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歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

ハンセン病市民学会シンポジウムについて

2006-01-20 | 日誌 Diary
2006年1月21日(土) 13:00~17:00に東村山市の多磨全生園 公会堂(コミュニティ・センターにて、ハンセン病市民学会シンポジウムが開かれます。このシンポジウムの内容は次の通り。

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総合司会:遠藤 隆久氏(予定) 
 13:00 開会
  主催者挨拶:ハンセン病市民学会共同代表 神 美知宏氏
  歓迎挨拶:多磨全生園自治会会長  平沢保治氏
 13:15
  問題提起……検証会議元座長 金平輝子氏
 13:40
  基調報告1 ソロクト・楽生院訴訟の現状と国の対応
       …… 小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団
                         赤沼康弘氏
14:00
  基調報告2 日本の旧植民地・旧占領地のハンセン病政策
       …… 検証会議元委員・市民学会事務局長 藤野 豊氏
   
 14:30 休憩
 14:40
  ディスカッション  
    コーディネータ 
     …… 検証会議元委員・真宗大谷派推進本部
                         訓覇 浩氏
    参加者
     …… 検証会議元委員・全療協事務局長 神 美知宏氏
        検証会議元委員・全原協会長    谺 雄二氏
        検証会議元委員・朝日新聞編集委員 藤森 研氏
        検証会議元委員・毎日新聞論説委員 三木賢治氏 
(ディスカッションの予定)
        三木さんよりソロクト訪の際の報告20分
        藤森さんより楽生院訪問の際の報告20分
        谺さんより発言 10分
        神さんより発言 10分
       この後4人でデスカッション 16:40 閉会
  

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小鹿島裁判の不当性については、昨年10月に、このブログの小鹿島裁判の不当なる判決で書きました。21日のシンポジウムで、この問題に関する認識が深められることを希望します。

参考文献としては、

「朝鮮ハンセン病史-日本植民地化の小鹿島」(滝尾英二著 未来社、2001)に詳細な歴史的記述があります。

WEBでは、小鹿島の半世紀という「韓国のハンセン病啓発刊行誌「セピッ」(新しい光・vision)《1979年廃刊》の1971年1月号から掲載された記事」を読むことができます。これは小鹿島の療養者だった沈田黄氏の書かれたもので、日本語訳は山口進一郎氏によります。
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「小さき声」22号を読む:信仰による決断ということ

2006-01-17 |  文学 Literature
なぜ、既成教会を離脱しなければならなかったか、その問題と、関根正雄先生から示唆された「信仰による決断」ということがどのようにかかわるのかについて、松本馨さんは、10年ほど経過して、自治会活動に深く関わるようになってからも、何度も何度も「小さき声」のなかでとり上げています。

「信仰による決断」によって既成の教会を離れたことの意味は、御自身にとってもすぐに理解されたわけではないようです。それは、様々な二律背反、ジレンマの中での苦しみに満ちた選択で、決断した当人にも、はたしてそれが「信仰による決断」であったのかどうか、決して明瞭ではなかったようです。

けれども、そのときの決断の苦しみは決して無駄なものであったのではなく、あとになってから、自分が失ったキリスト者との交わりを、主が何倍にもして返して下さったのだ、と述べています。松本さんは既成の教会を離れたことにすら、摂理的なものを感じられたようです。なぜならば、既成教会のメンバーとなって、教会という聖域のなかで安心を獲得し、世俗の生活と教会生活の二つを使い分けるのではなく、自治会活動という100%世俗の中で生き抜くことが、そのまま福音を生きることであるということこそが、松本さんが関根正雄から学んだ教えだったからでしょう。

「信仰による決断」は、自由意志を前提します。自己に代わって誰かが決断するということではありません。ただし、多くの場合、なにが最善であるかは私達には見通せないし、対立する選択肢のどちらにも犠牲が伴うことがある。そういう場合、決断をせずに、だれか別のものに、あるいは、外的な権威に決断を委ねたくなるのが人情でしょう。教会では霊的な指導者に決断を委ねることが行われる。そういう信仰は、意志よりも感情に訴える部分が多く、困難な選択を回避しているように松本さんには見えた。関根正雄の教えは、信仰は、なによりも意志の問題であり、信仰により自己が決断することであるということでした。松本さんにとって、信仰は教会のなかで「習慣」として固定された典礼のなかに安心するのではなく、困難な二律背反的な状況の中で、十字架の前に死ぬことによって、そのつど恵みとして与えられるものであったということでしょう。

ただし、松本さんが歩まれた道は、あくまでも「主」が松本さん御自身に示されたものであって、すべての人が松本さんと同じように決断すべきだとは、彼は決して言っていません。松本さんに聖書の言葉を教えられたかたが、無教会主義を捨てて既成教会に入ることについては、松本さんは、それがそのひとの「信仰による決断」ならば、決して反対していないのです。

松本さんが秋津教会の教会籍を離脱した後の秋津教会の信徒の方との交流がどうなったのか、「小さき声」の第263号(1984年12月号)に次のような記事がありました。
「1951年より始まった小松(松本さんのこと)の聖書暗記は、秋津教会を退会したことから一時中断したが、教会の長老、小野宏、泉信夫、それに隣室の立川正一の協力を得て再び始められた。1960年までに共観福音書とヨハネによる福音書、使徒行伝、パウロ書簡、旧約聖書では詩編全編とヨブ記全章を暗記した」
これをみますと、秋津教会の籍を離れたとはいえ、秋津教会の長老をはじめ信徒の方が、教会に籍があるかないかにはこだわらずに、松本さんが聖書を暗記するのを手助けされた事が分かります。
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「小さき声」第22号

2006-01-14 |  文学 Literature
「小さき声」第22号を復刻しました。

この号は「さすらい」がテーマ。神無き場所をさまよいつつ恵みを見出せない嘆きの詩編56-8の引用からはじまっています。旧約の詩人のいる場所が外国か自国内か分からないが、「たとえエルサレムの中心に住んでいても、神から切り離されるとき、そこが「外国」となり、魂が彷徨する砂漠となり荒野となる」と松本さんは言っています。

そして、「この病は死に至らず 22」では、御自身の「さすらい」について、とくに教会から敢えて離れて、無教会の信仰に徹していった時期の回想へと続きます。「信仰による決断」という、松本さんの以後の行動の鍵となる言葉が、はじめて登場するのもこの号からです。

全生園のハンセン病図書館のコピー製本版には、22号に付属していた「来信」の部分が欠落していましたので、今井館に保管されていた原本から補足しました。これは、台南の皮膚科診療所の看護婦のAさんからの手紙です。

この手紙を読みますと、当時の台南のハンセン病医療の状況の一端を窺い知ることができます。台南では、外来診療を認めていた点は日本よりも進んでいたけれども、貧困のゆえに、患者の生活条件がいかに厳しいものであったかが分かります。
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和泉真蔵先生の近著のことなど

2006-01-13 |  宗教 Religion
国賠法訴訟でハンセン病の専門医として証言された和泉眞藏先生の近著「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」(CBR 2005年11月25日刊行)を読みました。小冊子ですが、内容は非常に充実しています。とくに第5章 ハンセン病の疫学的研究ー流行地でのフィールドワーク  第6章 国家賠償請求訴訟ー専門医たちの闘い 第7章 専門医の犯した過ちを検証する には、大いに啓発されました。

また、多磨誌2005年5月号-9月号に連載された大谷藤郎先生と平沢保治さんの対談が「柊の垣を越えた大谷藤郎先生と全生園自治会と・・・・」というタイトルを付して小冊子になりました。本日、大谷先生から送って頂き、興味深く拝読しました。松本馨さんの「小さき声」のことも触れられています。
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公現の主日に

2006-01-09 | 日誌 Diary
昨日は、愛徳会の新年ミサに出席しました。カトリック教会では、新年のミサは普通は「公現の主日」といいます。私は、以前ブログで、「キリストは今何処におられますか」というエッセイの中で、1456年の公現の主日にニコラス・クザーヌスが行った説教を引用したこともあって、550年前の彼の説教の言葉を、改めて思いだしました。公現の主日を單に祝うだけではなくて、イスラエルの王の所在を問う東方の博士達の問を、歴史的な事実の単なる報告ではなく、いつでも何処でもキリスト者に対して問われる、「キリストは今、何処におられますか」という実存的な問に変えて、クザーヌスは、「道であり真理であり命である」キリストを証言していました。

昨年のクリスマスには、愛徳会のBさんから拙宅に電話を頂き、クリスマスパーティに招待されました。パーティには秋津教会のかたも多く来られ、楽しい交わりの時を過ごさせて頂きました。この教会に来るようになってから一年半になりますが、これからも、戦前と戦後のもっとも困難な時代に信徒の方々の書かれたものを蒐集・編集して散逸しないように保存しておきたいと思っています。

昨日の新年礼拝では、ミサの終わりの故人への祈りのなかで、昭和17年の1月13日になくなられた東條文子さんのお名前が、「今週の永眠者」の一人として読み上げられました。ご本名で呼ばれたので、直ぐには気づきませんでしたが、後になってから確認した次第です。帰宅してから、愛徳会からガリ版刷りで出された冊子「いづみ」に掲載された渡辺立子さんのエッセイや、東條耿一の遺稿(書簡)などを改めて読みました。
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律法について-旅人さんとの対話

2006-01-08 |  文学 Literature
旅人さん:
「怒り」そのものを禁じた律法は旧約聖書にはないように思います。ちなみに、パウロが例示した「むさぼるな」という規定は、「箴言」の第二十三章にあるだけであり、パウロの言う律法自体は、旧約聖書の律法というよりは、かなり一般的な道徳律のように思いますがいかがでしょうか。
旧約聖書の神の姿は「聖なる怒り」を本質的な特徴として持ちますから、「怒り」そのものを禁止する律法は、旧約にはたしかにないですね。もっとも、肯定的な「怒り」は「義憤」と訳すべきかも知れませんが。

同時に、神ならざる人間の「怒り」を「嫉妬」と同じく人間性に内在する根源悪と見なす思想も、旧約聖書の中に既に存在します。たとえば、創世記4-5のカインの怒り、創世記27ー41のエサウの怒りのように、嫉妬から殺人へと発展しかねない怒りは原罪によるものと解釈できるでしょう。松本さんが、「怒り」に駆られた御自身を罪深いものと思われたのも、そのような激情を自己の内に感じられたからではないでしょうか。

貪りについては、モーゼの十戒の最後(出エジプト記20-17)は「貪りを戒めたもの」と理解できないでしょうか。(箴言ではそれを、個人の内面的な道徳へと展開させているともとれるでしょう)

福音書の記者達やパウロが律法によって何を意味していたかというのは大きな問題ですが、律法に当たるヘブライ語トーラーはギリシャ語のノモスや英語のLAWよりも意味が広い。「主の教え」(詩編第一)という根本的な意味から、モーゼの十戒のような、「ユダヤ教の根本的な戒め」を指す場合もあるし、レビ記に定められているような「煩瑣な宗教的禁忌」まで、広狭様々な意味で使われます。

新約聖書で、たとえば「キリストの律法」(1コリ9-21)という言葉が出てきますが、これは「キリストの教え」という意味でしょう。それはユダヤ教の律法(トーラー)の根源にまで遡ってそれを刷新しました。その教えは「霊」によるものであり、「文字は殺すが、霊は活かす」と言われ、キリストの教えは、律法を破棄するのではなく完成させるとも言われました。

異邦人の使徒でもあったパウロが、キリストの教えについて語る場合、異邦人がそれまでに従ってきた宗教や倫理道徳は、ユダヤ人の律法と同じく「古き教え」となります。ロマ書の課題の一つは、ユダヤ人と異邦人の双方に対して、そういう「古き教え」から「新しき教え」への転換を促すことにあったといえるでしょう。

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頌春 

2006-01-02 | 日誌 Diary


水仙の御堂(みどう)の風は何処(いづこ)から

(写真はガラクタ箱さんのとられた全生園秋津教会です)
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