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The Principle of Relativity 3

2005-04-09 | 哲学 Philosophy

2. Whitehead's principle of Relativity

Einstein's principle of relativity has two components: one is the special principle, and the other is the general one. The former states that all inertial systems are equivalent for the description of natural phenomena, while the other claims that the same equivalence should hold generally in any chosen frame of reference. Whitehead did not rely on either of them. First, he pointed out in The Principles of' Natural Knowledge that the physical content of Einstein's theory can be deduced without relying on Einstein's principles. The special theory of relativity correlates space to time through the Lorentz-Transformation, which Einstein deduced from the combination of the special principle and the principle of the constant velocity of light. Whitehead, on the other hand, deduced the same transformation from the weaker principles of kinematics and geometry, i.e. (1) the uniformity and symmetry of space-time, (2) the symmetry and transitiveness of transformation, etc.(6)

Secondly, he repeatedly laid stress on the inequality between inertial and rotating systems in his book, The Principle of Relativity, the title of which was certainly ambiguous and therefore misleading.

The principle of relativity in Whitehead's sense must be understood in the context in his philosophical thought. This principle plays the central role not only in his physics, but also in his metaphysics. The physical principle of relativity is generalized to the metaphysical one. The more we understand his metaphysics, the more we comprehend his physics. So we may well begin with the definition of this principle in Process and Reality:

"It belongs to the nature of a 'being' that is a potential for every 'becoming'. This is the 'principle of relativity'.(7)

As the above formulation of the principle is the most general characterization on the metaphysical level, it needs some explanation as to how it is embodied within the realm of physics. What we must bear in mind is that two lines of Whitehead's criticism of classical physics are closely connected with the above principle: i.e. his criticism of scientific materialism, and his rejection of Cartesian dualism involving the "bifurcation of nature."

In Whitehead's metaphysics, "Becoming" is more fundamental than "Being" which is the reversal of Aristotelian ontology. The concept of matter as "hypokeimenon" (substratum) of nature, the cornerstone of scientific materialism, presupposes the Aristotelian concept of substance: matter is conceived as the true Being which exists independently of perceivers: the description of the configuration of matter in space-time through the deterministic laws is thought to be the only task of physicists: there remains no place for the perceiving subjects. Nature, as it is perceived by us, is separated from nature as the object of physics. This bifurcation cannot be easily overcome: if we try to bridge them by considering the one as a cause and the other an effect, then we soon find that such a kind of causality is unintelligible on account of the "fallacy of nusplaced concreteness". Whitehead pointed out this fallacy by grasping the most concrete aspect of nature as creative becoming rather than as static, substantial Being. According to Aristotelian ontology, Being precedes Becoming because the former is the actuality of the latter. The opposite is the case with Whitehead. Becoming is the actuality of Being: what has been thought to be substantial Being must be re-interpreted as derivative from Becoming. Therefore the most fundamental category of nature should be found in "events", and not in "substance".

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