松本馨のキリスト教信仰と自治会活動―(全生園での講演記録)
唯今ご紹介に与りました田中と申します。簡単に自己紹介いたしますが、私は、ここから自転車で40分くらいかかる東久留米市に住んでおります。日曜日には、とくに特別な用がなければ、ハンセン病図書館の近くにあるカトリック教会に来ております。今日は、朝の9時という大変早い時間にお集まり頂きましたが、日曜日のこの時間帯には、いつも全生園にいることが多いのです。
全生園では、ミサに出た後で、私は毎日曜日にする仕事の一つとして、三年ほど前から、入園者の方が、戦前ないし終戦直後のもっとも困難な時代に、書き残された文藝作品や宗教的な手記等を編集、あるいは製本するという作業を続けてきました。
昨年の3月は、北條民雄の友人であり、彼によって「いのちの友」と呼ばれた詩人、東條耿一さんの作品を収録した著作集を編集しまして、そしてその当時はお元気でした川島教さんに印刷して頂き、山下道輔さんのところで製本したものをハンセン病図書館に収めました。その時に、たいへんハンセン病図書館にお世話になりましたし、また、関連する多くの資料を読ませて頂きました。私は図書館友の会の会員の一人として、この図書館が閉鎖されることなく、今迄と同じように、これからも一般の人々に利用できるようになることを心から望んでおります。
東條耿一は昭和17年に亡くなっています。松本馨さんは、東條耿一のことを知っていますが、基本的に東條耿一は戦前の時代、松本馨さんは戦後の時代を生きたかたです。二人ともキリスト者ですが、一方はカトリックであり、他方は無教会というようにその宗派的な立脚点は異なっていますが、どちらもそれぞれの於かれた時代的な状況を誤魔化すところなく真正面から引き受けて、文藝の創作やキリスト教の伝道を通じて、自己の成り立つ根源をどこまでも探求しようとしたところは共通していました。
松本さんは1962年から「小さき声」という無教会の個人的な伝道誌を毎月刊行されるようになりますが、最初に書かれたものは、松本さんご自身の回心の記が主体になっていますが、そのほかにご自身の書かれた詩や小説も含まれています。小説は、おそらくドストイェフスキーの作品からヒントを得られたのでしょうが、「死の家の記録」というタイトルで連載されています。その小説は、松本さんが出会われた戦前戦中の療養者の方々がモデルになっており、それに託してなんらかの形で、当時の療養者の生活の記録を後世に伝えたいと考えられたようです。
この連載が終わった後で、松本さんの自治会活動が始まり、その後「小さき声」は、伝道活動と自治会活動の二つが主となり、文藝の創作は影を潜めますが、松本さんは自治会活動を辞められた後で、「零点状況」と言う小説を書かれています。この小説に、「1パーセントの神」という付録があることから分かりますように、松本さんの書かれる文藝作品は、彼のキリスト教伝道活動と不可分の關係がありましたが、それと同じように、彼の自治会での活動もまた、松本さんの内面に於いては、独自の形で実践された無教会のキリスト教の信仰と別々のものではありませんでした。
唯今ご紹介に与りました田中と申します。簡単に自己紹介いたしますが、私は、ここから自転車で40分くらいかかる東久留米市に住んでおります。日曜日には、とくに特別な用がなければ、ハンセン病図書館の近くにあるカトリック教会に来ております。今日は、朝の9時という大変早い時間にお集まり頂きましたが、日曜日のこの時間帯には、いつも全生園にいることが多いのです。
全生園では、ミサに出た後で、私は毎日曜日にする仕事の一つとして、三年ほど前から、入園者の方が、戦前ないし終戦直後のもっとも困難な時代に、書き残された文藝作品や宗教的な手記等を編集、あるいは製本するという作業を続けてきました。
昨年の3月は、北條民雄の友人であり、彼によって「いのちの友」と呼ばれた詩人、東條耿一さんの作品を収録した著作集を編集しまして、そしてその当時はお元気でした川島教さんに印刷して頂き、山下道輔さんのところで製本したものをハンセン病図書館に収めました。その時に、たいへんハンセン病図書館にお世話になりましたし、また、関連する多くの資料を読ませて頂きました。私は図書館友の会の会員の一人として、この図書館が閉鎖されることなく、今迄と同じように、これからも一般の人々に利用できるようになることを心から望んでおります。
東條耿一は昭和17年に亡くなっています。松本馨さんは、東條耿一のことを知っていますが、基本的に東條耿一は戦前の時代、松本馨さんは戦後の時代を生きたかたです。二人ともキリスト者ですが、一方はカトリックであり、他方は無教会というようにその宗派的な立脚点は異なっていますが、どちらもそれぞれの於かれた時代的な状況を誤魔化すところなく真正面から引き受けて、文藝の創作やキリスト教の伝道を通じて、自己の成り立つ根源をどこまでも探求しようとしたところは共通していました。
松本さんは1962年から「小さき声」という無教会の個人的な伝道誌を毎月刊行されるようになりますが、最初に書かれたものは、松本さんご自身の回心の記が主体になっていますが、そのほかにご自身の書かれた詩や小説も含まれています。小説は、おそらくドストイェフスキーの作品からヒントを得られたのでしょうが、「死の家の記録」というタイトルで連載されています。その小説は、松本さんが出会われた戦前戦中の療養者の方々がモデルになっており、それに託してなんらかの形で、当時の療養者の生活の記録を後世に伝えたいと考えられたようです。
この連載が終わった後で、松本さんの自治会活動が始まり、その後「小さき声」は、伝道活動と自治会活動の二つが主となり、文藝の創作は影を潜めますが、松本さんは自治会活動を辞められた後で、「零点状況」と言う小説を書かれています。この小説に、「1パーセントの神」という付録があることから分かりますように、松本さんの書かれる文藝作品は、彼のキリスト教伝道活動と不可分の關係がありましたが、それと同じように、彼の自治会での活動もまた、松本さんの内面に於いては、独自の形で実践された無教会のキリスト教の信仰と別々のものではありませんでした。