歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

相対性理論100年記念シンポジウム覚書 5

2005-11-30 | 哲学 Philosophy
プロセスコスモロジーからの問題提起

1. 同時性は光信号によって定義出来るか。

(提題A)同時性は光信号によって定義できるように思われる。アインシュタインの特殊相対性理論によれば、異なる空間的場所における同時性は「光速度不変の原理」に基づいて操作的に定義される。一般に物理学の用語の意味は、その用語を含む命題の真偽を検証する実験的手続きを指定することによって確定する。我々は何らかの物理的信号によらなければ異なる空間的場所に設置された二つの時計を合わせることが出来ない。光信号の伝播速度が観測者や光源の運動状態に依存せず一定であることには実験的な支持があるから、時計を同期化するには光信号を使うのが最も適当である。よって、同時性を光速度不変の原理に立脚して光信号によって定義することは、客観的な実験操作の現場から遊離した抽象概念を排除し、物理理論の数学的定式に経験的意味を与えている点で全く正当なものである。

(反対提題)同時性は光信号による時計の同期化によっては定義できない。ホワイトヘッドは、光の信号理論によって同時性を定義するアインシュタインの手続きをいわゆる科学哲学三部作の中で批判した。彼は、同期化された時計によって計測される物理学的時間からではなくて、我々にその都度知覚される同時的世界の無限の広がり(持続)から出発する。時間は「自然の成層化」である。この同時的世界は、関係性による認知に於ては全体性として開示され、任意の個的経験にとっての形容態による認知においては部分的に開示される。このような、自然の成層化の系列が時間秩序の起源である。自然の成層化としての複数の時間系列を認める立場から、ホワイトヘッドは、アインシュタインのいう同時性は「直接知覚された同時性」を説明しないと言って、光速度の不変性に基づく同時性の定義に反対している。

この問題に対して次のように答えよう。一般に「同時性」は様々な意味に於て語られるから、その全てに共通する定義を求めることは出来ない。しかし、その様々な意味は何の脈絡もなく単に併存しているのではなく、そこには焦点的な意味と周辺的な意味の区別と関係とがある。従って、同時性の定義とはその焦点的意味を解明すると同時に様々な派生的な周辺的意味との関係を秩序だてることにほかならない。焦点的意味を与える候補者として、次の二つを考えよう。

(1) 時計で計測された時間(物理的な周期運動の数の測定)の秩序を与える同時性。この同時性の測定は、異なる場所に設置された時計を同期化することによって可能となる。
(2) 知覚の二つの異なる様式のうちの一つ(現在的直接性の様式)に由来する同時性。これは、他の様式(因果的有効性の様式)に由来する時間の方向性と共に、我々の時間経験を構成する。

このうち(2)の方が(1)よりも根源的である。なぜならば、相対性理論においても近接した場所での時計の同期化は現在的直接性の様式での知覚によって為されるほかなく、ただ遠隔の場所の時計の同期化に光信号が使われている。一般に、あらゆる物理的測定は、(2)のレベルでの同時性を前提せざるを得ない。従って、(1)を客観的な物理学的時間、(2〉を主観的な心理学的時間と呼び、(1〉を(2)よりも根源的なものと見なすのは本末転倒である。我々は物理的対象の時空的配置を感覚的対象の時空的配置の観察によって初めてさだめることができるのであって、その逆は成立しない。従って、(1)のレベルで登場する時計の同期化によって(2)のレベルでの同時性を定義する事はできない。さらに、(1)のレベルの同時性ですら、厳密にいえば光の信号によって定義されたわけではない。その理由は、ホワイトヘッドが「自然認識の原理」で示したように、光の信号とはまったく独立に、物理的な測定を可能ならしめるア・プリオリな諸条件(時空の一様性、等方性、変換の対称性、推移性など)からローレンツ変換を導出する事は可能である。この場合、時間測定と空間測定とを媒介する定数C(臨界速度)があるべき事は必然的要請となるが、現実に測定される光速度がそれに等しいということはア・ポステリオリな事実となる。即ち、光速度の不変性はいかなる物理的観測によっても反証不可能な原理なのではなく、場合によっては成り立たないことも可能な経験的な事実の一つであるにすぎない。しかし、もし同時性が「光速度の不変性」によって定義されてしまうと、「光速度」が変わり得るという事態を最初から排除してしまうことになろう。一般に、時空の座標的秩序は物理的な観察と測定を可能ならしめるア・プリオリな諸条件に由来し、特定の種類の物理的現象の持つ偶然的性格に依存しない。速度の概念がすでに異なる空間座標に一つの時間座標を割り当てることを前提しく光速度も例外ではない)、時計の同期化という物理的操作がすでに同時性の概念を前提している以上、同時性は「光速度の不変性」と「時計の同期化」によっては定義されない。

問題2 プロセス・コスモロジーの「宇宙の創造的進化」という考え方は時間秩序の相対論的把握と両立するか。

<提題>「宇宙の創造的進化」という考えは時間秩序の相対論的把握とは両立しない様に思われる。
(1)まず相対性理論に於ける四次元宇宙では、全ての事象が「永遠の相のもとに」記述されており、未来の不確定性と過去の確定性との対比が失われている。そこにはプロセス・コスモロジーで強調される時間的生成の入る余地はない。そこでの時間は完全に空間化されている。
(2) 時間を自然の成層化から導くホワイトヘッドの相対性理論では、宇宙全体の時間的切断は客観的意味を持たなければならない。しかしながら、一般相対性理論においては時空の座標的秩序が物質(重力場)によって決定されるから、全体としての宇宙に一つの時間座標を割り当てる事ができるかどうかは、物理的偶然性(物質の分布状況)に支配される。ある種の宇宙モデルに於ては、.大域的な宇宙時間が存在し、宇宙が時間的に定常的であるかあるいは非定常的であるかを論ずることが可能である。
しかし、全体としての宇宙に一つの時間座標を割り当てることの不可能な宇宙モデル(アインシュタイン方程式のゲーデル解)もある。このような宇宙に於ては、全体としての宇宙の時間的切断には、いかなる客観的意味もない。そこでは、過去と未来の区別が局所的な意味しか持たないから、全体としての宇宙の歴史という概念は空虚なものとなる。

<反対提題> ホワイトヘッドは、一方に於てアインシュタインの一般相対性理論とその標準的解釈に反対し、それに代わる時空と重力の理論を提示したが、他方に於てアインシュタイン理論の数学的定式を自分の自然哲学的範疇のなかで再解釈することは可能だと言っている。
これについて、次のように答えよう。我々はプロセス・コスモロジーの時間論を考える場合、ホワイトヘッドの科学哲学三部作と「過程と実在」とを区別しなければならない。前者と違って後者では、自然の基礎的構成要素に客観性(objectivity)とともに主観性(subjectivity)を認め、「世界に於ていかに主観性が成立するか」を主題としている。
従って、時計によって計測される「客観的」時間だけでなく我々によって主体的に生きられた時間も同時に問題とされている。そこでは、現実の諸契機は「時空の座標」において生起するのではない。
時空は現実の諸契機の関係から抽象されたものである。それゆえにプロセス・コスモロジーでいう「プロセス」とは、第一義的には座標時間で計測され得る時間的過程ではない。現実態に於ける時空の素領域(spatio-temporal atom)と、その素領域(現実の諸契機)そのものの生成=現実的生起とは区別されねばならない。 宇宙の「創造的進化」とは、第一義的には一つの現実的生起がそこにおいて生成する現実的世界(絶対過去の領域にある事象の総体)を超越して新しいものを付加する事を意味するのであって、それは、可能たいとしての延長連続体(時空の生起する場所)と現実態としての時空を区別する。我々は現実的生起(actual occasion)と現実的世界(actual world)との関係を次のように図式化できよう。a,b,c,...によって個々の現実的生起を表示する。
W(x)によって現実的生起xの現実的世界を表示する。プロセス・コスモロジーはライプニツのモナド論とおなじように、個々の現実的生起はそれぞれの観点から宇宙を抱握(prehend)している。
いま、式x∈W(a)によって、現実的生起xは現実的生起aの現実的世界の成員であることを表す事にする。「個々の現実的生起はそれが抱握する現実的世界にふくまれるどの成員とも異なる新しいものである(PR21)」から、それは自己自身の現実的世界の成員になる事はできない。
即ち、(∀a)(~a∈W(a))   ①
が成り立つ。さらに、「どの現実契機にもそれに固有の意味での現実世界が対応し」(PR28)「同一の現実世界から二つの異なる現実契機が生起することはありえない。二つの現実世界の相違は、一方に含まれ他方に含まれない現実契機の存在と、それぞれの現実契機に付随して登場する諸存在によるものである。(PR23)から、
(∀a,b)(W(a)=W(b)→a=b)   ②
プロセス・コスモロジーで言う過去と未来との非対称性は「ある現実契機が他の現実契機の現実世界の成員であるという関係」の非対称性によって表現される。即ち、
(∀a,b)(a∈W(b)→~b∈W(a)) ③

宇宙の創造的進化とは、ある現実的生起の現実的世界は、その現実的世界の全ての成員のすべての現実的世界を含むことを意味する。即ち
(∀a,b,c)(a∈W(b)&b∈W(c)→a∈W(c)) ④
それぞれの現実的生起が現実的世界に新しいものをもたらし、現実的世界を創造的に進化させるというプロセス・コスモロジーでいう「世界の創造的進化」を上のように図式化することができるならば、それは複数の現実的契機とそのそれぞれに対応する複数の現実的世界の創造的前進を語るものであって、ただ一つの現実的世界の創造的進化を語るものではないから、あらゆる事象を直線的な時間秩序のもとにおくことができなくとも、我々は現実的世界の創造的進化について有意味に語る事ができる。
ゲーデルが嘗て述べたように、リーマン時空に共通の時間座標が設置できなければ、世界の歴史性について語る事ができないというのは速断にすぎると言わなければならない。宇宙の歴史性とは、どの現実的生起の現実的世界も創造的に進化するという事であって、その現実的生起と共時的なすべての現実的生起の現実世界が「同時に進化する」と言う事ではない。
ミンコフスキー時空やリ一マン時空において宇宙論のモデルを構成するものが共通して陥りやすい落とし穴は「たんなる可能態を現実態」と混同することである。連続体は可能態にかかわり、現実的世界は量子的(非連続)である。延長連続体(the extensive continuum)は進化する現実的世界がそこに於いてある場所であり、世界の可能なあり方にかかわりを持つ。宇宙モデルが決定論的な構造をもっている事から、現実の世界が決定論的であるという結論をだすことは本末転倒であって、抽象的なものと具体的なものとの位置を置き違えたものである。またある宇宙モデルに世界時間がない事を理由に「時間の非実在性」を結論するのも同様の誤りである。我々は、世界時間の非存在を理由に、そのモデルを退けるという選択肢を少なくも同等の権利をもって選ぶことができるからである。

-----脚注-------

8 Alfred North Whitehead, Process and Reality, Corrected Edition, The Free Press (以下PRと略記する) 本文で言うプロセス・コスモロジーとはProcess and Realityの宇宙論をさす。

9 Whitehead, An Enquiry concerning the Principles of Natural Knowledgre,pp.147-164 ローレンツ変換を光速度普遍の原理を前提せずに、一様性や対称性などの弱い過程から導く他の試みは、テルレツキ-「相対性理論のパラドックス」(中村誠太郎監修、林昌樹訳、東京図書、1968)、および、Mermin,N.D, Relativity without light, Am.J.Phys. Vol.18,No.1,1987,pp.29-55 参照。

9 ゲーデルは一般相対性理論を宇宙論の問題に適用した場合、世界時間の存在しない特殊解を発見したが、その宇宙モデルの存在を根拠として、時空が実在の根本形式ではないという観念論哲学の立場を支持した。しかし、時間はそれぞれの認識主観の成立と一体不可分であり、そのような主観は、そこにおいて自己が成立する世界を前提する。現実的生起に主観性を認めるプロセス・コスモロジーの立場からすれば、個々の主観が自己自身の絶対過去を二回経験することは論理的に不可能である。したがって、閉じた時間的測地線の存在を許容するモデルに現実的な意味はないと言うべきであろう。
Gödel,K.,”An Example of a New Type of Cosmological Solutions of Einstein’s Field Equations of Gravitation”, Reviews of Modern Physics, 21,1949. “A Remark about the Relationship between Relativity Theory and Idealistic philosophy”, in Albert Einstein:Philosopher-Scientist,pp.555-562,1950.

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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書ー 質問に答えて

2005-11-29 | 哲学 Philosophy
次のような質問がHisamatuさんから寄せられましたのでお答えします。

覚書1に寄せられた質問 

「非ユークリッド空間の実在性という場合、あくまでもユークリッド空間を保持しつつ、物理学の部分を変化させることで、実験結果を説明する可能性はないのでしょうか」
「ニュートンの万有引力の法則は逆二乗則ですが、これが、太陽周辺では、整数2より少しずれるという形で、修正すれば、近日点移動が得らるのではないでしょうか。そうすれば、空間は依然としてユークリッド的であって、物理法則の手直しで対応できると思いますが、どうでしょうか」

この二つの質問は関連しています。要するに、幾何学は平坦なユークリッド空間としたままで、物理学を手直しして、水星の近日点の移動と太陽の周辺の光線の彎曲という事態を説明することは出来るかーという問題です。

こたえは、ブログの覚書でも書きましたが、空虚な論理的可能性はあっても、事実上は不可能であったという見方を私はとっています。

水星の近日点移動のほうから説明致します。
この現象は、1859年にフランスの天文学者ルベリエによって論じられました。天体観測の結果、彼は水星の近日点が、1世紀あたり574秒回転する歳差運動を見出しました。この現象を説明する場合、金星からの摂動(277秒)、木星からの摂動(153秒)、地球からの摂動(90秒)火星とその他の惑星からの摂動(10秒)を考慮しても、残りの43秒分の近日点の移動効果が説明できなかった。(ルベリエの当時の数値は38秒)

したがって、ニュートン物理学の範囲でこれを説明しようとすれば、次の二つの救済策が可能で、歴史的にも実際にそういう試みが行われました。

(1)太陽と水星の間に未知の惑星の存在を想定する。
(2)ニュートンの逆二乗則の微調整。

(1)は天文学では良くとられる方法であるが(海王星の発見など)、太陽と水星の間に未知の小惑星ないし物質があるということは観測されなかった。

(2)では、逆2乗法則を、逆2.0000001574乗法則に調整すれば、水星の近日点は丁度1世紀に43秒回転することが示される。このことはアメリカの天文学者サイモン・ニューコムによって実際に提案された。しかし、(2)は、逆2乗則からのずれがなぜ起こるかについての説明を欠いていました。つまりアドホックな修正なのです。もし、この逆2乗則の修正が、太陽と水星の間だけでなく、普遍的なものであって、等しく地球と月との間でも起こるとすると、現実の月の軌道からかけ離れてしまう。

こうして、背景幾何学としてユークリッド空間をとり、万有引力の法則を手直しするというやり方では、特定の現象を救出できても、他の現象を説明できないものとしてしまうのです。

 興味深いことに、(2)の説明は、ある意味で一般相対性理論による説明への橋渡しを与えています。(過渡的な性格を持つ点で、周転円による天動説の救済とよく似ています)

ニュートンの万有引力の逆2乗法則の2という整数は、電磁気学のクーロンの法則と同じように、空間の性質と深い関係があるということです。球の表面積が半径の2乗に比例するという、ユークリッド空間の性質が反映されていると言うことに他なりません。したがって、逆2乗法則からの微少なずれは、太陽周辺の空間がユークリッド的空間のような歪みのない平坦なものではなく、物質の存在によって、彎曲しているからであるということを示唆しています。

つまり、彎曲した時空というアイデアは、近日点移動と重力による光の彎曲という二つの現象を説明する鍵となっているのです。

ニュートン物理学を部分的に手直しして、ユークリッド幾何学を背景幾何学として採用するという手続きをとった場合、近日転移動も太陽周辺の光の彎曲も、一般的な理論から導出されるのではなく、その場限りの手直しによって「現象を救う」事になります。一般相対性理論を使うと、それらの「変則性」を、「時空の歪み」という基本的なアイデアから直接に理解することが出来るーこのことが、一般相対性理論の優位を説明するといって良いでしょう。

覚書2にかんする質問

「宇宙には始まりがあるということは、絶対時間を要請することに他ならないという考えがありますが、これについてはどう思われますか」


ビックバン宇宙論などで宇宙の年齢が150億年であるというときに言われている時間は、「宇宙論的時間(cosmological time)と呼ばれており、ニュートン物理学のなかではなく、アインシュタインの一般相対性理論の中で定義される時間です。それは、ニュートンのいう「絶対時間」とは意味を異にする概念です。宇宙論的時間は、4次元の宇宙全体を、空間的な超曲面(三次元空間)によって層別化したもので、そのような層別化が可能となるかどうかは、宇宙における物質分布に依存しており、そのような時間が存在する宇宙もあれば、存在しない宇宙もあります。つまり、宇宙時間はアポステリオリな条件によって決まる偶然性をもっている点で、ニュートン物理学で言う絶対時間とは異なります。また、ニュートン物理学では、あらゆる基準系で同時刻となると言う意味での絶対的同時性が成立しますが、宇宙論的時間における同時刻は、そのような意味での絶対性をもっていません。

それでは、どのようなときに宇宙論的時間が定義されるでしょうか。それは、空間における物質分布に関して、一様性、および等方性が成り立つ場合です。このとき、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式を満たす単純な解が存在し、4次元距離dsは、

ds2=dt2-a2(t)dl2

によって定義されます。此処に出てくるパラメーターtが宇宙論的時間です。

覚書3について次の質問が寄せられました。

「相対性理論において観察者というのはどういう位置にあるのでしょうか。量子力学では、観測されるものとするものは分割できませんが、この考え方を相対性理論に統合できるのでしょうか。」

Hisamatu様の提出された問題は、重要な、しかし非常に困難な論点を含んでいますので、簡単にお答えすることはできません。

一般相対性理論を構想していた頃のアインシュタインは、観測対象の物理的特性が、観測者に依存するという量子力学の思想を退けていました。観測するものとされるものを分割して、観測されるものだけを独立に記述できるとする点において、彼は分離可能な実在を信じる実在論者でした。この立場は、量子力学と相対性理論を統合するときの妨げになり、乗り越えられるべき立場です。

他方、(非相対論的)量子力学の方は、観測者と観測対象の不可分に結びつきを強調しましたが、時間や空間の理解については、古典物理学のものを借用していました。(ボーアの相補性)つまり、時空の理解について保守的であったのです。

したがって、量子力学と相対性理論の統合は、相対性理論に対しては、分離不可能な実在と言う概念を要求し、量子力学については、量子電磁気学で、超多時間理論が採用されたように、唯一の時間パラメーターtで現象を記述するという立場を捨てることが求められます。現在の処、場の量子論というかたちで両者の部分的な統合がなされているだけで、一般相対性理論までを含む統合は成功していません。

こういう物理学プロパーの現状と平行して、私は哲学的な議論に於いても、相対論的な時空概念と、観測者と観測されるものとの一体不可分な結びつきとを普遍化したコスモロジーが求められていると考えています。

「ベルグソンによると時間は唯一でなければならず、複数の時間はあり得ない。時計によって計られる時間は、各基準系によって別々に定義されるかも知れませんが、我々が生きている時間は、必然的に一つであると思いますが、この点についてどう思いますか」

これもまた、大変に難しい問題ですね。

ベルグソンの時間は、我々によって生きられた時間であって、我々の主体がそこにおいて成立する時間であると私は理解しています。それは時計の同調という物理的操作によって定義されるアインシュタインの時間ではありません。両者共におなじ時間という言葉を使いながら、二人の論争がすれ違いにおわりました。

時間を物体の周期的運動の個数によって定義するアリストテレス流のやり方で物理学的に論じるか、想起、知覚、予期などの体験と不可分である過去・現在・未来の内的時間意識によって心理学的に論じるかで、哲学の時間論は議論の仕方が異なります。アインシュタインは前者の流れに属し、ベルグソンは後者の流れに属します。

この二つの議論を統合するためには、物心二元論を越えて、物理的時間と心理的時間が共通に根ざす時間経験そのものにまで遡る必要があるでしょう。

アインシュタインのような物理的時間が、そこから定義できる、またベルグソンの言う心理的時間もまた、そこから定義できるような、より普遍的な時間概念はあるでしょうか。私は、そういうものがあると信じており、それを探求することが哲学的時間論の課題であると思っています。
Comments (2)
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蕉風俳諧の成立 1

2005-11-25 | 美学 Aesthetics
―貞門俳諧・談林俳諧から蕉風俳諧へー

貞門俳諧の実例

紅梅千句 (承応二年(一六五三)正月興行)

紅梅やかの銀公のからころも    長頭丸(ちやうとうまろ)
  翠(みどり)の帳(ちやう)と見ゆる青柳(あをやぎ) 友仙
堤つく春の日々記かきつけて   正章
よむや川辺の道ゆきの哥    季吟

長頭丸とは貞門俳諧の師、松永貞徳の俳号。季吟は芭蕉の師。紅梅千句の出版に携わる。千句興行とは、春夏秋冬の句をそれぞれ発句にとって百韻を十巻連ねる興行で、十百韻という。通常、春と秋を発句とするもの各三巻、夏と冬を発句とするもの各二巻、追加表八句を詠んで神社に奉納する。時に、貞徳は八十二歳、貞徳の俳諧がいかなるものであるかを後世に伝えるものとされ、一門の規範書となった。
発句は、漢の武帝の后、銀公の袖の香が梅花にうつり匂ひをとどめた」故事をふむ。

附合は、紅梅→青柳→堤→川辺 日記→よむ のように、縁のあるもの、対照的なものを連ねる「もの附け」が原則。脇の「帳」は貴婦人の寝室の帳(とばり)であるが、第三の「帳」は堤の普請(堤つくの「つく」は築くの意)でつかう帳面。このように、掛詞によって意味をずらして付けることも行われる。
貞門俳諧の基本は、第一藝術である和歌や連歌をたしなむことの出来ない武士や町民を教化するための第二藝術として俳諧を位置づけたところにある。その俳諧は、連歌では使えない漢語や俗語を自由に使用したが、俳諧としての自律性、独立性に乏しいものであった。この紅梅千句にあらわれている句風は、談林派の俳諧師達から批判された。たとえば、岡西惟中は「俳諧蒙求(もうぎゆう)」のなかで

「これらの句みな連歌の正真なり。又古事・物語も、かかる仕立ては全くありごとにて俳とも諧とも見えず」

といって、俳諧は滑稽を旨とすべきで、その附合は、「無心」つまり、意味のない「そらごと」であるほうが理屈抜きで面白いというのである。
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蕉風俳諧の成立 2

2005-11-24 | 美学 Aesthetics
談林俳諧に呼応して

延宝三年(一六七五) 西山宗因江戸にて十百韻(千句)興行 開巻の表八句

さればここに檀林の木あり梅の花  宗因
  世俗眠をさますうぐひす    雪柴
朝霞たばこのけむり横折れて    在色
  駕籠かきすぐるあとの山風   一鉄

談林俳諧は、大阪の新興の町民たちに受け入れられた。貴族や武士ではない新しい階級の文藝としてである。その宗匠、西山宗因は、この千句興行のときはすでに七十一歳であったが、当時の江戸の俳壇を圧倒する気力の充実振りを示した。
宗因の付け方は、心附とよばれ、率直で自由闊達な詠みぶりが当時三十三歳の芭蕉に大きな影響を与えた。 翌年芭蕉は、山口信章(素堂)との両吟で次のような二百韻(百韻二巻)を詠んでいる。

梅の風俳諧國に盛んなり     信章
  こちとらづれもこの時の春  芭蕉
紗綾(さや)りんず霞の衣の袖はへて    同
  倹約しらぬ心のどけき     章
してここに中頃公方おはします   同
  かた地の雲のはげて淋しき   蕉
海見えて筆の雫に月すこし     同
  趣向うかべる船の朝霧     章

「梅の風」とは梅翁こと西山宗因の談林風をさし、宗因の十百韻に和したもの。
第三の芭蕉の句は、大阪町民の華美な出で立ちを詠んだものであるが、次の四句では、それを風刺している面白い。公方とは足利義政あたりを指す。芭蕉の「かた地の雲のはげて淋しき」は、漆器の堅地の雲のはげかかった茶器を詠んで、茶道の「さび」の精神をもって承けたもので、後年の芭蕉の附(心付け、匂い附け)を思わせる。
芭蕉はのちに「上に宗因なくんば、我々が俳諧今以て貞徳が涎をねぶるべし。宗因はこの道の中興開山なり」と言ったが、同時に談林の華美な詠みぶりを批判する視点も持ち合わせていたと言うべきであろう。
大阪の新興の町民文化を背景とする談林俳諧は、奔放かつ無軌道な詠み方が、やがて質よりも量を重視する「早口俳諧」、井原西鶴の「矢数俳諧」にいたり浮世草子の世界へと吸収されていく。
「近年俳道の盛んなるに任て、千句万句など名付け、早口の俳諧を好むこと、誠に何の味もなき事なり。句は沈思して一句にても心をとめてし出すこそ面白けれ」(岡西惟中)
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蕉風俳諧の成立 3

2005-11-23 | 美学 Aesthetics
脱談林の動き 漢詩文調の採用による新風を起こす

天和元年(一六八一)「七五〇韻」(百韻七巻、五〇韻一巻)の刊行によって、京都のアマチュアの俳人(遊俳)である、信徳、春澄らから革新の運動の呼びかけが江戸に送られる。これに芭蕉は、同志の才丸、弟子の其角、揚水とともに二五〇韻をつけて、「俳諧次韻」を興行、七五〇韻と併せて千句とした。

鷺の足雉(キジ)脛(はぎ)長く継添えて  桃青
  這句以荘子可見矣       其角
禅骨の力たはゝに成までに     才丸
  しばらく松の風にをかしき      揚水


天和二年(一六八二)「武蔵曲(むさしぶり)」天和三年「虚栗(みなしぐり)」の刊行。
其角(当時二三才)による虚栗序文「此道今人捨如土 凩よ世に拾はれぬ虚栗」

虚栗調の歌仙の例

酒債尋常往処有
人生七十古来稀

詩あきんど年を貪る酒債(さかて)哉 其角
冬湖日暮て駕馬(ノスル ニ)鯉      芭蕉
干(ほこ)鈍き夷(えびす)に関をゆるすらん     同
三線(さみせん)・人の鬼を泣しむ     其角

「宗因用ひられて貞徳すたり、先師の次韻起て信徳が七百韻おとろふ。先師の変風におけるも、虚栗生じて次韻かれ、冬の日出て虚栗落つ」(許六「青根が峯」)
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蕉風俳諧の成立 4

2005-11-22 | 美学 Aesthetics
芭蕉俳諧七部集 冬の日 より
 
「こがらし」の卷

笠は長途の雨にほころび、帋(かみ)衣(こ)はとまりとまりのあらしにもめたり。侘つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂哥の才士、此國にたどりし事を、不圖おもひ出て申侍る。

狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉  芭蕉
たそやとばしるかさの山茶花(さんざか)  野水
有明の主水(もんど)に酒屋つくらせて  荷兮
かしらの露をふるふあかむま  重五

 発句 冬―人倫(竹齋・身)―旅<
「狂句こがらしの身」は、風狂の人芭蕉の自画像であろう。「狂」は「ものぐるひ」であるが、世阿弥によれば、それは「第一の面白尽くの藝能」であり、「狂ふ所を花にあてて、心をいれて狂へば、感も面白き見所もさだめてあるべし」とされる。「こがらし」は、「身を焦がす」の含意があるので、和歌の世界では「消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露(定家・新古今集)」のような「恋歌」がある。芭蕉はそれを「狂句」に「身を焦がす」という意味の俳諧に転じている。さらに「木枯らし」で冬の季語となるが、同時に、「無用にも思ひしものを薮医者(くすし)花咲く木々を枯らす竹齋」という仮名草紙「竹齋」の狂歌をふまえつつ、名古屋の連衆への挨拶とした。
 脇 冬―人倫(誰)―植物(うゑもの)―旅
「とばしる」は元来、水が「迸(ほとばし)る」の意味で、威勢の良い言葉。芭蕉を迎え新しい俳諧の實驗を行おうとしていた名古屋の若い連衆の心意気を感じる。「旅笠」に山茶花の吹き散る様を客人の芭蕉の「風流」な姿に擬して詠み、「風狂」の人である芭蕉に花を添えたと見たい。
 第三 秋―月(光物)―夜分―居所
第三は、冬から秋へと転じ、有明の月を詠んだ。前句の「とばしる」は水に縁があることばであり、「たそや(誰か)」という問に「主水(元々は宮中の水を司る役人、のちに人名として使われる)」で応じた。俳諧式目では、人倫の句は普通は二句までであるが、役職名は人倫から除外される。なお、この歌仙の詠まれた貞享元年は新しい暦が採用された年であるが、その暦を作った安井算哲の天文書によると、「主水星」とは水星のことである。秋、新酒をつくるために、有明の月の残る黎明、主水星のみえるころに、酒の仕込みをはじめる圖。客人である芭蕉に、まず「一献」というニュアンスもあるかも知れない。
 表四 秋―降物(露)―動物(うごきもの 赤馬)
和歌の世界では、月と露の取り合わせはあるが、そこでは「秋の露や袂にいたく結ぶらむ長き夜飽かず宿る月かな(後鳥羽院)」のように「涙の露」という意味になることが多い。ここでは、そういうしめやかな情念ではなく、おそらく、荷駄に新酒を積んだ赤馬を出したのであろう。露は、おそらく「甘露」の意味をこめて、新酒の香にむせている圖としたほうが俳諧的である。
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蕉風俳諧の成立 5

2005-11-21 | 美学 Aesthetics
晩年の芭蕉の俳風 あらびと軽み

「俳諧あらび可申候事は・・・、ただ心も言葉もねばりなく、さらりとあらび仕候事に御座候。」(元禄七年五月十三日、浪化宛去来書簡)

晩年の芭蕉の境涯を示すものとして良く言及される「かるみ」と「あらび」とは如何なる関係にあるか。また、「あらび」と「かるみ」とは何処が違うのか、とくに「あらび」という言葉を芭蕉や去来が如何なる意味で使ったかを正しく捉えるのは難しい。この言葉は古くからあるが、その元来の意味は要するに「荒らび(洗練されていない、粗野である)」ことだろう。元来は悪い意味で使われた言葉ではないか、と思う。「荒びたる句」とは、風雅の精神とは矛盾する句、素人のような句という意味があったにちがいない。それを敢えてプラスの意味に転じて使うところが、俳諧の俳諧たるところではある。
蕉風俳諧が俳諧の初心である世俗にたちかえり、俗語のエネルギーを吸収しつつ、「世俗の直中における風雅」を目指そうとした、そのへんに「あらび」が、蕉風俳諧のキーワードとなる事情が潜んでいる。
一見すると俗っぽい、荒々しい表現の中に、高雅な表現でも及びも付かないような詩情が表現されることがある。

浪化、去来、芭蕉の三吟歌仙を例にとると

    につと朝日に迎ふよこ雲   芭蕉

は俗語の「につと」を冒頭に置く、文字通り「荒っぽい」句だと思う。あえていえば素人臭い措辞。この時期の芭蕉は、どちらかといえば、凝った句作り、格調たかく見える句(しかし、その實は陳腐な句)を避けることをモットーとしていたと思う。

能楽論では、一度名人の位に達したものが、その位置に満足せずに、あえて俗な表現、掟破りの芸風を示すことを「闌位(たけたる位)」という。一度高雅な表現を身につけたものが、それに満足せずに、自己を否定して、もういちど世俗の世界に帰っていくという意味が込められる。

「去来抄」の先師評では、上の三吟歌仙の付句が引かれている。去来は、最初は

   につと朝日に迎ふよこ雲   芭蕉
 すつぺりと花見の客をしまいけり 去来

と付けたが、これでは、俗語が重なって煩わしい。つまり、「につと」に「すつぺりと」と続いて品のない句になってしまった。世俗に世俗を続けることは芭蕉の望むつけではないと直観した去来は、

   につと朝日に迎ふよこ雲   芭蕉
 陰高き松より花の咲こぼれ    去来

とした。これは一転して連歌風の格調の高いつけにみえる。俗な前句に高雅な景をつけ、しかも、定家の

   春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるるよこぐものそら

の面影付になっている。こういう付句は、たとえば「冬の日」の時代の蕉風俳諧を思わせるものである。しかし、晩年の芭蕉は、こういうつけかたにマンネリズムを感じていたのではないか。「陰高き」という連歌的な凝った表現を嫌って、素人にも分かりやすい俗語を選び、去来の句をひと直しして

    につと朝日に迎ふよこ雲   芭蕉
  青みたる松より花の咲こぼれ   去来

これが、この時期の芭蕉の目指した付け方なのである。


     此秋は何で年よる雲に鳥   (病床吟)

宮坂静生氏によると、この句こそが「あらび」の生涯句であるという。たしかに「此秋は何で年よる」という口語的な表現と「雲に鳥」とのあいだの「切れ」のすさまじさは、鬼気迫るものを感じる。 俗語を詩語に転じるとか、おもくれを嫌い、平明な表現を尊ぶという点では「かるみ」と共通しているが、「あらび」には「かるみ」にはないもの、あえていえば鬼神をもおどろかす詩情の冴えがあるようだ。

「荒び」「荒きこと」が、元来、負の評価を表す言葉であることは、北村季吟の次の用例を見ると判る。

「(古今集の俳諧歌について)この俳諧歌はざれ歌といふ。利口したるやうの事なり。又、俳諧といふ事、世間には荒れたるやうなる詞をいふと思へり。この集の心さらにしからず。ただ思ひよらぬ風情をよめるを俳諧といふなりと申されし。されど、荒き事をもまじへたるなり」(埋木)

この「あらび」を正の評価語として使用した例が、去来の浪化宛書簡の次の箇所である。
「俳諧は『さるミの』『ひさご』の風、御考被成候而可被遊候(おかんがへなされてあそばさるべくさうらふ)。其内、『さるミの』三吟ハ、ちとしづミたる俳諧ニて、悪敷いたし候へば、古ビつき可申候まま、さらさらとあらびニてをかしく可被遊候(あそばさるべくさうらふ)。俳諧あらび可申候事(まうすべくさうらふこと)ハ、言葉あらく、道具下品の物取出し申候事ニてハ無御座(ござなく)、ただ心も言葉もねばりなく、さらりとあらびて仕候事ニ御座候。尤(もつとも)、あらき言葉、下品の器も用ヒこなし候が、作者の得分ニて御ざ候。嫌申にては無御ざ候(ござなくさうらふ)。」<
去来は『さるみの』と『ひさご』の俳風を学ぶようすすめているが、自分も加わった三吟歌仙を「沈んだ俳諧で出来が悪く古びている」と否定的な評価を述べ、「ひさご」は「はなやかな俳諧」であると評している。「さらさらとあらび」て面白い句作りをすべきだと言う去来のことばが、「さるみの」と「ひさご」を対比して、前者を「しずんだ」悪しき古びた俳諧として、後者を「はなやかな」俳諧として評価する文脈で書かれていることに注意すべきであろう。

ここで言及されている猿蓑の三吟とは、凡兆・芭蕉・去来の歌仙である。

     市中は物のひほひや夏の月    凡兆
       あつしあつしと門かどの聲  芭蕉
     二番草取りも果たさず穂に出て  去来

とつづく優れた歌仙であって俳諧の新古今集といわれた猿蓑に相応しい歌仙である。去来は、じみで古びていると否定的な表現を用いているが、それは裏を返せば、猿蓑には「さび」の美があるということでもある。事実、其角はこの歌仙の芭蕉の恋の付句を評して

 「この句の鈷(サビ)やう作の外をはなれて日々の変にかけ、時の間の人情にうつりて、しかも翁の衰病につかれし境界にかなへる所、誠にをろそかならず」(雑談集)

と言っている。冬の発句、それも時雨を季題とするものを巻頭に置く猿蓑は、その序を書いた其角にとっては「さび」の美を表現した句集である。そして、其角は、去来が「軽み」の俳風とよび、また「はなやかな」俳諧と呼んだ「ひさご」は評価しなかった。

これは、其角と去来の芭蕉没後の俳諧の道のあり方と関連するであろう。

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環境と生命 1

2005-11-20 |  宗教 Religion
1987年にアメリカのバークりーで開催された、「仏教徒とキリスト教徒との対話」を主題とする国際会議の主題は、「地球の癒し(Global healing)」であった。 この国際会議において、米国のプロセス神学者の J.Cobb は、現代において仏教とキリスト教が共通に取り組まねばならない緊急の課題として地球の生態学的危機があることを指摘して、次のように述べた。
宗教的な観点から死について語る場合、従来は、ほとんど個人的な次元にとどまっていて、私という個人の死、あるいは、死後の世界はどのようなものであるかという観点から、この問題が扱われた。今日では、我々は、地球全体に死が広がりつつあるという状況に直面している。このことは、もはや、様々な宗教的伝統に属する人間にとって、避けられない問題となっている。
地球全体に「死」が拡がりつつあるということは、あくまでも人間的な比喩、もしくは、神話的象徴によって語られていることであって、科学的事実の客観的な記述ではない言う意見があるかもしれない。普通に我々が理解している自然科学には「病」とか、「死」という語は登場しない。もし、自然科学の最も基底的な言語に、生死(生成と消滅)、価値、目的というような範疇が存在しないならば、自然科学的な事実を根拠として、「病める」地球の「癒し」について語ることはできないであろう。健康であったり、病気であったりするのは、あくまでも人間についていえるのであって、他の生物種や無生物について言うのは無理であるとも思われよう。

しかしながら、「健康」や「病」を人間にのみあてはまる特殊な述語と考えたり、自然そのものを人間の外部に対象化された単なる物質の運動に還元するような自然観そのものが、現在の生態学的危機と密接に結びついているとしたらどうであろうか。

宗教が人間の個人的な内面的生の問題のみに関わり、科学が自然を外部から操作可能な物質の機械論的システムに還元するとき、自然と人間の関わりを問う「環境問題」を、「科学的にかつ宗教的に」語るという道はほとんど閉ざされていたと言ってよい。

筆者が以下でとりあげるのは、地球の生態学的危機を「科学的かつ宗教的に」考察するという課題である。単に科学の立場から、あるいは、単に宗教の立場から、考察するというのではなく、科学と宗教とが、そこにおいては不可分であるような場所で、地球に迫りくる「死」の問題を考察しようというのである。それは、多くの人々が単なる科学の問題として、あるいはヒューマニズムの立場から論じてきた環境問題を宗教的視点から検討を加えることにほかならない。

キリスト教の神学の用語で言い換えるならば、この問題は、現代の自然神学の緊急の課題の一つであり、仏教の立場から言えば、地球の生態学的危機の問題を、原始仏教の古き智恵―四聖諦-による「苦」の克服という視点から考察することに他ならない。

  地球の生態学的危機ecological crisisという問題を、「科学的にかつ宗教的に」考察するためには、少なくとも次の四つの項目が必要である。

(1)近代文明の疾患に他ならぬ地球の生態学的危機の事実を正しく認識する事
(2)近代文明の疾患の真の原因が何であるかを根底から自覚する事
(3)生態学的危機を生まぬ文明の理念を改めて正しく定義する事
(4)生態学的危機を克服するための実践の具体的指針を与える事

この四項目は、原始仏教の教義の一つであった四聖諦-「苦集滅道」の四つの聖なる真理-に学んで、その見地から現代の環境問題を見直したものである。

四聖諦の原点は、自己を含む世界の全体が苦しみの中にあることをあるがままに正しく認識すること(dukkha=苦諦)である。苦を克服することは、苦の現実を正しく認識することなくしてはあり得ない。苦諦とは悲観主義的なイデオロギーを意味するのではない。それは、我々自身に深く関わりを持った事柄であると同時に、経験に基づきそこから帰納された客観的事実でもあり、この事実を率直に認め、そこからものを考えていくことが、「苦からの癒し」を実現するためには必要不可欠であることを意味しているのである。

 さて、原始仏教の救済論の第二項目は、苦の原因を認識すること(samudaya=集諦)にあった。我々が、その中で呻吟している苦しみの原因は一つではなく、多くの原因が集積して生じたものである。この原因を認識せずに、人間が神々に安直に寄り頼み、外部からの奇跡的救済を願望することによって、癒されると言うことは、本来はあり得ない。原始仏教においては、人間が自己自身の外部にたてた神々にたいする信仰は究極的には、人間を救済するものではないから、神々もまたその支配下にある因果の理法を認識することが第一義的な重要性を持つのである。

しかし、言うまでもなく、ここで求められている仏教的な智は、対象認識に限定された科学的な理性ではない。近代人にとっては、理性とは人間の心の機能の一つであるに過ぎず、人間の感情や意志とは独立であり、それらの「非合理的な」機能とは区別されている。対象を分析し支配する分析的理性は、自己と他者を差別する差別知であると同時に、外部から提示された目的を実現する手段にもっぱらかかわる手段知に、自らを限定している。

 これに対して、「智体悲用」という言葉に要約される仏教的な智は、情意的活動のすべてを包摂しそれらを統一する目的知であると同時に、依存的な生起(pratitya samutpada=縁起)の関係にもとづく自我の非実体的性格を正しく認識する無差別知という基本的な性格を持っている。科学的な理性は、手段知としていかに優れていても、仏教的な智の基準からすれば、目的価値の選択に対しても、また自己と他者の依存関係に対しても、甚だしき無智と共存しうるのである。

嘗ては、西欧においても、ソクラテスとプラトンに根ざす伝統の中では、哲学的な理性は、人間の生にたいし単なる手段知以上のものを意味していた。「善を善として認識して、それを行わないことは不可能である」とは、ソクラテスの言葉であるが、その様な「善」の認識は、人間の理性を世俗の次元でのみ捉え、無統制な欲求に奉仕する道具と見る立場からは閉ざされてしまっている。

英国の緑の党のスポークスマンであるサラ・パーキンは、地球の生態学的危機の事実が認識されても人々がそれに応じて適切な対策を講じることができないでいる現状に警告を発して次のように述べている。
我々の、鈍感さ、沈黙、そして、怒りの欠如は、我々が、自己自身の絶滅をつぶさに見届ける唯一の生物種になるかもしれないことを意味している。そのときに小さな墓碑銘が刻まれるだろう。「人類は絶滅の日が近づいているのを知っていた。しかし、それを防ぐだけの知恵を持ち合わせていなかった」と。
 ここで、我々が考えるべきことは、絶滅の日が近づいてくるのを「知って」いながら、それに対して、適切に対処することができないと言う人間の問題である。ここで、無明(avidya)の長き夜に沈んでいるのは人類の全体である。一人一人の人間のではなくて、いわば人類全体の無明ということが問題となっているのである。

この無明が高度に発達した科学技術社会における極度に専門化した知と隣り合わせになっていることが、我々の時代の特徴である。地球の生態学的危機の事実を正しく認識し、その原因がほかでもなく、我々自身にあること、我々自身の無明にあることを自覚することが、この危機を克服するための第一歩である。ここで、「自覚」というもともと仏教に由来する用語を使ったが、その理由は、生態学的危機の問題は、我々自身のことを棚上げして、客観的に操作可能な対象世界の問題として、政治的ないし技術的な手段のみによって解決できるような問題ではないからである。 
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環境と生命 2

2005-11-19 |  宗教 Religion
 地球の生態学的危機については、近年その危険性がようやく自覚され、環境と開発に関する国際会議が随所で開催され、様々な行動計画(agenda)や国際協定が結ばれてはいる。 しかしながら、これらの行動計画を実行する上で、大きな妨げとなっているのが、「近代化」と「開発」を無条件で善と見なす国家のエゴイズムである。熱心に環境保全を唱えているのが主として先進諸国の非政府組織であり、この運動が現在国境の壁を越えて全地球規模で広がりつつあるとはいえ、国際政治を動かしているものは、依然として国家のエゴイズムである。そのかぎりではすでに近代化を達成し豊かな消費生活を享受している先進諸国と、国民総生産の増加によって先進諸国と同じ生活水準を達成することを国是とする開発途上国との間には、同じ環境保護の問題について協議するとしても、利害の対立を避けることはできない。環境問題の解決は、世界に於ける資源利用の不平等と所得格差をいかに是正するかという南北問題と切り離して考えることはできないのである。ここで、限られた地球上の資源をいかに再利用可能なかたちで維持し、如何にして「永続的な開発(sustainable development)」を可能にする経済体制を整備するかという地球経済学ないし家政学(earth economics)の問題を考察してみよう。

 地球上で利用可能な物質的資源とエネルギーの総量が一定であることが自覚されると、配分の公正さ(justice)の問題が倫理的かつ政治的課題として浮上してくるのは当然であろう。ここで、先進諸国の国民が享受しているような資源の浪費を前提とする生活様式は、はたして、地球が支えきれるような種類のものであるかと問うことは重要である。

 環境保護の運動は、国境を越えた拡がりを持つと言ったが、それは、国家の自己中心主義を克服する運動が、各地域で草の根的に出現してきたことを意味している。近代は何にもましてナショナリズムの時代であるが、環境問題は、我々に国家の壁を越えることをまず要求するのである。それはまた、少数の専門家の立案した経済政策にたよることによっても解決しないであろう。

 エコロジー的な経済学とは、いわば、我々の地球を一つの家(オイコス)として、その家の法(ノモス)と秩序を考察することであるから、国民経済学(national economics)の枠組みを越えることが要求されるのである。それは、すべての人間の問題であり、それぞれの人間が生活している具体的な場所、個々の家庭と地域の共同体の問題である。

 「地球規模で考え、身近なところから行動する(Think globally, and act locally)

とはエコロジー運動のスローガンである。現代は、家庭の日常生活の中で消費されたフロンガスが大気中のオゾン層を破壊し、将来生まれてくる世代に対して、取り返しのつかぬ危害を知らずに加えてきた時代であり、身近な一つ一つの行為が連係して、思いも寄らぬ結果を生む時代である。先進諸国の国民が当然視してきた行為が、実は、開発途上国の資源の乱獲によって地球の生態系に被害を与えているという事例はきわめて多いのである。  

我々は、「地球が病んでいるときは、そこにすむ我々自身もまた病んでいる」という言葉をつけ加えねばならぬだろう。

近年、ヨーロッパや米国の環境運動家の間で、「深いエコロジー(deep ecology)」という言葉がよく使われるようになった。それは、ヨーロッパの近代文明を支えてきたコスモロジーと人間中心主義的な価値観に対して根本的な反省を求める運動となっている。「深い」という言葉は、当然従来の環境保護運動の基本的な考え方を浅薄なものと見る価値判断を表している。それは、地球の生態学的危機の問題を根本的に人間自身の生き方の転回させ、従来とは違った生活様式(alternative life style)を広めることを意図している。それは、まず、環境倫理ないしエコロジーの倫理学(ecoethics)の問題として登場した。

 エコロジーの倫理学という考え方は、西欧の文明の伝統の中では、比較的に新しいものである。例えば、米国の環境運動の思想的原点とも言うべきA.レオポルドの「土地倫理(land ethics)」が構想されたのは1940年代の後半である。この倫理の出発点は、「大地の有機体としての複雑さ」であり、「山の身になって考える(thinking like a mountain)」ことであった。レオポルドの著作を読むと、彼が次第に人間中心的な功利主義のものの見方から、次第に生命中心的な平等主義の立場に移行していったことがよくわかる。 従来の環境保護の運動は、自然資源を賢明にかつ効率的に利用することをめざし、人間の長期的な利用のために、自然を制御し、人間の物質的利益に役立てることを意図していた。これに対して、レオポルドが提示し、後に急進的な環境保護運動の指導理念となったのは、人間以外の自然物もまた、生命を持つ有機体にほかならぬ大地の一部であって、それぞれが生きるための固有の権利を持つという考え方である。生態学的平等主義(ecological egalitarianism)ともいうべきこの新しい倫理思想は、後にノルウエーの環境哲学者の A.ネス によって、「あらゆる生命の諸形態は、その潜在的可能性を開花させる権利を平等に持つこと(the equal right to live and blossam)を原理として認める」立場として定式化された。 

これは、単なるロマン主義的な自然観と見るべきではない。 レオポルドは野生動物の保護を法的に確立するという文脈でこの考え方を提示しており、人間と自然の関係を倫理と法の問題として捉え直すことを意味しているのである。キリスト教の伝統に属するこれらの環境学者の考えの背後には、人類が新たに自然との間に契約を結ぶべきだと言う考え方がある。フランスの環境哲学者の M.セールの提言によれば、生態学的な平等主義は、「人間が従来の自然を排除する社会契約を破棄し、共生と相互性を旨とする自然契約(le contrat naturel)を結ぶ」ことを要請するのである。それは、人間だけが、個人又は集団で権利主体になりうると前提している法的権利の概念の見直しを要求し、従来の倫理学には欠如していた新しい問題を提起している。

  地球の生態学的危機の問題は、空間的には、人間がそこにおいて生きている地球を生きた有機体として捉え、そこで共に生きている様々な生命の諸形態に対して、その潜在的可能性を開花させる権利を認める考え方を呼び起こした。これに対して、時間的な問題、即ち、我々が過去の世代、および未来の世代と「共にある」ことを強調するのが、ドイツの哲学者ハンス・ヨーナスによって示された世代間倫理である。 産業廃棄物や、核廃棄物による環境汚染が影響するのは、今生きている世代である以上に、将来の世代である。それ故に、世代間倫理は、現代の世代の為す決断/選択は、過去の世代の価値ある遺産を継承し保護すると共に、未来の世代の創造的生活と多様な価値の選択の可能性を保証し維持する責任を負うべきことを強調するのである。

環境倫理にせよ、世代間倫理にせよ、そこでは、人間と自然との間の連帯性、現在の世代と過去および未来の世代のすべての生命ある存在のあいだの連帯性が問題となっている。それは、環境問題を専門家の解決すべき技術的問題と考えずに、我々自身の生き方の問題として捉え、同時に、人間の宇宙に於ける位置について、近代のヒューマニズムとは違った考え方をするのが特色である。

 深い意味でのエコロジーは、近代人の自然観や価値観の前提そのものを問う哲学的批判であると同時に、ポスト近代科学による自然認識の深化にふさわしい宇宙論を構築する積極的な試みでもある。それは自然環境と技術環境と人間の実践活動の三領域の調和と均衡に関する智である。 
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「小さき声」復刻-第14号について

2005-11-18 |  文学 Literature
「小さき声」第14号を復刻した。

14号には、病苦を紛らわすために麻薬におぼれ、モルヒネ中毒になった療友のTさんのことが書かれている。在日として故郷を持たず流浪する彼の苦しみ、その悲喜劇的な自殺騒動の顛末が、ドストエフスキーの「死の家の記録」を思わせる筆致で、松本さんによって冷静に記録されている。彼はこのような自殺騒ぎを何度も繰り返しては、医師からモルヒネを注射して貰い、しばらくの間眠りこけ、禁断症状になると同じ事を繰り返す。そこには救いはなく、ただ麻薬による身心の荒廃だけが進行する。

松本さんは、Tさんがどうなったのか、ここでは詳しくは書いていない。ただ、Tさんのための祈り、そしてTさん自身の祈りの言葉を記しているだけである。

モルヒネがきれたときのTさんに、「神さまの話をしてくれ」と言われ、松本さんは「イエスが十字架にかかるとき、痛みを和らげるための葡萄酒を飲まなかった」という話をする。Tさんは初めて聞く話に嗚咽した・・・・。松本さんはただ、彼のために祈り、彼も又最後に一言、「神さま、私のためにお祈り下さい」と祈ったという。

病苦をまぎらわすためにモルヒネに走った患者は、とくに戦前の療養所に多かったという。麻薬と賭博が、未来を奪われた患者にのこされた現実逃避の罠であったが、その罠に陥ったものの悲惨さを書き記すとき、松本さんは他人ごとではなく、自分も、ある意味で、同じ苦しみの中にあったことを書き加えている。負の螺旋のような苦しみから解放される祈りの言葉こそ松本さんの「小さき声」の証するものなのだろう。 その祈りは、我々の内から出る言葉ではなく、聖書との出会いによって、キリストから与えられるものなのである。

松本さんは、どういう聖書を暗誦されていたのか、以前、「朽腐(くさり)」という言葉を使っていたことから、ヨブ記を文語訳で暗記されていたことが判ったが、この当時(1963年)は、文語訳聖書のほかに1954年に口語に改訳された聖書の二つをともに暗記して居られたことが判る。

聖書の祝福の言葉は、文語訳では「幸いなるかな」と文頭に来るが、口語訳では、「・・・はさいわいである」と文末に来る。文語訳の方が、簡潔で覚えやすいが、松本さんは口語訳の方も記憶されていて、それぞれの訳文に独自の意味を見出している。

文頭に来る場合は、イエスの祝福を受けて、現在に於いてすでに幸福であるということをあらわし、文末に来る場合には、将来において(イエスが再び来られるとき)必ず幸福を受けるということを表すというのが、松本さんの解釈であった。

原文のギリシャ語では、「マカリオイ」(幸いなるかな)が文頭に来る。だから、キリストの祝福は、元来は「幸いなるかな」と、現在形で語られている。すでに現在に於いて幸福であると言うこと、それはキリスト教の救済が、けっして未来(まだ来ない不確定の時)におかれているのではなく、現在のうちにすでに確実に存在する将来(まさに来たらんとすること)にあることを示している。救いを単なる未来におくような思想は、人を救う力を欠くであろう。救済は「現在」においてあるものでなければならない。しかし、キリスト教の問題とする「現在」は、単なる「今」という瞬間だけで充足しているのではなく、受難の苦しみ、その苦しみが十字架によって贖われたという原事実(過去)を踏まえ、信仰と希望という「将来への開け」、ないし「将来への超越」を持っているのである。
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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書

2005-11-16 | 哲学 Philosophy
相対性理論の意味するもの

提題者:田中 裕

Ⅰ科学哲学的考察-古きパラダイムの揚棄とcrucial experimentについて-


 相対性の原理と理論

アインシュタインの特殊相対性理論の誕生を告げる1905年の論文の前半部分は「相対性の原理」と「光速度不変の原理」から、ローレンツ変換を導出するという構成になっている。この二つの原理の関係を考えてみよう。ここで相対性の「原理」と相対性の「理論」を区別しておくことが必要である。

相対性の「原理」とは、一般相対論にまで普遍化された形において述べるならば、「最も普遍的で包括的な物理法則は基準座標系の選択に依存しない形で表現されるべきである」という理念の表明であって、それ自身は実験的な検証の対象になるような命題ではない。それは、特殊な基準系でのみ成り立つ「法則」をもって満足しないように、たえずその制約を越えるように物理法則を書き換えるべきことを我々に要請する形式的原理であって、この「原理」に経験的に検証可能な実質的内容が与えられることによって、初めて相対性の「理論」となる。

特殊相対性理論の場合は「光速度不変の原理」が、一般相対性理論の場合は「等価原理」が、この相対性の原理に実質的な経験内容を盛り込んでいる。真空中の光速度が互いに等速直線運動するあらゆる慣性基準系で常に同一であるということは、光速度 C が普遍的な物理法則の表現にとって本質的な意味をもつということであるが、この事実は実験観測によって検証すべきことであって、ア・プリオリな論拠から導出すべきことではない。

1905年の時点でのアインシュタインの論文では言及されはしなかったが、マイケルソンとモレーの実験結果がもし肯定的なものであれば、光速度不変の原理は支持できなかったであろう。しかしながら、この実験は、地球上での光の速度の測定値は、地球の運動の影響を受けず、あらゆる方向で常に同一であるという事実を確認することによって、後に特殊相対性理論の実験的検証という意味をもつようになったことは、科学史のうえで周知の事柄である。またニュートン物理学では、重力は「真の」力であり、物質に起因する遠隔的な相互作用であった。これに対して、遠心力のような慣性力は、絶対空間以外の基準系でのみ現われ、重力のような「作用・反作用の法則」には従わない「見かけ」の力であった。アインシタインの一般相対性理論では、重力と慣性力とはともに「時空の歪み」として本性上同一であるという「等価原理」が採用されたが、この原理もまた重力赤方変移(重力場に逆らって電波する光のスペクトルが赤の方向にずれる)の観測によって実験的に検証されるべき事柄なのである。

カール・ポパーは、「重力赤方変移が実測されなければ、一般相対性理論は支持できないであろう」と述べたアインシュタインの発言に、「マルクス、フロイト、アードラーの独断的態度とは全く異なった、そして彼らの追従者の独断的態度とはさらに一層異なった」批判的な理性の典型を見いだしたが、彼の言う如く、実質的な内容をもつ「反証可能」な実験的帰結を明示することによって、アインシュタインは彼の相対性の理論に科学にとって必要不可欠な具体性を与えたと言ってよかろう。

基準系の選択に依存しない普遍的な真理を目指す「相対性の原理」は、同時に科学理論を積極的に経験的反証の場に曝すことを要求する立場でもある。無限に開かれた地平をもつ科学的探求にとって、反証可能な原理をもつことは、理論が空虚な説明図式に退行しないために必要不可欠である。

アインシュタインの相対性理論は、ニュートン物理学の信奉者に対して、たんにそれに代わるべき新しいパラダイムを提示することによって自足するような理論ではなかった。それは古典物理学を特殊な事例としてそのなかに含む包括的な理論であることを志向すると共に、ある決定実験を提示し、その実験の試練に耐えることによって、ニュートン物理学を破棄すると同時に形を変えて保存するより高次の理論であることを経験的に証明したのである。

2 非ユークリッド的世界の実在性
 
一般相対性理論は、「太陽の周辺では空間が湾曲すること」、すなわち強い重力場のある空間は非ユークリッド的であることを理論的に主張している。この理論とニュートン物理学との間の決定実験の一つが、有名な皆既日食の時の恒星の視位置のずれを測定する天体観測であった。ニュートン物理学ではユークリッド空間がア・プリオリに前提されており、直線や平面のなんたるかは物理学に先立って固有の意味をもっており、空間的な距離は「絶対」空間に固有の計量によって物質とは独立に定められていた。それゆえにニュートン物理学においては、光の経路や運動物体の軌跡が「湾曲」することは意味をなすが、「空間が湾曲する」ということは無意味であったというべきであろう。

時間と空間を事象や物体の相互関係の表現として捉える相対性理論においては、ユークリッド空間はそれらの相互関係の可能な表現の一つという以上の意味はもちえない。我々の世界がユークリッド的であるかそうでないかは、経験によって決定されるべきア・ポステリオリな事柄となる。言い換えれば、相対性理論では、従来ア・プリオリな必然性をもつと仮定されて来た幾何学の命題を実験観察によって反証可能な命題として捉え直すのである。

一般相対性理論とニュートン物理学のように、異なるパラダイムをもつ二つの理論の間で「決定実験」が遂行される可能性を否定する議論は古くからある。例えば、ポアンカレは、1902年に次のように書いている。
「天文学で直線とよぶものは単に光線の通る道をさすに違いない。だから万が一にも負の視差を発見でもしょうものなら、あるいは視差はすべてある一定の限界以上であると証明でもしょうものなら、それは次の二つの結論、すなわち我々はユークリッド幾何学を放棄し得るか、あるいは光学の法則を変更して光は厳密に言えば直線的に伝播しないと認め得るかというこの二つから選択したことになる。全ての人々がこの後の回答のほうを有利と見なすことは付け加えて言うまでもない。だからユークリッド幾何学は新しい実験を気遣うことは少しもない。」(ポアンカレ、「科学と仮説」100頁)
ポアンカレは「幾何学の原理は経験命題でも先天的総合判断でもない」とする徹底した規約主義の立場に基づいて「非ユークリッド幾何学の可能性」を擁護したが、上に引用した文章は、相対性理論以前の物理学者の偏見を共有している点で、むしろ彼の「規約主義」の限界を示すものと解釈できるだろう。それは非ユークリッド幾何学の可能性は擁護できたが、その現実性は予測できなかったからである。物理学者が、ポアンカレの予想とは異なり新しい実験事実に基づいてユークリッド幾何学を変更することを選択したこと、さらには、ある意味でユークリッド幾何学を優先的に保持しつづけることは不可能であると結論するに至った事情を次に検討してみよう。

我々は此処で、一般相対性理論の検証実験の「観測の問題」とでも言うべきものに遭遇する。古典物理学の用語で記述できる実験状況のただ中において、古典物理学の理論枠組のなかでは原理的に解決できない逆説的な観測結果を予言する点ことこそ、古典物理学を揚棄する現代物理学の二本の柱である相対性理論と量子論の「観測の問題」の根本的特徴である。もちろん、一般相対性理論は決定論的な理論であり、波束の収縮にかかわる量子論に固有の問題は存在しない。しかし、ボーアが「量子現象という新しい経験分野において観測の問題の示す特異な側面」を明らかにするために述べた次の言葉は、量子力学のみならず一般相対性理論の実験的検証においても成立するであろう。
「現象が古典物理学による説明の可能な範囲をいかにはるかに越えたものであっても、およそ確かめられた事実と言われるものの説明というものは古典的な言葉で表現されるものでなければならない。…-私の言わんとすることは要するに、我々が『実験』という語で考えている状況とは、そこで我々が何を行い、何を学ぶことになったかを他の人達に語り得るような一つの状況を指すのであって、その意味では実験上の道具立ての説明や観測結果の説明は古典物理学の用語法の適切な適用を含む意味のはっきりした言語で表現されねばならないということである。」(ボーア、「原子理論と自然記述」)

 恒星の視位置の変化から太陽光線の屈折角を計算する時に、実験家は光の経路がそこからずれる「直線」の概念を前提して、太陽の裏側からくる恒星の視位置の変動から、屈折角を計算した。このとき実験物理学者が前提した幾何学は如何なるものであろうか。
  もし実験物理学者が、「太陽の周辺で光が彎曲する」ということを確認する場合には、彼が依拠する幾何学は、依然としてニュートン物理学で彼が親しんできたユークリッド幾何学であったといわなければならないであろう。まぜまらば、一般相対性理論のなかでは、光は測地線に沿って運動するのであり、局所的にはいたるところで「直進」するからである。したがって、太陽光線の彎曲を確認したという場合、一般相対性理論の検証実験においては依然として、「古典的な言葉」によって説明が為されたと言わねばならぬであろう。を語る実験物理学者の共同体のなかで遂行されねばならなかったことを示している。
 ポイントは、非ユークリッド幾何学を現実の空間の表現として採用する一般相対性理論が、ユークリッド幾何学と古典物理学の用語でも記述できる実験状況において観測される事実、しかも、古典物理学の中では予想もされなかった観測事実を予言したという事である。この予言がニュートン物理学の内部では説明できないという意味で、ニュートン物理学の本質的限界を設定する「決定的実験」の形でなされるのでなければ、一般相対性理論はニュートン物理学を越える理論であると主張できなかったであろう。

この辺の事情を解明するために、必要最小限の数式を交えてさらに詳しくこの決定的実験の内容を検討してみよう。我々は、非ユークリッド的な世界として、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式の解の一つであるシュバルツシルド解によって記述される時空を例として採り上げる。これは静的かつ等方的な非ユークリッド的時空であり、一般相対性理論の古典的な検証はすべてこの解の応用と考えることができる。

いま中心の質量をM、万有引力定数をG、慣性系における真空中の光速度をcとするとき、a=2GM/c2 を重力半径とよぶ。この名称の由来は、もしもc=1 2G=1 となる単位系を選ぶならば、a=M となり、天体の質量を長さの数値で表現できるからである。太陽の場合、aはほぼ3㎞程度である。極座標表示で中心からの距離をrで表わし、β=a/r とおく。太陽の場合は r>7×105 kmであるから、βは極めて小さい。
シュバルツシルド時空は、半径方向に時空が収縮する非ユークリッド的時空である。基準系のとりかたに依存しない不変の時空計量 ds は、空間部分を極座標で表示して、
ds2 = (1-β)dt2 - (1-β)-1dr2 - r2(dθ2+sin2θdφ2)
となる。β=0と見なしうる領域では、ミンコフスキー時空(ユークリッド的時空
ds2 =dt2 - dr2 - r2(dθ2+sin2θdφ2)
と一致する。観測者がユークリッド空間を前提して測定を行なう状況は、一般相対性理論の立場では、等方座標系を設定することによってシュバルツシルド解を変換することによって記述できる。すなわち、θとφはそのままにして、rを、r=r”(1+a/4r”)2で置き換える。a/r” を改めてβとすると、
ds2 = (1-β/4)2(1+β/4)-2dt2 - (1+β/4)4(dr”2 + r”2(dθ2+sin2θdφ2)
この座標系での光の速さは、r”の関数となり、それはds=0 より
v = dr”/dt =(1-β/4)(1+β/4)-3(中心に近づけば近づくほど慣性系におけるC=1 より小さくなることに注意)
光りの屈折率nは
n=1/v≒(1-β/4)-1(1+β/4)3 =1+β (=1+2GM/c2r”)
によって決まる。

従って、非ユークリッド空間を直進する光は、観測者がユークリッド空間を前提して測定する場合には、屈折率nがr”によって異なる媒質に満たされたユークリッド空間を進む場合と同じだけ屈折する。r”に太陽の半径r0を代入したときのβの値をβ0として、屈折光学の古典的な理論によって、太陽の周辺を通る光の屈折角Θを求めると、
Θ≒ 2β0 =4GM/c2r0=8.48×10-6 = 1.75”
を得る。

四次元の湾曲する時空で直進する(ゼロ測地線を通る)光を、平坦なユークリッド空間に射影するときに、その軌跡が湾曲することは、ちょうど、二次元の湾曲した空間である球面をメルカトール法の地図のやり方で平面に射影すると、最短の経路(大円)が湾曲した線として表示されることになぞらえることができよう。

問題はニュートン物理学とユークリッド幾何学を前提してこの光線の湾曲という現象を説明できるかということである。我々が問題とする可能性は、空虚な論理的可能性ではなく、歴史的な状況に即した現実的な可能性である。

ニュートンの『光学』では万有引力の光の経路に及ぼす影響は未解決問題のうちに数えられていた。そしてニュートンの後継者たちもこの問題をニュートン物理学の枠組の中で解決することはできなかった。実際、光が重さのある微粒子であるとする粒子説で光の屈折を粒子に働く引力で説明する場合、屈折率が一より大きい媒質中の光速度は真空中よりも大きくなり、波動説による場合と逆の事実を予言してしまう。フーコーによる実験(1849~1862)が、この点に関しては波動説を支持したことが、光量子仮説が受け入れられるまで、物理学者が粒子説を斥けた理由の一つであった。従って、万有引力と光の相互作用に関する首尾一貫した理論はニュートン物理学の中では存在していなかったと言うのが正しい歴史的認識であろう。また、光速度で太陽周辺を通過する重さのある物体が描く双曲線軌道を計算して、屈折の角度(漸近線の交角)をニュートン物理学で計算することは可能であるが、その値はΘ≒ 2GM/c2r0=0.875” (一般相対性理論の予言の半分)になり、実験と合わない。それゆえに、ニュートン力学とユークリッド幾何学から実測された光の湾曲を説明することは事実上できなかったと言ってよかろう。

一般相対性理論とニュートン物理学との間の決定実験のひとつである重力場での光の湾曲についての結論は、次のように要約できよう。

(1) 一般相対性理論はニュートン物理学では考えられなかった現象の生起を予言する決定実験を提案し、その結果を説明する。
(2) その決定実験は、ニュートン物理学の枠組の中で定式化され、実験家はニュートン物理学を使ってその状況を記述してよい。
(3) その決定実験の結果は、ad hocな対策を構じない限り、ニュートン物理学の枠組のなかでは説明できない。

こうして、なぜ物理学者が「ユークリッド空間のなかで光線が湾曲する」というニュートン物理学の立場ではなくて相対性理論の立場を選択したか、その理由は明らかとなったと言ってよかろう。ニュートン物理学の立場は、自己自身の内部では説明困難な逆説的事実を含んでいたからである。この事実は古典物理学の内部にいるものによっては気づかれず、一般相対性理論という、古典物理学でア・プリオリに前提されていた原理を否定する立場から提起された決定実験によってはじめて、顕在化されたというべきであろう。

相対性理論は、物体の相対速度が光速度よりもはるかに小さく、重力場の時空計量に及ぼす影響を無視しうる特殊なケースとして古典物理学の実験的予測を包含しているという意味では、ニュートン物理学を「揚棄」するより普遍的な理論であった。ここでは、その「揚棄」とはどのような文脈で言われなければならないかを示したのである。それは、ニュートン物理学の内部で記述可能な実験的状況において古典的時空概念の限界を示す決定実験を提起することによってであることが示された。「四次元時空の曲率」や、それの帰結である「時間の肥大」や「三次元空間の湾曲」という一般相対性理論に固有の非古典的な概念が実験的に検証される場面は、ニュートン物理学でも記述しうる状況のただ中に生じる逆説的な特異性にほかならないからである。

---------脚注----------

1 「相対性の原理」という用語そのものは既にポアンカレによって1895年に使用されたが、「原理」とはいっても、彼の意味するところは、「おそらく光学現象はそこに存在する物体の相対運動にしか依存しない」という経験的な仮説であって、「よくできた理論は、この理論を一挙に全く厳密に証明することをゆるすものでなければならない」ものであった。(広重徹、「エ-テル問題・力学的世界観・相対性理論の起源」、『アインシュタイン研究』(中央公論社所収、昭和52年)211頁参照)。

アインシュタインの1905年の論文 Zur Elektrodynamik bewegter Körper ではじめて「相対性の原理」は、理論構成の形式的原理という性格を与えられた。 しかし、のちにアインシュタインが「特殊相対性理論が古典力学とは違ったものになっているのは、この相対性の要請によるものではなく、むしろ真空中の光速度が一定であるという要請がその原因である」と述べたように、相対性理論に「実質的な内容」を与えているのは「光速度不変の原理」である。 「(一般)相対性の原理」が、慣性系でしか成立しない「光速度不変の原理」とは異なるレベルの普遍的要請であるという認識は、一般相対性理論において生まれ、次のように定式化された。 「すべての自然法則はあらゆる座標系に対して成り立つような等式によって表現されるべきである。 すなわち、任意の座標変換に対して共変(これを一般共変性とよぶことにする)な等式によって書きあらわされるべきである。」(Einstein, Die Grundlage der allgemeinen Relativitätstheorie, Ann. der Phys. Ser.4, 49 (1916), pp.769-822)

2 アインシュタイン自身は、1921年のプリンストン大学講義で、「相対性理論は、光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し、なんらの根拠なしに光の伝播に中心的理論的役割を与えるといってしばしば非難される」と述べた後で、マイケルソン・モレーの実験結果に言及して、それが特殊相対性理論に於ける「光速度不変の原理」を支持すると述べている。 Einstein, The meaning of Relativity, Princeton U.P. p.27

3 K.Popper, Conjectures and Refutations, Harper Torchbooks, 1963,p.36

4 Poincaré,Science and Hypothesis, Dover, p.73

5 ニールス・ボーア(井上健訳) 『原子理論と自然記述』、みすず書房、199頁

6 一般相対性理論の古典的な検証実験にかかわる理論的予測は、すべて、シュバルツシルド解をつかって導き出すことができる。(Robert M. Wald,General Relativity,The University of Chicago Press, 1984, pp.136-148参照)それは「湾曲した時空」というものをみとめないニュートン物理学とのあいだの決定実験という性格を持つのである。
 
7 重力赤方偏移の現象は、今日ではメスバウエル効果を使うガンマ線の実験によって実験室で検証されたが、この現象を光の波動説によって説明するときは、振動数の減少に伴う「時間の肥大(time dilatation)」という言葉が使われる。要するに、重力のある静止系で、ポテンシャルの高いところでは、低いところと比べて時計が遅れるという現象である。
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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書 2

2005-11-15 | 哲学 Philosophy
 相対性理論と現代宇宙論

1917 年にアインシュタインが一般相対性理論を宇宙の全体に適用したころから狭い意味での科学的宇宙論が始まったといってよいであろう。「一般相対性理論についての宇宙論的考察(Kosmologische Betrachtung zur allgemeinen Relativitätstheorie)」のなかで、アインシュタインは、適当な初期条件と境界条件の設定によって初めて現実に応用される物理学の理論を宇宙の全体に適用するときにどうなるかという問題を論じて、次のような指摘をしている。
「惑星軌道の問題を扱った際に、私(アインシュタイン)は境界条件を次のような仮定の形で与えた。すなわち、重力ポテンシャル gμνのすべての成分が空間的な無限遠点で一定値になるように基準系を選ぶことが可能であるという仮定である。しかしもし太陽系よりも、もっと大きな宇宙の部分を考えに入れるとき、なお同じ境界条件を設けることができるかどうかは、先験的には明らかでない。そこで、これから、この原理的な問題について私の考えてきたことを述べよう。」
ここで、原理的な問題とは、宇宙論における境界問題の設定である。我々が、例えば、太陽系のような宇宙の一部を問題にするときには、太陽系以外の天体が及ぼす重力の影響を無視して適当な境界条件を設定することができる。しかしなながら、このような制限されたモデルを越えて、宇宙の全体を考察することを要求される場合がある。それは、天文学における我々の視野の拡大によって生じた宇宙の全体像の把握という課題と結びついてくる。

太陽系が我々の銀河の片隅にあり、太陽自身が、不動の天体ではなく銀河の中心の回りを高速度で回転する目立たない天体の一つであり、しかも我々の銀河のほかに無数の島宇宙があって、それらが、重力的な相互作用をしているなどという状況を考えれば、我々は、宇宙の全体を考慮に入れずに部分だけを抽象して考察してすませるというわけにはいかないであろう。

更に、宇宙論的な考察は、宇宙の一部分だけを抽象して考察しているときには気づかれなかった、ニュートン物理学の二律背反を明るみに出すのである。

アィンシュタインによれば、数学的なモデルとして考察する場合に、ニユートンの遠隔作用理論は、ポアッソンの方程式 ΔΦ=4πKρ と質点の運動方程式をあわせただけでは、まだ対等なものとはならず、更に、空間的に無限の遠方でポテンシャルφがある一定の決まった極限値に近づくという境界条件をつけ加えなければならない。この境界条件は、無限遠点で物質の密度がゼロになること同じである。このことは、もし、球対称の重力場を仮定すると、φが無限遠点で定数値となるためには、物質の平均密度ρは中心からの距離rが増大すると1/r2、より速くゼロに近づかなければならないことを意味している。このような宇宙は、かりに無限に大きな全質量を持っていたとしても、有限な宇宙であるとアインシュタインは指摘する。太陽系の外部に行けば行くほど物質密度が希薄になるという宇宙モデルを採用すると、天体から放出された光は、宇宙の外部に向かって逃げだし、何の相互作用もせずに無限遠点に消えていくが、このことは物質についても同様に起こるという可能性を否定できない。更に、恒星系を一つの定常的な熱運動をしている気体と考えて、これに気体分子に対するボルツマンの分布則を適用すると、ニュートンの考えるような恒星系は一般に存在しえない。なぜなら、恒星系の中心及び空間的に無限に遠くにある点の間のポテンシャルの差が有限の大きさを持つということは、それぞれの点における物質密度の比が有限であるということを意味している。したがって、無限遠点の密度がゼロとなるならば、恒星系の中心における密度もゼロとならなければならないからである。

このことは、もし宇宙の一部分のみを考えるならば矛盾のない数学的モデルを構成できるニュートン物理学が、宇宙の全体を対象にして統計力学的考察を行うと、二律背反に追い込まれるということを意味しているのである。

第一批判で宇宙論の二律背反を指摘したカントならば、ここで、経験から導かれた物理学の諸法則を宇宙の全体に適用することに警鐘を鳴らしたであろう。アインシュタインは、カントとは違って、宇宙論の諸問題を形而上学的仮象として科学の埒外におくという選択肢をとらなかった。彼は、あくまでも宇宙の整合的な数学的モデルを構成するために、ニュートン物理学に代わりうる新しい理論である一般相対性理論を使って、宇宙論の二律背反を突破する方法を模索したのである。

アインシュタインは、ニュートン物理学のポアッソンの方程式の代わりに)
ΔΦ-λΦ=4πKρ 
とおいたときにどのような宇宙モデルが構成されるかを考察する。λは、後に宇宙定数と呼ばれるようになった普遍定数で、物質密度の大きな場所では、無視しうる小さな修正項である。この場合には、重力場に関しては、なんら中心点を持たず、物質の密度が空間的な無限遠に行くとしても減少することはない宇宙モデルが得られる。そこで、アインシュタインは、このような修正項λを持つ宇宙モデルを、彼の一般相対性理論に取り込むことによって、ニユートン物理学に内在する矛盾の解消を試みたのである。

特殊相対性理論は重力場のない場合に対応する平坦な四次元空間であるが、物質が存在する場合は、時空がその影響で歪み、場所によって空間の曲率が変化する。この場合には一般的にいって、宇宙の全体像を直観的に理解するのは難しい。しかし、物質の空間的な分布が場所によらず一様でありかつ等方的であるという仮定を置けば、空間の曲率は一定となるので、宇宙の大域的な姿を把握するのが容易になる。

アインシユタインは、もし一様で等方的な空間が正の曲率を持つならば、境界を持たない有限な宇宙像が得れることを発見した。そして、このような数学的モデルは、空間的な無限遠点における境界条件を設定することを不要にし、「重力場に関しては、何処にも中心点を持たず、物質の密度が遠方に行けば行くほど減少するということもない」整合的な宇宙像を与えた。この閉じた宇宙は、アインシュタインの円柱型宇宙と呼ばれるが、その理由は、空間的には有限であるにもかかわらず、時間的には初めも終わりもない世界として解釈できるからである。時間的に宇宙の大域的な姿が変化しないこの宇宙像を理論的に得るためには、前述のように、宇宙定数Λを導入する必要があったが、それは、万有引力に拮抗する斥力を導入することを意味していた。このアインシュタインの論文によつて物理学の言葉で初めて世界の全体を一個の対象として扱うことが可能となったといってよいだろう。また「境界を持たない閉じた連続体」のモデルを提示することによって、境界条件の設定という困難な問題を解消する方法を示唆したことは、後の、ホーキングの「無境界条件」によって、宇宙の初期条件の設定という問題を解消するという考え方を先取りしている点において興味深いものであった。

アインシュタイン・モデルは定常宇宙論であったが、1917年にド・シッターは、宇宙項を含むアインシュタイン型の宇宙から、物質をすべて除去した宇宙モデルを構成することが可能であることを示した。この新しいモデルは、もし物質が存在すれば、斥力によって相互に遠ざかることを予測する点において、膨張宇宙の可能性を秘めたモデルであった。もともとのアインシュタイン方程式に忠実な宇宙モデルが非定常的であることは、フリードマンによって示された。フリードマンの宇宙モデルでは、宇宙定数Λを持たぬために、不安定な解が得られ、宇宙の起源や終末という特異点の問題が避けられないという問題点があった。フリードマンとは独立に、宇宙定数Λを持つ宇宙論で非定常的なモデルがルメートルによって発見されたが、このことは、後にエディントンが証明したように、宇宙定数Λを持つ静的宇宙といえども、曲率半径のごく僅かな増加ないし減少に対して安定ではありえぬことを示唆していた。そして、宇宙の膨張という可能性は、ハッブルの天体観測によって確認されることとなったのである。一九二九年にハッブルは6×109光年の範囲で、星雲の後退速度は距離に比例するという法則を発見し、これ以後は、宇宙の膨張という事実を考慮に入れない宇宙論は退けられることとなった。

1946年にはガモフが初期宇宙における物質は超高密度で、超高温であるので急速な熱核反応を引き起こし、エネルギー密度は、輻射優勢であると述べた。1948年にはボンディ、ゴールド、ホイルがいわゆる定常宇宙論を発表し、アインシュタインの標準的な一般相対性理論を越えて、宇宙全体における「連続的な物質の創造」を主張した。

宇宙は膨張するが連続的な物質の創造によって定常状態が維持されるという新しいタイプの定常宇宙論は、一時期は宇宙に爆発的な始めを想定するビッグバン宇宙論よりも優勢であった。その理由は宇宙の始まりという「特異点」を物理学の用語で記述すること不可能になるという難点とともに、宇宙の始まりにあったと想定されるような超高密度の小宇宙などは一つも観測されないということがあった。定常宇宙論の提唱者の一人であるホイルは1955年に「宇宙がかつて超高密度であったという明白な遺跡が何一つ見つからないのは、爆発的な宇宙創世説に疑惑を持たせるものである」と書いているが、これは当時の状況を反映するものであった。

しかしながら、ホイルが言及したような初期宇宙の名残に相当する現象-宇宙背景輻射が1964年に発見されるに及んで、宇宙論は新しい展開を見せることとなつた。宇宙背景輻射とはマイクロ波の長さで宇宙を浸している低温の電磁輻射である。ビッグバン理論によれば、その起源は、宇宙の開闢時における超高温の火の玉であると考えられる。この輻射の存在は、1948年にガモフがべーテおよびアルファとの共同論文のなかで初めて予言した。彼等は、進化論的な宇宙論の立場から、星の内部における核反応や宇宙を構成する,元素の起源の問題を研究する途上において、宇宙を構成する物質は、宇宙の開闢時の超高温の状態から、宇宙の膨張に伴う冷却化の過程の中で形成されたという仮説を提唱した。宇宙の膨張によって、輻射も弱まり、原罪では、絶対温度にして25度まで冷却したというのが彼等の理論であった。当時の観測技術では、このような弱い輻射を発見することは出来なかったので、彼等の予言はさほど注目されなかった。1964年ベル電話研究所の技師ペンジアスとウイルソンが絶対温度で3.5度のマイクロ波の輻射が宇宙のあらゆる方向から高じ強さで地球に降り注いでいるという事実を発見した。まもなく、これがビッグバン理論の予言する背景輻射であると認定され、彼等は、この功績によってノーベル賞を受賞することとなつた。現在では、この宇宙背景輻射の温度はさらに精密に測定され、絶対温度で、2.7度とされている。

一様な宇宙背景輻射の発見は定常宇宙論とビッグバン宇宙論との間の論争に終止符を打ち、ビッグバン宇宙論に有利な観測的事実として解釈された。しかしながら、この輻射があまりにも一様であって、揺らぎが極端に小さいことは、ビッグバン宇宙論にとってある種の問題を提起している。それは、複雑な構造を持つ我々の宇宙がこの一様な状態からどのようにして進化してきたかという問題である。ビッグバン宇宙論が生き残るためには、どれほど小さくとも、背景輻射のなかに揺らぎがあることが観測されねばならない。この小さな揺らぎの存在は、NASAの人工衛星COBE(Cosmic Background Explorer)によって1990年代の初めに確認され、ビッグバン宇宙論を支持する証拠の一つとなっている。

---補足---

我々の太陽系のある銀河(直径やく10万光年の円盤)は約2000億個の星があり、このような銀河が数千億個あると推定されている。これらは1000個ほどあつまって銀河団を形成し、それらが集まって超銀河団を形成するというように階層的構造をなしている。こういう構造は宇宙開闢の時から存在していたことを示すのが、背景輻射にある僅かな揺らぎである。(10万分の一ほどの僅かの温度差)つまり宇宙開闢40万年ほどの初期宇宙にすでに後の構造へと発展すべき揺らぎがあったということである。この温度の揺らぎをさらに詳しく調べるために、2001年に探査衛星、WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)が打ち上げられ、背景輻射のスペクトルのエネルギー分布にかんするデータが蒐集され、開闢40万年後の宇宙に物質密度の揺らぎがあったことが示された。

この物質密度の揺らぎの原因については、ビッグバーン宇宙論だけでは説明できず、何らかの形で量子力学を取り入れた宇宙論、量子宇宙論が必要とされる。きわめて思弁的な議論ではあるが、インフレーション理論がそれを説明する理論として登場している。それは、なぜビッグバーンが起きたかを説明する理論でもある。

インフレーション理論によると、宇宙の最初期(10-36秒後)に、真空の相転移がおきて、このときに解放された真空のエネルギーが斥力となってビッグバーンを引き起こしたという理論である。

1998年に宇宙の膨張のスピードが加速している証拠が発見された。(超新星の光度がた値よりも暗いこと)2003年にWMAPの観測データから、平均質量密度の内訳が求められたが、それによると、宇宙の平均質量密度が、臨界密度にきわめて近いことが判明した。帯域的には宇宙は平坦であるということが判明したわけである。これはインフレーション理論の予測、宇宙の曲率は零という予測に合致する。



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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書 3

2005-11-14 | 哲学 Philosophy
相対性理論の含意する世界観

四次元世界の遠近法


相対性理論が自然に適用される世界は極大宇宙である。ここで極大という意味は、天文学的な意味での大宇宙をあつかうということだけではなく、非常に高いエネルギーや極端に大きな重力場が存在するような場合をも含んでいる。古典物理学の実験観察が基礎としていた人間的尺度で考えるならば、この理論には、我々の常識を逆なでする所が多々あることはよく知られている。例えば、相対性理論の基本原理である一慣性系における一光の相対速度の不変性という原理は、我々が、たとえ光速度の99.9%の速度で光を追いかけたとしても、もとの光を依然として前と同じ速さで見いだすであろうという逆説的事態を主張している。実際、絶対基準系(絶対静止のエーテル)に対する地球の運動の影響を測定しようとしたマイケルソン・モレーの実験が否定的な結果を与えるまでは、アインシュタインを除く殆どの古典物理学者は、このような逆説を物理学の基本原理として受け入れることを拒否していたといってよい。例えば、ローレンツは、光速度の不変性という事実を、エーテルが運動物体に与える収縮効果と、エーテルが運動する時計に与える遅延効果が、互いに相殺した結果生じた「見かけ上の現象」であると考えていた。彼は、「エーテル」という隠れた実在が及ぼす未知の因果的効果によって、絶対的な意味で運動物体が収縮し、運動する時計が遅れる、と考えたのである。絶対静止系を前提したローレンツにとって、光速度の不変性は、説明されるべき変則的事実であって、決して物理学の普遍的な原理などではなかったのである。「運動物体の収縮」および一運動する時計の遅れ」という二つのアイデアは、ローレンツ変換とともに、アインシュタインの特殊相対性理論にも登場するが、その物理的解釈は本質的に変化したといってよい。相対性理論では、この二つの効果は、どの慣性系を基準にしても平等に現れるから、絶対静止のエーテルに起因するものと考えることができないからである。それは、時空の計量の定義にかかわる本質的問題となり、複数の原理的に対等な時間系列の存在と、絶対的同時性の否定という相対性理論の核心ともいうべき基本思想から説明されるのである。そして、この相対性理論の核心部分は、絶対時間と絶対空間という概念に基づいて構成されたニュートン物理学の根幹を否定するものなのである。

我々は、相対性理論がニュートン物理学の連続線上に構想されたものではないことを明瞭に理解しなければならない。ニュートン物理学との不連続性を見失わないことは、相対性理論を理解するうえで必要不可欠であるにもかかわらず、しばしば見落とされる。その理由は、相対性理論の立場からニュートン物理学を光速度を無限大とする極限操作によって数学的に導くことができるために、数学的な一般化という事実が、意味論的な本質的相違点を覆い隠しているからである。ニュートン物理学は、厳密には真ではないが、物体の速度が光速度に比べて小さいときは、近似的に真となるという意味で、相対性理論のなかに包摂されているということは確かに誤りではない。ひとたび、相対性理論のパラダイムを受け入れるならば、その立場にたってニュートン物理学を受容することは可能である。しかしながら、相対性理論というひろい枠組みのなかに包摂されたニュートン物理学は、元来のニュートン物理学がそれ自身のパラダイムの枠組みのなかでもっていた意味を失っていることに注意しなければならない。

そのことは、次のような考察によって明らかとなる。相対性理論では四次元の時空は、過去と未来を向いた二つの光円錐によって、三つの領域、すなわち絶対未来、絶対過去、共時的(空間的)領域の三つに別れる。基準事象O(今此処)から見て、絶対未来とは、如何なる慣性基準系においても未来となる領域であり、絶対過去とは、如何なる慣性基準系においても過去となる領域である。相対性理論に固有の時空的領域は共時的(空間的)領域であり、そこにある事象は、基準系の取り方によってOの未来にも過去にも現在にもなりうるという意味で、生起の時間的順序が完全に相対化されている。我々は、このような共時的領域はニュートン物理学では存在しえない領域であることに注意しなければならない。

さて、相対論で光円錐を図解するときにには、時間軸と空間軸を二等分するかたちで光円錐を表示するのが慣例であるが、これは光速度c=1という尺度を採用したことを意味している。人間の日常的な尺度では、光速度cは極端に大きな値であるから、実際の光円錐は空間軸に限りなく接近するために、相対論に固有の領域である共時的領域も限りなくニュートン物理学の絶対的に同時的な領域に縮退していくように見える。しかしながら、このような数学的極限操作によって相対性理論の時空概念がニュートン物理学の時空概念に移行するという考え方は、厳密にいって誤りなのである。1/cがゼロでなくて有限の値であることは、両者の概念の間の連続的移行を不可能にするということを以下に示そう。

共時的領域とは何であるかということを明確に示すために、「基準系fでは出来事xが出来事yよりも前に起きた」という関係をA(x,y,f)で、「基準系fでは、出来事xが出来事yと同時に起きた」という関係をS(x,y,f)で表記しよう。

出来事xに関して、xの絶対的未来領域、xの絶対的過去領域、xの絶対的な同時的領域、および共時的領域という三つの概念を次のように、時空の計量に言及しない形で区別することができる。今、出来事xの(因果的)未来領域に属する出来事を、

F(x)={y|(∀f)A(x,y,f)}

出来事xの(因果的)過去領域に属する出来事を、

P(x)={y|(∀f)A(y,x,f)}

出来事xと絶対的な同時的領域に属する出来事を

S(x)={y|(∀f)|S(x,y,f)}

出来事xと共時的な領域に属する出来事を

C(x)={y|(∃f)S(x,y,f)}

と書けば、相対性理論とニュートン物理学の時空概念の本質的な相違点は次のように表現できよう。

ニュートン物理学では、xと共時的な領域C(x)はそもそも存在せず、任意のx,yに対してy∈P(x) または y∈S(x) または y∈F(x)
のどれかが、そしてどれか一つのみが、かならず成り立つのに対して、
相対性理論では、xと絶対的に同時的な領域S(x)はそもそも存在せず、任意のx,yに対して y∈P(x)または y∈C(x) または y∈F(x)のどれかが、そしてどれか一つのみが、かならず成り立つ。

そして、共時的領域にとって本質的なことは、「.....と共時的である」という関係が推移律を満たすとは限らないということにある。即ち、事象aとbが共時的であり、事象bと事象cが共時的であっても、事象aと事象cとは共時的とは限らないのである。それは、aとbとを同時的とするような基準系と、bとcとを同時的とする基準系がそれぞれに存在したとしても、この二つの基準系が一致するとはかぎらないということに由来するのである。

そして、空間的に隔てられた二つの事象が、あらゆる基準系で同時的となることは、相対性理論においては起こりえないのである。

したがって、「共時性」とは、弱められた意味での「同時性」なのではない。その理由は、上で示されたように、共時的な領域に属する出来事については、絶対的な同時性の概念が否定されることによって、時間的な継起の概念もまた相対化されるからである。すなわち、互いに共時的な二つの事象は、基準系の取り方によって、どちらが先に起きたかが変わりうるからである。すなわち

C(x)={y|(∃f)S(x,y,f)}={y|(∃f)A(x,y,f)&(∃g)A(y,x,g)}

相対性理論は、光速度を無限大とする極限においては(正確には、物体の速度vと光速度の比がゼロとなる極限においては)ニュートン物理学と一致するということがよくいわれる。しかし、その意味は、光速度が物体の運動速度に比べて非常に大きい場合には、相対性理論はニュートン物理学と同じ観測結果を予言するということであって、相対性理論の時空概念とニュートン物理学の時空概念の区別がなくなるという意味ではない。

なるほど、1/c がきわめて小さい場合には、共時的領域C(x)は、(光円錐が無限に空間軸に接近するために)ニュートン物理学でいう絶対的同時領域に限りなく接近するであろう。しかしながら、両者の意味するものは上で示した通り全く異なっており、決して同一視できないことに注意しなければならない。1/cがゼロではなくて有限の値をとるということ、しかもそれがあらゆる慣性系でつねに同一の値をとるということが、ニュートン物理学と相対性理論との間の不連続性を形成するのである。

相対性理論では、絶対的基準系の存在を否定したのではなく、観測できない実体を切り捨てる「オッカムの剃刀」の原理にもとづいて、単にその存在を前提しないですませたという言い方が科学史の文献にはかなり見られる。

しかし、もし絶対的同時性という概念を、「あらゆる慣性基準系で同時的」という意味にとるならば、このような解釈はミスリーディングであることが分かるだろう。「絶対時間はありえない」という主張は相対性理論のメッセージの核心にあるのである。

我々は、計量を捨象して四次元の時空の構造を根拠に語ったが、計量を明示した場合には、さらにニュートン物理学と相対性理論の時空の遠近法はさらに明瞭になることを次に示そう。ニュートン物理学では、時間的な近さと空間的な近さは、それぞれ独立であって、ある出来事の時空的なε近傍は、時間をdt、空間距離をdlとして|dt|<ε かつ |dl|<εによって表示される。要するに、ニュートン物理学の遠近法は、近傍が有界な閉じた領域を形成するという意味で、基本的には常識と一致するといってよかろう。

これに対して、相対性理論の遠近法は、時間と空間とが不可分離的であるために、時間的にも空間的にも無限に延長する、開かれた概念であるという特徴を持っている。

それは四次元ミンコフスキー時空におけるε近傍が、時間的にも、空間的にも双曲的な構造を持つことに表されている。ミンコフスキー時空では、(光速度c=1として)座標時間の経過をdtで、空間座標で表示された距離をdl(dl=(dx2+dy2+dz2)1/2)として、時間的な四次元距離はds2=dt2-dl2によって、空間的な四次元距離はds2=dl2-dt2で表示されるから、四次元時空のε近傍は、ニュートン物理学のように、|dt|<ε かつ |dt|<εのような閉じた領域によって与えられるのではなく、|ds|<εによって与えられる双曲的な超曲面で囲まれた領域で表示される。それゆえに、この時空における「今此処」の近傍は光円錐に沿って過去と未来へ向かって限りなく延長しているのである。

     時間的 ε 近傍                    空間的 ε 近傍


相対性理論におけるε近傍が時間軸と空間軸に沿って無限のかなたに伸びているということは、あまりよく認識されていないのではないだろうか。それは、ニュートン物理学のなかで、あるいはニュートン物理学がその洗練にすぎない我々の日常言語の「近傍」概念とはあまりにもかけ離れているように見えるからである。ここでも、我々はc→∞の極限操作によって、事態を単純化しようとするかもしれない。つまり、cを限りなく大きくすれば、時間的近傍は限りなく絶対現在の領域に近づき、共間傍時近時的領域にあらわれる空間的近傍は無視しうるのではないかと考えるのである。しかしながら、相対論でいう時空の四次元距離の概念にとって、基準系の変換に対して不変であるのは、四次元距離体であって、そのなかに現れるdtやdlではないということが、ここで重要な意味を持ってくる。それは、言い換えるならば、空間を捨象した「今」や、時間を捨象した「此処」という概念に、不変の意味がないということを意味している。そのために、ニュートン物理学では、時間的近傍と空間的近傍とは独立の概念であって、二つの出来事が時間的に接近しており、なおかつ空間的にも接近していると述べることに何の矛盾もないが、相対性理論では、二つの出来事が接近しているという場合、それは「空間的に接近しているか(space-likeな四次元距離の意味で)それとも「時間的に接近しているか(time-likeな四次元距離の意味で)」どちらか一つだけを意味するのであって、「時間的な四次元距離の意味で近傍にあり、かつ空間的な四次元距離の意味でも近傍にある」ということはできないのである。

我々が日常的な地上の出来事について語る場合、ニュートン物理学で事が足りるから、一々相対性理論を持ち出す必要がないというのは、もしそれが、相対論的宇宙論は我々の日常生活とは無関係であるという意味でならば、正しくない。有名なオルバースのパラドックスは、夜空が暗いのはなぜであるかという日常的には自明の理にすぎぬことを問題にしたものであるが、現代の物理学者は、これをビッグバン宇宙論と関連させて説明しているからである。また、このような例を持ち出すまでもなくとも、我々は、一度、天空を見上げ、人間的尺度をはるかに越える宇宙について観想するならば、むしろ相対性理論の方が極大宇宙の理解に自然な尺度と遠近法を与えているということを次に示そう。

まず、天文学的距離は、光速度を媒介として時間で表示されていることは周知の事柄である。そこでは、文字どおりc=1とする尺度が自然なのである。さらに、我々は、相対性理論でいう過去の光円錐上の領域(t<0, ds=0)に直観的な意味を与えることができる。すなわち、過去の光円錐とは、我々が夜空を見上げたときに我々の周囲に広がっている「時間の奥行きをもった」三次元空間として解釈できる。天文学者が観測している天体は、我々の地球時間を基準にしたその都度の現在(dt=0)の宇宙の姿なのではない。例えば、冥王星は5時間前の、ケンタウロス座のαは4年前の、アンドロメダ星雲は150万年前のというように、過去に向かう時間的な奥行きをもった対象の姿を、今此処で見ているのである。このことは、古典物理学の時空概念に従うならば、「遠方の天体になればなるほど、それだけ遠い過去の宇宙の姿を我々に見せている」ということになろう。 しかし、「遠い」とか「近い」という語を、空間と時間の計量を切り離して考えているならば、それは、我々の基準系でのみ通用する考え方であることに注意しなければならない。 基準系の選択に依存しない四次元距離で測るならば、宇宙のどれほど遠方の、どれほど過去におきた出来事であっても、時間的または空間的な四次元距離の尺度において、我々のごく近傍にあるといわねばならない場合がある。我々が、例えば今日観測した超新星の爆発が、10万年前に10万光年はなれた遥か遠方で生起した出来事であったという場合、相対論的宇宙論の遠近法によれば、その出来事は、今此処と四次元的な距離において近接しており、昨日地上で我々の周辺で起きたどんな出来事よりも、我々に近いということができる。

過去の光円錐とは時間の奥行を持った三次元の空間である。それは、現在的直接性(presentational immediacy)をもって知覚されるのであり、ここで示されたような相対論的宇宙論の遠近法によれば、我々が見上げる夜空の星は、そのままで、ビッグバン以後の悠久の宇宙の歴史的過去を、今此処で直接に開示していることになろう。
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滝沢克己とカール・バルト その1

2005-11-13 |  宗教 Religion
上智哲学会シンポジウム、今年は「西田哲学とキリスト教」がテーマであった。シンポジウムの席上にて、前田保氏より、滝沢克己と西田幾多郎およびカールバルトについて幾つかの論点が提示された。私はこのシンポジウムの企画者として司会者を務めたが、滝沢克己・西田幾多郎・カールバルトの相互の交流と批判という歴史的事実を踏まえて、そこでの議論を継続することの重要性をあらためて感じた次第である。いずれ論集において詳しく議論する予定であるので、ここでは滝沢の言う神と人との根源的関係、インマニュエル(神我等と共にいます)の原事実にかんするコメントを述べておきたい。

西田は同時代のドイツ哲学をさほど評価していなかった。新カント派や現象学は厳密なる学問的方法を哲学に要求することによって、認識論を展開したが、西田は、新カント派のカントではなくて、カント自身に立ち返り、批評主義の徹底は形而上学を要求することを指摘していた。

滝沢がドイツに留学するに当たり、どの哲学者に教えを受ければよいかと西田に尋ねたとき、西田は今のドイツには見るべき思想家はいないと言ったという。ハイデッガーについては、「肝心なものーすなわち神が欠けている」ことを不満とし、同時代の神学者達、なかんずくカールバルトが最もしっかりとした思索者であると滝沢に言ったという。つまり、滝沢がバルトを師とするようになったきっかけは西田が与えたのであった。

この点は、西田のもう一人の弟子であった西谷啓治が、ハイデッガーやニーチェに影響されたのとは対照的である。ハイデッガーには、バルトや滝沢のようなインマニュエル(神我等と共にいます)の原事実に立脚する「神の現臨の神学」はない。神は不在である、あるいは神無き時代において、存在論と神学を同一視する見地を批判しつつ、存在への問を問うことーこれが「存在と時間」の議論の成り立つ地平である。だから、そこには超越的な神は不在の儘で、人間の実存の「不安」の現象そのものが、あくまでも内在的に解釈される。このような思索は、西田にとっては物足りぬ物、「肝心の物がかけている」哲学なのであった。それよりも西田は、神学者のバルトの議論の中に、自己の哲学と相通ずるものを直観したと言ってよいであろう。

滝沢が西田から何を学び、そして何を批判したかは、滝沢の二つの著作「西田哲学の根本問題」「バルト神学の根本問題」という基礎文献があるが、西田の著作の中で、滝沢の名前を挙げてその批判に答えているような箇所は存在しない。西田は、他者を批判したり、他者からの批判に答えるという形で自己の哲学を語るというタイプの哲学者ではない。問題とすべき事柄自体を自己に対して明らかにすることが第一なのであって、他者を批判したり、他者からの批判に答えることは、彼にとってはあくまでも二義的であった。したがって西田は滝沢とは独立に理解すべきものであるが、滝沢は西田哲学抜きでは理解できない。おなじことはバルトについてもいえるであろう。しかしながら、このことは、滝沢が西田とバルトに対して提出した問いが重要でないと言うことを意味しない。滝沢の問は、西田哲学の最晩年の著作にあらわれる思索と深く関わりを持つものであるし、バルト神学立場を徹底することによってバルトを越えようとした滝沢の試みは、バルトその人に影響を与えることが無かったとしても、私にとっては深い意義を有する。
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滝沢克己とカール・バルト その2

2005-11-12 |  宗教 Religion
「神我等とともにいます」の「我等」とは実質的に誰を指すのか。聖書の文脈においては、それはあきらかにユダヤ民族を指す。異邦人のもとに囚われ、政治的独立を失ったユダヤ民族にとって、神が「我等とともにある」とは、見失われた神の恵みが再びユダヤ民族の内に見出されたとの意味である。これがキリストの名前として預言的に使用されたことも聖書の文脈を見る限り明らかである。つまり、この「我等」には異邦人は含まれない。この言葉をキリスト教宣教の核心に位置づけるバルトの場合は、「我等」とはキリスト教徒、およびキリスト教の教会に招かれたすべての人々という意味になる。ユダヤ民族に限定されず、さらに普遍的な含意を持つとはいえ、依然として、キリスト教の教会を中心として発想されている。このことは、バルト神学が「教会教義学」として書かれていることを考えれば当然のこととして了解されよう。「教会の外に救いなし」は事実上バルト神学の立場である。

「我等と共に」の「我等」をどのように捉えるかによって、インマニュエルの意味が変わってくる。滝沢の場合は、「我等」をユダヤキリスト教の伝統の外にまで拡大し、事実上、全人類と同義にしたが、そのことによって、「我等」と「我等でない者たち」の差別が消えている。キリスト教信仰を、個に徹すると同時に「無」の普遍的なる立場において捉えている私は、滝沢の議論は、本来、「我等」というような集合性において展開すべきものではなかったと考える。バルトはキリスト教とは宗教性の否定であるとのべたが、「我等」という曖昧な用語を使っている限り、その否定は徹底しない。人はキリスト教を、自己自身の問題として捉えるのではなく、民族・文化・教団といった種的類的存在から考えるにとどまるであろう。

「我等とともに」よりも「我とともに」のほうが根源的であり、そこにもまた滝沢の言う「不可分・不可道・不可逆」の根源的関係が成立せねばなるまい。

私は、信仰宣言が何故に「我等信ず」ではなくて「我信ず」であるのかということを以前に書いた。信ずる主体はあくまでも個であって集団ではない。そこの厳然とした不可逆の関係を見失うと、信仰はいつでもイデオロギーへと、集団のエゴイズムへと転落するであろう。

それと同時に、「と共に」ということも、それだけでは超越者と我との根源的関係を十全に表現するものとはいえない。宗教的経験に於ける人格性に関する考察で述べたように、「とともに」は「によって」「において」「のために」という諸々の関係を抜きにして語ることはできない。滝沢はすべて「とともに」によって言い表そうとしたが、キリストによって、キリストと共に、キリストの内にあることが、聖霊の交わりという共同体の形成に先行するのでなければなるまい。
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