歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

論理・数理・歴史 1

2005-05-20 | 哲学 Philosophy
一 懴悔道以後の田辺元の『科学哲学』の独自性 

『懴悔道としての哲学』(1)以後に書かれた、晩年の田辺元の科学哲学上の論文は、前期ならびに中期の著作と一面において連続性を有するとともに、他面においては、全く新しい特徴づけを必要とする不連続性をもっている。まず『科学哲学』という言葉の定義が本質的に変化したのである。 すなわち晩年の田辺が『科学哲学』という語で言おうとした事柄は、伝統的な形而上学や宗教哲学との関係において、実用主義や論理実証主義の流れを汲む現在の欧米で使われている標準的な意味を基準にしたのでは全く理解できないものであることに注意しなければならない。

例えばウィーン学派が『科学哲学(scientific philosophy)』で意味したものは、神学や形而上学の残滓をすべて清算して、哲学を実証的な諸科学の認識論ないし論理学となすところにあった。(2)カントの認識批判を言語批判として継承した彼らにとって、形而上学や神学はいかなる認識的な意味をも否定されるべきものであった。『科学哲学』という用語には、伝統的な哲学の解体、哲学が個別的な科学に解消されることに、歴史の進歩をみる実証主義者の見地が反映されていた。 従って、この意味での『科学哲学』は、宗教哲学や形而上学に根本的な関心をもつ哲学者にとっては、哲学をあたかも『科学の侍女』として扱うごとき態度を含意する点において、伝統的な哲学的知の終焉を告知する厭わしい用語であった。これに対して、カント哲学の批判精神を受け継ぎつつも、それを『絶対批判』の弁証法という独自の仕方で展開した田辺元が『科学哲学』という用語を使うとき、それは科学の探求の現場で科学者の遭遇せざるを得ない逆説ないし二律背反という限界状況を徹底的に考察することを意味しており、彼はその考察を宗教哲学の根本問題へと媒介することを自分の課題と考えていたのである。

『科学と哲学と宗教』という晩年に書いた論文で田辺は『科学は科学哲学にまで自覺を徹底するとき、必然宗教に通ぜざるを得ない』と書き、次のようにその理由を述べている。(TW12:134)(3)
本来、科学と宗教とが矛盾するといふことは、両者がそれぞれ境界を侵すいはゆる越境行為を自由意志によりて敢えてするためにのみ起こるものであるとは限らぬ。若しそうであったならば、また自由意志により各々が自制することによって、両者の闘争は中止せられるはずである。しかるに批判が結論として到達したところの理性の二律背反なるものは、實はいかにするも分析論理の立場において分別し自由意志的に制限することにより解消することのできる矛盾ではないことを示す。それは定立と反定立とが、それぞれ相当の理由をもって主張せらるる不可避の対立であって、それに陥ることは無制約的認識を意圖する理性の免るべからざる運命なのである。理性はこの運命を謙虚に肯定し、一度自己を矛盾の底に壊滅せしめることにより、その死から復活せしめられる挫折即突破の道を行的に信証するより外にゆく道はない。かくして、科学そのもののなかに、認識の徹底的自覚を求める哲学の要求が含蓄せられ、これがその限界状況において、不可避に発現せられることにより、おのづから宗教の立場に通ずることをあらはならしめる。・・・
このような田辺の独自な科学哲学理解は、数理哲学や理論物理学の探求の現場で登場する逆説を実在への通路とする考え方を前提している。彼は、自分の科学哲学をしばしば『科学の公案を解くこと』と表現していた。田辺の宗教哲学が彼の科学哲学における公案修行と不即不離の関係にあることは、基督教信仰をもつ科学者が、自然という書物の中に創造主の言葉を読み取り、存在の比論によって啓示の理解への準備としたことになぞらえることができる。臨済禅の室内で師家の提唱を聞き宗教的なパラドックスと悪戦苦闘した経験こそなくとも、田辺の科学哲学における著作こそ、万人に開かれた書物にほかならぬ自然において現成する逆説的真理の促しによる辧道話として、類比的な意味で彼の公案修行の足跡であったということもできよう。

さらに注目すべきことは、『懴悔道としての哲学』という著作自体が、日本の敗戦という歴史的事実を、田辺が『公案』として受けとめることによって生まれたということである。この文脈では、『公案』という語は倫理的社会的実践において我々の遭遇する二律背反を指すものであり、彼の所謂『倫理的懴悔道』は現実の歴史的構造に由来する『全面的公案』として了解されていた(TW9:125)。それは、決して単に『懴悔を公案とする念佛禅』という折衷的な観点から提示されたものではなく、日本の敗戦とそれに伴う戦争責任という倫理的な問題を全面的に受けとめ、それをみずからの『哲学ならぬ哲学』の起点とすることによって生まれたものであった。 同じ『絶対無』という用語を使用しながらも、歴史と他者にかかわる社会倫理という実践的問題を第一義的に重要なものとみなすことは、京都学派の他の哲学者達のなかでの田辺の位置を独特なものとしているが、彼がこの『全面的な公案』を『過去的限定と未来的形成との矛盾的構造』をもつ歴史的な事実において見いだしたという事自体が、制度化された宗教組織のなかで円環的に固定化された公案修行の体系には収まり切らない問題を開示している。すなわち、円環的な時間構造を突破する『危機断層、革新顛倒をもってなる』歴史過程と、そのなかで提起される実践的な二律背反こそが田辺のいう『全面的公案』の中核をなしているのである。

歴史的世界を主題とすること、またこの現実の世界における二律背反を現成公案としてそこから哲学の問題を捕らえ直すこと、そのためには通常の意味での哲学が否定されるような場所で哲学しなければならないこと、これらは後期西田哲学の中心課題でもあった。しかしながら、この課題の同一性は、西田と田辺の哲学的対立を決して解消することはなかった。田辺は、アリストテレスに帰せられている『プラトンは愛すべし。されど、真理は更に愛すべきものなり(amicus Plato, sed magis amica veritas)』という古語をひいて、彼がいかに曾ての師であった西田に負うことが大きいかを率直に認めるとともに、それにもかかわらず西田哲学批判を執拗なまでに続行しなければならなかった彼の心情を吐露している(TW12:333)。 田辺の西田批判は、ちょうどアリストテレスのプラトン批判がそうであったのと同じように常に正当であったとは言い難いにしても、そのような批判を通して田辺が問題としている事柄自体は、西田と田辺に共通する課題を我々自身が問題とするうえで無視しえぬ重要性をもつものである。新プラトン主義の哲学者達が、執拗なまでのプラトン批判を含むアリストテレスの著作を寧ろ積極的に読み、それを否定的に媒介することによって純化された意味でのプラトン哲学の継承者たらんとしたことは哲学史では周知の事実であるが、それと同じようなテキスト解釈と批判的再構成の方法が、西田哲学と田辺哲学の継承を志すものに対して要求されるのである。

田辺の西田批判については、これまでに数多くの研究文献があるが、その多くは、狭い意味での宗教哲学の見地からのものであって、彼の科学哲学の著作に着目してそれを取り上げたものは決して多いとは言えない。このことは、田辺の言う意味での科学哲学がもっている重みが正当に考慮されなかったということを意味している。そのために、田辺と西田の宗教哲学を支えている個人的な宗教的経験の質の違いが一面的に強調され、ややもすれば、既成宗教ないし宗派の内部でのみ通用する固有の尺度を暗黙のうちに前提した上で、両者の宗教哲学の差異や深浅などが評価されることが多かったのではなかろうか。 『哲学ならぬ哲学』としての田辺哲学は、『哲学ならぬ』面において、確かに宗教的経験に根差しており、このような宗学的ないし神学的尺度と共約可能な側面をもっているが、同時に『哲学』である面において、特定の宗教宗派に拘束されぬ『論理』に貫かれている。そしてこの論理の何たるかを理解するうえで、彼の科学哲学上の著作が重要な手掛かりを与えているのである。

田辺の最晩年の著作の校訂にも携わった西谷啓治は、彼の科学哲学上の著作のもつ意味について次のように言っている。(NW9:259)(4)
(田辺)先生には『数理の歴史主義展開』といふ昭和二九年に出版された著作がありまして、これは先生の著作のうちでは、比較的に読まれることの少ない本ではないかと思ひますが、しかし私の感じでは、先生の思想を、一番良くと言ってよいかどうかは分かりませんが、すくなくとも論理の側面では非常にはっきり打ち出してゐるものではないかと思ゐます。そのなかで先生は、この書を一つの覺書と呼んで、『この覺書は私の哲学思想の総決算的告白に外ならないつもりである』と言はれてゐて、事実またさういふ感じのするものであります。
『数理の歴史主義展開』の構想は、すでに『懴悔道としての哲学』のなかで予告されていたことに注意しなければならない。懴悔道には、メタノイア(悔い改め)という意味とともにメタノエーシス(理性の立場を越える)という意味があり、それらが理性に還元されぬ歴史の試練を真正面から受けとめることにおいて収斂している。この試練によって突破される理性とは、理論理性と実践理性の統一を志向したフィヒテ以後のドイツ観念論でいう意味での理性(Vernunft)の立場を含むにとどまらず、ヘーゲルの絶対的観念論の没落以後の自然科学の歴史の中で展開された数学的理性、すなわちカントールの積極的な無限論の提唱に始まり、ラッセル・ホワイトヘッドによる集合論の逆説の発見とゲーデルの不完全性定理によって挫折した数学の哲学的基礎づけのなかで前提されていた理性の立場をも含む射程をもつものであった。そのことは、内容的には徹底した歴史主義にほかならない懴悔道が、『一見極めて縁遠い数理哲学の問題として久しく私の頭を悩ました無限集合論に対する態度などが、他力哲学の行信証によって新しい方向に決定する』ものであったという田辺の述懐に現れている(TW9:7)。懴悔道以後の田辺の科学哲学上の著作は、彼の徹底的な歴史主義の論理が何であるかを理解するうえで重要な手掛かりを含むものでありながら、数理哲学や相対性理論と量子力学との統合という現代物理学の課題の哲学的考察を中心とするものであるがゆえに、狭い意味で宗教哲学にのみ関心をもつ読者に無視された嫌いがある。しかし、西谷が指摘したように、田辺哲学のすくなくも論理的な側面における『総決算』ともいうべきこれらの著作群を読み解くことは、西田哲学のいかなる側面を田辺が問題にしたかを理解するうえで必要不可欠であろう。我々は、科学哲学の根本問題(二律背反の克服)を科学史の展開の現場において考察する彼の思索のあとを辿ることによって科学哲学が宗教哲学に通底するという田辺のテーゼを確認するとともに、歴史を捨象する理観において成立つと田辺が考えた『場所の論理』を、彼が根源的に時間的な行信證のうえに成り立つ『懴悔道(理観超越)の徹底的歴史主義』によって置き換えようとしたことの意味を了解することができるであろう。 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論理・数理・歴史 2

2005-05-19 | 哲学 Philosophy
二『数理の歴史主義展開』における場所的直観説の批判 

 『数理の歴史主義展開』の第八章は『数学の自由主義(集合論)より歴史主義(位相学)への進展』という表題がついている。ここでは、数学基礎論における三つの主要な立場、すなわち論理主義(プラトン主義)、直観主義(構成主義)、形式主義(公理主義)のすべてがいずれもそのままでは維持しえなくなったという数理哲学の遭遇した歴史的な現実そのものを分析することにあてられている。この三つの立場を田辺は、それぞれ合理主義の独断論、経験主義の懐疑論、先験主義の批判論に対応させ、この三つの立場のどれもが二律背反ないし循環論をふくむことを明らかにした後で、ゲーデル以後の現場の数学者達がこの二律背反によって課せられた理性の本質的な制約を認めることによって、却って実践的にそれを克服しているという現実を、数理の歴史主義展開として捕らえたものである。

 田辺の主張をよりよく理解するために、ここでは現場の数学者の行った数学の基礎に関する哲学的反省を手引きとすることにしよう。一つは、ヘルマン・ワイルの位相学や群論を扱う数学および理論物理学上の一連の仕事とそれらに基づく『数学と自然科学の哲学』という著作である。これは、一九二七年にドイツ語で書かれ、一九五〇年に英訳されたときにワイル自身によって改訂増補されたものであるが、田辺が問題としている科学哲学の全領域を現場の第一線で活躍した数学者の実践的見地から論じたものである。もう一つは、末綱恕一の『数学の基礎』(一九五二年)およびドイツ語でかかれた同一の主題の諸論文である。『数学の基礎』は『寸心先生に捧ぐ』という献辞からもわかるように、西田の言う行為的直観の考えかたに基づいて書かれた数学基礎論であって、『数理の歴史主義展開』のなかでも引用され、田辺の西田哲学批判という文脈のなかで『場所的直観説の不備、時空『世界』の歴史性』という章で論じられている。 ワイルは『リーマン面の理念』の初版(一九一三年)の序文で次のように言う。(5)
厳密さに関する現代の厳しい要求に従おうとすれば、リーマン面の理念もまたその表現のために多量の抽象的な微妙な概念と思考とを要求する。しかしながら、この論理の糸によってきめ細かく織り上げられた全体系が、ここでは根底において決定的なものではないことを認識するには、多少とも鋭い洞察を加えれば足りる。それは単なる網であり、この網を使って我々は本質において単純であり偉大であり崇高である本来の理念を、プラトンの表現によれば場所なき場所(topos atopos)のなかから、海のなかから真珠を採るように、我々の悟性界の表面に取り出すのである。しかしながら、この精緻なそして煩瑣な諸概念の編み物に包まれた核心ーこれこそ理論の生命、真の内容、内的な価値を作るものであるーをとらえるためには、書物は(また教師でさえも)ただ貧弱な暗示を与えるに過ぎない。ここでは各個人が毎回あらたに、みずから理解を求めて格闘しなければならない。・・・
彼は、この書物の最後の章を『一意化の理論(Uniformisierungstheorie)』にあてることを述べた後、次のように言うことを憚らなかった。(5)
我々は、ここに全ての地上的な個々の実在から解脱した神の姿-このような比喩をもちいてよいならばーを見る。二次元の非ユークリッド的な結晶の象徴においてリーマン面は、すべて偶然や光を曇らせるものから、でき得る限り解放された、純粋な真の姿を現すのである。
一九一三年の時点での数学者ワイルにとって、リーマン面の理念(イデア)は論理の糸に細かく編み上げられた体系の網によって、『場所なき場所』から取り出されるものであった。ここでは、『イデアの場所(叡知的世界)』をあらわす新プラトン主義の用語にほかならぬ『場所なき場所』という語が使われているが、この場所で働く『イデアを見る』直観こそワイルが数学的理論の真の生命と呼んだものである。田辺が『数理の歴史主義展開』のなかで、『場所的直観説』として特徴づけているものは、直接には西田哲学を基盤とすると末綱恕一の数学論にむけられているが、一般的には純粋数学におけるプラトニズムの伝統を指していることに注意しなければならない。それは比論的に言えば、西田哲学の一般者の自覚的体系の最後の段階で語られる叡知的世界に、また『懴悔道としての哲学』の第五章で言及されている『智者賢者の自由』にもとづく『自力的神人合一の直観』に対応するであろう。懴悔道では、このような賢者の立場を自己自身が決してとり得ぬという実存的な愚者の自覚の立場が強調されていたが、その立場から翻って賢者の立場を批判する論拠、すなわち懴悔道と絶対批判とを媒介するものは徹底した歴史主義に求められていた。ところで、『数理の歴史主義展開』において問題となっているのは、数学的プラトニズムが維持できないにもかかわらず、さりとても純然たる経験主義的な直観主義にも、また数学的対象の実在性をすべて括弧に入れて無矛盾な公理体系の提示をもって満足する形式主義も、全て哲学的立場としては挫折したという二律背反的な状況である。 ここでワイル自身が、ゲーデル以後の数学の発達を考慮して大幅に改訂補足した『数学と自然科学の哲学』のなかでは、次のような叡知的世界の実在性にたいして懐疑的な立場に後退していることが注目されよう。(6)
単に現象論的な観点からは理解しがたい全体性のほうへと駆り立てる理論的欲求が我々の中に生きていることは否定できない。まさに数学こそこれを特別の明瞭さをもって示す。しかしそれはまた、その欲求は一つの条件の下にだけ、すなわち我々が象徴(記号)をもって満足し、超越的なものがいつか我々の直観の光圏中に落ちることを期待するという神秘的な過誤を断念するという条件の下でのみ満たされ得ることを教えるであろう。
この著作におけるワイルは、数学を『無限の科学』として規定したあとで、『もしカントの言葉に従って、理念をすべての経験を超越し全体性の意味において具体的なものを補う理性概念と解するならば、無限にゆだねられている役目は単に理想概念としてのそれである』というヒルベルトの言葉を引用したあとで、数学的世界の記号的構成という行為の本質的に歴史的な性格を自覚することの必要性を示唆して次のように言っている。
この問題は、おそらく私自身の存在が欠くことの出来ない部分ではあるが自律的部分ではないところの精神の本質的に歴史的な本性を指摘することによってのみ答えられるだろう。それは光と闇、偶然と必然、自由である。そしてなんらかの究極的な形におけるこの世界の記号的構成がそれから引き離されうるというようなことはおよそ期待され得ない。
読者はここに、田辺の言う数理の歴史主義展開が、決して彼の言う『懴悔道(超理観)の歴史主義』を数学に外部から押し付けたものではなく、現実の数学の歴史的展開に即したものでであったことを確認することができるだろう。それは数学の歴史的考察の意味を強調する数学史家ならびに数学基礎論の流れを先取りした議論なのである。例えば、M.クリーネが一九八〇年に出版した『数学:確実性の喪失』という著作は、数学そのものを基礎論の挫折という歴史的展開において捕らえたものであるし、(7)P.J.デービスとR.ヘルシュが一九八二年に書いた『数学的経験』は文字どおり経験主義の立場から数学の歴史を述べたものである。(8)カントや論理実証主義者がしたように、数学を没歴史的な体系として構想することは、数学がたえず発展する学問であることを説明することができない。簡単な例を挙げるならば、ゼロという記号をもたず、また一を数とは見なさなかったギリシャ人の数の概念と、ゼロや負の数をも整数とみなす現代人の数の概念とを同一視することはできないであろう。現代数学の体系の基礎をなし、没歴史的な概念構成の典型と見られている集合の概念自体が、数学の歴史の中で変遷している。たとえば『一者としての多者』という語で集合とプラトン的形相との類縁性を強調したカントールの集合の概念は、空集合を集合とは認めぬものであった。これに対して、現代数学で標準的なものとなったツェルメロ・フラエンケルの公理的集合論では、空集合から他の全ての集合が構成され、個物の存在することさえ集合論にとって必要不可欠の前提としていない。それゆえ我々はカントールの集合概念と公理的集合論の集合概念とを同じものと見なすことができないであろう。その概念は、没歴史的な自己同一性によって特徴づけられるものではなく、二律背反的矛盾を発条として歴史とともに発展して行くものなのである。

言語(記号)的構成を必要不可欠のものとする数学的概念は、このように数学理論の歴史的発展段階に拘束されるが、それとともに、それらの概念に内容を与える数学的直観もまた、媒介抜きの直接性と不変性をもつということはできなくなる。周知のごとく、カントは数学の命題がアプリオリな総合判断であることの根拠を、われわれの空間直観と時間直観のもつ形式にもとめた。このような直観主義に基づく数学論は、有限数の算術の命題とユークリッド幾何学の命題が必然的な真理であることを事実問題として認めたうえでその権利根拠を問うたものであったから、超限数の算術や非ユークリッドの可能性を問題とする現代数学の哲学的基礎をめぐる問題に答え得るものではないことも認めねばなるまい。すなわち、数学的直観そのものが数学的理論の歴史的発展段階に制約されているのである。

 末綱恕一の数理哲学にたいする田辺元の反論は、西田哲学に影響された末綱恕一の行為的直観の説の非歴史的性格に向けられている。末綱は『数学の基礎』の序文で彼の数学観を次のように要約する。(9) 直観的内容をもつ勝義の数学といふものは、ただ有限個のものばかりでなく、ある種の無限者をも包含するのであって、事実普通の解析学(微分積分学)の基礎になるものは、直観的内容をもつものとして基礎づけられることを明らかにするのが、本書の目的とする所である。私は、自然数全体と直線的連続体とを全数学を担う二つの支柱と見なし、これから行為的直観的に我々が把握し得るものを、勝義における数学的存在と考える。

末綱は『無数のものがあってそれらが一つの纏まった全体をなすことが確認できない場合には、排中律は実際意味をもたない』ことを認める点において、ブラウアーの直観主義の主張の部分的正当性を認めるが、そこで言われている直観が、『有限の行為による構成をあまりに重大視するために、無数のものの集まりについての命題に関して排中律を全面的に拒否する』ことになり、その結果帰謬法も用いられなくなった欠陥を除くために、時間直観と空間直観との『矛盾的自己同一』としての行為的直観によって無限のものの集まりが一つのものとして把握されることをもって、無限集合に排中律の適用を許容することを可能にするような拡大された意味における直観主義の立場をとった。

田辺はこのような末綱の説が『形成行為を単に直接的形成に限らず、形成行為の目標を内に含ましめることによってその形成の範囲を拡大し、直観主義が有限主義に傾くのに対し、超限集合にまで構成を及ぼしつつ、しかも思惟の主観的理念に止まらず、之を時間空間の直観にゆだねられたことは、直観主義と公理主義との間に立って両者を補完総合するものとして特筆に値する』ことを認めつつ、『構成行為の目的として超越的目標に止まるものを、直観の内部に取り入れそれを直観に内在化せしめることが、直観の立場から許されるだろうか』という疑問を提示する。『西田先生の教えを仰ぐ』以来、終始一貫して変わらなかったこの疑問を、田辺はここでも繰り返す。(TW12;226)
もしそれ(行為的直観)が、行為の達成すべからざる目標を超越的イデーの立場から引き降ろして現実に内在化せしめることを意味するならば、それこそまさに独断的形而上学の常套であって、いはゆる神学の世俗化にほかなるまい。元来、無限追求の理想を表すイデーの達成実現といふことは、実はイデーのイデーたるゆゑんに反する不当の要求である。・・・
それ(イデー)を飽くまでレヤールなものとして直観に内在するといはれるならば、それはただ時間的行為を空間的全体に内在化せしめる行為的直観の主張に拠るほかない。これが西田哲学の立場であるからには、末綱博士もここに立脚せられるのであろう。しかし、これは私の強く反対せざるを得ないところである。その理由は、このように時間空間統一の直観を、西田哲学の主張するごとく場所的とし、空間の全体的直観に重点を置いて、時間の固有構造である過去未来間の対立抗争を並列的に一様化し、現在のもつ飜転循環的渦動性を抽象して、点の直接的連続(実は単なる稠密)系列に化するならば、それは畢竟時間を空間のうちに解消し、前者の立体的弁証法を後者の平面的同一性に化するものであるからである。それは、行為の時間即空間といふべき転換的動性あるいは三一性を意味するのではなく、行為的現在の瞬間的渦流ならぬ過去の均衡的一様性とそれの投影としての未来の均衡的一様性とをもって時間を空間化するものにほかならない。そこには危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性はないのである。
ここで展開された西田哲学の行為的直観にたいする田辺の解釈と批判が西田自身のコンテキストに照らして公平なものであるかどうかは問題がないわけではない。西田自身は、円環的限定即直線的限定、直線的限定即円環的限定なることを説き、空間と時間との等根源性を主張していたから、決して田辺が言うように時間的行為を空間全体に内在化させる意図はもっていなかったからである。しかし、田辺から見れば、空間と等根源的なものとして見られた時間、即ち円環的限定と相即する直線的限定として捕らえられた時間は、空間化された時間であり、『危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性』を撥無するものにほかならないのである。彼にとっては『行為的直観の具体的真実は歴史的行為の自覚である』という立場から、『場所的空間的契機の優位を清算して、真に行為的時間的契機の優越を認め具体性を確保すること』が課題であった。 田辺が言う『行為的時間的契機の優越』というモチーフこそ、田辺哲学と西田哲学との共通項とも言うべき『絶対無』に対する両者のアプローチの相違の根本にあるものである。絶対無を『場所』として捕らえる西田哲学に避け難い『空間的契機』の批判が、『集合論から位相学へ』という数理の歴史主義展開という文脈において遂行された。そこでは、行為的直観とは無限集合の諸要素の時間的構成と空間的直観との矛盾的自己同一において成り立つという末綱恕一の数理哲学が『直観そのものの歴史性』を考慮していないことを理由に『場所的直観説の不備』として批判されたのである。

 無限集合論から位相学への数学の歴史主義展開という特殊な文脈で、このように西田が最も普遍的な哲学的論理として提示した『場所の論理』の批判を遂行するということは、そもそも如何なる意味を持ち、またそれはどこまで正当化されるであろうか。我々は、次の節で、西田の場所の論理を、無限集合論によって再構成した末木剛博氏の西田哲学研究を手掛かりにして、この問題を考察しよう。そして、田辺の批判は、少なくとも無限集合論として再構成されることを許すような『場所の論理』、すなわち部分に包越的全体が内在することを可能にするという重層的内在論の論理の批判としては有効であることを示そう。

Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論理・数理・歴史 3

2005-05-18 | 哲学 Philosophy
三 場所の論理と無限集合論 

カントールに始まりボルツァーノやデーデキンドによって明確に定式化された積極的無限論の特徴は、要素の個数を繼時的総合という時間直観の働きによって数え尽くす事ができないという基本的な特徴をもつ無限集合がもし何らかの意味で実在すると仮定するならば、そのような無限集合は全体と一対一の対応する真部分集合をもつという逆説的な状況を集合論の積極的な原理に転換するところにあった。そこでは、無限集合は『全体と一対一に余すところなく対応する部分を持つ集合』として肯定的に定義され、有限集合は『全体と一対一に余すところなく対応する部分を持たない集合』として否定的に定義される。このような積極的無限論は、米国の新ヘーゲル主義の哲学者ロイスの言う『自己代表的体系』のなかで採用され、『自己が自己において自己を写す』自覚の論理構造をいかに定式化するかを模索していた西田に影響したことは周知の事実である。

一九八七年に完結した末木剛博の四巻に及ぶ西田哲学の体系的研究は、純粋経験論から絶対弁証法にいたるまでの西田哲学の再構成を試みたものであるが、その特色は無限集合論による自覚の論理構造の再構成という所にある。(10)この再構成のポイントは末木は『西田理解の方法の矛盾概念の解釈』という論文の中で、次のような図式に要約している。(11)
自覚とは、『自己が自己において自己を見る』(NW5:387,427,453etc)ことであり、また包摂判断を手本として『包むものと包まれるものとが同一となること』(NW5;425)と規定され、また『場所』なる概念を用いて『場所と「於いてあるもの」とが同一といふこと』(NW5;425)とも言われ、集合論の概念を用いて『全体と部分と同一といふこと』(NW5;425)と定義される。(12)この最後の定義を形式的に表現すれば、一集合Mの部分集合 がもとの集合(全体)Mと要素が一対一に対応するのが『全体と部分と同一』ということである。それはラッセルの用語で言えば『相似』ということであり、現在の集合論で言えば『全単射』ということである。ここではラッセルの用語を借りることとする。すると自覚とは全体Mがその部分 と相似になることである。いま、『AとBとの相似』を『A B』と記せば、『自覚』とは
(Mi⊂M)・(Mi~M) ・・・・・・・  (1) 
という構造のことである。・・・・・・・
『全体Mが自己と相似な(真)部分 をもつ』時、『Mは自覚する』というのである。---この自覚の定義は集合Mの無限性の定義にほかならない。集合Mが無限であるとは、Mが自己に相似な真部分集合を含むことであるという定義は、ボルツァノによって打ち立てられた有名な定義である。そしてそれはまさに上記の(1)式に他ならない。従って、西田の言う自覚とは無限なるものの自己写像ということである。
この図式をもとにして、末木は西田哲学の自覚の体系を三段階に区分し、それを西田哲学の発展の三期に対応させている。
第一段階-自覚の直接態-個人意識の自覚-主語面の自覚-心理学的自覚-(1)式の部分 (これが『善の研究』と『思索と体験』を中心とする西田哲学の初期の時代に対応する)
第二段階-自覚の間接態-超個人的場所の自覚-超越的述語面の自覚-先験論的自覚-(1)式の全体M (これが『自覚における直観と反省』から『哲学の根本問題』までの西田哲学の中期の時代に対応する)
第三段階-自覚の綜合態-個人意識と超越的場所との綜合の自覚-論理学的(絶対辯證法的)自覚-(1)式の包摂関係を中心とせる総体(これが『哲学の根本問題続編』から遺著となった『哲学論文集第七』までの西田哲学の後期の時代に対応する)
西田哲学の発展をこのように三段階に分かつことは、従来の西田哲学解釈とそれほど隔たるものではないが、これを無限集合論的図式(1)と関連づけたところに、末木の著作の新しさがあると言えよう。同氏はこの関連づけによって、難解をもってなる後期西田哲学の諸概念を無限集合論による再構成によって解明しようとしている。晩年の西田哲学の根源語である『矛盾的自己同一』は末木によって、三種の無矛盾的な『矛盾的自己同一』に分類される。
すべてを包む絶対的全体Mは自己矛盾を生じて絶対無となる。その絶対無のなかで自己の内に自己を映し、自己相似的自己写像によって『世界の自覚』が成立する。--これが第一の『全体の矛盾的自己同一』である。 
次にこの絶対無Mのなかの世界 が主観Eと客観Aとの直積として特徴づけられる。それはすべてを主観と客観との相補的結合(不両立的相依関係)として規定する。--これが第二の『両極の矛盾的自己同一』である。(主観・客観のほかに時間・空間などの両極の矛盾的自己同一が重層的に成立する。
次に主観・客観の直積集合としての世界 のなかの個物bは他の個物aから作られたものであると共に、他の個物cを作るものであり、したがって一つのものが『作られたもの』と『作るもの』の相反する二性格を兼ねるので、これも『矛盾的自己同一』と言われる。--これが第三の『作られたもの』と『作るもの』との『矛盾的自己同一』である。 このようにして三種の無矛盾的な『矛盾的自己同一』は重層的に総合されて一つの自覚の体系をなす。
上に要約された末木の西田哲学再構成がはたしてどこまでテキストに忠実であるかという解釈上の問題については様々な評価が可能であると思う。我々がここで論じているのは、あくまでも末木によって定式化された形態における『自覚の論理』であって、本来の西田哲学の論理ではないという異論が当然あるであろう。筆者自身も、末木の再構成に全面的に賛成している訳ではないし、このように再構成された場所の論理が、西田自身の苦渋に満ちたテキストを読むときに誰しもが感じるダイナミズムと奥行きの深さを反映していないことは認めるものである。しかし、ここで筆者が言いたいのは、無限集合論と場所の論理との間には、ある逆説的事態が共通しており、このアポリヤに着眼することこそ田辺が終生批判し続けたものが何であったかを明らかにするということなのである。その限りで末木による再構成は、『場所的』自覚の論理の一つの問題的な側面を提示することには成功しているように思われる。集合論と場所的自覚の論理との間には、構造上の類似があることも注意すべきであろう。集合論は、 単なる(一階の)述語論理で媒介抜きで結合されている主語(個別者)と述語(普遍者)とを、繋辞(ε)を使って明示的に媒介し統合する点において、西田の言う主語の論理(実体の論理)と述語の論理(場所の論理)を媒介総合する繋辞の論理(場所的自覚の論理)と同じ構造をもっているのである。

 また、末木の言う『両極の矛盾的自己同一』や『作るものと作られるものとの矛盾的自己同一』を集合の直積を使って『無矛盾的に』定式化することも、順序対を考えることによって、問題となっている集合のレベルを上げることによって矛盾を解消する道を示したものであり、このような相対的な矛盾的自己同一が集合論によって『無矛盾的』に再構成されるという末木の主張も基本的に評価できるものである。 さて、末木の再構成が明らかとした西田の場所的自覚の論理の構造における最大の問題点は何であろうか。それは、相対的な矛盾的自己同一から区別された絶対矛盾的自己同一、すなわち末木の言う『全体の矛盾的自己同一』の論理構造にほかならない。ここでは絶対無を『ありとあらゆるもの(有)を要素としてもつ全体』と見なす解釈が問題となるのである。このような全体は末木によって『自己矛盾的全体』とか『一切を包越する絶対類』とも呼ばれているが、そのような絶対的全体の自己限定について語ることが果たして意味をもつであろうか。

  無限集合論においては、このような絶対的な全体を一つの集合としてたてることから二律背反的状況が生じる。その理由は、どの与えられた集合よりも濃度の大きな集合、すなわちその集合のすべての部分集合からなる集合(超越的述語面を表す場所に対応する)が存在するが、他方において、あらゆる集合の集合は、それ自身一つの集合として、最大の超限基数をもたねばならないからである。B・ラッセルが有名な『集合論の逆理』を発見したのもまた、この最大の超限基数は存在しないというカントールの証明を吟味していたときのことであった。彼はこの間の事情を次のように回想している。(13)
最大の超限基数が存在しないというカントールの証明を吟味することによって、私はこの矛盾(集合論の逆理)に出会った。私は、無邪気に、世界にあるすべてのものの数は最大の数でなければならぬと信じ、カントールの証明をこの数に適用して、どういう結果が出てくるかを見ようとした。・・・カントールの議論(羃集合の濃度はもとの集合よりも大きいという議論)を適用していって、私は『自己自身の要素でないところの諸集合』を考えるに至ったが、これらの諸集合もまた一つの集合を形作ると思われた。そこで私は、この集合がそれ自身の要素であるかないかと考えた。もしそれがそれ自身の要素であるならば、それは、その集合の定義をなしている特性、すなわちそれ自身の要素ではないという特性をもたざるを得ない。逆に、もし、それがそれ自身の要素でないとするなら、それはその集合の定義をなしている特性をもってはならないのだから、それはそれ自身の要素でなければならない。かくて、二つの可能性のいずれをとっても、それは自身の反対に導き、したがって矛盾に陥るということになる。

 無限集合論で二律背反的矛盾を生じるのは、否定的な自己述語によって一つの全体が定義されると見なすことからである。この逆説は、自己述語的な絶対的全体において、自己述語的でない要素の全体について語ることが出来ないことに由来するのである。この事情を西田哲学の固有の用語法に戻して言えば、絶対無の場所の自己限定を語ること、すなわち絶対無の場所から諸々の相対的な有の場所を概念的に限定することは不可能なのである。

田辺は『西田先生の教えを仰ぐ』のなかで既に、場所の論理と集合論との結び付きに注目して次のように述べている。(TW4:313-314)
宗教としては絶対無の自覚として立場なき立場といはれるものも、それが哲学軆系の終局原理を與ふる立場となるとき、却ってそれ以下の被限定的抽象的なる立場を、その限定として理解せしむべき一の立場となり、決して立場無き立場に止まることができないのではないか。・・・もし哲学がこの宗教的立場を自己の立場としようとするならば、それは必然的に自己廃棄の運命に陥らなければならぬ。恰も『凡ての集合の集合』といふ集合論の逆説に見るごとき、自己の絶対化が必然に自己を相対化するという矛盾が口を開く。・・・勿論哲学はそれの本質上、何らの意味においても絶対的なるものを否定せんとする所謂相対主義に立つことは出来ぬ。それこそ明白なる哲学の否定である。しかし、単に求められたものとして絶対者を極限点とするのは、與へられたるものとしての絶対者を立てて、これをその体系の根底とするのとは異なる。ここに哲学が常に相対に即しながら絶対を求めんとする愛知的動性たる所以が存する。
『ヘーゲル哲学と弁証法』(一九三二年)以後、田辺もまた『絶対無』という語を頻繁に使うようになるが、その場合でもそれは決して自己同一なものとして語られることはなかった。すなわち、彼は絶対無の場所そのものの自己同一は決して認めず、それを観想的(思弁的)哲学の原理とする錯誤を退け、その代わりに『危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性』として実践的に自覚されるほかない絶対的な転換の原理としたのである。

このように、田辺は無限集合論の逆理の発見以後の数理の歴史主義展開という特殊な文脈で西田の言う場所の論理の批判を遂行したが、この批判は単に数理哲学に止まるものではなく、更に物理的世界の歴史性という現代宇宙論の中心的な問題圏域に迫る射程をももっていた。相対性理論と量子力学との統合という理論物理学の最先端に位置する問題をもっとも重要な哲学的問題の一つとして捕らえていた彼の科学哲学上の諸論文を手掛かりにして、我々自身を含む全体としての宇宙の歴史性にかんする現代物理学の様々な議論を次に考察することにしよう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論理・数理・歴史 4

2005-05-17 | 哲学 Philosophy
四 『時空』世界の歴史性 

 田辺が一九三二年に書いた『図式《時間》から図式《世界》へ』という論文は、後に『種の論理と世界図式』において体系化されるいわゆる『種の論理』の出発点をなす論文であるが、ここに既に行為的時間的な契機を優越させた上で、それを空間的契機に否定的に媒介させた『図式《世界》』の構想が提示されている。 この論文は、在外研究のためドイツのフライブルグ大学のフッサールのもとに留学していた田辺に強い印象をあたえたM.ハイデッガーの『カントと形而上学の問題』におけるカント解釈に触発されたものであった。それは、晩年に至るまで続いた田辺とハイデッガー哲学との対決の発端をなす諸論文の一つであったが、それと同時に、二〇世紀の理論物理学の革命的な理論である相対性理論の時間概念と空間概念の統合をいかに理解するかという、科学哲学の中心的課題をも射程に収めるものであった。実存哲学と科学哲学は、西欧の現代哲学の展開においては互いに交差することの少なかった二つの大きな思潮であったが、この二つの流れを媒介することを可能ならしめる構想を含む点において、田辺と同じく数理哲学と理論物理の問題の考察から出発して宗教哲学を論じた米国の哲学者ホワイトヘッドの『過程と実在』の哲学とも呼応するものであった。

 ここで言う図式『世界』とは、『ニュートン物理学の世界像に相當して思惟せられたカントの先験的分析論が、今や相対性理論の世界像に相当するごとく具体化せられることを必要とする』という問題意識から提唱されたものであるが、それは『哲学が存在の一層深き根底に還り、一層具体的なる理性の自覚を遂げるために、物理学の歴史的進歩を媒介とする』ことに外ならなかった。田辺はハイデッガーのカント解釈を、『従来の俗見的非本来的時間に対して、本来的に自己を形成する時間の未来を直接媒介とする自発的構造を自覚存在論的に闡明した』ことを重要な貢献として認めつつ、『時間は意識の構造に属するのみで世界存在に属するという意味をもっていない』ことを理由に退ける。そして、空間性によって否定的に媒介された時間性を図式『世界』と呼び、人間の外にあって人間を限定し人間を包むものであるとともに、人間によって造られ人間によって限定される時空『世界』が歴史をもつことが強調された。

前にも述べたとおり、自我から世界を考えるのではなく、世界の自覚として自我を考えること、その世界は歴史的世界であることなどは後期の西田哲学と田辺哲学に共通する課題であった。西田においては過程的な弁証法を包摂する場所的弁証法において歴史的世界が考えられ、根源的空間性とも言うべき『場所』において世界と自我の成立が語られたが、これに対して、田辺においては『場所の論理』はいまだ時間性を捨象する点において具体的なものとなっておらず、絶対媒介をとく『種の論理』と根源的な時間性の優位において成り立つ世界図式、即ち物理的世界の歴史性を表す世界図式によって始めて具体化されるのである。 この意味での世界の歴史性こそ、懴悔道以後の田辺の理論物理学の哲学的反省の根本にある思想であった。例えば、『局所的微視的』という科学哲学の論文では、絶対空間を温存して、ただそこにおける局所時の想定において実験事実を説明しようとしたローレンツ理論とアインシュタインの相対性理論の違いが『時間が空間によって局所化せられる局所時を顛倒して、逆に空間を局所化する主体の行為的時間が真の具体的局所時として登場する』ことに求められている。田辺は、この具体的局所(世界点)を『即今(Hier-Jetzt)』と呼び、そこにおいて自覚される世界を『場所的に固定したものとせず、どこまでも時間的に動くもの』と解したうえで、『行為的直観説は、単にローレンツ的局所時に比すべき客観主義の表現的立場であって、どこまでも空間的場所の形成に止まる』と述べたうえで、西田哲学の『行為的直観』の空間性と田辺自身の言う『行為的自覚』の時間性とを対比した後で、『もし行為を包む直観が空間的場所的直観として成立するならば、それは却って行為を観想に従属せしめ、行為に固有な錯誤の危険と懴悔的自己犠牲とを見失わせる』と述べている。

  田辺が自己の哲学的立場を西田から区別するときに、『局所的/全体的』、ないし『微分的/積分的』という対概念を頻繁に使用したことはよく知られている。 とくに『微分的/積分的』という数学的用語は、H.コーヘンによって哲学の術語に転用された例はあるにせよ、哲学上の用語として使われることは少ないから、その意味を適切に理解することが田辺哲学を理解する鍵の一つであることは間違いはない。この数学的用語の意味をよりよく理解するために、ここでは一九世紀の解析力学における重要な発見に言及することにしよう。

解析力学においては、物理的な系の状態は位相空間によって表現される。この空間における系の軌跡を確定することが、その系についての全体的(積分的)認識を得ることと同義である。ところで、物理学の基本法則は微分方程式で書かれるのが通例である。それは地上に落ちるリンゴの運動にも、太陽を回る地球の運動にも当てはまるし、膨大な数の微視的な気体分子の系の運動にも、銀河を形成する星の集団の運動にも当てはまる。そして、数学的にはこの微分方程式は、適切な初期条件、境界条件のもとでただ一つの解をもつことが保証されている。そのために、古典物理学の成り立つ系は決定論的であるという意味で、根本的に非歴史的であるという特徴をもっていると長い間考えられていた。しかしながら、数学的決定論は決して、われわれがそのような(存在のみが保証された)解を積分によって具体的に認識出来るということを意味しはしない。微分方程式によって記述される物理系が、積分可能であるとは限らないのである。このことの発見は、まずハインリヒ・ブルンスが三体問題が積分可能でないことを最初に証明し、ポアンカレがその証明を一般化したとき(1889)、当時の科学界は大きな衝撃を受けたのである。(14)例えば、太陽と地球と月からなる系の遠い将来の運命を現在我々が認識することは原理的に不可能なのである。これに対して、二体問題は積分可能であるから、我々は、三体問題は二体問題の単純な組み合わせに還元されない新しい質をもっていると言わなければならないであろう。田辺哲学の用語を物理学に比論的に転用するならば、三つの天体からなるシステムは『社会的存在』に固有の予測不可能性をもっているのである。 要するに、古典物理学における決定論と言われてきたものの実態は、言わば全知の神のごとき存在の目から見た決定論であって、我々人間が未来を予知できるという意味での決定論ではなかったのである。

 特殊相対性理論においては、さらに異なった意味での予測不可能性が生じる。周知のごとくこの理論では絶対時間の存在が否定され、同時性が因果的独立性によって置き換えられる。ある一つの事象の因果的未来が何であるかは、その因果的過去に属するすべての事象だけでは決定されない。それはその事象と共時的な全ての事象に影響されるが、共時的な事象は因果的に独立であるから、我々は原理的に現在認識出来ぬ事象が我々の未来に影響を及ぼすことを認めなければならないのである。言い換えれば、我々が観察し得る時空上の局所的な観点から認識し得る過去のすべてを知っていたとしても、我々は未来を知ることは原理的に出来ないのである。(15)

 量子力学では、ハイゼンベルグの不確定性原理によって、粒子の位置と運動量を同時に我々が観測によって確定することは出来ない。このことは、系の状態を位相空間の一つの点として確定することが原理的に不可能となることを意味している。量子力学が対象とする微視的領域では、たとえ神のごとく全知の存在があったとしても、彼が対象系と関わりをもつ限り、未来を一義的に予測することはできなくなる。量子力学が問題としているのは、同一の原因は同一の結果を生むという因果律が適用されない領域なのである。 現代物理学の最大の理論的課題は、田辺が晩年の科学哲学的著作の中で予見したように、相対性理論と量子力学との統合である。我々は、ビッグバーン宇宙論の発見という、田辺自身は知ることのなかった物理学の発達そのものを考慮しなければならない。全体としての宇宙の起源を問うというきわめて形而上学的な問を、自然科学自体が自然科学の内部から問うている現代の状況そのものが、時空『世界』の歴史性という基本テーゼによって田辺が表現した事態を支持しているといってよかろう。田辺の言う『相対性理論の弁証法』は、全体としての宇宙が不可逆な歴史をもつという今世紀の物理学の重大な発見を哲学的に反省するものにとって重要な示唆を与えるものであることは間違いない。時空的な世界の総体を非歴史的な全体として捕らえ、そこに於いて個物的限定を考えることは、現代物理学のこの文脈においては意味をなさない。『数理の歴史主義展開』は、『物理の歴史主義展開』ともいうべきものにおいて具体化されたが、これこそ、田辺以後の現実の物理学の歴史の示すところにほかならない。

 存在するものの総体としての宇宙は、非歴史的に与えられた全体として完結しているものではなく、有限の歴史をもち、その地平は拡大しつつある。『無』からの創造が、相対論と量子論との部分的統合によって物理学の内部で語り得るようになった現在において、物理学自身が曾ては神学的思弁の領域に属していた事柄を主題としている(16)。非歴史的な『存在の比論』だけではなく、存在の根底にある『無』からの創造を説く現代物理学と宗教との対話が成り立つためには、田辺が構想したような『宗教哲学に通底する科学哲学』、即ち、根源的な時間性において宇宙を考える『無の比論』にもとづく科学哲学が必要不可欠のものとなるであろう。

 



(1) この著書 は1986年に英訳が出版されている。Tanabe Hajime, Philosophy as Metanoetics, Trans. by Takeuchi Yoshinori, V. Viglielmo, and J. W. Heisig et al.Berkeley: California University Press, 1986. 懺悔道という言葉よりもMetanoeticsという語のほうがその内容をよりよく表している。
(2)ハンス・ライヘンバッハ、『科学哲学の形成』、市井三郎訳、みすず書房(1954)
(3)田辺元全集(TWと略記)、筑摩書房(1963)
(4)西谷啓治著作集(NWと略記)、創文社(1986)
(5) Herman Weyl, Die Idee der Riemannschen Fl che B.G.Teubner,Stuttgart,1913
(邦訳)『リーマン面』(田村二郎訳)岩波書店(1974)
(6) Herman Weyl, Philosophy of Mathematics and Natural Science, Princeton University Press(1949) (邦訳) 『数学と自然科学の哲学』(菅原正夫、下村寅太郎、森繁雄訳)、岩波書店(1959)
(7) Morris Kline, Mathematics: The Loss of Certainty, Oxford University Press(1980)
(8) Philip J.Davis, & Reuben Hersh、 The Mathematical Experience、 Birkh user,Boston (1982) (邦訳)『数学的経験』(柴垣和三雄他訳)森北出版(1986)
(9)末綱恕一、『数学の基礎』、岩波書店(1952)
(10)末木剛博、『西田幾多郎-その哲学体系』春秋社(1988)
(11) 末木剛博、『西田理解の方法と矛盾概念の解釈』、上田閑照編『西田哲学への問い』所収
(12) 西田幾多郎全集(NWと略記)岩波書店(1978)
(13) Bertrand Russell, My Philosphical Development, George Allen & Unwin, London (1959)邦訳『私の哲学の発展』(野田又夫訳)、みすず書房(1960)、p.96
(14) Iliya Prigogine,From Being to Becoming、W.H.Freeman and Company, New York(1980) p.32.
(15) Karl Popper, The Open Universe: An Argument for Indeterminism, Huchinson
(16)A.Vilenkin,“Creation of Universes from Nothing" Physics Letters,117B:25-8
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天龍寺にて

2005-05-16 | 日誌 Diary
5月8日、京都での研究会の後で、天龍寺の法堂の雲龍図を見る。加山又三の描いた「八方睨み」の雲龍とのこと。どこからみてもこの雲龍が自分を見つめているように見える。クザーヌスの de visione dei のなかで言及されている「神のイコン」の画像を思い出した。幸い好天に恵まれ、皐月に全山が燃えるような天龍寺の庭園を見た後、渡月橋を渡り嵐山を散策してから帰京。

  天龍の寺に紅吐く皐月かな


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書 :ヘーゲル 1

2005-05-13 | 哲学 Philosophy
エンチクロペディーの論理学で、ヘーゲルは、彼以前のおもだった哲学の立場をとりあげて批判しているが、そのそれらの立場が共通にもっている反辯證法的な思考方法を指摘し、その欠陥を明らかにするにあった。とくに通俗的に理解されたカントの超越論的論理学の批判として優れたものであり、およそ哲学的論理学の根本的な問題を考える者にとっての必読書とも言うべきものである。まずはじめに、「予備概念」におけるヘーゲルの議論を要約しておこう。
(A) 客観性に向かう思惟の第一の態度 Erste Stellung des Gedankens zur Objektivität = Metaphysik
ここで論ぜられるのは、「カント哲学より前にドイツに現われたような旧い形而上学」である(第二七節)。
  1. この種の形而上学は、一面的、抽象的、悟性的な有限な思考規定しかもたないが、それによって、それ自身無限で絶対的な真実在をとらえようとしている(第二八節)
  2. しかもその対象を「すでにできあがった、与えられた主語」としてあらかじめ無批判的に前提しておいて、これに上のような悟性規定を述語としてつけ加えればよいと考えている(第三〇節、第三一節)
  3. そのために具体的な全体である真理を把握しえず「あれかこれか」といった一面的な見方に陥っている(第三二節)
  4. というにある。
かかる欠陥の本質は「抽象的な同一性を原理とする」ところにある。(第三六節)批判の要点は、ヴォルフ流の形而上学が形式論理学の同一律ないし矛盾律をその形而上学的な思考原理としていたことにある。しかし同時にヘーゲルは「思想のみが存在するものの本質であることを意識していた」点、つまり自覚された形而上学(=客観的観念論)であったという点では、この古い形而上学のほうがむしろ「のちの批判哲学のやりかたよりもいっそうすぐれた」ものであったと評価する(同じ箇所、および第二八節)。そして、この独断的形而上学の次に、優れて近代的な哲学の立場である(B・Ⅰ)経験論、(B・Ⅱ)批判哲学、(C)直接知(信仰)の立場を順次とりあげ、これらの立場がそれぞれなんらかの長所をもっていることを認めながらも、思考方法の点では古い形而上学と同じく抽象的同一性の立場をでていないことを指摘する。
(B) 客観性に向かう思惟の第二の態度 Zweite Stellung des Gedankens zur Objektivität
Ⅰ経験論 Empirismus
(B・Ⅰ)経験論は現実の具体的なものを尊重し、自分の知覚で真実を確かめようとする点ですぐれている。しかし経験論は知覚と思考とを固定的に対立させ、思考には「抽象と形式的な普遍性および同一性」しか認めない。経験というものも思考や推理を用いておこなわれ、したがって形而上学を含んでいるはずであるが、経験論はそれを自覚しない。対象についても、それは一般に外的感性的な有限者を、与えられた堅固なもの、真実なものとして無反省に前提している。(第三八節) 古い形而上学は悟性の有限な形式によりながらも、なお無限な内容をとらえようとしたが、経験論にあっては形式も内容もともに有限でしかない。(同節補説)

     Ⅱ批判哲学 Kritische Philosophie

(B・Ⅱ)批判哲学が古い形而上学の思考諸規定を問題にしたのは重要な進歩であったが、それを「即自かつ対自的に」考察しないで、「主観的か客観的か」という観点からのみ考察し、たとえば原因と結果のような思考規定(カントのいわゆる範疇)を主観的なものとしてしまった。(第四一節および補説一、二)カントは彼の諸範疇をそれ自身の必然的展開によって示さないで、普通の形式論理学によって与えられている判断の種類に従ってきわめて安易にとりだしたにすぎない。(第四二節)
また現象と物自体とを固定的に対立させ、物自体を悟性の到達しえない彼岸、まったく空虚な抽象物にしてしまった。(第四四節)彼が悟性と理性とをはじめてはっきり区別し(悟性は有限で制約されたものを、理性は無限で無制約的なものを対象とする)、たんに経験にもとづくだけの悟性認識の有限性を示し、このような認識の内容を現象と名づけたことは、カント哲学の非常に重要な成果ではあるが、そのさい彼は、悟性と理性とを(したがってまた有限なものと無限なものとを)全くきりはなして対立させ、理性の無制約性を「区別をしめだす抽象的な自己同一性」(つまり悟性と同じもの)にひきもどしてしまった。カントには、理性が悟性を、無限なものが有限なものを、自己のうちに契機として含む、という辯證法的な理解が欠けていたわけである。(第四五節および補説)

カントが理性の二律背反を指摘し、悟性規定によって理性的なもの(無限なもの)を認識しようとすれば、思考は必然的に矛盾(アンティノミー)に陥る、ということを明らかにしたことは、それが「悟性形而上学のこわばったドグマティズムをとり除き、思考の辯證法的運動に注意をむけさせた」という点では、彼の最も重要な功績といわねばならない。しかしカントは「アンティノミーの積極的な真の意義」(すなわち「あらゆる現実的なものは対立した諸規定を自分のうちに含んでいるということ、従って、或る対象の認識、もっと精確にいって概念的把握ということは、その対象を対立した諸規定の具体的統一として意識することにほかならないということ」)を見ぬくにいたらず、たんに、「世界の本質は矛盾といった欠点をもつものであってはならず、矛盾はただ思考する理性に、精神の本質にのみ属すべきものである」といったごくつまらない解決しかできなかった。(第四八節および補説)

カントの実践的理性もやばり理論的理性の場合と同じく「形式主義」を脱しておらず、実践的思考の法則、実践的思考が自己を規定する基準は、「この規定するはたらきに矛盾がおこらないという悟性の同じ抽象的同一性」(「意志の自己一致、義務のために義務をなせ」)よりほかのなにものでもない等、等。(第五四節および補説)
(C)客観性へ向かう思惟の第三の態度 
Dritte Stellung des Gedankens zur Objektivität = Das unmittelbare Wissen

(C)このように批判哲学は思考を主観的なものとみ、思考の究極の使命を「抽象的普遍性、形式的同一性」と考えるから、「具体的普遍としての真理」は思考ではとらえられないということになる。最後の「直接知」の立場(ヤコービ)は、これとは逆に「思考を単に特殊なものの活動として理解し」、そのためにやはり「思考には真理をとらえる力がない」と考えている。(第六一節)すなわちこの立場では、思考・概念的把握-認識などがたんなる悟性的活動として、すなわち「制約されたもの、依存的なもの、媒介されたもの、有限なもの」の形式で対象をとらえることとみられており、したがって「真実なもの、無限なもの、無制約者、神」などといったものは思考ではとらえられないと考えられている。(第六二節)そして真理や神を知るのは精神-理性のみであり、これは思考とは異なる無媒介の「直接知、信仰」、すなわち知的直観だと考えられている。(第六三節)神や永遠なものの存在を認めているのはよいことだし、それが有限な媒介知(悟性)だけではとらえられないのも事実であるが、この立場の特徴的な誤りは、「直接知がそれだけ孤立し、媒介を排斥して、真理を内容としてもっている」とするところにある。こうした排他的・孤立的な考え方は、「さきにのべた〔旧〕形而上学的悟性のあれかこれかへ逆戻りした立場」、「有限なもの、すなわち、一面的な諸規定への固執」にほかならない。(第六四節、箪六五節)「直接性の諸規定と媒介の諸規定とをそれぞれ一方だけ絶対視して、それらが何か固定した区別をもつように思うのは、普通の抽象的な悟性にすぎない。」(第七〇節)だから「抽象的な思考(反省的形而上学の形式)と抽象的な直観(直接知の形式)とは同じものである。」(第七四節)

以上のように、ヘーゲルは経験論や批判哲学や直接知の立場がすべて古い形而上学と同じ方法上の欠陥をもつことを問題にしているのであって、それらの対象や内容を直接問題にしているのではない。

哲学の対象や内容については、彼自身も伝統的な形而上学の立場に立っている。だから、古い形而上学や直接知の哲学が絶対者・無制約者・永遠なもの・無限なもの・神というような理性的な対象をとらえようとしたことは、むしろその長所である。ただし古い形而上学はこのような理性的な対象を悟性の抽象的で有限な規定(媒介知)によってのみとらえようとしたし、直接知の立場は悟性の媒介知を全く排斥し、概念的思考を断念して、理性的対象を信仰や直観にゆだね、哲学の立場を自ら放棄してしまった。その点で古い形而上学も直接知もともに一面的で固定的な考え方に陥っている。しかし実際は、「知の直接性はその媒介を排斥しないばかりでなく、直接知は媒介知の所産であり成果であるというように、直接性と媒介とは結びついているのである。」(第六六節)

知においてだけではない、存在においても直接性と媒介とは同様に結合している。子供は現に在るものとしては直接的にあるのだが、両親から生まれたものとしては媒介されたものである。「私がベルリンにいるという私の直接的な現在性は、ここへ向ってなされた旅行によって媒介されている。」(同節)

「宗教や道徳も、それがどんなに信仰であり直接知であっても、開発、教育、教化などとよばれている媒介によって制約されている。」(第六七節。)

連関や移行や発展もみな媒介なのである。「直接性そのもののうちに媒介がふくまれている」のであるから、この両者を統一的に結びつけて考えなければ、真実のものをとらえることはできない。(第七〇節)

しかしたんに自分の外にある他者に関係し、他者によって媒介されたものは、まだ特殊的なもの・有限なものにすぎない。

無限なもの・神は、他者によって媒介されたものでなく「自己のうちで自己を自己によって媒介するもの」、「媒介と直接的な自己関係とが一つになっているもの」であり、これこそ具体的な生きた精神としての神である。(第七四節)

こうして形而上学的な絶対者を概念的に認識する方法として、媒介知と直接知とを綜合統一しうるような思考方法が求められねばならぬ。

すなわち、絶対者の認識に到達するために、あらゆるカテゴリーの媒介過程を通る必要があるがこの過程は、一つの有限な悟性規定がその否定であり他者である対立規定に移行し、さらにこれら二つの規定を統一的に含むより高い第三の規定に進むという形をくりかえしながら進行する。

このような思考方法は、全体としては「思弁的方法」と名づけられよう。それは、必ずしも辯證法的方法とおなじものではない。「辯證法」とか「辯證的なもの」というときには、この思考過程のいわば第二段階、すなわち第一の悟性規定が自己を否定してその対立規定に移行する否定的・理性的な側面を指す。しかしこの否定的自己運動なしには思弁的方法は成立しないのであって、これが論理学の方法全体の原動力であり、方法の核心である。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書 :ヘーゲル 2

2005-05-12 | 哲学 Philosophy
ヘーゲルは伝統的な形而上学(客観的観念論)の立場から、思考と存在とを同一視し、概念や思考諸規定を事物の本性、対象の本質とみなしている。悟性や、理性、さらに概念・判断・推理といったようなものは、たんに個人としての人間のうちにだけあるのではなく、客観世界のすべての領域(自然と社会)に、世界の本性として内在しているのである。精神の世界(個人・社会)も自然の世界も同じ論理的法則によってつらぬかれているからこそ、われわれの思考は事物の客観的真理を認識しうる。

「悟性とか理性とかが対象的世界のうちに存在するということ、精神と自然とが普遍的法則をもっており、この法則にしたがってその生命とその諸変化が生ずるということが言われる限り、思考諸規定も同じように客観的な価値と存在とをもつことが承認される」とヘーゲルがいうのはそのことである。この場合「普遍的法則」といわれているのがつまり論理的法則であって、彼のいわゆる「論理的なもの」(das Logische)あるいは「理念」の運動法則にほかならない。

そしてこの論理的なものの運動法則に従って自然や精神が生成発展するところに、事物の様式とか概念の様式とかいわれるものが成立するのであって、これがつまり彼のいう「方法」なのである。

「悟性は対象的世界のすべての領域にみられる。」(『小論理学』第八0節補説)
「理性は世界に内在するもの、世界のもっとも内面的な本性である。」(同じく、第二四節補説一。)
「概念も判断も一にわれわれの頭のなかにあるのではなく、また単にわれわれによって作られるのではない……。概念は事物そのものに内在しているものであり、それが事物をまさにそのものたらしめるのである。」(同じく、第一六六節補説)

 ところでこの論理的なものの運動法則はヘーゲルによって純粋な根源的な客観的思考法則=存在法則という性格を与えられている。というのは、純粋な概念と真実の存在とが「論理的なもののうちに含まれる二つの契機」だからである。

論理的なもの(理念)は純粋な論理の世界に生きている魂ともいうべきものであるが、そのうちにある二つの契機によってそれは自然の世界にも精神(社会・歴史・人間)の世界にも姿を現わす。理念みずからが自分の法則(弁証法)に従って運動発展し、自然と精神とのあらゆる領域で自己を展開し実現してゆくのである。したがって現実世界におけるあらゆる存在の活動は理念の運動法則の現われにほかならない。このことをヘーゲルは「自然および精神の諸形態は、純粋な思考の諸形式の特殊な表現様式にすぎない」ともいっている。

では、その「論理的なもの」の運動はどのような形でおこなわれるのか。ヘーゲルはそれを、次のような三つの側面あるいは契機に分けて説明する。「論理的なものは形式の上からみて三つの側面をもっている。すなわち、

(a)抽象的あるいは悟性的な側面、
(b)弁証的あるいは否定的理性的な側面
(c)思弁的あるいは肯定的、理性的な側面
がそれである。(『小論理学』第七九節)
Das Logische hat der Form nach drei Seiten: die abstrakte oder verständige, die dialektische oder negativ-vernünftige, die spekulative oder positiv-vernünftige

「(a)悟性としての思考は、固定した規定性と、それの他の規定性にたいする区別性とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものが、それだけで成立し存在するとみている。」(同じく、第八〇節)
Das Denken als Verstand bleibt bei der festen Bestimmtheit und der Unterschiedenheit derselben gegen andere stehen; ein solches beschränktes Abstraktes gilt ihm als für sich bestehend und seined.

「(b)弁証的な契機は、このような有限な諸規定がみずから自己を揚棄すること、そしてその対立規定へ移行することである。」(同じく、第八一節。)
Das dialektische Moment ist das eigene Sichaufheben solcher endlichen Bestimmungen und ihr Übergehen in ihre entgegengesezte.

「(c)思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは、諸規定の対立のなかにあるそれらの統一を、すなわち諸規定の解消と移行のなかにふくまれている肯定的なものを把握する。」(同じく、第八二節。)
Das Spekulative oder Positiv-Vernünftige faßt die Einheit der Bestimmungen in ihrer Entgegensetzung auf, das Affirmative, das in ihrer Auflösung und ihrem Übergehen enthalten ist.

すなわち、
(a)人間の思考はまず悟性としてはたらくが、悟性の原理は抽象的同一性であり、単純な自己関係であって、一つの規定をその他者からきりはなして孤立させ、両者を無関系なもの、絶対的に区別されたものとみる。
普通、形式論理学が最高の思考法則としてかかげる同一律や矛盾律は、この悟性の原理を命題にしたものにほかならない。

「同一性の命題〔同一律〕は、すべてのものは自己と同一である、すなわち、A=A、また否定的には、AはAであると同時に非Aであることはできない〔矛盾律〕、というのであるが、この命題は、真の思考法則ではなく、抽象的悟性の法則であるにすぎない。」
Der Satz der Identität lautet demnach: ‘Alles ist mit sich identisch; A=A; und negative: ‘A kann nicht zugleich A und nicht A sein’.----Dieser Satz, statt ein wahres Denkgesetz zu sein, ist nichts als das Gesetz des abstrakten Verstandes.

ところで、古い形而上学の思考方法は、この抽象的悟性の法則に従ったものであった。そのために、たとえば、「世界は有限か無限か」、「魂は単一か複合的か」というような問題のだし方をして、それをあれか-これかと一面的・固定的に解決しようとした。そこでは、有限と無限、自由と必然、本質と現象、善と悪、などといった対立的な諸規定の相互が、絶対的な区別をもち、動かすことのできない対立をなすと考えられていたのである。

しかし、(b)具体的な真理はそのような一面的で固定した規定によって汲みつくしうるものではない。もし有限な思考規定をもって無限なものを把握しようとするならば、思考は必然的に自己矛盾に陥らざるをえないであろう。そして、このことを「純粋理性の二律背反」として示したのが、カントの偉大な功績であった。古い形而上学の立場では、認識がもし矛盾におちいるならば、それはただ偶然の過ちであって、推理や論証における主観的な誤謬にもとづくと考えられていた。

カントによれば、これとは反対に、思考が無限なものを認識しようとすれば矛盾(アンチィノミー)におちいるということは、思考そのものの本性に属することがらなのである。」すなわちカントは「悟性の諸規定によって理性的なもののうちに定立される矛盾が本質的であり必然的である」こと、つまりそれが一つの思考法則であることを示したわけである。しかし彼は根本においてやはり古い形而上学と同じ同一性の論理に立ってこの問題を解決しようとしたために、このような矛盾のなかに真理を見いだすことができず、アンティノミー(純粋理性の弁証的推理)を仮象の論理、すなわち虚偽を生みだす思考の法則性と考えた。しかも、カントは宇宙論からとられた四つの特殊な対象にのみアンティノミーを認め、矛盾の普遍性ということに気づかなかった。しかし実際は、ヘーゲルによると、アンティノミーは「あらゆる種類のあらゆる対象のうちに、あらゆる表象・概念および理念のうちに見いだされる」真理の法則性なのである。そして思考そのもののこの本性こそ、彼が「論理的なものの弁証的契機das dialektische Moment des Logischen」と名づけるものにほかならない。(*『小論理学』第四八節、および同節補説)

もっとも、ヘーゲルはあらゆる矛盾が真理だとか、形式論理学の矛盾律を否定してよろしいとかいっているのではない。むしろ「悟性的な思考にもその権利と功績を認めなければならない」ことを彼は注意している。悟性の思考法則(同一律や矛盾律)を認めなければ、物事をはっきり区別して考えることはできず、判断や推理は混乱してしまうであろう。

問題は悟性を否認することではなく、悟性がすべてであり最後のものであり絶対であるとする考えをすてることである。われわれの思考は悟性につきるものではなく、より高次な理性的思考というものがある。われわれは悟性を欠くことはできないが、真実のものをとらえようとすれば悟性的思考にとどまることはできない。悟性は有限なものであって、無限なもの・絶対的なものを認識する力をもたない。だからといって、悟性をすてて理性だけで絶対的なものを把握しようとするならば、われわれは直接知の立場に陥る。それは概念的把握ではなく、真の理性的思考とはいえない。

真実の哲学的思考は、有限な悟性規定によって媒介されながら無限なものの理性的認識へと発展するのである。この場合まず、有限な悟性規定は自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対の悟性規定へ移行する。が、これはすでに理性的思考へのたかまりであり、ヘーゲルはこの「高次の理性的運動を弁証法と呼ぶ」のである。「〔学の〕内容を.動かすものは内容自身であり、内容がそれ自身でもっている弁証法である」という彼の言葉もこれをさしている。

 だから弁証法とは概念の自己揚棄の運動法則といってよい。

概念のこの自己揚棄の運動は、概念が自分自身のなかにもっている否定的な契機(これをヘーゲルは「弁証的なもの」とよぶ)を推進力としておこなわれる。

すべての概念は、有限な悟性規定としては、自分自身のなかに自分を否定するもの・自分の対立規定をもっており、したがって自己のうちで自己と矛盾し、そのことによって自己を揚棄してその対立規定に移行するものである。概念のこの自己揚棄は自己否定・自己矛盾の運動である。だからヘーゲルはこれを「否定的=理性的な側面」ともよぶ。

しかし、(c)この概念の自己揚棄はたんなる否定ではなく、自己を保存しながら自己を否定する運動である。

概念が一つの規定からその対立規定に移行するということも、有限な悟性規定が同じく有限な反対の悟性規定に変化することではなく、これらの対立する両規定を統一的に含む、より高いより豊かな概念に転化することを意味する。概念の自己揚棄と対立規定への移行という弁証法的運動は、このようにして対立した規定の統一という肯定的な成果を生みだす。だからヘーゲルはこれを「肯定的=理性的な側面」とよび、あるいは「思弁的な側面」ともいうのである。

aufheben(揚棄する・止揚する)というドイツ語が二重の意味をもつことについて、ヘーゲルはこう述べている。

「アウフヘーベンという言葉をわれわれは第一に<除去する><否定する>という意味に理解し、従って例えば或る法律・制度等々がアウフヘーベンされたと言う。しかしアウフヘーベンは更に《保存する》ことをも意味し、この意味でわれわれは、或るものがよくアウフヘーベンされていると言う。この用語上の二義性によって同じ語が否定的な意味と肯定的な意味とをもつのであるが、この二義性を偶然とみてはならない。いわんやそれを、混乱をひきおこすもとだといって、ドイツ語に対する非難の種にしてはならない。むしろそのなかに、単に悟性的な《あれか-これか》以上に進んでいるドイツ語の思弁的精神を認識すべきである。」(『小論理学』第九六節)

**思弁(Spekulation)という語をヘーゲルは「肯定的=理性的な思考」という意味で使用する。(『小論理学』第八二節補説。)

さて、ヘーゲルの「論理的なものの運動」は上のような三つの側面ないし契機をもって進展する概念の自己運動であるが、このような進展形式は思考の本性からでてくる本質的・必然的なものとされているのであるから、ヘーゲルはこれを悟性の思考法則にたいしてより高次の理性の思考法則と考えていたわけである。

しかし注意すべきことは、さきにも述べたように、悟性の思考法則はたんに否定され除去されるのではなく、揚棄されるのだということ、すなわちそれは理性の思考法則のなかに一つの契機として保存されているということである。悟性をはなれて理性がなりたつのではない。悟性と理性とを《あれか-これか》の形で分離し対立させる考え方は、それ自身悟性的な思考法だといわねばならない。

もう一つ、ヘーゲルはこの理性の思考法則を全体としては必ずしも弁証法的法則とよんでいないことも注意する必要があろう。ヘーゲルの思考方法が全体としては思弁的方法とよばれたように、この方法の客観的基礎である思考法則も、全体としてはむしろ思弁的思考法則とよぶべきものである。

しかし方法についていわれたと同じように、ここでもまた、弁証法的な側面が法則全体の核心をなすということができる。この核心に着目してヘーゲルの思考法則を特徴づけるならば、それはやはり「弁証法的法則」あるいは簡単に「弁証法」とよんでさしつかえないのである。

このようにみてくると、へ-ゲルの弁証法的思考法則は、古い形而上学の思考方法の基礎にあった抽象的同一性の論理(悟性的思考法則)を揚棄した矛盾の論理(高次の理性的思考法則)であり、これが彼の弁証法的思考方法を成立させる論理的基礎であったことがわかる。

それはすでにプラトン=新プラトン派にみられたような、矛盾の論理を真理の論理(存在認識の法則)と考える伝統をうけつぐものであるが、ヘーゲルの前進はこの客観的思考法則を根源的な弁証法として把握した点にある。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書: カント 1

2005-05-11 | 哲学 Philosophy
カントの超越論的辯證

 悟性による多くの認識に超経験的な対象の概念によっア・プリオリの統一を与えようとする能力を理性という。この統一のための概念(純粋理性概念)をカントはプラトンに倣って「イデー(理念)」(Idee)と呼ぶ。理念は、経験のうちに見いだされず、経験の範囲内に限局されざる対象の概念である。

理念の三種

(1) 心理学的理念(die psychologische Idee)
「霊魂」(Seele)または「心」(Gemüt):内的現象に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。
(2) 宇宙論的理念(die kosmologische Idee)「世界」(Welt):外的現象の総括、外的現象にかんする多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。
(3) 神学的理念(die theologische Idee)「神」:現象界を越えて、現象一般に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。

前進的綜合(die progressive Synthesis) 制約するもの(推論の前提)→制約されたもの(推論の結論)
背進的綜合(die regressive Synthesis) 制約されたもの→制約するもの→ ・・・→無制約的なもの(理念)

純粋理性の概念は、現象に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与えるための概念であって、これらの概念の対象は、決して「与えられている」(gegeben)ものではなく、むしろ「課せられている」(aufgegeben)ものである。理念は、現象に関する悟性の認識をできる限り大きな範囲に継続拡張し、これにできるかぎりの体系的統一を与えるための「理性の統制的原理(das regulative Prinzip der Vernunft)」であるが、現象を越えて範疇を使用するための原理、すなわち「理性の構成的原理(das constitutive Prinzip der Vernunft)」ではない。

しかしながら、統制的原理である理念を構成的原理へとすり替えることによって、超越論的な仮象が生まれる。

このような仮象を生み出す辯證的理性推理は、理念の三種に応じて三種ある。

(1) 霊魂:超越論的誤謬推理(transzendentaler Paralogismus)
霊魂を実体化し、その被物質性・単純性・不滅性・人格性を論証することはできない。

(2) 宇宙:純粋理性の二律背反(Antinomie der reinen Vernunft)

(i)  定立 「世界は時間上始まりを有し、空間上も限界を持つ。」
   反定立 「世界は時間上始まりを持たず、空間上、限界を持たない。」

(ii) 定立 「世界における複合実体は、いずれも単純な部分からなる(一般に単純なもの、また単純なものから合成されうるもののみが存在する)」
  反定立「世界における複合せられたものは、決して単純な部分から成立せず、また一般に世界には決して単純なものは存在しない。」

(iii) 定立 「自然の法則に従う因果性は、世界の諸現象が、ことごとくそこから導出される唯一のものではない。現象の説明には、なお、自由による因果性(eine Kausalität durch Freiheit)が必要である。
  反定立「自由なるものはない。世界における一切は、もっぱら自然の法則に従って生起する。」

(iv) 定立 「世界には、その部分としてか、あるいは全体としてか、絶対に必然的な存在たる或る物が属する」
  反定立「世界のうちにも、また世界の外にも、絶対に必然的なる存在はどこにもない。」


(3)神:純粋理性の理想(das Ideal der reinen Vernunft)
     
理想とは個物としての理念(die Idee in individuo)である。理性による神の現存在の証明として次の三種をあげそれを批判する。

(1)「存在論的証明」(der ontologische Beweis)
あらゆる経験に先だって、ア・プリオリに単なる概念から神の現存在を推論する。

(2)宇宙論的証明(der cosmologische Beweis)
世界の偶然性から(a contingentia mundi)から神の現存在を推論する。

(4)自然神学的証明(der physiko-theologische Beweis)
人間の技術との類推に基づいて、世界の秩序・合目的性・美しさから、悟性並びに意志を持った自由なる叡智者が自然の根柢にあると推論する。


(補足説明)

 悟性認識の体系的統一即ち理性統一が求めらるべきであるというのが理性の要求である。この統一は、与えられているのでなく、課せられているのである。イデーは、かかる理性統一を探究するための形式(=形相)的原理にほかならぬ。しかるに、この形式(=形相)的原理が「先験的すりかえ」(transzendentale Subreption)によって「構成的原理」と考えられ、この統一が「実体化して」(hypostatisch)(=「基体的に」)表象せられることも、また避けがたい。かくて極めて自然にも、「統制的原理」であるものが「構成的原理」に転化せられて、そこに「先験的仮象」(「弁証的仮象」)が生ずるに至る所以がある。これは極めて自然な、避けがたいものであるが、厳にしりぞけられねばならぬものであるとカントは考えるのである。先験的仮象を生み出す弁証的理性推理は、イデーの三種に応じて三種ある。第一の弁証的理性推理は「先験的誤謬推理」(transzendentaler Paralogismus)とよばれ、第二の弁証的推理における理性の状態は「純粋理性の二律背反」(Antinomie der reinen Vernunft)とよばれ、第三の弁証的理性推理の対象は「純粋理性のイデアール(理想体)」(das Ideal der reinen Vernunft)とよばれる。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書: カント 2

2005-05-10 | 哲学 Philosophy
「純粋理性の誤謬推理」

「考えるものとしての私」は「霊魂(=心)」といわれる。合理的心理学は、「私は考える」(Ich denke)という唯一の命題から、霊魂は「実体」(Substanz)であると考え、ここから霊魂の「非初質性」・「不滅性」・「人格性」・「精神性」・「物体との交互作用」のごときを導き出すのであるが、カントによると、「考えるものとしての私」とは「統覚の自我」として、「単純な、それ自身まったく内容を欠いた表象」であり、すべて客観を捨象せる「思惟形式」(die Form des Denkens)としての「自己意識」(Selbstbewußtsein)Jを意味している。それは、「限定する(bestimmend)自己」の意識であって「限定され得る(bestimmbar)自己」の意識ではない。それは「概念」であるとすらもいうことはできず、むしろ「あらゆる概念に伴う一つの意識」にすぎないのであり、「あらゆるカテゴリーにその運載者(Vehikel)として随伴する」ものであって、「直観において与えられたもの」を意味しているのではない。したがって、それに「実体」というカテゴリーを適用するわけにはゆかぬ。

*合理的心理学の主張を、推論形式で表示すれば、次の如くなるであろう。

大前提: 主体(Subjekt)として以外に思惟せられ得ないものは実体(Substanz)である。
小前提: 思惟するもの(ein denkendes Wesen)は、主体Subjekt)として以外に思惟せられ得ないものである。
結論:  故に、思惟するものは実体である。

ここに媒概念は「主体(Subjekt)として以外に思惟せられ得ないもの」であるが、大前提においては「直観において与えられる主体として思惟せられるもの」を意味しているが、小前提においては「直観において与えられず、ただ思惟形式としての主体としてのみ思惟せられるもの」を意味している。従ってその推論は、媒概念多義性の誤謬推理であるということになる。

以上がカントの説明の要旨であるが、カントの当時、Subjekt (主体)とは、伝統的には「主語」の意味であり、今日でも、その言葉は、なおその意味に使われる場合が多い。「主語(Subjekt)が実体(Substanz)である」とは、アリストテレス以来、西洋哲学における伝統的な考え方である。それに反して小前提における《Subjekt》(主体)とは、経験論的な能力心理学を形相化し得たカントによって、はじめて新しい意味を与えられたのであって、先にのべた「先験的演繹論」は、そのためにカントが絶大の労苦を払ったことを我々に告げている。今日、日本語で「主観」と訳せられる意味は、ここではじめて与えられてくることになる。従って、このような形相的観念論の立場を獲得し得たカントにとって、「主語(Subjekt)が実体である」という伝統的命題は、ただちには肯定されなくなる。実体であり得るような「主語」(Subjekt)とは、感性的直観に与えられる「質料」を備えていなければならない。カントは、その意味に大前提を解する。

しかるに伝統的な意味で「主語(Subjekt)が実体でおる」といわれた場合の「主語」(Subjekt)は、感性的直観に与えられる質料を備えている必要はなかったのである。

《Subjekt》は日本語で一方では「主語」とも訳され、他方では「主観」とも訳される両方の意味をもっているともいえるわけであるから、それを利用していえば、前述の大前提に於ける《Subjekt》は「主語」の意味であり、小前提に於ける《Subjekt》は「主観」の意味であるから、この意味で、媒概念多義性の誤謬推理であるということにもなるのである。

しかしカントにおいて、Subjekt の「主観」としての意味は、なお曖昧な点を残している。それはなお、伝統的な形而上学的存在論のモティフを残している。

小前提において「思惟する私はSubjekt(主体)として以外に思惟せられ得ぬものである」という場合、この《Subjekt》(主体)とは、感性的直観における質料を欠いた思惟形式であり、「限定する自己の意識」として自発性において捉えられながら、なお固定化せられている。この意味でカントはそれが「思惟せられたもの」であるというのであるが、このように固定化せられて捉えられているために、思惟という作用の「主体」であり「基体」として、それがふたたび「実体」として想定せられ得る道が開かれているのである。これを独断的に想定するなら、伝統的な合理的心理学への逆転であるが、カントの場合には、理性統一のための「発見的原理」として想定するという作業仮設の意味で許容されるのであり、さらに道徳哲学で進んで霊.魂の不死が要請され得る途を開いておくのである。

これは伝統的形而上学の全き破壊ではなく、その変貌・浄化であり、実は伝統的形而上学の人間学化のカント的段階を意味するのである。《Subjekt》(主体)のカント的固定化を流動化する方向にカント以降のドイツ観念論は展則されたということができるであろう。

 合理的心理学は誤謬推理に基づいているとされることによって、在来の合理的心理学は根抵的な打撃を与えられ、心(霊.魂)の非物質性・不滅性・人格性のごときを立証することはできぬとせられたわけであるが、これと共に、またその反対を立証することも不可能とせられたわけである。「考えるもの」としての心(霊魂)には、「実体」のカテゴリーは適用できぬのであるから、「唯心論」(Spiritualismus)と共に「唯物論」(Materialismus)もまた成立し得ぬのである。しかしそれは「知識」(Wissen)としては成立し得ぬということであって、内的現象に関わる多くの悟性認識に理性統一を与えるための純粋理性概念としてこれを統制的に使用することは認められるのであり、さらに進んで、その積極的な決定は、「信仰」(Glauben)の領域に移されるのである。理論理性の問題であるよりは、むしろ実践理性の問題となるのである。


純粋理性の二律背反

「二律背反」とは、外観上、独断的なる二つの認識-「定立」(Thesis)と「反定立」(Antithesis)と-の間の矛盾をいう。

*純粋理性の二律背反は宇宙論的イデーに関わる。カントは、宇宙論的イデーを、カテゴリーの表を手引きとして提示する。(A.408-415, B.435-4429)
宇宙論的イデーは「現象の制約の系列の絶対的総体性」である。そこで宇宙論的イデーは、制約が系列をなす点に注目されることによって導かれる。

第一には分量のカテゴリーであるが、現象する量は時間と空間とである。ある与えられた時間に対する制約は、それに先行する時間であり、それに対する制約は、さらにそれに先行する時間である。そこでここに系列が成立し、或る与えられた時間までに経過せる全時間が、制約の全系列をなすのである。また或る与えられた空間に対する制約は、その空間を限界付ける、より大なる空間であり、その制約は、さらにそれを限界付ける、より大なる空間である。ここにも系列が成立し制約の系列の絶対的総体性というイデーが成立する。

 第二に質のカテゴリーでは、実在性即ち物質が被制約者とみなされ、これを内的に制約するものはその部分であり、さらに、それを制約するものは部分の部分である。かくしてここにも系列が成立し、完全なる分割というイデーが成立する。

 第三に関係のカテゴリーでは、因果性のカテゴリーが系列をなしている。被制約者としての結果から、制約としての原因へ、さらにその制約としての原因へとさかのぼり、かくて制約の全系列を構成することができる。

 第四に様相のカテゴリーでは、偶然的なるものが被制約者とみなされ、偶然的なるものを必然的ならしめるその制約へ、さらにその制約の制約へとさかのぼり、最後に、絶対必然性がその系列の総体性において見出されることになる。

 以上四種類の宇宙論的イデーに相応じて、純粋理性の二律背反は四種類成立する。
 
 カントによると、純粋理性の二律背反には、次の四種がある。

第一の二律背反
定立 「世界は時間上、はじまりを有し、空間上も限界の内に閉されている。」
反定立「世界は、時間上はじまりを有たず、空間上、限界をもたぬ。むしろ、時間に関しても空間に関しても無限である。」

第二の二律背反
定立 「世界における複合的実体は、いずれも単純なる部分より成る。一般に、単純なるもの、または単純なるものから合成せられるもののみが存在する。」
反定立「世界における複合せられたものは、決して単純なる部分から成立せず、また一般に世界には決して単純なるものは存在しない。」

第三の二律背反
定立 「自然の法則に従う因果性は、世界の諸現象が、ことごとくそこから導出せられ得る唯一のものではない。現象の説明には、なお自由による因果性(eine Kausalitaet durch Freiheit)を想定することが必要である。」
反定立「自由なるものはない。世界における一切は、もっぱら自然の法則に従って生起する。」.

第四の二律背反
定立 「世界には、その部分としてか、あるいは、その原因としてか、絶対に必然的なる存在体たる或るものが属する。」
反定立「世界のうちにも、また世界の外にも、世界の原因として、絶対に必然的なる存在体はどこにも存しない。」

カントはこれらの「定立」と「反定立」とに対して、それぞれ詳細な証明を行っている。これら両者が、それぞれ理論上、成立し得ることを示さんがためである。カントによると、「定立」の側は「独断論」(Dogmatism)を、「反定立」の側は「経験論」(Empirismus)を、それぞれ代表しているのである。これらの二律背反という難問に純粋理性が逢着するのは、世界、即ち現象の総括が、「与えられている」と考えるところに成立するのである。世界が時空上限界があるかないか。世界における物質の要素として単純なるものがあるかないか。世界には自由なるものがあるかないか。世界には、決して偶然的ならざる必然的なる存在体、自らによって存在する存在体があるかないか。これらの問に対して世界が「与えられている」ものと考えるから、その何れかでなければならないと考えるのであるが、しかし世界は、「それ自身においてあるもの」(=「物自体」)として「与えられている」ものでなく、実は、「現象」として、その総括が、我々に「課せられている」ものにほかならないのである。まことは「現象」であるものを「物自体」と考え、まことは「課せられている」ものを「与えられている」と考えるところに、純粋理性の二律背反という難問が生じたのに外ならぬ。

時間をどこまでも遡源し空間のひろがりをどこまでも拡大するということ、また物質をどこまでも分割してゆくということ、また因果の系列を遡源してどこまでも原因の原因を求めてゆくということ、さらにまた、偶然的なるものを必然的ならしめる必然性をどこまでも追求しゆくということ、これらの手続きはどこまでも「不定の範囲に」(in indefinitum)行われ得るのであって、我々にはこのようにして現象を総括することが「課せられている」のである。現象の総括そのものは、「与えられている」のではない。世界は、時・空上、有限であるともいえず無限であるともいえず、また世界には、単純なるものが有るともいえず無いともいえず、また自由なる原因があるともいえず無いともいえず、さらにまた絶対に必然的なる存在体があるともいえず無いともいえない。これを何れかに決定しようとする二律背反の定立も、反定立も、共に誤りであるといわなければならない。

 しかしながら第一と第二の二律背反と第三と第四の二律背反とでは、事情をやや異にしている。カントによると、第一と第二の二律背反においては、定立と反定立との矛盾は、いかにしても調停せられることはできぬが、第三と第四の二律背反においては、定立と反定立とが、共に他を否定して自己を絶対に主張することは誤りであるとしても、なお両者が共に真たり得るとして調停せられることは可能である。定立の側を物自体の世界に、反定立の側を現象の世界に関わらしめるなら、両者は共に真たり得るとして調停せられることができるであろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書: カント 3

2005-05-09 | 哲学 Philosophy

 カントは、カテゴリーの「分量」と「性質」を数学的カテゴリーとよび、「関係」と「楼相」とを力学的カテゴリーとよんだのに応じて、純粋理性の二律背反の前の二つを「数学的二律背反」とよび、後の二つを「力学的二律背反」とよぶ。カントによると、「数学的二律背反」における「無制約者」即ちイデーは、被制約者の系列の一部をなすものであって、それと「同種的」(gleichartig)であるが、力学的二律背反における「無制約者」-即ち自由なる原因、及び絶対必然的存在体-は、被制約者の系列-即ち自然の因果の系列及び偶然的なるものの系列-の外に存する「単に可想的」(bloss intelligibel)な「異種的制約者」(ungleichartige Bedingung)である。

「現象の制約の系列の絶対的総体性」は有限なものともいえず、また無限なものともいえず、その意味で二律背反の定立も反定立も共に誤りであり、ただ系列の背進的綜合が「不定の範囲に」(in indefinitum)行われ得るという統制的原理を示すにすぎないのであるが、しかしかかる背進的綜合が同種的なるものの綜合でなく、異種的なるものの綜合を意味する場合には、無制約者はこの系列の外にあるのであるから、たとえ背進的綜合が不定の範囲のものであっても、無制約者が存在し得ると考えることは可能になるのである。

 かかる調停はいかにして客観的実在性を得ることが可能であろうか。特に第三の二律背反は、『純粋理性批判』を『実践理性批判』に結びつける重大な点であり、したがってまた、カントの哲学体系にとって最も重要な内容を含むものであるから、次に、第三の二律背反について問題の要点をのべよう。

 例えば一つの悪意ある嘘言のごときある不道徳な行為を為した人を我々が非難する場合を考えてみよう。我々はこのような行為を生み出すに至った自然原因を探究することができる。良くない教育、悪い交際関係、恥知らずの気質、軽卒さ、無思慮などその他、行為に機縁を与えるような「機会原因」)(.=die veranlassende Gelegenheitsursache )を見出し、行為がこれらの原因によって規定せられていることを信ずる。それにもかかわらず、人々はその行為者を非難する。彼はそうせざるを得なかったかもしれないが、そうすべきではなかったと。それは何故であるか。

カントによれば、「人間には、感性的衝動による強制から独立に、自ら自己自身を規定する能力が存している」からである。即ち、「自然に従う因果性」(Kausalität nach der natur)のほかに、「自由からの因果性」(Kausalität aus Freiheit)なるものがあり、後者は「一つの状態を自らはじめる能力」であり、「自らはたらきはじめる自発性」であり、「他の原因の先行することなき自発性」である。第三の二律背反の定立の側でいわれた「自由による因果性」とはかかるものであると解することができる。かかる先験的イデーとしての自由を、自由の実践的概念は某礎としている。「実践的自由」(praktische Freiheit)は、「あることが起らなかったけれども、しかもそれが起るべき(sollen)であった」ということを前提とする。即ち、「自然.原因(Naturursache)から独立に、のみならず、自然原因の強制と力とに反抗してすら、あるものを生み出す因果性、したがって出来事の系列をまったく自らはじめる因果性が、我々の随意性(Wirkuer)のうちにある」ことが前提せられている。実践的意味における自由とは、「感性の衝動による強制から随意性が独立している」ということである。「随意性は、感性の動因によって受動的(pathologisch)に触発(affizieren)せられる限り、感性的であり、それが受動的に強制(pathologisch necessitieren)せられる場合には動物的(即ちarbitrium brutum 動物的随意性)である。人間の随意性はたしかに感性的随意性(arbitrium sensitivum)ではあるが、しかし軸物的ではなく、自由的随意性(arbitrium liberum)である。けだし、感性は人聞の随意性による行動を必然的たらしめないからである。」カントは「感官の対象において、それ自身は現象でないもの」を「叡知的(可想的)」(intelligibel)という。かくて感性界(Sinnenwelt)において現象であるものが、それ自身また感性的直観の対象でない能力を有し、これによって諸現象の原因であり得るとすれば、その因果性は二面から考察せられ得る。しかもすべて「作用的原因」(wirkende Ursache)は「性格」(Charakter)即ち「その因果性の法則」(Gesetz ihrer Kausalitaet)を有する。かくて、我々人間の「主体(主観)の能力」(Vermoegen eines Subjekts)は、一方において「経験的性格」(empirische Charakter)を有し、他方において「叡知的性格」(intelligible Charakter)を有する。人間の主体は、その経験的性格からすれば現象であって、因果の自然法則に従い、その限り人間の行為はすべて自然法則によって説明せられねばならぬ。しかしながら、人間の主体はその叡智的性格からすれば、因果の自然法則に従属せず、一切の自然必然性から独立であり自由である。経験的性格は「現象におけるものの性格」(Charakter eines Dinges in der Ersscheinung)、叡智的性格は「それ自身においてあるものの性格」(Charakter des Dinges an sich selbst)ということができる。かくして「同一の行動」において、「自由と自然」(Freiheit und Natur)とが矛盾なく成立し得るのである。作用の結果が現象である場合、その現象の原因を「経験的因果性」(empirische Kausalitaet)の法則によって現象のうちに求めることは可能であるが、しかしカントによると「かかる経験的因果性それ自身が、非経験的にして叡智的なる因果性(ein nichtempirische, sondern intelligible Kausalitaet )の結果(Wirkung)であることが、むしろ可能ではないか」と。ここでカントは、自然因果性を、結果とするところの、より根源的な原因を考えているといってよい。ここに我々は、プラトンにおける「原因」(aitia)と「副原因」(sunaitia)以来、新プラトニズムを通じて西ヨーロッパに伝えられ、十七世紀には「原因」(cause)と「機会原因(または偶因)」(occasion)の形でとり上げられた問題が、カントによって受け継がれている姿をみることができるであろう。

「物自体」の因果性が、「現象」の因果性よりも更に根源的にして、その基礎として考えることができる、ということをカントはここで言っているのであって、こういう考え方の基本は、カントに至るまでのヨーロッパの伝統的形而上学の考え方であり、こういう思惟のモティフは、ロック、バークリィ、ヒュームのイギリス経験論をも貰いているモティフである。

現象としての原因が「機会原因」であるに対して、物自体としての原因が、真実の意味における「原因」であるという考え方としてもそれはあらわれ、マールブランシュやバークリィに、それは示されている。こういう伝統的形而上学の考え方の基本が十八世紀ドイツのカントに流れ込んでいるということは当然のことであるが、しかしそれはカント的に変容せられ、いうならば、それはカントにおいて根本的な改釈をうけているといってよい。

伝統的な考え方は、カントにおいて、そのままに肯定されているのではない。カントにおいては、その様にも考えることができる、という形で、はじめて認められているという点が重大な相違である。少くともカントは、その様に考えることが絶対にできないということを否定する。だから、そう考えることができるのではないか、とカントはいうのである。カントは確実なる認識を現象の世界に限ったが、だからといって、物自体の世界を否定するのでなく、それへの道を開けておくのである。そしていうならば、物自体の世界の方がより某礎的なる世界であり、現象の世界も、また現象の世界に対する確実なる認識の可能性すらも、物自体の世界によって保証せられ基礎付けられているということを、思惟可能として認めておこうとする。少くともカントは、ここで、絶対にそうではないということをはっきりと否定する。カントは「信仰に場所をあけるために」ここで「知識を取り除く」(das Wissen aufheben)ことをしているのである。

物自体としての原因が、現象としての原因よりも根源的であって、しかもその基礎であるという考え方は、第四の二律背反の解決-その定立と反定立との調停-に直ちにつらなってゆく。第四の二律背反の解決においては、世界の原因としても考えられる「端的に必然的なる存在体」が問題である。第三の二律背反においては、人間の主体-という作用的原因-が、現象界の系列のなかにありながら、-その限り、それは「現象的実体」substantia phaenomenonであるが、かかるものが、しかもまた同時に物自体としても考えられ得るというところに調停が可能であったのであるが、第四の二律背反においては、「端的に必然的なる存在体」即ち神が、まったく現象界の系列の外に在り、その限り「超世界的存在体」ens extramundanumであるとされる点に特質があり、そしてまさにこの点に、その調停の可能なる所以がある。即ち、現象の世界においては、その反定立が主張する如く、いかに制約の系列をさかのぼろうとも「端的に必然的なる存在体」は決して見出されることなく、そこに見出されるものはすべて偶然的なるものの系列である。しかしながらこのことは、この偶然的なるものの「全系列」が、なんらかの「叡智的存在体」即ち「端的に必然的なる存在体」によって「基礎付けられ得る」(gegruendet sein koennen)ということを「拒絶しない」のである。かくして反定立もまた認められることになるのである。即ち第四の二律背反も、その定立と反定立とが両者共に真であり得るとして解決せられる。さて右の如くであるとすると、「現象」と「物自体」との関係は、「偶然的なるもの」と「必然的なるもの」との関係として考えられ、「現象」は、「物自体」という「必然的なるもの」の「偶然的なる現われ方」(zufaellige Vorstellungsarten)であると見なすことができる、ということになる。しかし我々は、この物自体としての「叡知者」(intelligenz)即ち「神」について最少の知識すらもっていない。しかしそれに就いて我々は知識をもちたいと欲する。そこに従来の神学的形而上学の努力があったのであって、それを吟味し批判するのが、次の「純粋理性のイデアール」の問題である。

純粋理性のイデアール

「イデアール」(理想または理想体)(Ideal)とは「個体的なイデア」(die Idee in individuo)であり、「個物」(ein einzelnes Ding)としてのイデーである。イデアールは理性にとって、一切のものの「原型」(Urbild, Prototypon)であり、我々の理性そのものも、かかる「原型」の「模写物(Nachbild)」であるようなものである。理性のイデアールの対象は「原存在体」(Urwesen; ens originarium)であり、「最高存在体」(hoechstes Wesen; ens summum)であり、「一切存在体の存在体」(Wesen aller Wesens; ens entium)である。かかるものは神である。即ち、純粋理性のイデアールは、先験的神学の対象である、

理性によってなされる神の現存在(Dasein Gotes)の証明は三種だけ可能である。第一は、あらゆる経験を捨象し、全くア・プリオリに単なる概.念から神の現存在を推論する「存在論的証明」(der ontologische Beweis)。第二は不定の経験から神の現存在を推論する「宇宙論的証明」(der kosmologische Beweis)。第三は一定の経験から神の現存在を推論する「自然神学的証明」(der physiko-theologische Beweis )。この中、第一の存在論的証明が最も根本的なものである。そこでまずこの吟味からはじめる。

存在論的証明とは、神、即ち「最も実在的な存在体」(das allerrealste Wesen)は、一切の実在性(Realitaet)を有し、一切の実在性のうちにはまた「現存在」も含まれている。故に神は存在する、と推論するものであるが、しかしカントによると「長も実在的な存在体」という概念から、この概念の対象の現存在を推計することはできない。現実の百ターレルは百ターレルの概念以上のものを含んでいる。概念としては現実的な百ターレルも可能的な百ターレル以上のものを含んでいないが、私の財産状態という現実においてはそうでない。一つの対象について、これが現実に存在するということをいいうるためには、この対象の概念の外に出て、経験に頼らなげればならぬ。しかるに「最も実在的な存在体」という概念の対象は経験を超えている。故に、古来有名なる存在論的証明は成り立たぬ。

 次に宇宙論的証明は、ライプニッツによって「世界の偶然性から」(a contingentia mundi)の証明とよばれたものであって、それは次の様に推論する。世界に何かが存在するとすれば、それは原因を有たねばならぬ。何故なら、世界の中にあるものはすべて偶然的なるものであつで、それ自身において存在するものではないからである。さてしかるに、少くとも私は存在する。故に、私という偶然的なる存在者がある以上は、そこに原因が求められなければならぬ。しかし、その原因もまた偶然的なるものであるかぎりは、さらにその原因が求められなければならぬ。かく原因の連鎖、を探ねてゆけば、最後に、「第一原因」(eine erste Ursache)として、もはや偶然的ならざる絶対に必然的なる存在体が求められなければならぬ。絶対に必然的とは、自らにおいて、独立に存在するということであって、かかるものこそ、最も実在的な存在体、即ち、神である。即ち、神は存在する、と。

 このような宇宙論的証明は、カントによれば、まず第一に、現象界においてのみ使用せらるべき因果律を、現象界を超えて第一原因にまで拡張的に使用しているという誤りを犯している。そして第二に、かくして求められた絶対に必然的なる存在体が、最も実在的な存在体即ち神であるとせられるのであるが、それは、最も実在的な存在体こそ、必然的に-即ち、自らにおいて独立に-存在するものであるということを前提としているのである。しかしこのことを敢えて主張しようとすることは、さきの存在論的証明がはたそうとして、その誤りなることが既に示されたところのものである。現象界における偶然的なるものの因果の全系列を基礎付けるために、第一原因として端的に必然的なる存在体を「想定」(annehmen)することは許されることであるとカントは認めるのではあるが、しかしさらに進んで、かかるものが必然的に存在すると敢えて主張するに至るならば、それはもはや許されざる越権であると彼は考える。そしてここにこそ、宇宙論的証明の「主要論拠」(立証の腱nervus probandi)はあり、そしてこの主要論拠こそ、先にその誤りなることが暴露された存在論的証明の当の主張にほかならぬのである。かくて宇宙論的証明は、存在論的証明とは相違するかの如き外観を装いながら、実は「覆面せられた存在論的証明」(ein versteckter ontologischer Beweis)であることが、明らかにされたのである。

最後に第三には自然神学的証明であるが、これは次のように推論する。世界にはその到るところにおいて、多様.秩序・合目的性・美しさの限りなき光景が展示せられている。故に、この無限に偶然的なるものを維持し、その発源の原因であるもの、そしてこの無限に偶然的なるものの外に独立自存する「崇高にして賢明なる原因」、即ち、自由によって世界の原因であるところの「叡知者」(intelligenz)がなければならぬ、と。カントによれば、この証明は最も古く、最も明瞭で、常識に最もよく適している。しかしながらこの証明は「人間の技術との類推」(Analogie mit menschlicher Kunst)によって悟性及び意志をもった自由なる叡知者が自然の根抵に存すると推論するものであって、それはせいぜいのところ、自然の組織の合目的性とその立派な調和斉一という、世界の「形相(口形式)」(Form)に関して、その形相(=形式)の創始者である「世界建築師」(weltbaumeister)としての神に到達し得るにすぎないのであり、決して、世界の「質料」(Materie)をも創造する「世界創造者」(Weltschoepfer)としての神を証明することはできぬものである。もしも世界創造者としての神を証明しようとするならば、自然神学的証明は突如として宇宙論的証明にとび移らねばならぬ。ところが宇宙論的証明は「覆面せる存在論的証明」にほかならぬ故に、自然神学的証明も結局は存在論的証明を基礎とするものとならねばならぬ。

以上の如くして、経験の範囲を超えた理性の「思弁的使用」(der spekulative Gebrauch)においては、最高の存在体たる神の現存在のいずれの証明も成立せぬことが明らかにせられたが、しかしこのことは、神の現存在を否定することではない。神が経験、の範囲を超えた存在体である以上、思弁的理性は神の存在を証明することができぬと同様に、神の存在を否定することもまたできぬ。「有神論」(Theismus)が成立し得ぬと共に、「無神論」(Atheismus)もまた成立し得ぬ。しかしそれは理論として成立し得ぬということであって、結局、問題は実践の世界に移されるであろう。もしも、「道徳律」を手引とし基礎とする「道徳神学」(Moraltheologie)が成立し得るとすれば、神の現存在は積極的に想定され要請されねばならぬであろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書:アリストテレス

2005-05-08 | 哲学 Philosophy
アリストテレスの弁証法-批判検討の方法として-

トピカ 「弁証的推理」を主題的にとりあつかった彼の『トピカ』は、まず巻頭で次のように論じている。(100a-101a)

「この著述の意図するところは、われわれが、提起されたそれぞれの問題について、一般に承認された意見から推理することができるような方法、また答弁するさいに、自分で矛盾したことを言わないようにする方法、を発見することにある。まずはじめに推理(sullogismoV) とはなにか、それにはどんな種類があるか、ということを述べねばならない。それは弁証的推理を把握するためであり、この推理を研究するのがこの著述の仕事なのである。さて推理とは、或るものが定立されたとき、その定立されたものを通じて、それとは違ったものが必然的に帰結するような言論(logoV)である。ところで
(1) 推理が、真で第一の前提からなされるとき、または第一で真のものから認識されたものを前提としてなされるとき、その推理は論証(apodeixiV)である。これに対して、
(2)一般に承認された意見から為される推理は弁証的な(dialektikoV)推理である。
真で第一のものというのは、他のものの故にでなく、それ自らの故に信じられるもののことである。というのは、学問の諸原理においては、われわれは何故にということを問うべきではなくて、それぞれの原理はそれ自らにおいて信じられるものでなければならないからである。ところが、一般に承認された意見というのは、すべての人に、または大多数の人に、或いは賢者たちに、そして賢者という場合にも、すべての、または大多数の、もしくは最もよく知られた著名な賢者たちに、認められた意見のことである。しかし、
(3)一般に承認された意見のように見えて実はそうでないものからなされる推理や、一般に承認された意見またはそう見えるだけの意見から推理されたように見えるにすぎないものは、争論的な(eristikoV)推理である。この争論的推理のうちで前の方の種類は推理と呼んでよいが、後の方の種類は争論的推理ではあるにしても、それは推理しているように見えて実はそうでないのだから、推理ではない。上述のすべての推理のほかにまだ、
(4)一定の学問に固有なものからなされる誤謬推理(paralogismoV)がある。例えば、幾何学やそれに類する学問によく起こるようなものである。.....間違った作図をする人は、真で第一の前提から推理しているのでもなければ、一般に承認された意見から推理しているのでもない、その学問に固有ではあるが真でない想定から推理しているのである。---」

この文章から推察されることは、まず、「答弁するさいに自分で矛盾したことを言わないようにする方法」とあるように、アリストテレスの弁証論が問答討論の方法(問答法)という性格をもっていたことである。アリストテレスはこの書物の第二章から第七章にわたって、弁証家が問(抗議)を提出し、あるいは立論したり論破したりするための種々の観点(topoV)について詳論したのち、最後の第八巻の冒頭で、「抗議すべき観点を見いだすまでの考察は、哲学者にとっても弁証家にとって共通である」が、「個々の問を順序だて、それらを他人に向かって提出するのは弁証家に固有の仕事」であって、「自分ひとりで探究する哲学者」には無関係だといっている。また彼は、「弁証的命題は、それに対して《然り》とか《否》とか答えることのできる命題〔問〕である」(158a)ともいっている。
さらに、アリストテレスが弁証的推理を争論的推理や誤謬推理と区別し、論理的に正しい推理としていることから、彼の弁証論は、単なる問答法ではなく一種の推理法(思考法)という性格をもっていたことが推察される。争論的推理はその前提や推理過程に「見せかけ」を含んでいるから真の推理とはいえない。「争論術的に問答するのは悪い議論家」であり(161b)、「詭弁は争論的推理である。」(162a)しかし弁証家は争論家とは「目的」を異にし、「訓練や検討試論(peira)や研究のために」互いに討論するものである。(159a) 弁証的な討論は問い手と答え手とが「共通の目的」をもっておこなう「共同の仕事」なのである。(161a)だから、争論術や詭弁術は一種の問答法とはいえるにして思考法ということはできないが、弁証法は論理的に正しい問答思考法でなければならない。
したがってまた、弁証的推理と論証とは、推理の前提がちがうにしても、推理過程では同じ思考の原理(同一律・矛盾律など)や推理の法則(三段論法)に従うものとされていることが推察される。アリストテレスが「分析論前書」で次のように述べていることは、その裏づけとなろう。
「論証法(apodeiktikh)では、その前提となる判断は、互いに矛盾する二つの言表のどちらか一つを断定することであるが――というのは論証する者は単に前提を探索するのではなくて前提を確立する者であるから――これに反し、辯證論は二つの矛盾する言表のうちから随意にこれを、選択する点において、前者と違っている。しかしこの違いは、両者各々のなす三段論法の推理過程には無関係である。何となれば、論証する者もまた弁証的に探索する者も、共に或ることが他の或るものに属するか属しないかを述べることによって推理するのであるから、したがって、三段論法の前提判断は、判断としての限り、上述のように、或るものについて或ることを肯定するか或いは否定するかであろうが、それが真であり根本原理から得られたものである場合には、論証法の前提というべきである。これに反して、弁証法は、前提を問い求めて探索する際には、二つの矛盾するもののうちから随意にその一つを前提として選択し、それから推理してゆくときには、明らかで一般に承認されているものを採択する。それは『トピカ』で述べた通りである。」(24a-24b12)

このようにみてくると、対人的問答の形式は、アリストテレスの弁証論にとって決定的な要素ではないことがわかる。争論術や詭弁術が議論の相手なしには全く無意味なものとなることはいうまでもないが、思考とは自分の魂が自己と問答することである(プラトン)という意味で、弁証論は自分ひとりで探究する方法ともなりうるであろう。アリストテレスも、一議論の相手がえられなければ、自分自身で同じやりかたで訓練しなければならぬ」といっている。
こうして結局、哲学者は争論術・詭弁術を斥けねばならぬにしても、弁証論までも斥ける必要がないばかりか、むしろそれを活用しなければならぬ、ということになるであろう。なぜなら、厳密な学的認識としての哲学に固有な推理は「論証」であるが、論証の前提となるべき「真で第一のもの」、「真である根本原理から得られたもの」は、必ずしも常に与えられているわけではなく、哲学者はまずもってそうした「前提を問い求めて探索する」ことを必要としており、したがってそのさい、「二つの矛盾するもののうちから随意にその一つを前提として選択し」つつ、それらを検討吟味するところの弁証論の助けをかりねばならぬからである。「相反する二つの仮定のそれぞれの帰結を見渡しうること、また見渡していることは、認識や哲学的知にとっても軽視できない手段である」(『トピヵ』163b)というアリストテレスの言葉は、まさにそのことを意味すると言われる。また彼が『トピカ』の第一巻第二章で、「弁証論の研究がどれだけの、またどのようなことに役立つか」という問題について、次のように、それが哲学的な学問のために有用だという点を強調しているのも、そのためにほかならないであろう。

さて、以上の考察にもとづいてアリストテレスの弁証論の性格を考えてみると、それは、矛盾律を思考原理とする問答思考法という点で、また哲学固有の論証法(真理確立の積極的方法・存在認識の方法)と区別された消極的推理法(批判検討の方法)という点で、系譜的にはゼノンの問答法の発展形態だといわねばならない。しかし歴史的にはそれはゼノンの直接の発展ではなく、ソクラテスとプラトンを媒介とする発展であった。アリストテレスの弁証法がたんなる論駁の方法ではなく、問い手と答え手とが「共通の目的」をもっておこなう「共同の仕事」だというところには、ソクラテス的な共同討議の精神がうけつがれているとみられるし、またそれがたんなる対人的問答法にとどまらないで、むしろ推理法・思考法を主要性格としているところには、プラトン的な内面的問答法の性格が認められるであろう。

「辯證法は三つのことに役立つ、すなわち、訓練のために、会談のために、そして哲学的な学問のために有用である。まず

(1)訓練のために有用であることは上に述べたところがら明らかである。方法を心得ておれば、提起された問題をたやすく手がけることができよう。また
(2)会談のために役立つというのは、大衆の意見を要約して、正しく語られていないと思われることは何でも、ほかの意見からでなくその意見自体をもとにして、反論することができるからである。最後に
(3)哲学的な学問のために有用だという理由は、
(a)両方の側に難点を取出すことができれば、それぞれについてどこが真でどこが偽かということが、たやすく認識されようからである。また
(b)弁証論は個々の学問の諸原理の第一のものは何かを認識するためにも役立ちうる。原理というものはすべてのうちで第一のものであるから、与えられた学問に固有の諸原理からそれを論ずることは不可能であって、むしろ個々の点についての一般に承認された意見を通じて、それを究明しなければならない。このことは弁証論に独特な、あるいは最も固有な仕事なのである。弁証論は検討吟味するに適している(エクセタスティケー「弁証論は三つのことに役立つ、すなわち、訓練のために、会談のために、そして哲学的な学問のために有用である。まず
(1)訓練のために有用であることは上に述べたところがら明らかである。方法を心得ておれば、提起された問題をたやすく手がけることができよう。また
(2)会談のために役立つというのは、大衆の意見を要約して、正しく語られていないと思われることは何でも、ほかの意見からでなくその意見自体をもとにして、反論することができるからである。最後に
(3)哲学的な学問のために有用だという理由は、

(a)両方の側に難点を取出すことができれば、それぞれについてどこが真でどこが偽かということが、たやすく認識されようからである。また
(b)弁証論は個々の学問の諸原理の第一のものは何かを認識するためにも役立ちうる。原理というものはすべてのうちで第一のものであるから、与えられた学問に固有の諸原理からそれを論ずることは不可能であって、むしろ個々の点についての一般に承認された意見を通じて、それを究明しなければならない。このことは弁証論に独特な、あるいは最も固有な仕事なのである。弁証論は検討吟味するに適している(エクセタスティケーexetastikh)ものであり、それゆえあらゆる学問の諸原理への道をにぎっているのである。」(101a-101b)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書: プラトン 1

2005-05-07 | 哲学 Philosophy
辯證法のルーツ

プラトンは認識の段階を四つに区別し、真理にあずかる程度の低いものから順次、
  1. 想像〔臆測〕(eikasia)
  2. 信念(pistiV)
  3. 悟性知(dianoia)
  4. 理性知(nohsiV)
と名づけ、前の二つは「可見的なもの」(感覚されるもの)に、後の二つは「可思考的なもの」(nohta)にかかわるとするが、この可思考的な対象をも下位のものと上位のものとに区別し、これに対応して下位に悟性知を、上位に理性知を考えている。

悟性知は「幾何学やそれに類する術知(tecnh)」であり、理性知が「弁証の学知(h tou dialegesqai episthmh)」つまり学としての弁証法なのである。(『国家』509D-511E)

「仮設法」と「綜合・分割法」

(1) 仮設法

それぞれの問題にさいして最も確実と判断される言説を仮定(前提)として立て、これと一致することは真、一致しないことは偽としながら推理してゆく方法。この場合、前提そのものが正しいかどうかは、そこからでてくるいろいろの帰結のあいだに矛盾がないかどうかによって決められる。仮設法は、矛盾を斥けることによって矛盾をもたない前提を積極的に追求してゆくための論証の方法なのであって、その点でソクラテスの弁証法と性格を同じくしていることがわかる。しかもこの論証の過程は、一つの前提が真であることが証明されると、「さらに上位にきたるべき前提のなかから最善と思われるものをえらび、あらためてこれを前提として立てたうえで、そこから証明を行ない、最後にこれで十分というものに到達するまでつづけ」られる。それは一つのイデアからいっそう包括的なイデアヘと事物の根拠を追求してゆき、ついに最高のイデアである「善のイデア」に達して究極の根拠を見いだすことと解されるが、こうしていわば個別的・特殊的なものから普遍的なものへと上昇してゆく推理方法は、帰納的に普遍的なものの定義を求めたソクラテスのあの方法をさらに発展させたものと見られるであろう。

ところでこの仮設法は、こうした普遍的なものへの上昇という点からみれば、また「綜合法」といってもよいであろう。このことは、プラトンが『国家』第六巻・第七巻で、国の統治者にとって必要な最高の学問としての弁証法について語るところによくでている。プラトンは理想国における教育課程について、弁証法を、計算術、幾何学、天文学、和声学など予備的教科ののちに学ばれるべき最高の学問としているが、それは弁証法がたんに一番むずかしい学問だからというだけでなく、あらゆるものの根本原理を認識して諸科学を総括的に基礎づける地位にあるからである。予備的な諸学科では、たとえば計算術や幾何学における奇数・偶数・種々の図形・三種類の角などのように、それぞれ一定の前提が根本におかれていて、その前提そのものは誰にでも明らかなこととして説明されないまま放置されている。(510C, 533C)

ところが弁証法では、これも前提を用いはするけれども、「諸前提を初め〔根本原理〕としてではなく文字通り前提〔仮設〕として」、「すべてのものの初めに向って無前提のところまで進む」(511B)のである。

「辯證的方法(h dialektikh meqodoV)だけが、このように諸前提を廃棄しながら初めそのものへ向って進んでゆく。」(533C)これは、さきに『パイドン』でいわれた、一つの前提からさらに上位の前提へと進んで、最高のイデアにまで昇ってゆくことを意味しているが、こうして普遍的なものに上昇するということは、多様なものを一つの共通な本質によって綜合し、それら
すべてのものの連関を綜観することにほかならない。そしてこの綜合・綜観ということがプラトン辯證法の一つの特徴をなすのである。すなわち彼はこういつている。

「二十代の者の中から逮び出された人びとは……子供のころにその教育で無秩序に追求したいろいろの学問をよせ集めて、それらの学問相互の問の、また有るもの〔存在〕の本性との間の類縁関係を綜観しなければならない。……これはまた、弁証的な本性とそうでないものとを区別する最大の試験なのだ。なぜなら綜観する者(sunoptikoV)はディアレクティコス弁証家であり、そうでないものは弁証家ではないからだ。」(537C)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辯證法にかんする覚書: プラトン 2

2005-05-06 | 哲学 Philosophy
プラトンの仮設法をこのように綜合法として理解することができるとすれば、それはさらに、いわゆる綜合・分割法の一つの側面だといわねばならないであろう。学者のなかには、綜合法を「上昇的弁証法」とか「綜観弁証法」とか名づけ、分割法を「下降的辯證法」、「分析辯證法」とよんで区別する人もあるが、それらは互いに結びついて、プラトンの全一な辯證的方法の二側面ないし二契機をなすものと考えられる。そこでわれわれは綜合・分割法の考察に移ることにしよう。

(2)『国家』第六巻の終りのところで、プラトンは辯證法が何を対象とし、どのような方法でそれをとりあつかうのかについて、次のようにいっている。

「それでは、可思考的なもののもう一つの分割された部分と私がいうのは、こういうものだと解してくれ、つまり、それは理性そのものが弁証の能力(h tou dialegesqai dunamiV)によって触れるもので、諸前提を初め〔根本原理〕としてではなく、いわば梯子の段や出発点のように文字通りヒュポテシス前提〔仮定〕とする。それは、すべてのものの初めに向って無前提のところまで進んでゆき、その初めに触れた後、再び今度はそれに依存しているものをたどりながら終りへ降りてくるためなのであるが、その際知覚されるものは何一つ用いず、形相そのものだけを用いて、形相へ向って降りてゆき、それらに達して終るのである。」(511BC)

ここには、辯證法が純粋な思考(理性知)によって下位のイデアから上位のイデアに昇ってゆき、最高のイデアに達すると再びイデアの連関をたどって下降することが述べられているが、こうした理性の上昇と下降の二側面がそれぞれ綜合・分割法の二側面に対応しており、この二側面があわせて弁証法とよばれていたことは、『パイドロス』のなかでプラトンがソクラテスの口をかりていっそう明瞭に語るところである。それによると、彼の方法は二つの種類に分かれる。

「その一つは、多様にちらばっているものを綜観して、これをただ一つの本質的な相〔イデア〕へまとめること。これは、人がそれぞれの場合に教えようと思うものを一つ一つ定義して、そのものを明白にするのに役立つ。」(265D)

もう一つの種類の方法とは、

「いまの行き方とは逆に、さまざまの種類に分割することができるということ。すなわち、自然本来の分節に従って切り分ける能力をもち、いかなる部分をも、下手な肉屋のようなやり方でこわしてしまおうと試みない」(265E)ことである。

またこの二つをまとめて、「ものごとをその自然本来の性格に従って、これを一つになる方向へ眺めるとともに、また多に分かれるところまで見るだけの能力を持っている」(266B)ことだともいえる。そしてプラトンは、「話したり考えたりする力を得るためには、この分割(diairesiV)と綜合(sunagwgh)〔という方法〕を、恋人のように大切にしている」(266B)ことや、この方法の実行できる人を「ディアレクティケーを身につけた者」(266C)とよんでいることなどを、ソクラテスに語らせている。さてこれを定義法としてみるとき、この個所では、第一の綜合の方法が定義するのに役立つといわれているし、もっとさきの個所でも、

「人がその言ったり書いたりする一々のものの真実を知り、また全体をそれ自体として定義することができ、また定義した後では今度はまた分割しえない所まで種類分けすることができ...」(227B)

というように、定義の後に分割がおかれていることから考えると、綜合と分割とは別個のもので、綜合だけが定義の方法のようにとれる。ところが、この弁証法を実際に適用してソフィストや政治家の定義を試みたものといわれる『ソピステス』や『政治家』では、むしろ主として分割の方法が用いられている。

定義を事物の木質の概念的把捧に到進するまでの探究過程として動的発展的に理解するならば、綜合と分割とはきりはなすことのできない二側面として定義法のなかに含まれているることが分かる。たとえば、ソフィストを定義するにあたって、まずすべての技術が「ポイエーティケー製作術」と「クテーティケー獲得術」とに分割されるが、その製作術は、耕作や生き物の世話や道具類の製作など、すべて作ることにかんする技術を総括して名づけたものであるし、また獲得術は、学習や認識、営利や闘争や狩猟のように、作るのでなく、既存のものを理論や実践でわがものとする活動にかんする技術を綜合して名づけたものである。(『ソピステス」219A-C)

そしてこんどは製作術が影像の製作術と本物のそれとに分けられ、さらに影像製作術が幻像の製作術と似像のそれとに分けられるというふうに分割が進んでゆくが、どの段階をとってみても、それぞれがより特殊なものを総括した一般的名称となっている。こうして最後に、ソフィストの術は《「問答によって」「狡猾な心を以て」「模倣される対象を知らずに」「自己の言行を用いての模倣による」幻像製作術》として定義されるわけであるが、この定義自体がまた、各段階で分割されたものの一方の側を全体的に結合したものとなっているのである。だから、分割法による定義といっても、分割の各段階が綜合を含んでいるばかりでなく、最終的な定義がまた分割されたものの綜合として成立するといわねばならない。分割の過程で任意の中間段階をとっても、そこで綜合をおこなえば、いわば中間的な定義が成立しうる。しかし最も厳密な定義は、中間の段階をいいかげんに飛びこさないで、しかも最終段階まで分割をつづけてゆき、そのうえで綜合することによってのみえられるであろう。このように考えれば、綜合の方法が定義するのに役立つといわれたり、定義したのちさらに分割しえないところまで種類分けするといわれたりしていることも、定義における分割の役割を否定するものではないことが諒解されよう。

そればかりでなく、類と最下の種との中間にある種を見おとさないで分割してゆくことが研究にとって最も大切だとされ(『政治学』262B)、この点に辯證法的に議論するか争論術的に議論するかの別れ道がある(『ピレボス』17A)といわれている意味も、いっそうよく理解されるであろう。

ソクラテスの定義法は、実践的な意図から、あるいは倫理学的な関心から、主として道徳的な一般概念を明確に把握するための方法であったか、プラトンの定義法としての綜合・分割法は、本質的にはソクラテスの精神を継承しながら、師の方法をいっそう理論的にほりさげ、論理学(=存在論)の領域にまで学的関心を拡大してえられたものということができる。

プラトンは、最高の類概念(最高実在-善のイデア)からいくつもの中間的な類または種を経て最下の種概念(不可分の種)にいたる諸概念(諸存在)の普遍的な連関ないし秩序を考えており、綜合も分割もこの客観的な秩序に従っておこなわれるべきものとしているのであって、こうした方法的意識の根底には、諸概念(諸存在)の普遍的連関がいわば客観的・法則的なものとしてとらえられていたことを見のがしてはならない。われわれは思考法としてのプラトン辯證法における分割と綜合の二側面が、あらゆるイデア(概念=存在)のあいだにある区別と連関の二側面を客観的基礎として成立したものと考えてよいであろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

療養所文学を超えて

2005-05-05 |  文学 Literature
戦前の癩療養所には、患者のための慰安として文藝活動が奨励された。また様々な宗教活動も、それが国家の政策を根本的に批判しないものである限り、容認された。慰問というかたちで行われた宗教家の善意、その献身的行為のなかには、我々の心を撃つ者が数多くあったことは言うまでもない。しかしながら、当時の宗教家の多くが、強制的な終生隔離という国家の犯した罪を罪として見抜く目をもっていなかっただけでなく、それらを正当化することに荷担したということもまた、当時の資料を調べれば調べるほど、否定し得ぬ証拠が見出される。社会的な政策を批判する眼を持たなければ、宗教もまた単なる慰安活動として位置づけられよう。

神仏を信ずることによって、死に向けられた生を生きる患者に心の平安が与えられるならば、それはそれで良かったのではないか、という人もいるかもしれない。
「慰問団を悪くいう人がいるが、肉体の苦しみが避けられないのならば、せめて精神の苦しみを減らして生きることが、彼等の幸福につながる。信仰によって来世に希望を持つことは間違いないし、そういう最後の希望のよりどころとしての宗教を奪い去られたならば、あとは絶望だけしか残らないだろう。例え、宗教が非真理であっても、それが社会的な不正義に苦しむ人たちの苦しみを軽減するのであれば、それはそれで意味のある役割を果たしたのだ」
このようなシニカルな発言を聞いたこともある。しかし、これでは宗教はたんなる社会的抑圧の真実をカモフラージュする道具に成り下がるであろう。社会的な現実を直視しない信仰が、真に人を救ったと言えるであろうか。「宗教は民衆の阿片である」という言葉は、その限りで正しいのである。

しかしながら民衆の阿片としての一切の宗教的なものを否定したとしても、どの人間も、自分一人で生死の問題に直面しなければならない。強制収容所に隔離されているか否かにかかわりなく、どの人間も、死に向けられた生を生きなければならないことは、絶対に確実なことである。この万人に共通する真実を隠蔽することなく真正面から立ち向かった人の記録として、我々は歌集「白描」を読むことができる。これは決して所謂「癩文学」などではない。

「死に向けられた生」を生きるということ。自分よりも重い病苦に苦しみ死にゆく病友のうちに、将来の自己の姿を見すえながら、生き続けなければならないということが、明石海人の創作活動の原点であった。文学とは、自己の死を忘れるための慰安ではなかった。彼は、極限状況での生の本質をその作品で示したが、そういう生は、実は本来、私たちが差し向けられている現実そのものと変わりはない。異常な状況と思われていたもののなかに、普遍的な真実が示されているのである。社会的な自己が、病気と強制隔離によって抹殺されたとしても、なおかつ、自己自身に対する自己が残されている。そういう自己を見つめつつ、自己の姿を今此処に作品として創作することのうちに、海人は自らの救済の道を見出したのである。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東條耿一詩集 補遺

2005-05-02 |  文学 Literature
落葉林にて

                東條耿一

 私はけふたそがれの落葉林を歩いた。粛條
と雨が降ってゐた。何か落し物でも探すやう
に、私の心は虚ろであった。
 何がかうも空しいのであらうか……。
 私は野良犬のやうに濡れて歩いた。
 幹々は雫に濡れて佇ち、落葉林の奥は深く
暗かった。
 とある窪地に、私は異様な物を見つけた。
それは、頭と足とバラバラにされた、男の死
體のやうであつた。私は思はず聲を立てると
ころであつた。
 よく見ると、身體の半ばは落葉に埋もり、
頭と足だけが僅かに覗いてゐる。病みこけた
皺くちやの顔と、粗れはてた二つの足と……。
その時、瞑じられてゐた眼が開かれ、白い眼
がチラツと私を見た。
「アッ、父!!」と私は思はず叫んだ
「親不幸者、到頭來たか……。」
 と父は呻くやうに眩いた。許して下さい、
許して下さい、と私は叫びながら、父の首に抱
きついた。父の首は蝋のやうに冷たかった。
それにしても、どうして父がこんな所に居る
のであらうか、胃癌はどうなのであらうか、
その後の消息を私は知らないのだ。
「胃癌はどうですか、どうして斯んな所に居
るのですか、さあ、私の所へ行きませう。」
 私は確かに癩院の中を歩いてゐたのに、は
て、一體此處は何處なのか、私は不思議でな
らなかった。
「お前達の不幸が、わしをこんなに苦しめる
のだ。」と父はまた咳くやうに云った。私は
はやぼうぼうと泣き乍ら父に取縋つて、その
身體を起さうとした。しかし、父の身體は石
のやうに重かった。
「落葉が重いのだ、落葉が重いのだ。」
と父がまた力なく叫んだ。
「少しの内、待ってゐて下さい。今直ぐに取
除けてあけますから……。」
 私はさう答へると、両手で落葉を掻きのけ
た。雨に濕つて、古い落葉は重かつた。苔の
馨りが私の鼻を掠めた。しかし、幾ら掻いて
も、後から後からと落葉が降り注いで、父の
身體にはなかなかとどかない。私は次唐に疲
れて來た。腕が痛くなり、息が切れた。私は
悲しくなって、母を呼んだ、兄を呼んだ……。
 どの位経つたのであらうか。
 私は激しい疲勞のために、その揚に尻もち
をついた。ぜいぜいと息か切れた。降り積る
落葉は見る見る父の顔も足も埋め盡して、か
らから佗しい音を立てた。
「噫、父よ、父よ……。」
日はとつぷりと暮れて、雨はさびさびと降
つてゐた。
「親不孝者、親不孝者……。」
何處からか苦しげに呻く父の聲が、私の耳
元に、風のやうに流れてゐた……。

(昭和16年 「山桜」三月号)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする