歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

Christmas Card from St. Gregory’s House in Tokyo, Japan

2019-12-25 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

Christmas Card with my linked poem from St. Gregory's House in Tokyo, Japan (25/12/2019)

Sleeping with animals,
A newborn baby lies in the manger.
Reflecting the light in the darkness
Heavenly Stars shine in the water.

牛は知り驢馬も知りたる飼葉桶
      十字姿に眠る嬰児
聖母汲む井戸に降りたる空の星
      今も輝く深き水底

(Literal translation of the above Japanese linked poem of Haiku)

Ox recognizes a newborn baby and Donkey also knows
The way from the manger to the cross.
Having descended unto the well our lady once drew
Heavenly stars shine in the depth of the water now.

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中村哲医師の言葉ー「平和医療奉仕活動(PMS)」会報から

2019-12-04 |  宗教 Religion
 南蛮医アルメイダについての記事をザビエルの命日に書いた翌日に中村哲医師の訃報に接し愕然とした。
日本政府が米国政府の意向を忖度して海外派兵を実質的に容認しはじめてから、アフガニスタンでの純然たる平和活動に困難が生じてきたことを師は以前から警告していた。それだけに「アフガニスタンの人々のために奉仕活動をして、アフガニスタンの人によって殺害されたとしても、決して彼らを恨んではいけない」という医師の言葉がなお一層、耳朶に残る。 
 昨年9月のペシャワール会会報(137)に中村哲医師は「温暖化と旱魃と戦乱の関連」を指摘したあとで、次のように言っている。
『最近の研究で、東部アフガンの過去60年間の気温上昇は約1.8度、他の地域の約二倍の速さで温暖化が進行しているという恐るべき報告もあります。今思い返すと、2000年に始まる大干ばつの顕在化は、世界を席巻する「気候災害」の前ぶれでした。既に海水面上昇による島嶼の水没、氷河の世界的後退、北極海の氷原融解などが伝えられ、陸上では台風とハリケーンの巨大化、森林火災の頻発、大規模な洪水と干ばつなどが各地で報ぜられていました。それでも、責任の所在がはっきりしない「気候変化」は真剣に問題にされにくく、C02削減を敵視する経済至上主義も、依然として根強いものがあります。
それは自然を無限大に搾取できる対象と見なし、科学技術信仰の上に成り立つ強固な確信です。実際、近代的生活は、産業革命以来の大量生産=大量消費の流れの上にあり、それを一挙に覆す考えは、多くの人々にとって俄かには受け入れ難いものがあるからです。
だが問題の先送りはおそらく許されないでしょう。放置すれば事態は不可逆の変化になり得ます。温暖化と千ばつと戦乱の関係は、もはや推論ではありません。治安悪化の著しい地帯は、完全に干ばつ地図と一致します。その日の食にも窮した人々が、犯罪に手を染め、兵員ともなります。そうしないと家族が飢えるからです。――
 一連の動向は世界の終末さえ連想する絶望的なものがあります。干ばつの克服は、生易しいものではありませんが、力を尽くして水の恩恵を実証し、希望を灯し続けたいと考えています』
http://www.peshawar-pms.com/kaiho/137nakamura.pdf
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「大切に燃ゆる(Taixetni moyuru)」-ザビエルとアルメイダの心

2019-12-03 |  宗教 Religion
 東野利夫著『南蛮医アルメイダー戦国日本を生き抜いたポルトガル人』に、ザビエルとの出会いを語る次のような「南蛮医」アルメイダの言葉が引用されている。
『ある日、突然インドの俗僧のような黒衣をまとい、腰帯も長衣もつけていないみすぼらしい人がこの島(モルッカ諸島)にあらわれました。彼の行動を見てみますと、現地人たちをさかんにイエズス会に改宗させようとして働いているのです。どうして南方のこんな野蛮で未開な僻地の島々にまで来て、何のためにあんなに命がけで改宗の仕事に従事しているのか。彼の行動は、不思議であり、私には謎のような人物に見えました。そのとき彼はしばしば、アモール(愛)ということばを話していました。この日本では「アモール」という言葉はありません。この「アモール(愛)」に相当する言葉は、「Taixet(大切)」であると、あとになってから知りました。この黒衣をまとった人物こそフランシスコ・ザビエルでした・・・・・
 そしてこのザビエル師の行動の中から、ひとつのたしかな心の安らぎになるような生き方を教えられました。それは「Taixetyni moyuru(大切に燃ゆる」というものでした。
私はこのザビエル師の処世の信条である「大切に燃ゆる」という生き方に強く心を動かされました。そのころ私は帆船の船主という身分で万に届くほどの莫大なクルサド貨幣を獲得していましたが、なぜか心の中は空しく、強い罪悪感のようなものがうごめいていました。私はこのことについてザビエル師に告解しました』
『一五五四年夏、ドアルテ・ダ・ガーマらの船主たちと共同経営で、四隻の商船に財貨ー唐生糸、絹織物、琥珀織を満載し、日本に向かったところ、まもなくひどい暴風雨に遇いました。
 そのとき生まれて初めて自然の脅威と神の恐ろしさに戦慄しました。勇壮だった私の帆船の大きな白布はずたずたに破れ、マストは捻れるように折れ曲がり、竜骨だけがむきだしに残りました。マストの下方には船員や雇用兵たちが溺死しないようにしかりと躰をマストにくくりつけていましたが、最後の祈りのまま、無慚な姿で息絶えていました。その悲惨な光景を見た瞬間、それまで私が執拗に憧れ求めたもの、それがどんなに儚い幻のようなものであったかということが一瞬のうちに私の全身を貫きました。そのときザビエル師がつねづね申されていたマタイの言葉が大きく耳底で聞こえました。(一五五五年九月一五日付フロイスの書簡)
 ここでいうマタイの言葉とは、「人、もし、全世界を得るとも、その魂を失わば何の益があろうか」(16:26)であろう。
 アルメイダは、貿易商人として成功する前、一五四六年に母国で外科医の資格を取得していたので、回心後に豊後に、社会から見捨てられた人々のための病院を作ることを発願する。
『私が豊後に来て Nossa Senhora da Piedade (慈悲の聖母の住院)のため病院を創りたいと思ったのも、ひとつにはそれまでのおろかだった私のデウスに対するせめてもの贖罪のようなものでした。
 私が南の香料の島でザビエル師からこの目で学んだ「大切に燃ゆる(Taixetni moyuru)」これが病院j創設の発願の動機になったように思います。・・・・
 私は「病める人間」の治療には「肉体の薬」と「魂の薬」の二通りの薬を併用しなければならないということを知りました。しかし、現在の私の力では、少しばかりの肉体の薬を与えることしかできません。必ず死ぬ運命にある人間の治療には「魂を癒やす薬」こそ最高の薬だと思っています。』
(ガゴ、トルレス、ビレ等、アルメイダの書簡)
 使徒行伝と福音書を書き残したルカも、パウロによって「愛する医師ルカ」(コロサイ4-14)と呼ばれているように医者であった。時代は変わって、パウロやルカの時代ではなく日本の戦国時代であったが、アルメイダもまた、当時のイエズス会の宣教師を財政的に援助するために全財産を抛って当時の日本社会で差別されていた人々を修養する病院を豊後(いまの大分県)に創設したのである。
 残念ながら、アルメイダの病院は庇護者の大友宗麟の失脚につづく反キリシタン勢力によって破却され、アルメイダの名前もながらく本国と日本の双方で忘れ去られたが、20世紀になって、おおくの研究者の共同作業によってアルメイダの歴史的な事蹟が明らかとなった。現在大分県には、アルメイダの名前を冠した立派な病院がある。西洋医学を日本にはじめて紹介し、日本人の漢方医とともに国境を越え、身分の差別を越えて、人道的な医療活動に従事したアルメイダにたいする敬意がこめられていると言って良いだろう。
http://www.almeida-hospital.com/
 
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